24.私達、二人で一つ。さくらんぼなの。
涙冷めやらぬうちに、ハヤトは手を取って立ち上がった。
「アリス、こっちにおいで」
頷いて、涙をぬぐい、ただ彼についていく。先にソファに座らされ、すぐに左隣に掛けてきたハヤトと肩同士が重なった。そこでハンカチで顔を一生懸命拭われて、なんだか笑いが込み上げてしまい「ありがとう、もう大丈夫です」と言うと、親指が目尻を撫でて離れていく。
「良かった。ねえ、アリス。もう遅い時間だけど……もう少し、ここで話をしていかない?」
「はい。私も、そうしたいと思っていました」
並んで座って話をするだけ。
それだけのために、こんなに体をくっつけられる事が嬉しい。
さりげなく肩を抱いてきたから、こっちもさりげなく頭を肩に乗せる。
三ヶ月間、特に意味のないハグを繰り返ししてきたおかげか、このくらいの触れ合いなら抵抗なく出来てしまった。
「……で、さっきの返事は?」
「ええと、少し待って下さい。今最高の言葉を考えていますから」
「うん。……わかった。聞きたいから待ってる」
しまった。うっかり自分でハードルを上げてしまった。
少し後悔しながら、さっき感じた"貴方を幸せにする権利を下さい"というどこか回りくどい気がする言葉を、どう伝えるか考えた。
だって、プロポーズにプロポーズで返すなんて――少し冷静になって考えたら、それってちょっと変だなと気付けたのだ。もし相手が吉良吉影だったらその場で爆破されてもおかしくない返事の仕方である。
でも結局思い浮かばなくて、そのままの言葉を口にした。
「……それは、OKだと受け取っていいんだよね?」
やっぱり回りくどかったようだ。
薄々気付いていたけど、私はたぶん言葉のセンスがない。
王妃になどならずに済んで色々な意味で本当に良かったと思う。
「もちろんです。私は……貴方のことが、大好きなんですよ。こっちから結婚を申し込みたいと思っていたくらいです」
「えっ。それ、やってみてほしいんだけど」
――しまった。これ絶対やらされるやつだ。またやってしまった……。
この自分をどんどん追い込んでいく性質はどうすれば治るのだろう。
瞳を輝かせて前のめりで顔を覗き込んでくる無邪気ドSのハヤトからそっと視線を逸らした。
だけどその程度で羞恥プレイから逃れられるはずもなくて。
「やってみて?」
「……はい」
既に上下関係が出来上がっている気がしてならなかった。
一体いつから下になってしまったのだろう。内心首を傾げながら、お互い対面に座り直して姿勢を正し、膝を突き合わせて見つめ合う。
この時点で割と限界を感じたのだけど、恥ずかしさなど愛の前では全くの無力、むしろ人生においてきっと二度と来ないであろうこの瞬間を、自分の中で最高にロマンチックだと考えるプロポーズで乗り切ったほうが得だと思い開き直る事にした。
ついでに笑ってもらえれば尚良し。
ソファから下りて、床に両膝をつき、ハヤトの手を取る。
彼は少しびっくりした表情を浮かべながらも、されるがままだ。
少しドキドキしながら、手の甲に口付けをした。
「……貴方を愛しています。どうか私と、結婚してください」
――やり切った。
言ってやった。
跪いて手の甲にキスしてプロポーズ、実は憧れていた。
なぜか私が跪く方になってしまったけど、そんな違い些細な事だ。
……ふっ、夢を見すぎだと笑うがいいわ。
満足感と自嘲がない交ぜになった気持ちで笑みを浮かべると、次の瞬間には抱き締められ、かと思ったら横抱きの状態になってハヤトの膝の上に乗せられてしまった。
凄い早業にただただびっくりするしかなくて、目をぱちぱちさせる。
「ありがと、アリス。……俺は今、世界一の幸せ者だ」
どうやら合格だったらしい。
額から頬にかけてたくさんキスをしてくれた。大好きな人にこんな事をしてもらうなんて、私の方こそ世界一幸せだと言い切れる。だけど、
「……口にはしてくれないんですか?」
「うん。絶対途中で止まれないから」
とても爽やかに勢い良く言い切るので、そうか、と頷く。なんでもそうだけど、勢いって大事だね。
