⑩争いは同レベルの間にしか起きない

 当人は知らないから仕方ないとは言え、呑気すぎて埒が明かない。独自に調査が必要なようだ。

 とは言え、今の私は公爵家の人間ではないので諜報員を使って調べてもらう訳にはいかない。

 権力をチラつかせられないのだから、全て自力でやるしかないのだ。


 マリアとハヤトがエンカウントするとしたらどこなのかしら……。

 というか、マリアは今どこにいるのかしら?

 しまったわ……。殿下やマリア達があの後どうなったのか、ちゃんと知っておくべきだった。

 お父様が少し笑いながら「知りたい?」って尋ねてきた時があったけど、心の底から興味がなくて「いいえ別に」と答えちゃってたのよね……。


 あの時のお父様の表情からしてロクでもない結末だろうとは思う。

 あれから皆どうしているのかしら。

 最近の事のはずなのに、もはや懐かしいわ。全然再会したくはないけどね。

 まさか、全員勘当されてたりしないわよね。いやいや、いくらなんでもそこまでは……。


 と、思っていた時もありました。

 実際、そのまさかだった件について。


 翌日、食材を買いにハヤトと一緒に街に出掛けていた時のことだった。

 あ、そうそう、結局ハヤトはお目付け役として私としばらく同居するらしくて、もちろん部屋は違うんだけど(私が二階でハヤトが一階)夜めっちゃドキドキした。すんごぉーくドキドキした。ドキドキしてたら朝になった。

 ハヤトって何考えてるのかよくわからなくて掴み所のない人だけど、顔は本当にいいのよね。どうしたって意識しちゃうわよ。

 で、一緒に買い物してたら、次々と女の子達が現れて、ハヤトに「あの、カメレオンのハヤトさんですよね! 私、ファンなんです! 握手して下さい!」と声を掛けてくるのだ。

 ハヤトもニコッと微笑んで毎回丁寧に対応するので、女の子達は頬を紅潮させて喜んで立ち去っていく。それが切れ目なく続くものだから、カメレオンて何? と聞くタイミングをすっかり逃してしまっていた。

 ……アイドル名かな?

 実際乙女ゲームの攻略対象だからね。外見、スペック共に乙女の理想を詰め込んだ姿はまさしくアイドルと言えるだろう。

 残念なことに、殿下達も攻略対象だったんだけどさ……。


 ふと頭に思い浮かんだ不快な顔を無理矢理外に押し出す。その時だった。


「……ハヤト?」


 聞き覚えのある、可愛らしくも耳障りな声。

 思わず身体が硬直し鳥肌が立った。脳裏をよぎるピンクの頭。


 ––マリア男爵令嬢。

 出たな! 天敵その名はヒロイン!

 バッと振り返ると、やはりそこには天敵の姿があった。

 両手を口元に当てて、丸い瞳を潤ませて小動物のようにプルプルしている。

 華奢な可愛らしさは健在だけど、元々薄かった貴族らしさは既になく、下町の可愛い子といった風情で回復術士が好んで着る白いローブに身を包んでいた。

 その熱い視線は真っ直ぐにハヤトだけを見つめ、隣にいる私は存在すら認識していなさそうだ。


「やっぱりハヤトよね⁉ 私のコト覚えてる? 少し前に会ったでしょう? 静かな夜の森で抱きしめてくれたじゃない」


 ––マジ?

 思わずハヤトを見上げると、彼は不思議そうな顔をして小さく首を傾げた。


「……?」

「えーっ、覚えてないのぉ? ほら、ひと月くらい前の夜に」

「……ああ、もしかして、王都外れの森でマタンゴの菌床になりかけてた?」

「きゃっ! いやーん! それは言わない約束よぅ! あの時は助けてくれてありがとう! おかげで今はすっかり元気なのぉ!」


 くるんと回ってふらつき、バランスを崩してハヤトにしがみつくヒロイン。

「いっけない、私ったらまた……。でもなんだかハヤトの腕の中って、とっても安心するのよね。 あの時もそうだったけど」


 えへへ、と笑ってテヘペロするマリアに軽く殺意が芽生えるのは致し方ないと思う。

 なんだそりゃ。

 なんでわざわざ夜の森に行ってマタンゴに襲われるのか? そしてなぜマタンゴの菌床になりかけて助けられた事を「静かな夜の森で抱きしめてくれた」と表現するのか?

