25.このうっかりやさん


 ともかく、これでひとまず用事を終えたので、三番街のパティスリーに寄ってお土産のプディングを大人買いし早速公爵家に向かった。

 到着すると、家令ジェフリー自らが扉を開いて出迎えてくれる。


「お帰りなさいませ、お嬢様、ハヤト様。お久しゅうございますね。皆様お待ちでいらっしゃいます。まずはお嬢様はお部屋でお召し替えをお願いいたします」

「えっ? このままではいけないのかしら。お話が終わったらすぐに帰るつもりで来たのだけど」

「淑女らしく仕上げてから通しなさいと旦那様より仰せつかっております。メアリーアン、フロリーナ、お願いしますよ。では、ハヤト様はこちらにどうぞ」


 有無を言わさぬ様子でジェフリーはハヤトの肩に手を置きどこかに連れていこうとする。

 さすがのハヤトも展開が読めなくて怖じ気付いたのか、ドナドナが似合う顔を私に向けながらも大人しく連れ去られていった。

 ……何かしら。ちょっと怖いんだけど。


「さ! お嬢様、お支度しますよ! 腕が鳴りますね!」


 メアリーアンが異様に楽しそうなのを見るに物騒な話ではなさそうだ。

 だけど気になる。

 ハヤトが連れ込まれた客間の扉をチラチラ見ながら自室へ向かった。


「さぁさぁ、湯浴みのご用意はすぐに出来ますからね! 先にお髪を梳きましょうか!」

「ありがとう。…でも、どうして? 今日はお父様とお母様とラヴにお話があって来ただけなのに」

「私にはわかりませんけれど、今朝お嬢様からのご連絡があってから旦那様は何やら大層慌てていたご様子ですよ。急ぎで仕立て屋を呼んだりして。そういえば彼らもさっき到着したようですね」

「仕立て屋!?」


 じゃあハヤトは今仕立て屋と会ってるって事!? 何!? 何なの!?


「それにしてもラヴ様のお兄様は素敵な方ですよねぇ……毎度のことながら見とれてしまいますよ」

「そうね……」


 気もそぞろなうちに服を脱がされ、お湯に浸からされて二人がかりで全身を磨かれた。

 それからジャスミンの精油を肌に馴染ませマッサージをしてくれて、血色が良く艶々になったところで素早く髪を乾かされ、ゆるく巻いてもらう。

 久し振りに人にお世話してもらう感覚に戸惑いながら、ペールブルーのシンプルなドレスを着付けてもらい自然なメイクを施されて完了。

 この間およそ一時間半。早業だ。二人とも凄い。

 しかし、本来の目的――婚約の報告をして帰るには長すぎる時間でもある。

 一体なんのために着替えさせられたのかしら?


 疑問に思いながら応接室に案内されると、そこには既にお父様とハヤトがいて。

 心なしかハヤトの表情は固かった。


「あら? 二人ですか? 皆は?」

「うん、ちょっと先に話しておきたい事があってね。それにしても久し振りだね、アリス。何だか表情が豊かになったんじゃないかい?」

「そうでしょうか? ……というか、一体何の話をしていたんです?」

「まあそれはこれからアリスにも伝えるけど……先に彼の返事を聞いてからだね。––で、どうかな? 君にも色々思うところがあるのは分かるけど、ほら、アリスって基本こんな感じじゃない。これはアリスのためでもあるし、悪い話じゃないと思うよ」


 こんな感じって何。


 ハヤトは難しそうな顔をしてうつむき、しばらくして視線を真っ直ぐにお父様に向けた。


「……わかりました。お受けします」


 満足そうに頷くお父様とハヤトを交互に見る。

 あの、そろそろ話に入れてほしいんだけど。


 するとお父様は私にちらりと視線を寄越して言った。


「叙爵の話をしてたんだ。もう議会の根回しは済んでいるし、陛下の了解も取り付けてある。後は私が正式に推薦すれば通る状態だよ」

「そうなんですか!? お父様ったらいつの間にそんな」

「アリスが出て行ってからすぐに段取り始めたよ。アリスのおかげでうちは王家に大きな貸しがあったから簡単だった。––でも、二人とも婚約するのが遅いよ。もしかして無駄な仕事しちゃったかなと思って心配してたんだ」


