14.アウトなラインを次々に踏み越えていく勇者
「……それ、皆さんもおっしゃってましたけど、どういう意味ですの?」
「そっか。アリスはまだ知らないのか。今教えてもいいけど––今夜、教えてあげる。夜まで待って」
ド天然疑惑のさなかに不意に飛び出す、小悪魔な一面。そのギャップの破壊力に一瞬意識を失いかけるけれど、なんとか自我を保ちこくりと頷く。
「……わかりました。夜まで待ちます」
一体何を教えてくれるのかしら。
とりあえず今日は長風呂をすることが決定した。
公爵家から送られてきていた香油を全身に塗りたくる仕事が増えたからね。
「とにかく、俺と握手しても別に幸運なんて降ってこないんだから––その間、アリスをほっとくのはもう嫌だ。もう握手はしない」
決意は固いようだ。––そう、私の立場を気遣って握手をやめると言うのね。
……いよいよ本気で刺される未来が見えてきた。
「……ハヤト、私、後悔なんてしませんわよ」
「へ?」
何の話、と言いたげな表情の彼の頬にそっと触れる。
明日にはバッドエンドを迎えるかもしれない悪役令嬢だから、このくらいのご褒美は許されてもいいと思うの。
ハヤトは怪訝そうな顔をしながらも、おとなしく触られてくれている。
「……なんで触るの?」
「さあ、何でかしらね。煙突掃除夫だからじゃないでしょうか」
「それ顔じゃなくて手だし。そもそもそういう効果は俺にはないって」
「そうですか? 私、今、とっても幸せですよ」
すると、彼の頬が少し赤く染まった。
うぅ、かわいい。
ド天然だとしても全然アリだと思う。この顔と才能を持ちながら、どうしてこんなにピュアなまま生きて来られたのかしら。
不思議。
「私ね、貴方に出会えた事自体が幸運だったと思ってますのよ」
「ん……ねえアリス、俺にも幸運をちょうだい?」
そう言ってハヤトも私の頬に触れる。
くすぐったい。
「なぜ私まで?」
「俺もこうすると幸せな気持ちになれる気がしたから」
……そうよね。この人はそういう人よね。きっと天然タラシってやつなのよ。
まったく、どれだけ人を惚れさせたら気が済むのかしら。
ハヤトは私の頬を気が済むまでむにむにしてから、そっと指を耳に滑らせた。
くすぐったさとはまた違うぞくりとした感覚に襲われる。
……あ、これヤバいやつでは。
「あのっ……ちょっと……それは」
「ああ……そういえば、頭撫でるのってアウトなんだっけ」
そう言いつつ、止める気配はなく両手で耳輪を撫で、耳たぶを柔らかく揉みこむ。
「あ、頭よりもアウトですわよ!」
「そう? でもこれはアリスが始めたんだよ。もうちょっと我慢して?」
えー!? 私そこまでしてないのに!
楽しそうな顔にSの性質が見え隠れする。やっぱりSのハヤトだ。あとカメレオン。優しかったり失礼だったり、小悪魔的だったり天然ピュアだったりSだったり。
状況によってころころ色を変える彼の性質はまさしくカメレオンの二つ名にふさわしいものに思える。
なんだか納得してしまった。
あの二つ名はこの七色な性格のことなのね。きっと。
その日の夜、長い入浴を済ませた私を自室にいるハヤトが呼んだ。
時刻は既に八時を過ぎて、いつもならそれぞれ自室で過ごしているところ。
同じ屋根の下とはいえこんな時間に会うのは初めてで、どんな顔で部屋に行けばいいのか分からない。
いったい何を教えてくれるのかしら……。
妄想ではとっくにキスまで済ませているけど、自分の妄想におびえて足がすくむ。
