12.思考回路がオッサン系令嬢

 その日のハヤト道場は、お互いに敬語でぶつかり合う何とも不思議な時間になった。


「ほらアリスお嬢様! 防御がガラ空きですよ! それではまだまだ冒険者になどさせられません!」


 弾幕のように回復魔法が飛んでくる。こんな勢いで魔法を撃ち続けるなんて、この人が初めてだ。

 普通ならとっくに魔力切れを起こして倒れている。打ち出す数といい速さといい、この人、王宮魔導士よりすごいんじゃないだろうか。


「くっ……! 昨日より多いじゃないですか! こんなの無理です! 本当に冒険者の皆さんはこんなのを防げるんですか!?」

「よそはよそ! うちはうちです!」

「それ防げないって事ですよね!?」

「…………」

「何か言って下さい先生!」

「……その先生ってやつもう一回言って下さいませんか? お嬢様」

「アホーー!」


 数日かかって、ようやく魔法&デコピン防御に成功した。

 成功までに魔法かデコピンがヒットして敗北した回数、五十一回。私も大変だったけどハヤトも大変だったと思う。ずっと魔法乱れ打ちの弾幕状態キープだったものね。お互いよく魔力が切れなかったものだわ。

 私は魔力量が人よりかなり多くて、貴族の中でもおそらく一番だと学院でも言われてきたのだけど、ハヤトも相当だ。

 だってあれだけ打ち続けても、全く底が見えてこないのだから。

 さすがね! 好き!


「これでやっと登録できますわね……!」


 デコピン寸前のハヤトの手を手のひらでガードしたままの状態で勝利の笑みを浮かべる。

 すると、彼は手のひらをピシッと弾いてため息をついた。


「んー……。実はあとひとつ、絶対に習得しておいたほうがいいやつがあるんだ」

「えっ? 回避と防御の他に……? 何ですの?」

「ロール」

「へぇ、ロール」


 巻き。……巻き?


「どんなやつですか?」

「……倒されたりふっ飛ばされたりした時に、衝撃を逃がしつつ頭を打たないようにするやつ。すごく大事」

「なるほど」


 受け身か。確かに重要だ。だけど実はそれ、もう学院と王妃教育で習ったんだ。

 王の隣に立つ者、いついかなる時も王を守るべく立ち上がれって言ってさ。

 めちゃくちゃコロコロ床を転がったよ。柔道とかある世界じゃないから、そんなに理論立ててガッツリ習った訳じゃないけど。倒れた時に頭を打たないようには、一応出来る。


 ––でもあれは万が一の可能性のためにかじっただけだ。冒険者ともなれば、ふっ飛ばされたり倒れたりが、万が一ではなく日常茶飯事になるのだろう。

 にわか知識では危ない気がする。ここは黙ってハヤト先生に習っておくか。


「わかりました。ご教示ください」

「うん……。でも」

「……でも?」

「本当にいいの?」

「なぜです? とても大事なことじゃありませんか」

「そうだね……うん。じゃあまず、危ないから場所を移ろうか」

「?」


 言い訳するけど、この時の私は完全に脳が修行モードになっていて、真面目に受け身をモノにする事しか考えていなかった。

 それに加えて、王妃教育の時は、師匠が横でやって見せるのを真似して単独で転がる練習をしただけだったのだ。

 今回も同様に見本を見せてくれるのだと思っていた。

 だから、ハヤトが自分の使っている部屋のベッドの横に私を立たせ、いきなり肩を掴んで足払いをしてきた時は、何が起きたのか本気で理解出来なかった。


「大丈夫?」


 ストリートファイト的作法でベッドに転がされた私は、ポカーンとして天井を眺めていた。

 ハヤトが心配そうに上から覗き込んでくる。


「大、丈夫、です」


 いや、大丈夫じゃない。全然受け身取れなかったよ。思いっきり頭と背中打った。 ベッドにだけど。どこも痛くないし大丈夫なんだけど。でも大丈夫じゃないんだ!   

 乙女心がショート寸前どころか発火しそうなんです!