 もうお父様は私たちの婚約の話を聞いているようだった。

 その話をするよりも前に仕立て屋に会わせたりもそうだけど、最初から結婚を見越して叙爵のために動いていたとか……何だか私達は二人揃ってお父様の手のひらの上で転がされていたような気がしてくる。

 私と同じ気持ちになっていると思われるハヤトはこちらの会話を聞きながら頭を抱えて呟いた。


「……俺の葛藤は何だったんだ……」

「そうは言っても君、推薦の申し出は初めてじゃないだろう? 断られた事があるとか会う事すら出来なかったとか言ってるのが何人かいたよ」

「そうですけど……」


 そうなんですかい。

 でも確かに、何かしら力のある市民に貴族が目をつけ、傘下に入れようとして議会に推薦、叙爵に至るケースはたまに聞く話ではある。大抵一代貴族だけど。

 彼ならそんな話の一つや二つあったとしてもおかしくはない。

 十代半ばはさすがに早すぎる気もするけど、この国では貴族子女が学院を卒業するのが十五歳というのもあって、その年から一応の大人として扱われるのが一般的だ。

 当然、独り立ちするには色々足りないので、その後は年単位で後ろ楯の元で大人になる練習をするのだけれど。

 普通は親が役割を担うその後ろ楯を、ハヤトの場合はうちが受け持つ事になる。


「……ハヤト貴方、本当にいいんですか? それってうちの……ステュアート家の言いなりになるという事ですよ。色々と不自由になりますし、もう少し考えたほうが」

「普通の貴族なら受けない。……けど、いいんだ。もう決めた」


 自由気ままに生きていく力があるくせに、彼は首輪をつけられる事を受け入れると言う。

 ハヤトは真っ直ぐに私を見て、穏やかに微笑んだ。

 そんな彼を見てお父様は嬉しそうに頬を緩める。


「その心意気や良し。何、悪いようにはしないさ。女神ミナーヴァに誓ってね。で、早速なんだけど、あの大量のプディングをどこからどうやって出したのか後でアキュリスに詳しく教えてやってくれない?」


 お父様は下心を出すのが早すぎる。

 あの顔、魔道具に使えそうなネタの匂いを嗅ぎつけたに違いないのだ。

 あとちょっと頑張ればしばらくはあの残念さを隠し通せたかもしれないのに。


 こうして、お父様の全方位へのゴリ押しによってステュアート家は僻地ではあるけれど、所有している領地のごく一部を分け与える形でハヤトを貴族社会に引きずり込んだ。

 家名の無かった彼は、与えられた地名をそのまま名前として子爵位のハヤト・リディルとなる事が決まった。

 そして、叙爵の儀式を待ってステュアート家はリディル家と正式に婚約を結ぶ事となる。

 リディルはここ王都から馬車で二日くらいのところにある人口二百人程度の小さな村がある地域だ。

 特にこれと言った産業はないけれど、大きな泉があって住民が食うに困らないくらいには農地も拓けていて、手のかからない土地とお父様は言う。

 実際にそこに腰を据えるのはまだ先だけど、いずれは居を構え王都と行き来する事になる。



 家族に婚約報告をするために行ったはずが、なぜか子爵位を与えられて帰宅するという超展開を経て十五番街の家に戻ってからハヤトは背中に疲れを滲ませながらリディルに関するここ数年の報告書に目を通していた。

 あれはお父様が帰り際に「勉強を始めるなら早いほうがいい」と言ってハヤトに渡したものだ。

 他にも、マナー教本や簿記の教科書、領地運営のためのお父様製メモ集などがある。

 普通なら子供の頃から時間をかけて身につける事を、彼は今から急いで学ばなければならないのだ。

 しかも、子供なら笑って許されるような初心な失敗も十六歳では許されない。

 新参者だからといっても、誰も大目に見たりしない。

 貴族に相応しいと判断されて爵位を得たのだから、相応しい振る舞いくらい出来て当然、といった認識である。ここでつまずく新興貴族は多いのだけどそれは余談。

 こうして考えると、マリアの乱がどれほどの異常事態だったかよく分かる。


「……なんだか大変な事になりましたね」


 お茶を淹れて隣に座った。


「あ、ありがと。そうだね、大変だね」


 報告書の閲覧は既に終わり、今度は簿記の本に視線を落としたままパラパラとおおよそ五秒くらいの間隔で紙を捲りつつ、空いている手で私の肩を抱き寄せる。


「……それ、読めてるんですか?」

「うん。完全に頭に入れるにはあと二、三回読み直さないといけないけど、一応読んでるよ」


 なんなのこの人。

 読む速度もさることながら、あと二、三回で完全に頭に入るなんておかしくない?