「何してんのアリス。入っておいで」
「は、はいっ」
促されてハヤトの部屋に入ると、部屋の灯りを落とした彼はゆっくりと窓際に歩いていった。
「?」
「……もう、そろそろかな」
そう言ってカーテンを開き、窓を開ける。月の柔らかな光と風が吹き込み、開け放たれた窓の中心には満月がぽっかりと浮かんでいた。
「そろそろ、とは……?」
「まあ、見ててよ」
満月を背負って窓にもたれる彼の姿は、何だかとんでもなく美しい。
見てて、と言われたから有り難く見ていると、彼の艶々した美しい髪に変化が現れた。銀色が現れたのだ。
「え?」
月の光を吸い込むように、静かに、薄茶の色が銀に変わっていく。
「え、えぇ……?」
見間違いかと思ったけどそうじゃない。みるみるうちに変化が広がる。
「うそぉ……」
たった数秒の間に、彼は完全な銀髪に変化してしまった。
「ね? カメレオンでしょ?」
いつもの口調で小首を傾げる彼の瞳も、宵闇のような群青色に変化していた。
「……なにそれ……」
なんだかすごいものを見た気がする。
ここは確かに魔法がある世界だけど、魔法で容姿を変えることは出来ない。化粧品が豊富にある事からもそれは明白だ。
こんなふうに色が変わる人がいるなんて、聞いたことがない。
「それは、どういう事ですの……?」
要領を得ない質問になってしまったけれど、仕方ないと思う。だって頭の中が変色後のハヤトを焼き付けるのに精一杯だから。
元々存在感が浮世離れしている彼の、唯一とも言っていい親しみのある部分があの薄茶色の髪と瞳の色だったのに、今はそれすらも耽美的な色合いになってしまった。
最近やっと見慣れてきたところだったのに、また最初からやり直しである。
もう頬に触れるなんて出来そうにない。無理。美形怖い。
どういう事、と言った私の質問にハヤトは少し肩を竦め、
「さぁ……。俺もよく分かんない」と言う。
––わからんのかい。
「生まれつきだったみたいだけど……妹はこんな体質じゃないし。俺の他にもいるなんていう話も聞かない。遺伝ではなさそうだし、本当、なんなんだろうね」
銀色の髪に群青の瞳で話す彼は、いつも通りなのにいつも通りじゃない。不思議な感じ。
なんなんだろうねと言われると、多分あなたはゲーム内で特別なキャラだからじゃないかしら、と言いたくなるけれどそんな事言えない。
本当に謎設定……。何か意味があるのかしら。
「あの……色が変わることで何か他の変化はあるのですか? すごくパワーアップするとか、性格が変わるとか」
「んー……。性格とかそういうのは変わんないけど、魔力の性質は少し変わる」
「魔力の性質ですか」
「うん。土地によって空気中の魔力の性質が変わる感覚ってあるでしょ? 泉の近くだと水の魔力とか、火山の近くだと火の魔力とか。どうも俺、しばらく居るとその場所の魔力の色に染まるみたいなんだ。夜は月の魔力が強いからこんな色になるけど––その色の魔法が使いやすくなる感覚はあるかな」
「へ、へぇ~……」
火山は知らないけど、確かに小さい頃家族で行った領地の湖周辺では水の魔力を強く感じたものだ。ああいうのに染まるという事は
「ええと、それって……まさか、他にもバリエーションが」
「うん。月の色の他にも、新月だと黒になるし、あとは場所によって水色になったりピンクになったりするよ」
「水色!? ピンク!?」
ねぇどうしてそんなリトマス試験紙みたいな事になっちゃってるの!?
いや見たいけど! ものすごく見たいけど! ピンク!
