26.花のワルツ

 叙爵の儀式はハヤトの礼服が仕上がってくる一ヶ月後に執り行われる事となった。

 本来二ヶ月はかかる仕立てなんだけど、学院に編入する時期を考えるとなるべく早いほうがいいという事で。無茶を言って急ぎ仕事にしてもらったそうだ。

 急ぎの仕立てのお礼にお母様と私とラヴのドレスを計三着、納期を設けずにオーダーしたらしく、仕立て屋としては、良い仕事を貰ったと喜んでいたとお母様は言っていた。


 そして私達はハヤトの仮縫いと勉強のため、いっとき十五番街から離れて学院を卒業するまでのあいだ公爵邸住まいになる。

 その間、こっちの家に戻れるのは多くても学院が休みの土日、週二回だけ。


「これから忙しくなるね」

「ええ……。頻繁に留守にするなら貴族街に行く前に皆さんにご挨拶していかないといけませんね」

「うん。……あのさアリス、今日はちょっと俺の用事に付き合ってもらってもいいかな?」

「もちろんです。どちらへ行くんですか?」

「孤児院に」


 彼の出身、十五番街の孤児院は教会に併設されていて、以前私もハヤトと一緒に訪ねた事がある。

 とは言っても、稼いだお金の一部を神父さんに渡してすぐに退散するという慌ただしさで、まともに会話をした事はないのだけど。

 だって一ヵ所じゃないんだもの。何ヵ所か回るんだもの。

 怪我をする前のラヴがやっていた寄付活動は当然のごとくハヤトもやっていて、彼と行動するようになってからは私も一緒にやっていたのだけど(お嬢様として行う慈善活動とは別。あれは家の予算を使ってする事なので)王都のあちこちに点在する孤児院を回るのは結構時間がかかるのだ。

 なので、ちゃんと時間を取って訪問するのは今回が初めて。

 子供達に会うのも、初めてになる。


 神聖な魔力が感じられる教会の扉を開くと、お爺さんのトーマス神父さんとお婆さんのシスター・メアリが温かな笑顔で出迎えてくれた。


「おお! ハヤトじゃないか! アリスお嬢様も、よくいらっしゃったね」

「こんにちは。お元気そうで何よりです」

「おかげさまで。足腰は痛いのですが、まだまだ元気にやっております。……ところで、何やら噂を聞いたのですが、ご結婚なさる……とか?」

「あら、ご存知でしたか」


 すると横で聞いていたシスター・メアリは目を丸くして口元を両手で抑えた。


「あらあら! 本当でしたか! まさか、と思いながらも、そうだったら素敵だなぁと思っておりました。とっても嬉しいお話ですわ。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「では今日は女神への報告に?」


 少女のように瞳を輝かせるシスター・メアリだったけど、今日用があるのは孤児院のほうだ。

 私の代わりにハヤトが答えた。


「今日は子供達に会いに来ました。事情があってしばらくの間来られなくなりそうなので……。どんな様子か、確認しておきたかったんです」

「そうだったの。いいわよ。好きなように見ていらっしゃい。でも……貴方にはたくさん助けてもらってきたわね。忙しくなるなら、今後は無理に助けて貰わなくてもいいのよ?」

「無理はしませんよ。大丈夫です」

「そう? ……ならいいけど……。でも、そろそろあの子達にも貴方からたくさん寄付をもらっているって教えてもいいんじゃないかしら。あの子達、知らないから貴方に対して失礼な事ばかりするでしょう?」

「いいんですよ。……あいつらには、俺じゃなくてどこかの誰かが自分達を気にかけていると思っていてほしいんです」


 身内ではなく、見知らぬ世間の人に応援されている。

 そう思えれば、いずれ大人になって世間に出る時、独り立ちへの不安を少しは解消させられるんじゃないか。――と以前彼は言っていた。

 私は、ハヤトから応援されていると知っていても、それもまた勇気になるんじゃないかなと思ったけど、言わずにおいた。

 見知らぬ人からの応援が力になるのも事実だから。


 シスターに案内され、一度教会の外に出て、裏手側へ回る。そこには小さな畑があり、七、八歳くらいの子供が何人か草むしりをしているところだった。

 そのうちの一人がこちらに気付いて大声を上げる。


「あっ! ハヤトじゃん! おかえり!」

「え? あ、ほんとだー。あれ? ラヴじゃない! ちょ、大変だー! ハヤトがラヴじゃない女連れてきたー!」


 すると建物の中からわらわらと子供達が出てきてあっという間に取り囲まれた。


「おねーちゃんだぁれ?」

「ねえねえアイツと付き合ってんの?」

「あのね、ラヴお姉ちゃんお姫さまになるんだよ。だからね、ラヴお姉ちゃんと王子さまの絵をかいたの。みて」


 子供達のエネルギーに圧倒されつつ小さな女の子が出してきたスケッチブックを見ると、そこにはラヴらしき薄茶色の髪のお姫さまとキラキラの王子さまが手を繋いでいる可愛らしい絵があった。

 残念ながらお兄様は王子さまではないし、ましてこんなにキラキラもしてないんだけど「とても上手ね」と微笑むと女の子はにっこり笑ってスケッチブックを抱きしめた。


「わたしも大きくなったらお姫さまになりたいの」


 するとハヤトが少しかがんで、女の子の頭をポンポンしながら言い聞かせた。


「それならたくさん本を読めるようにならなきゃいけないな。シスターに読み方をよく教えてもらうんだよ。あとね、もし本当に王子様みたいな人が現れても、すぐについていっちゃダメだからね。絶対に神父様かシスターに話をしてからだよ。そうしなかったら俺が許さないからね」

