17.次回は、お買い物デートの回


 闇の魔力は森の奥の一本の木の辺りから放たれていた。

 その辺りは禍々しい魔力が濃密に感じられ、まだ昼前なのに夜と錯覚しそうなほど(実際にはそこそこ明るいのに)暗く感じる。

 私達は木の幹に隠れ、少し離れたところから様子を観察した。


「嫌な感じですね……」

「うん。アリス、怖い?」

「いいえ、そんなに」


 ハヤトは少し笑って私の頭に手を置いた。


「大丈夫だと思うけど、何が出るかわかんないから今のうち守護結界張っておくね」

「はい。ありがとうございます」

「あと、これ。渡しておくから、気が向いたら振り回してみて」


 そう言ってハヤトはどこから出したのか、私に一振りの剣を手渡してくる。

 彼よりは私の体格に合っていそうな、やや細身で小さめのロングソードだ。


「剣ですか? 私が?」

「うん。扱えるようになったほうがいいと思ってさ。本当は試しに林檎でも斬ってもらおうと思ってたんだけど、今は護身用として持っておいて。闇属性のモンスターには、魔法を封じてくるやつがたまにいるから」


 その言葉に、慌てて剣を強く握り締める。魔法を封じられたら私は何も出来ないのだ。

 使ったことが無くても持っておくべきだろう。


「……あ、いた。木の上だ。あの葉っぱの影で赤く光ってるやつ。アリス、見える?」


 見ると、一際太い枝の上で木の葉に隠れるようにして赤い二つの光が瞬いている。

 目だ。あれは、赤い目。赤い目が私達を見た。


「うわ、モスマンだ」


 ハヤトがそう言うと同時に、モスマンは黒くて大きな翼を広げ、羽ばたいて派手に木の葉を散らした。

 視界を遮るものがなくなり私たちにその姿がはっきりと見える。

 大柄な人間よりも大きな体躯に赤く光る目。腕の代わりに生えた、巨大な翼。そして全身を黒い羽毛に覆われた––、とにかく闇属性です! という主張の強いモンスター。

 闇属性の魔法は、相手を眠らせたり黒い霧で視界を悪くしたり等、強くはないが厄介な性質を持つ場合が多い。


「……ちょっと厄介かも」

「え、ハヤトでもそう思います?」

「うん、あいつ特有の闇魔法らしいんだけど、ひとつ面倒なのがあって」


 説明しようとハヤトが口を開いた瞬間、背後からマリアの悲鳴が聞こえた。


「きゃあー! 何! 何あれ!」


 珍しく本気の悲鳴を上げて、マリアは腰を抜かしたのかペタンと地面に座り込む。

 もう、何でここにいるの!? 追いかけてきちゃったの!?


「貴女ねぇ、どうして追いかけて来たのよ! 危ないでしょう⁉」

「だって、だって、話の途中でアリーシャ様がハヤトを連れて行っちゃうから」


 恐慌状態のマリアの後から他の四人も現れた。


 だから! 何故! 追いかけて来るんですか!


「アリス! 何だあれは⁉」


 そう言う殿下を無視してモスマンを見据える。完全に戦闘体勢に入ったそれは、巨大な翼を広げて枝から地面に降り立った。

 衝撃で突風が起こり、土や石礫が飛んでくる。私を庇うように前に立ったハヤトは、何てことない普段と同じ口調で言った。


「あいつはね、アリス。影を使うんだよ」

「影?」


 何それ。影を使う魔法なんてあるの?

 するとハヤトは突然私を抱え上げて飛び退いた。今まで居たところの地面を見ると既にモスマンの黒い魔法が着弾している。ほぼ同時にマリアや殿下達も撃ち込まれたようで、黒い魔法が彼らの影に吸い込まれると、影はみるみるうちに膨らみ実体を持ってムクリと起き上がった。それは敵意しかないようで、すぐさま本体に襲いかかっていく。


「……い、嫌ぁー! 何なのよコレ!」


 自分の影が襲いかかってきてパニック状態のマリアは装備していた小さなロッドで必死に応戦した。殿下達も自分の影と戦い始めるが、自分の影なので実力は拮抗している。

 そこにモスマンの追加攻撃がくるものだからたまらない。黒い霧に目元を覆われ、攻撃する事も防ぐこともままならなくなる。


「うわ……本当に厄介ね」

「そうなんだよ。あの魔法も嫌だけど、デカい割に素早いし、あいつは本当にやりにくい」

「……どうすればいいんですの?」

「さっさとモスマン本体を倒すに限る。……ここは逃げられないように、影使いには影、でいこっか」


 そう言ってハヤトはいつどこから出したのか分からないけれど、大振りの剣を肩に担ぐ。

 影には影……? どういう事?