「完全な青とか赤にはならないのが、自分としては"染まりきってない"感覚になれて良かったと思ってるんだ。何ていうか、自分自身がちゃんと残ってる感じで」
そう語る彼からは自分の特殊体質に対する困惑の軌跡が読み取れて少し気の毒になった。
特殊な設定があるなんて本人は知らないもんね……。
確かに、もし私がそうだったら意味が分からなくて困りながらもそういうものだと受け入れるしかないのだと思う。
なんとか前向きな声掛けをしたくて、言葉を絞り出す。
「ものすごく分かりやすくて、素直な身体ですわね」
少しいかがわしい感じになってしまった。恋愛脳になってからちょっとおかしくなっている自覚はある。
ハヤトはもちろんその点はスルーしてくれた。
分かってる。そういう人だってもう分かってる。
たまに変なとこで反応したりするけど。
「素直? ……まあ、そういう事になるのかな。でも自分で意識して変えてる訳じゃないからね。前のパーティーメンバーには"笑っちまうからやめろ"ってよく言われてたけど、無茶言うよな」
「わ、笑ってしまうんですか……」
「そりゃね。空気中の魔力の質が変わるって事は、それだけ強い魔物が出てくる可能性がある場所ってことだから。みんなピリピリしてる時に一人だけ頭が突然ピンクになってたら笑うでしょ」
この神秘性を前に"笑うからやめろ"とは……。
本人もこの体質を珍種の一言でおさめたり、男子の世界って大雑把というか何というか。
「そういえば、カメレオンって言い出したのもそいつらだったな。懐かしいよ」
少し遠い目をして優しく微笑む彼は、
どこか寂しそうだ。あの群青の瞳が今見ているのは、異質ゆえに離れざるを得なくなった、仲間のいる場所。
私では代わりになれないけど、少しでもその寂しさを埋めることが出来たら……どんなにいいだろう。
そう、後ろで守られているだけじゃ、仲間にはなれないのだ。ラヴや以前の仲間達の気持ちが、今は少し分かる。
強くなりたい。そして、堂々と彼の隣に立ちたい。
きっと私もすぐに、そう思うようになる。
話が一段落したところで、ハヤトはちらりと時計を見た。私もつられて見る。もうすぐ八時半。
「……ああ、もうこんな時間か。アリス、部屋に戻りな。お風呂上がりだったのにごめんね」
「いえ……。では、私はこれで」
「うん。おやす……あ、ちょっと待って、アリス」
「え?」
「髪が濡れてる」
そう言って彼は私の頭の上に手を置いた。温かな魔力が流れてくる。
風、火、水の複合魔法。次の瞬間には髪はすっかり乾いて、サラサラと魔力の風に靡いた。
風魔法と、発火させない程度に調整した微弱な火魔法の合わせ技で髪を乾かす手法。
これは、確かに知識としては存在する。だけど二種類の属性の組み合わせは非常に難しく、下手にやると頭が燃える危ないやり方なので普通はやらないのだ。
理美容の職人が十年かけて到達する地点とも言われている。だから魔道具が有り難がられるわけなのだけど––彼は既にその辺りの魔力コントロールが完璧だった。
しかも水魔法の要素まで入っていて、おかげで乾いたばかりの髪が異様にしっとりしている。
二つの属性を合わせるのも難しいのに三つ、それもうち二つは火と水なんて。相反する属性を同時に使うなど本来は不可能と言われているはず。
彼は、やっぱりちょっとおかしい。そう片付けることにしてお礼を言った。
「ありがとう。すごい、髪がサラサラになりました」
「ん。ちょっと髪触らせて。触ってみたい」
「いいですよ」
この距離感。
ドキドキするけど、耳まで触られてるし髪くらい今さらでしょ、という気持ちもあり、月光バージョンのハヤトに髪を触らせる。
「本当だ。すごく綺麗。なんかいい匂いするし。あれ? 洗髪剤、俺も同じの使ってるよね? 何か違うの使った?」
「実家に送ってもらった香油を使いました」
気付いてくれて嬉しい。こういうのに気付く男はモテるのだ。
気付かなくてもモテるだろうが、さすが攻略対象である。
「ハヤトも使います? いいですよ、使っても」
「何で俺が」
笑いながら後頭部を一撫でして、その手が顎をくいと持ち上げる。あ、と思ったら顔が近付いてきて、ちゅ、と頬にキスの感触がした。
「おやすみ、アリス。また明日ね」
「おやすみ……なさい……」
ほっぺにちゅうされちゃった……。
なけなしの知能がなくなった。
おかげで、おやすみのキスならお返しするのもあり、という絶好のチャンスを逃した事に翌朝まで気付けなかった。
―――
2022.10.12現在、あと少しの応援を頂けたら週間総合ランキング100位が目指せるのではないかという位置におります…!
既に★を入れて下さったお方には感謝を申し上げます!おかげさまでここまで来られました!ありがとうございました!
そして、まだ入れていないお方、もしよろしければ下にある★レビューをぜひお願いします…!
少しでも人目に触れる可能性がある場所に上がりたいです…!
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