 ……まあ、今さらか。


「学院なんて行かなくても良さそうですけどね……」

「うーん、どうなんだろうね」


 そう、ハヤトは叙爵の儀式を終えたら、貴族子女が通う学院に急遽編入する事が決まったのだ。ここの学院は日本の義務教育と違って、通常は十三~五歳の二年間だけ任意で通うもので。

 たまに怪我や病、領地が災害に見舞われたなどの理由で入学を遅らせる家もあって、その場合は十六~十七歳で在学する事になる。

 私の時も二人いた。なので年齢的な問題は無いけれど。

 あそこは主に魔法と、男子は対人の戦い方を、女子は家政を学ぶところだ。

 魔法を学ぶと言っても、ハヤトの力業&裏技みたいな感じではなくて、魔力に属性をいかにスムーズに与えるか、限られた魔力をどう配分して最大の威力を狙うか等の、貴族らしい上品な授業内容である。

 とは言え大体の生徒が既に家である程度学んできているので、どちらかというと成人前に集団生活を通してワガママさを矯正する事のほうが重要視されている。

 そんな意味合いから、任意だとしても一種の通過儀礼である学院を卒業していないと、(男性は特に)貴族社会で認めてもらいにくくなるらしい。

 ラヴは女の子だから通わなくても構わないそうだけど、ハヤトは違う。

 世襲貴族の当主になる以上、途中からでもいいから行っておいたほうが良いとはお父様の言。

 要は、卒業したという事実があれば良い、との事だ。


 やがて最後のページをめくったハヤトは、本を閉じて伸びをした。


「あー、読んだー。疲れた」

「ハヤトでも疲れる事ってあるんですね」

「当たり前でしょ。俺を何だと思ってるの?」

「うーん……スーパーダーリンかしら」

「ふっ、何それ」

「凄い恋人って意味ですよ」

「別に凄くはないじゃん……。アリスのほうがよっぽど凄いと思うけどな」

「どこがですか。私は全部中途半端なんですよ。特にこれといった特技もないですし……たまたま貴族の家に生まれただけの凡人です」

「そんな事ないよ」


 頬を撫でられ、顔が近付いてきて、ちゅ、と柔らかく唇が塞がれて、すぐに離れた。


 えっ?

 唇が。塞がれた。

 口で、口を塞がれたんですが。……今のは一体何だったんです?

 じっと見つめると、彼はめちゃくちゃ気まずそうな顔で謝ってきた。


「ごめん……間違えた」


 ま、間違えた……?


「ほっぺたにしようとして、つい」

「……信じられない……」


 本当に信じられない。

 そんな理由のファーストキスって許されるの⁉


 いや許さない。絶対にだ!


「やり直しを要求します!」

「ごめんって! 本当に間違えたんだ!」

「ひどい! ちゃんとしたのするまで許さないから!」


 襟首に掴みかかろうとしたけど一瞬で逃げられた。今まで見た中で一番速かったのが腹が立つ。


「何で逃げるんですか!?」

「だってアリスが可愛いから」

「理由になってませんけど!?」


 身柄を確保しようと追いかけるけど、かわし方が上手くて全然捕まえられない。

 逆に避けた流れで背後を取られ、首もととお腹に手が回ってきてバックハグ状態になった。そのまま耳元で妙に優しげな声が響く。


「ごめんね、自分でもびっくりしたんだ。許して?」


 首もとの手がするりと動いて、鎖骨の辺りを撫でる。


「本当にキスしようと思ってしたら、絶対途中で止められないよ? ……それでも良かったら、こっち向いて」


 ……良くないです。


 へなへなと床に座りこみ、しばらく顔を上げられなくなってしまった。

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