「ん。ロールが必要になる時って、今みたいに事前にわかる訳じゃないからね。転がるぞ! って思わなくても身体が勝手に転がるくらいじゃないと。本当はベッドの高さに倒れても練習にならないんだけど、最初は倒れる事自体に慣れたほうがいいから」

「そうですね」


 言ってる事はわかるけど、もう少しマイルド(色んな意味で)に教えてはくれないものか。

 まさかいきなり崩し技を決められるとは思わなかった。妄想の中では夜営で寒さをしのぐために仕方なく抱き合って眠ったことはあるけど、実際に訓練のために仕方なくベッドに転がされてみると気まずさしかない。

 ああ、だからさっき「本当にいいの?」って聞いてきたのか。

 わかるか! あの聞き方じゃ伝わらないよ!


 これはちょっとあかんやつな気がする。ちゃんと出来ますよってアピールして早く終わらせよう。

 ムクリと起き上がり、何事もなかったかのような顔で立ち上がった。

 ––いいか、アリス。無だ。無になれ。ここは彼ベッドではない。イケメンが経営する道場の畳だ。


「要するにこういう事ですわね? 倒れこむ時には身体を丸くして、自分のへそを見るようにしながら、衝撃に逆らわずこうやって受け流して、膝同士は重ならないように少しずらして……」


 一人で実演して見せる。スカートなので本気の受け身は出来ないけど、やり方は理解していると理解してもらわなければ。でないとまた投げられかねない。

 足が露出しないように気をつけながら、ベッドの上で横受け身の感じでゆっくり転がる。無事に技もどきを披露し終えると、どこかに追いやったはずの恋愛脳が帰ってきて、道場の畳が実は彼ベッドだったという事を思い出させてきた。

 初の彼ベッドがロマンスの欠片もなくて残念だ。とほほ。


 せめて匂いだけでも覚えて巣に帰ろうと、綺麗に整えてあるファブリックにこっそり頬を押し付ける。

 ……新品の匂いしかしない。

 チッ。


 ばれてないか確認するためにチラッとハヤトを見上げた。するとハヤトは気まずそうな顔で目を逸らし「やっぱこれはやめよう」と言った。


「え、なんでですか?」


 ばれてた!? 私は性懲りもなく……!

 私はなぜ! 何度も黒歴史を繰り返してしまうのか!


 後悔と反省の嵐に内心のたうち回るけれど、現実は私の想像を遥かに超えて桃色の風を運んできた。


「自分で言い出しておいてなんだけど……。なんか……すごくいけない事をしている気分になるから……やめたい」


 いけない事。

同居しても巨乳を押し当てても壁ドンしてもベッドに押し倒しても! 別に何て事ないけどな、みたいな顔をキープしてきたあのハヤトが!ついに"いけない事"って言った!

 君、そういう思考回路あったのか! 勝手に無いものだと思ってたよ!


 謎の感動を覚えた私は、調子に乗って浮かれた言動で男子の矜持を傷付けてはいけないと思って何でもないような表情を取り繕い「じゃあ私は自主練ですわね」と取り澄まして言った。


 ––いやほんと、自主練するしかないよ。こんなの心臓がいくつあっても足りる気がしない。


 一連の流れにホッとした思いで起き上がり、髪と服の乱れを整えて部屋を出る。と、後ろから突然右腕を引かれて回れ右状態になり、ハヤトと向き合う形になった。大好きな薄茶と金の混じった虹彩に射抜かれて、思考が止まる。

 ただただ、言葉に耳を傾ける。


「教えられなくてごめんな。だけど、俺が必ずアリスを守るから。危険な目には絶対に合わせないから––アリスは自分のやりたい事を、やりたいようにすればいいんだよ」


 ––そこからどうやって自室に帰ったのか、記憶がない。

 ふと気付いたら、さっきの出来事をポエム仕立てでノートに書き連ねているところだった。

 危なかった……また黒歴史を量産するところだった。


(美しい記憶は胸の内に秘めておいてこそよね)


 多少冷静さを取り戻した私は、そのページを切り取って炎魔法で滅した。


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