「じゃ、行ってきます」


 ぽんぽん、と私の頭を撫でてハヤトは地面に手をついた。次の瞬間、ハヤトの姿が地面に吸い込まれるようにシュンと消える。


「え!?」


 ハヤトはもう影も形もなくて、ここにはただ私一人がいるだけ。

 ど、どこに消えたの!?

 視線を上げると、彼はモスマンの影から飛び出てきた。高く飛び上がった勢いのまま剣の周囲に守護結界を刃の形で纏わせ、大きく上体を捻り、上から斬りかかる。

 全てほんの瞬きの間だった。


「倒したよ」


 一刀両断されたモスマンが光の粒子になって消えていく光景を背後に、ハヤトが私のところに歩いて戻ってくる。

––さっきの、影移動よね。前世の記憶ではファンタジーもののお話にたまに出てきていたような魔法。だけどこの世界でそれを使う人間は、たぶんこの人だけだ。だってそんな暗殺向きな魔法があったら、王侯貴族が通う学院で対処法まで含めて教えない訳がない。あそこを卒業した私でも知らなかった闇魔法。

 なんか、すごい。ハヤト、すっごい。


「かっこいい!」

「そう?」


 照れたようにはにかむ彼がかっこよくて可愛い。

 もう、なんて惚れ甲斐のある人なのかしら!


「もう一回影移動見たいです! もう一回!」

「あー……あれね、もう無理かも」

「どうしてですか? ……あ、」


 ハヤトの黒く変色していた髪が元の薄茶に戻っていく。闇の魔力が急激に薄まったのだ。


「結構難しくてさ。黒に染まってる時じゃないとまだ影に入れないんだ」

「そうなんですか」

「もうちょっと使い慣れたら普段でもいける気がするんだけど、慣れるほど黒くなる時がなくてさ。また今度ね」

「はい!」


 楽しみー!


「あーん、ハヤトぉ! 助けてよぉ!」


 あ、忘れてた。

 あちらのパーティーはまだ全員が自分の影と戦っている。


「ねえハヤト、モスマンを倒しても影って消えないんですか?」

「うん。自分の魔力と繋がっちゃってるから、魔力が切れるまで戦うか、普通に削って倒すしか消す方法はないみたい」

「魔力が切れたらそれはそれで大変ですね」

「そうだね。気絶しちゃうもんね」

「影を倒しても本人に影響はない?」

「大丈夫。元の影に戻るだけ」

「わかりました。……ハヤト、あの女の子の影は私が倒すので、貴方は殿下達の影を倒して下さいませんか? 苦戦しているようなので」

「りょーかい、気を付けてね」


 軽快な足取りでまずは騎士団長の息子のほうへ向かう彼を見届け、私はマリアのほうへ近付いた。

 彼女の動きを見る限り、私でも物理でいけそうな気がするのだ。本体と殴り合いをしている影の背後に立ち、ハヤトに借りた剣を握る。

 頭の中でさっきのハヤトの動きを再生し、剣の周囲に魔力を張る。そして結界化。

 これで剣は折れにくく、かつ聖属性を纏った事になる。言わばこれは魔法剣だ。この世界では魔法剣の話など聞いたことがないけれど、それは、魔法を使うには結構な集中力が必要だからだろう。剣に纏わせた魔法のことを考えながら敵と近接戦、想像しただけでどちらも中途半端になる予感しかしない。

