27.教会のピアノ弾き

「はい。じゃあここに立って下さい。女の子も誰か一人、パートナーをお願いします」

「じゃあ私やる!」


 そう言って飛び出してきたのは、さっき男子を呼びに行った元気な女の子だ。

 黒髪の男の子は顔を真っ赤にしてうつむき、救いを求めるようにおそるおそる私を上目遣いで見上げてきた。

 小さな恋の予感に俄然やる気が湧いてきて、張り切ってペアを組ませる。


「ありがとう。ではまず、ダンスにお誘いしたら男の子は女の子の手を取って広い場所に連れ出して下さいね。無理やりは絶対にダメですよ。踊る場所を決めたら、一旦手を目の高さまで持ち上げてから、向かい合ってお辞儀をします。……女の子は、このように」


 女の子の隣でカテーシーをして見せる。おおー、と声が上がった。

 私がちゃんとお嬢様っぽい事するのってそんなに意外な事なのかしら……。

 次に男の子の隣で、紳士の礼ボウ・アンド・スクレープをして見せた。

 この時には既に黒髪の男の子の他にも真似をする男子が出て、小さな紳士と淑女が大量に発生し始める。


「そうしたらお互いに手を取って、半身ぶん体をずらしてくっついて下さい。空いている手を女の子は男の子の腕の辺りに、男の子は女の子の肩甲骨の辺りに置きましょう」


 ペアをホールドさせると、あちこちで真似したペアから照れ笑いがわき起こる。


「手は肩と同じくらいの高さをキープしてくださいね。では、基本的に全てズンタッタというワルツのリズムに乗せていきますよ。まず男の子は左足を左に、女の子は右足を右に出して。そう。動きを合わせて左右に揺れて下さい。これで大体はOKです」


 えー、と声が上がる。

 あまりにも簡単すぎたらしい。

 だよね。


「じゃあもうちょっと進化します? ええと……片手を繋いだままお互いに一歩下がりましょうか。そうしたらワルツのリズムに合わせて女の子がくるっと回りながら男の子に近付いて、男の子はそれを受け止めて下さい。女の子の背中が男の子の正面につく形になっているはずなので、男の子は開いている手を女の子の腰骨に置いて再び左右に揺れましょう」


 さっきよりも照れる子が多くなってきた。

 分かる。ちょっと恥ずかしいよね。私も習いたての頃はそうだった。


「次に体を離して正面から向かい合います。相手の顔を見ながら一歩前へ。そう。そのままもう一歩進んですれ違いましょう。で、更にもう一歩進む。お互いに背を向けた状態からくるっと右に回るとまた正面から向かい合う形になるので、もう一回同じようにして三歩歩き、すれ違います。そうしたら女の子は蝶々みたいにくるくる回りながら男の子の方に近寄って、男の子は女の子を受け止めてあげて下さい。今度は背中じゃなくて正面からです。で、最初のホールドの姿勢に戻りましょう」

「難しいよ」

「えー? 簡単じゃん」


 様々な声が上がる中、足と手でズンタッタと鳴らしてやると全員がリズムに合わせてぎこちないながらも踊ってくれた。

 身につく早さに差はありつつも少しずつ形になってきた頃を見計らって、バイオリンを構え演奏を入れてみる。

 一気にダンスパーティーっぽさが出て、熱気がぐんと上がるのが肌で伝わってきた。


 ……次は子供用ドレスをお土産に持って来よう。

 密かに決心しつつ一曲弾き終えて、弓を下ろすと誰からともなく拍手が沸き起こった。

良かった。楽しんでもらえたようだ。


「皆さんとても上手でしたよ。素敵でした」

「すっごい楽しかった! ねえもう一回やって?」

「もう一回やりたーい! やってやって! そうだ、次はハヤトもピアノやればいいじゃん!」


 えっ。弾けるの?