「うん、わかった」


 絵を見せて満足そうな女の子は頷いて、タタッと走って遊びに行ってしまった。他の女の子達も、つられるように遊びに散らばっていく。

 その様子を見ながらハヤトは静かに呟いた。


「……今日はね、今みたいな事を言いに来たかったんだ」

「貴族に簡単について行っちゃダメだよ、という事ですか?」

「うん。ラヴがお姫さまになったから自分も、と思う気持ちになるのはわかるけど……。簡単になれると思ってしまったら絶対危ないでしょ。ついていく前に、必ず神父様に話をしてねって言っておきたかった」

「そうですね……。ラヴのケースはかなり特殊で、そうそうある事ではありませんし……。夢があるのは、良い事なのですが」

「そう。夢を潰したい訳じゃないから、頭ごなしに否定する気は無いんだけどね。話さえしてくれれば、こっちで裏が無いかどうか調べられるだろ。お姫様になるのはそれからでも遅くないと思って」


 話しながらハヤトは体の大きな男子グループに引っ張られて行き、木の板で作られた玩具の剣を押し付けられていた。

 戦いごっこが始まるらしい。


「もうちょっとしたら俺も冒険者登録するんだ! んで、ハヤトを倒していきなりSランクになる!」

「俺、魔物じゃないんだけど。それより読み書きは出来るようになったのか? 力よりもそっちのほうが役に立つっていつも言ってるよな?」

「うるせーな! 名前くらいなら書けるし!」


 カンカンと木剣の打ち合う乾いた音が響く。

 その様子を微笑ましい気持ちで見ていると、シスター・メアリが私の横に立って、優しげな微笑みを浮かべて言った。


「あの子は……ハヤトは不思議な子ですね。アリーシャ様」

「ええ、そうですね。何を考えているのかよくわからないところはありますが……」

「本当ですね。そういえば、あの子に最初に魔法を教えたのは、お恥ずかしながら私なんですよ。かすり傷があったから、ちょっとした回復魔法を教えただけなんですけれどね。そうしたら、次の日には回復魔法どころか、なぜか炎と水と風まで出して遊ぶようになっていたんですよ。誰も教えてないのに。あの時は驚きすぎて笑ってしまいましたわ。何をどうしたらそうなってしまうのかしら、って」

「まあ。あの人らしいお話ですね」

「やはりそう思われます? ……きっと、あの子は女神になにがしかの使命を与えられて生まれてきたんですわ。アリーシャ様と出会ったのも、そんな運命の中の一つなのでしょうね」


 その使命とはきっとマリアに攻略される事だったんだろうなと思うんだけど、そんな事考えたくもないので頭の中で打ち消す。

 するとシスター・メアリは思い出したようにポンと手を打ち、満面の笑顔を浮かべた。


「そうだわ! アリーシャ様は楽器はお出来になって?」

「え? ええ……。一般的なものでしたら一通りは習いましたけれど」

「それではバイオリンはどうかしら。ハヤト達が寄付してくれるおかげで教育のためにと色々購入するのですが、バイオリンは弾ける人がいないのに買ってしまって頭を悩ませていたところなんです」

「まあ、それはもったいない事ですね」

「そうなんです。それで……いかがです? 一曲弾いて頂けませんか? うちの女の子達にも、お姫さまになるよりはまだ音楽家のほうが現実味があると思って欲しいですし」


 ……確かに。お姫さまはなろうと思ってなるものではないからね……。


「……わかりました。人並みですが、努めさせて頂きます」

「ありがとうございます」


 突然だったけど、貴族といえば楽器の演奏は嗜みの一つなので一応はこなせるように色々と教わってきた。

 シスターと建物に入ると、そこには掃除が行き届いていた立派なホールが広がっていた。アップライトピアノも設置してある。

 ピカピカのバイオリンを手渡され、弓の準備をして。それからチューニングをして。手慣らしに簡単な童謡を弾いてみる。


「……あら、意外と手が覚えているものね」


 殿下との婚約破棄以降、すっかり楽器から離れていたけど、思ったほどには忘れていない。

 感覚をしっかり思い出すために何曲か試し弾きをしていると、音を聞き付けた女の子達が徐々に私のところに集まり始めた。


「バイオリンだー! すごーい、かっこいい」

「ねえねえお姫さまの曲ひいて! ダンスパーティーごっこしよう!」


 お姫さまの曲って何かしら。

 ワルツ?


 そう思って花のワルツのメロディを奏でると女の子達はキャッキャッと楽しそうに手を取り合ってくるくる回り始めた。

 だけどやがて「女子だけじゃいまいちつまんないね。誰か男子呼んできて」と声が上がり、ひときわ元気な女子が外に飛び出したかと思うと男子をズルズルと引っ張ってきた。強い。


「なんだよ、もう」

「せっかく遊んでたのに」


 ふて腐れた顔の男子達の後ろから、ハヤトの背中に乗ってお馬さんごっこをしている小さな二人組も入ってくる。

 四つん這いでお馬さんにされているハヤトを見た瞬間目玉が飛び出そうになったけど、気を取り直して男子に話しかけてみた。


「女の子達がね、貴方達に王子様になってほしいんですって。よかったらダンスパーティーに参加していきませんか?」

「え~? やだよ。ダンスなんてやったことないし」

「大丈夫ですよ。誰でも出来るように、簡単なものを教えますから。すぐ出来るようになります」


 すると黒髪の大人しげな男の子がもじもじしながら前に出てきた。


「僕、やってみたい……。教えて下さい」


 うっ。かわいい。


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