「そういうのはちゃんと結婚してからにしたい」
「真面目なんですね」
「アリスが大事なんだ。このくらい当たり前でしょ」
「そういうものですか?」
「俺にとってはね」
キスはお預けか。少し残念に思う気持ちもあるけど、その想いが嬉しいのも事実。
ゆっくりで。そう、ゆっくりでいいのだ。
これからはずっと一緒なのだから。
明け方。
あろう事かハヤトの肩にもたれた状態で目が覚めて、静かな悲鳴を上げて飛びのいた。おぼろげな記憶を辿ると確かに、うとうとしながら「十分だけ寝ます」と口走ったような気がする。
どうやらソファで話しながら寝落ちして、その後彼も眠ってしまったらしい。
なんと言う事だ。
一晩すら離れがたい気持ちがあったのは事実だけど、本当に寝顔まで晒す必要はなかった。
ハヤトも、一緒になって寝なくても良かったのに……。体が痛くなっちゃうじゃない。
手を伸ばして、既に元の色に戻っている髪をさらりと撫でる。
人形みたいに綺麗な寝顔を見ているうちに、じわじわと昨夜の出来事が甦ってきて、ああ、この人と結婚するんだ、という実感で頬が熱くなった。
そうしているうちに彼も起きて、ぼんやりした表情のまま手をきゅっと掴んでくる。
「……おはよ……アリス」
「おはようございます。昨晩はいつの間にか眠ってしまいましたね。体が痛くなっていませんか? 今からでもお部屋に戻って、少し休んだほうが」
「大丈夫……。アリスは? もう少し寝る?」
「私も大丈夫です」
「そっか。じゃあおいで。少しぎゅってしよう? そしたらちゃんと起きる」
頷いて、まだポケーっとした表情の彼の懐にもぐり込む。額にキスしてくれたから、こちらからも頬にキスをした。
しておいて何だけど赤面せずにはいられなくて、肩にぎゅっと額を押し付ける。
後頭部を撫でた手がするりとうなじに下りて、慈しむように触れた。
そんなふうに過ごしていると時間があっという間に過ぎていく。
ようやく腰を上げたのは朝日がすっかり昇りきった頃だった。
「今日は狩りは休んで、ギルドに寄ってからアリスの実家に行こう」
「そうですね。ちゃんと報告しないといけませんものね」
庶民として、ただのアリスとしてやっていくつもりだったけど、結局のところ最初から今までずっと家族に支えられてきた。婚約の報告に行くくらい当然だ。
通信用魔道具を持ってきているので、それであらかじめ登録してあったお父様の通信機に今日訪問しますと連絡を入れた。
ちなみに通信用魔道具はまんま無線機のような形状で、個体識別用の記号を術式に組み込む事で通信を可能にしているらしい。つまり、術式に組み込まれた相手としか通信できないという、前世の記憶がある身としては不便極まりない代物。
一応は量産化が可能になっている(ギルドのIDを作るのと似たような感じで、術式を隠蔽したまま素材に焼き付けるやり方がある)とはいえ、魔道具自体高価な上に通信機としてあまり使い勝手が良いものではないので一般家庭には普及しておらず、裕福な貴族やギルド、大きな商会など、そういう場所にぽつぽつ置いてある程度。
お祖父様が初号機を出して以来一切進化していないというこれはいくらでも改良の余地がありそうなものだけど、お父様はあまり魔道具をいじるのが得意ではなく、お兄様は通信用の道具に興味がない(コミュ障だから)ので現時点では詰んでいる道具でもある。
お兄様の次の世代に期待しよう。
それはともかく、今日は狩りはお休み。
最近は(普通の)剣士の服ばかりでそっちにすっかり慣れていたけれど、実家に行くならお嬢様ワンピースのほうが良さそうだ。
「着替えてきます」
「俺も。じゃあ後でね」
「はい」
それぞれ自室に戻り、身支度をして再度合流した。
久しぶりのワンピース姿にハヤトはどこかホッとしたような顔をする。
「やっぱりアリスはそういう格好のほうがいいね。見てて落ち着く」
「だけどこれじゃあんまり動けませんよ。ヒラヒラしてて」
「まあね。そうなんだけどさ」
話ながら扉を開け、外に出る。少し不自然に肘を突き出してきたから、ああ、腕を組もうって言っているのね、と思い、そっと肘に手を添えた。