 ていうか私のこと見えてるよね? くるんした時一瞬目が合ったよね?

 何故いないものとして扱う?


 いちいち思わせぶりな言葉のチョイスをする辺り、挑発するつもりが無いとは言わせない。

 ふっ……。いいわ。

 その喧嘩、買ったるわい! 聞け! 王妃教育で培ったこの淑やかな声色!


「ハヤトさん、このかたはお友達なの?」


 そっと指先で腕に触れ、つう、と手の甲までなぞる。

 ビクッと反応したハヤトの腕を掴み、無理矢理腕を組んで密着した。この巨乳が押し当たるのは計算済みだ。 

 その距離感、次期王妃の公爵令嬢として受けた教育ではありえないはしたなさ。すごく緊張するし葛藤はあるけど––、お高くとまった貴族社会で貴女が武器にしてきたものってつまりこういう気安さでしょう?

 貴女と同じ舞台に降りてあげる。

 だから……これ以上、貴女の好き勝手にはさせないわよ。


「いや、えっ……、ちょっと、アリス……?」


 ぎょっとするハヤトと、目を剥いて能面のように表情を無くすマリア。


 ––ごめんなさい、ハヤト。あとで説明するから、少しの間、キャットファイトに付き合ってほしいわ。

 脳内でゴングが鳴り響いた。


「えっと……だぁれ? ハヤト、関係ある人?」


 先手、マリア。

 私を見ても誰だか分からないようだ。それは演技なのか本気なのか?

 まあ、どちらでも構わない。


「あ、ご挨拶が遅くなったわね。ごめんなさい? 私、アリスといいます。ハヤトさんの––」


 うっ。どうしよう。いきなり躓いた。

 勝手に巻き込んだ手前、例え嘘でもあんまり迷惑になるような関係を吹聴するわけにはいかない。

 友人? ううん、それでは二人を邪魔する理由にならない。

 恋人? それはさすがに迷惑すぎる。

 だって、私達三人、さっきからものすごい周囲の注目を浴びているもの。今から口にする事はきっと一瞬で市井に広まる。その辺りを踏まえると––。


「"相棒"です」


 どうだっ!

 友人よりも深い関係かつ、付き合ってる訳じゃないけど恋人の質にも口出し出来そうな絶妙なライン!

 自分の出した答えに自分で満足していると、マリアはひきつった笑みを浮かべた。


「ふぅん……。そうなんだぁ。相棒、かぁ……。あんまり強そうには見えないけど、おねーさん魔物とか大丈夫なのぉ?」


 あら、本当に私が誰なのか分かっていないみたいね。

 もし私がアリーシャだと分かっていたら、マリアはきっと「お金の力で一人だけ戦わせるなんてひどいわ! いくら強い人でも、怪我をしたら痛いのよ!」とか言うもの。

 庶民のか弱い女の子、というアピールポイントが使えないマリア。恐るるに足らず。


「魔物? さあ、どうかしらね」


 ふふ、と笑って見せる。さぞ余裕そうに見えるだろう。

 本当は魔物なんて実物を見たことすらないけど、戦わないタイプの相棒だって世の中にはいるはずだ。

 嘘はついてないからセーフセーフ。

 マリアは悔しそうな顔をして「いいなぁ……」と呟いた。

 あら、素直。


「うちの男達なんて大して役に立たないのに……」


 うちの、男達。

 逆ハー軍団のこと? いるの⁉ どこに⁉

 さっと見回すと、私達を遠巻きに野次馬している人だかりの中に見覚えのある四人組を発見した。


 アッ––!