 

 ぱっと後ろを見ると、おとなしく見物を決め込んでいたハヤトと目が合った。


「ピアノ、弾けるんですか?」

「うーん……。ちょっとだけ……。ほら、教会に置いてあるでしょ? 昔、あれで遊んでたらシスターが教えてくれてさ。それ以降ミサの時に弾くとお小遣いくれるようになったから頑張って覚えた。でも教会で使う曲しか出来ないよ」


 ちらっとシスターを見ると、彼女はにこっと笑い、「この子が弾くと寄付金が跳ね上がるんです」と小声で言った。

 聖職者とは。


「……じゃあ、一緒にやってみます?」

「いいけど、二、三分ちょうだい。最近やってなかったから、思い出すまで少し時間がかかるかも」

「わかりました。ではその間何か他の事を……」


 そう言いかけた時、グーパーと軽く指の運動をしながらピアノの前に座ったハヤトがまず基本のCコードを押さえた。

 その一瞬でわかってしまった。

 この人、ピアノ上手い。

 タッチの力加減。透明感のある音。ペダル使いにセンスしか感じない。

 少しして彼は思い出してきたようで、コードはどんどん複雑になっていった。そこにさっき私が弾いたものの主旋律が加わって、荘厳な聖歌が奏でられ始める。

 聴いた事がないアレンジが加えられているのはシスターの教えなのか、本人の仕業なのか。

 凄い。音が語りかけてくる。和音に情景が浮かんでくる。これはもはや一つの映画だ。

 その時、ちょうどハヤトの髪が教会の神聖な魔力に反応して銀色に変わり始めた。日中に銀髪に変わるのを見るのは初めてで少しびっくりしたけど、変色のタイミングまで神がかってる辺り、やはりこの人は"持ってる"と思う。

 その変色、お馬さんの時じゃなくて良かったねと思いつつ眺めていると彼は手慣らしが終わったのかアルペジオで何度か鍵盤を往復してから手を下ろした。


「終わったー。もういいよ。どうする? さっきと曲変える?」

「そうですね。聖歌ですよね? 何でもいいですけど……」

「じゃあ、"アマリリス"は?」

「いいですよ」


 アマリリス(花)は女神ミナーヴァを象徴する花として扱われていて、聖歌としては結婚式でよく使われるものになる。どこか甘いメロディで、前世で言うところの"いつか王子様が"に似ている曲だ。


「アリスが主旋律ね」

「はい。でもピアノでも聴きたいですね……。二番ではそちらが主旋律をやって下さい。こっちが伴奏やります」

「了解」


 ハヤトの伴奏で始まったダンスパーティー第二部はより一層華やかで、終わった後、例の黒髪の男の子と元気な女の子が"交換日記を始める事になった"と頬を染めながら報告に来るミラクルを起こし幕を閉じた。

 


 孤児院への訪問を終えて、ひとまず自宅に帰った。

 これから拠点を移す準備とか、ベティ達や冒険者の皆さんに不在がちになる前の挨拶とか、マナーの勉強とか、しなくちゃいけない事が沢山あるけど……。

 まだ体から音楽の余韻が抜けていない。

 少しだけ、私もハヤトとダンスをしてみたいな。

 少しでいいから。


「ハヤト、私とホールドしてください」

「ん」


 ぎゅっと抱き締めてくれた――けど、違う、そうじゃないんだ。嬉しいけど。

 特に意味のないハグをしばらく堪能してから、本題に入る。


「……これはこれで凄く良いのですが、ダンスのほうをですね……」

「あ、そっち? なんだ、すぐに言ってくれれば良かったのに」

「その通りですね」


 私も今のは言葉が少なすぎてちょっとどうなのとは自分でも思った。

 腕をハヤトの肩に回して、ぴったりとくっつく。すると、彼は少し戸惑った声を出した。


「……なんかさっきのと違くない? ていうか、近くない?」

「はい。これは夫婦や婚約者同士でだけ許されているダンスです。社交界に出ても私以外の女性としちゃダメですよ」


 そう、これは頬と頬をくっつけるだけの、いわゆるチークダンスだ。

 技術がいらないが故に今後つくであろうダンスの講師からこれについて何かを教わる事はおそらく、無い。

 なので、私がこの機会に伝えておいても良いと思う。

 チークダンスは夜会の終わり間際になると、灯りを少し落とした状態で行われる――らしい。(私はまだ最後までいた事がないから、話で聞いているだけ)