するとやけに満足そうな顔で頷いたからつい笑ってしまうと、彼も照れたように笑みを浮かべる。
ギルドまではそう遠くなく、すぐに到着して、今回はギルド長自らのお出迎えを受けた。
「おはようございます、アリス様。昨日Nランク期間が終了したとの事でしたので、本日は私が対応させて頂きたく……」
そう話すピートさんの視線が私とハヤトを交互に行き来している。
「……あの、なんでそんなに近いんですか?」
「婚約した」
ハヤトの即答にピートさんは「は!? マジで!?」と大声を出し、数秒後、近くにいた受付嬢が数人倒れた。
「こっこここ婚約ってお前! なんて大それた事を! 公爵は御存知なのか⁉ いくら俺でもそればっかりは庇えないぞ!」
「大丈夫。公爵は最初からそのつもりだったみたいだよ」
「……マジで?」
「うん」
受付嬢達が奥に運ばれていく光景を背後にたっぷりと間を置いて、ハァとため息をついたピートさんは疲れたように項垂れた。
「……お前は普通じゃないと最初っから思ってたけど、まさかここまでとはな。いや、いいんだ。結婚を決めるにはちと若すぎる気もするが、公爵が許している上にこれまで浮いた話が一切無かったお前が決めたんなら大丈夫なんだろう。……何か大人の手が必要になったら俺に言えよ。力になるからな……」
「うん。ありがと」
ピートさんはどこか投げやりな手付きで魔道具をセットし、「どうぞ」とカードを乗せるよう促してきた。
私のカードがハヤトの"ポケット"から出てきた事に一瞬動揺した様子だったけど、すぐに平常心を取り戻して仕事用の顔になる。カードを乗せると魔道具が光り、文字が浮かび上がった。
「B…ランク……です……」
「本当ですか⁉」
思わず大声を上げた。周囲からもどよめきが上がる。誰もが驚く中で、ハヤトだけが満足そうに頷いていた。
「やっぱり? そのくらいいくだろうと思ってた」
「いやいやいや、お前これ、大変な事だぞ⁉ いきなりBとか、お前からすれば大したことじゃないように見えるかもしれないが」
「わかってるよ。だから最初に言ったじゃん。アリスには才能があるって。その上で俺が仕込んだんだからこのくらい当然でしょ」
「バカ! 仕込んだとか言うな! 鍛えたと言え! ……こりゃ大変だ……。うちのギルドから化け物コンビが誕生してしまった……」
「化け物?」
「し、失礼いたしました、怪物コンビ……でいかがでしょう」
「あまり変わりませんね」
どんどん失礼になっていくピートさんだけどそれは別にいいとして、もしかして私ってすごいんじゃないかしら、と、遅れてやって来た喜びがじわじわと込み上げてくる。
ピートさんが差し出してきた用紙に改めて必要事項を書き、登録用魔道具に魔力を通して、真新しい傷一つない金のタグに名前が刻印されていくのをわくわくしながら眺めた。
「では……パーティー名はどうしましょうか……」
「"チムニー"でお願いします」
「……ああ、なるほど……。では、そのように登録致します」
"チムニー"はハヤトのお父様が煙突掃除屋さんだったという話を聞いた時に決めた名前だ。
私としては、チムチムチェリーと二つが繋がっているというダブルの意味を混めて「"チェリー"はどうかしら」と提案したのだけど、信じられないようなものを見る目をした後、凄い勢いで反対されたのでチムニーにしたという経緯がある。
あれはこの世界の歌じゃないから、なぜ煙突からさくらんぼに繋がったのか理解して貰えなかったのだ。残念。
今度機会があったら"昔観た演劇の歌なんですけど"と言って歌ってみようと思う。
完成したタグを受け取り、ハヤトの首に掛ける。アリスと書かれたタグがハヤトの首もとで金色に輝く。
なんだか"この人は私の!"という主張がやたら激しい気がして少し照れる。それを伝えると
「今さら? 俺は三ヶ月前からそんな気持ちだったよ」と返ってきた。
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