 剣を魔道具化すれば可能だろうが、ステュアートは武器には手を出さない。

 これを当たり前のように実戦で使ったハヤトはやっぱりどこかおかしいと思う。

 でも、私はそれに近付きたいのだ。

 左足を下げ、腰を落とし、魔法を纏った剣を構える。思い切り腰を捻り、左から右へ。 上体ごと思いっ切り振り切って––。


 さくっ、と斬れた


 意外なほどさっくり斬れた。胸の辺りから上下に分かれた影は、光に溶けゆっくりと消えていく。

 攻撃が止んだことに気付いたマリアはぺたんと地面に座り込んだ。

 まだ黒霧で視界が悪いのか、助けてくれたのがハヤトだと思い込んでいるようで。


「ああ、嬉しい……! やっぱりハヤトは私の運命の人なのね! ハヤト、さっきもお話ししたけど、私とアリーシャ様でパーティーを交代しましょう? アリーシャ様みたいな、いつも護衛が必要なお嬢様より、私のほうが役に立つと思うの。それにアリーシャ様も、私達みたいな庶民より、やっぱり殿下達といたほうが落ち着くと思うのよね」


 落ち着きません!


 大体貴女、この前「私達、実は貴族なのよ」って自慢気に話していたでしょう。あれで怒らせちゃったから、今度は庶民にクラスチェンジしてみたのかしら。本当、器用というか何と言うか……。

 もうちょっと自分にプライド持ちなさいよね。せっかく可愛いんだから。

 ……もっとも、その性格だからこそ同時に何人も落とせたのかも知れないけど。

 いったい、普段は何を考えて生活しているのかしら。モテる女の気持ちは分からないわ……。


 私は美少女ではあるけど別にモテはしないのでモテヒロインたる彼女の内面は全く分からない。

 背後からトントン、と肩を叩かれて振り返ると、そこには四つの影を始末し終えたらしいハヤトが殿下達四人を足元に転がした状態で立っていた。

 彼は私の耳元に顔を寄せて、小声で話しかけてくる。


「終わったよ。今のうちに帰ろう」

「そうですね……。ええと、その方達、どうしたんですか?」

「んーと、間違って本体を殴っちゃった。そしたら伸びた」

「間違って……? 四人も?」


 そんな訳ないでしょ、と言いかけて、そこはあまり追及しないほうがいい気がして口を閉じた。


「ちゃんと怪我は治しておいたよ。すぐに起きると思う。でも放っておいたら危ないから、仲間の近くに置いておこうと思って持ってきたんだけど。……どうする?」


 二人とも無言でマリアに視線をやる。彼女はまだ黒霧で見えておらず、ハヤトの名前を呼びながら抱きしめてほしそうに両手を広げていた。


「…………」


 ハヤトは何も言わずに殿下の首根っこを持って、マリアの腕の中へ差し出した。するとマリアは殿下をぎゅうっと抱きしめ、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ぱっと手を離すとマリアと殿下は二人で折り重なるようにして地面に倒れ込んだ。


「きゃあっ! だ、だめよぉ! ハヤトったら! 皆がまだいるじゃない! あ、と、で……ねっ?」

「……さて、帰ろうか!」


 非常にやり切った表情で爽やかにそして速やかに現場を立ち去るハヤト。

 そういえば、モテる男の心情もよくわからんな––と少し疲れた頭で考えながら、私も森から出るべく歩き出した。


 街に戻って、報告をするためギルドに寄った。扉を開いた瞬間喧騒が途切れ、なぜか一歩歩くごとに人が割れていく。

 ……これは、私のせいなのか、ハヤトのせいなのか?