 ステップを踏まなくてもいい代わりに、ロマンチックな空気の中で密着して会話をするという独りぼっちには非常に辛いダンスタイムになる。

 ハヤトがいなければ私も完全にそちら側の人間だったので、正直なところ凄くホッとしている。

 これ、一見恥ずかしいように見えるけど、政略結婚したてでまだよそよそしい二人もこのダンスタイムを経ると不思議と結婚式の直後よりも夫婦の実感が湧くようになるという話を聞くから侮れないものだ。

 ハヤトは戸惑いながらも私の背中に手を回し、ちゃんと手のひらを重ね合わせてくれる。こういう時、律儀に付き合ってくれるのがとても好きなところのひとつ。


「ありがとうございます。このダンス、これだけでいいんですよ」

「……そうなの?」

「はい、でも……ついでに、話す時は少しかがんで頬をつけて下さるともっと良いです」

「わかった。……もしかして、手の繋ぎかたもこんな感じで良かったりする?」


 私の希望通り頬を頬にくっつけてくれて、重ねただけの手の指の間に、指を入り込ませてくる。

 恋人繋ぎ。

 好き。


「よ、良かったりしますよ……! とっても! ……たぶん」


 実際のところは知らないけど多分良いと思う。良い事にしておく。


「そっか……。ねえ、こういうの、前の婚約者ともしたの?」


 おや。

 前の婚約の話を出してくるなんて珍しい。


「いいえ。こういうのをするような時間まで夜会に残れるのは学院を卒業した後になりますから、私はまだ一度もしたことがありません。……話に聞いていただけです」

「ふぅん」


 感情の見えない声色だった。不機嫌なのか、何も感じていないのか、それすら読み取れないフラットな声。


「あの人とは幼なじみのようなものでした。手を繋ぐ以上の事は、何も」


 言いながら気付く。

 ……あれ? 私の恋愛偏差値、低すぎ……?


 婚約中どころか、破棄後にも誰からも求められなかったのが私という人間だ。

 改めてモテない事を実感するけど――いいんだ。

 今の私にはハヤトがいる。

 たった一人、好きな人に好きになってもらえた。それ以上に求める事など何も無い。


「私、男性とこんなふうに触れ合うのは貴方が初めてです。キ……キスだって、小さな頃に親が頬にした以外は貴方だけなんですからね。もう、どんな事があっても、絶対に逃がしませんよ」


 顔が見えない、かつゼロ距離なおかげか重たい言葉が次々に飛び出してくる。

 目を見ながらではなかなか口に出来ない事ばかりだ。

 密着しつつ顔が見えないというのは、こんなにも胸の内をさらけ出させるものなのか。

 チークダンスの効果、確かにある。


 などと考えていたら、くっつけた体からハヤトの心臓がひときわ強く打つのが伝わってきた。と思ったら、肩を引き剥がされて、繋いだ手を高く掲げてくる。

 ターンを促されているのだと気付き、くるりと回った。

 回り終えて彼の顔を見ると、ふいと顔ごと目を逸らされてしまった。


「……もうちょっとしたら外に出よう。散歩してれば知り合いに会うだろうから、その時に留守がちになる話をすればいい」

「そうですね」


 ちょっと重たすぎたかな……。

 怨念が滲み出すぎて怖がらせてしまったかもしれない。


 すぐに調子に乗ってしまう性格を反省しつつうらめしく思い、いったん自室に戻って実家に持っていく荷物を選別する作業に入った。

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