 とうとう受付カウンターまで人が割れたので、ヴァージンロードを歩く妄想をしながらハヤトと肩を並べて歩いた。

 そこでは神父様ではなくリズが少し固い表情で、背筋を伸ばして応対してくれる。


「よくお戻りなさいました。それではお一人ずつIDを」


 まずは私がカードを魔道具の板に乗せた。透明な板に光の文字が浮かび、倒したモンスターの種類と数が表示される。そこに目を通したリズは目を見開いて感嘆の声を上げた。


「まぁ……本日が初日ですのにこんなに⁉ ……人喰い林檎三百二十五体、と、あと、ええと、マリア(影)––とは?」


 マリア(影)。

 …… あれモンスター扱いなのね。本体のほうがよっぽどモンスターじみているけれど。影なんて可愛いものだったわよ……。


 と余計な事を考えていたら、ハヤトが横から口を出してきた。


「その事について報告があります。森の奥にモスマンが出現しました。討伐はしましたが、スポット化していると思われます。至急水晶の打ち込みをお願いします」

「まぁ! それは……! かしこまりました。至急ギルドマスターに報告いたします! ジェニファー、お願いしていい?」

「はい!」


 リズの指示を受け、バタバタと駆け出していく受付嬢ジェニファーを見送りながらこそっとハヤトに尋ねる。


「スポット、とは?」

「魔力溜まりの事だよ。スポット化すると、最初のうちは弱いモンスターがたくさん出るんだけど、濃くなるとモスマンみたいに強いのも出てくるようになる。魔力の流れが悪くなっているのが原因だから、水晶で流れを作ってやるとスポットは消えるんだ。……人喰い林檎は元々大量発生しやすいものだから、今回のがスポットだって分からなかったみたいだね」

「なるほど……」


 私は知らない事ばかりだ。

 頷いていると、リズはコホンと咳払いをして座り直した。


「……よろしいでしょうか? ええと、次はハヤト、様……IDをこちらに」

「はい」


 彼は服の首元を緩め、首からチェーンを外して青白く光るプレートタグを魔道具の上に乗せる。

 私はその仕草が凄く好きだ。服の中から直接肌に触れていたアクセサリー(違うけど)を出す時に、喉仏や鎖骨が服の隙間から覗くのがとても良いと思う。

 完全にセクハラなのであくまでも考えている内容がバレないように何気なく見るだけだけど。


「……確認いたしました。人喰い林檎五百六十四体にモスマンが一体、それとメルキセデ……こほん、(影)が四体ですね。モスマンはAランクパーティーに相当するモンスターですのに、さすがですね」


 殿下達の名前を省略してリズはにっこりと微笑んだ。そして私にも微笑みを向ける。


「アリス様も素晴らしい成績でございました。初回の依頼でここまで討伐数を稼げる方は滅多に居られません。私達一同、ハヤト様のパートナーとなる方が、どこぞの馬の骨でなくアリス様で良かったと思っております」

「一同?」

「こちらの話でございます」


 吹っ切れたような笑みだ。ファンクラブ会員番号一桁台のリズ。何だかよく分からないが、どうやら彼女に認めてもらえたらしい。


「応援しておりますね、アリス様」

「あ、ありがとう……」

「ところで、ドロップアイテムの引き取り等はございませんか? これだけ倒したのであれば相当あると思うのですが」

「あ、忘れちゃいました」


 なんやかんやあって逃げるように帰ってきたから、ドロップ品の確認をしていなかった。

 ハヤトの顔を見ると、彼は得意げな顔で微笑みポケットから透明で虹色に光を反射する綺麗な葉っぱを取り出した。明らかにポケットに入りきる以上の容量––ざっと数十枚はあるその葉っぱからは、ふわりと林檎の甘い香りが漂う。

 ……それ、知ってる。見たことがある。

 社交界の令嬢達が好んでドレスの装飾品に使ったり、林檎の爽やかで甘い香りを楽しむために紅茶に浮かべたりするやつだ。アップルウイングと呼ばれて、芳香や美しさだけでなく体内に取り込むと魔力の回復が早まるという効果もある逸品。

 あれ、人喰い林檎のドロップ品だったのかぁ……。

 いやいいんだけどね。ちょっと複雑。

 それにしてもハヤトったら、いつの間にこんなに集めていたのかしら。そんな素振りなかったけど。

 リズは机の上に積まれた葉っぱを数え、計算し終えると奥の金庫に行きお金を出してきた。


「アップルウイング五十六枚、一枚当たり銀貨一枚で引き取っております。それと依頼の人喰い林檎討伐数が計八百八十九体で、一体当たり銅貨三枚を報酬としてお支払いしておりますので––全て合わせて金貨一枚と銀貨百三十二枚が今回の報酬になります」


 おお! 結構稼いだ!

 公爵令嬢時代は何も考えずに何でも買ってもらっていたけど、今の私は普通の金銭感覚を学んだのだ。金貨一枚で庶民のひと月分の生活が何とか賄える程度。

 それを考えると、今日一日数時間でこれだけ稼いだって凄い事だよね。


 今生初めて自分で稼いだお金! 感動もひとしおだ。



―――


★レビューありがとうございました。

土曜日なので今日はもう一話更新します。


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