 ず、ずいぶん苦労をしている風体! どうしたのかしら⁉


 彼らは一様にボロボロになった装備品を身につけ、心なしかやつれているようだ。

 とても王族含む高位貴族達には見えない。どう見ても、ちょっと顔のいいだけの冒険者である。


「あ……あの……彼らが先ほどから何か言いたそうにこちらを見ておりますけど……」

「え? あー、そうよね。ちょっと待たせちゃったかな。(ったくあいつらホンット弱っちいんだから……)あっ、そうだ! 良いこと思いついちゃった! あのねハヤト、私達のパーティーに入らない? ここだけの話だけどぉ……。王族がお忍びで参加してるのっ。私もだけど、なんと、全員貴族なのよ。内緒だからね? で、王族の彼、Sランクになったら王様になれるんだって! 助けてあげたらきっと勲章くれるよ? もしかしたら、貴族にもなれちゃうかもぉ」


 何を! 言い出すのかこのお嬢さんは!

 それ多分言っちゃいけないやつ! 王太子がドラゴン倒すまで帰ってくるなって言われたんでしょう? それ、実質勘当じゃん!

 あと下衆い! 乙女ゲームのヒロインそんな事言わない! 小声も怖いし!


「断る」


 ハヤトのあまりに冷たい声にマリアの表情が笑顔のまま強張った。


「行こう、アリス」


 強めに腕を引かれ、その場を離脱する。


「ハヤト? 待ってよぅ! っきゃ!」


 べしゃ、と転んだマリアの声にも振り返ることはなく、十戒のように人垣を割りつつ突き進む。


 ……ハヤト、怒ってる。


 この人、こんな顔するんだ––そう思ったくらい、ハヤトの顔は怖かった。


 不完全燃焼に終わったキャットファイトの会場から離れ、やがて街の中心の噴水広場に辿り着いた頃、ようやくハヤトの歩く速度が落ちてきた。

 同時に、張り詰めていた緊張感がいくぶん和らぐ。


「あの……ごめんなさい」


 やっと絞り出した一言があまりにも情けなく喧騒にかき消え、ちゃんと聞こえたか不安になる。

 でもハヤトの返事は普通だった。


「何が?」

「私の個人的な因縁に勝手に巻き込んだ挙げ句、貴方の相棒を自称して不快な思いをさせた事です」

「不快? 個人的な因縁?」

「……違うのですか?」

「違う! 全っ然違うよ! むしろそこは……。ああ、そうか。俺が怒ったの、そのせいだと思ったのか。ごめん、アリス。違うんだよ。俺はただ……」

「……ただ?」

「……協力したら貴族にしてやる、って言ってくる貴族が苦手なんだ」

「ああ……」


 苦手というマイルドな言葉に包んでいるが、実態はそんなふんわりした感情ではない事は察せられた。

 お互いになんとなく会話をした方がいいような雰囲気を感じ取り、噴水の縁に並んで腰掛ける。


「貴族は嘘つきですからね……」


 私だってそうだ。

 つい今しがた、堂々と相棒を自称してドヤ顔をかましていたではないか。


「ごめんなさい……」

「だからなんでアリスが謝るのさ。俺が言ってるのは、散々使い倒して用済みになったらあっさり切り捨てる奴らの事だよ。今よりもっと子供で弱かった頃はさ、孤児院の仲間が貴族の小間使いをやって……ある日突然いなくなる。そういうのを何人も見てきた。だからさっきの女の子もそういう奴らの一人に見えて、つい怒っちゃったんだよ……。アリスは––アリス達ステュアート家の人達はそうじゃないって、今はちゃんと分かってるよ。怖がらせてごめんな、アリス」


 で、もうこれ以上謝るの無しね! と殊更明るい声で言って、ハヤトは私を座らせたまま広場の向こうにあるアイスクリーム屋に走っていった。

 私の周囲にだけ聖属性の魔法、守護結界を残して。魔力とはその人の心のあり方によって、温度や感触が微妙に違うもの。

 貴族が"苦手"と言ったハヤトの結界は強固でありながら、内側は春の日差しを浴びているかのように温かくて心地良い。何故か涙が出そうになった。

 やがて両手にアイスを持ったハヤトが戻ってきて、結界は彼に触れると同時にシャボン玉が弾けるように消えた。


「お待たせ。はい、アイスクリーム。食べる?」

「食べます」

「ん。ミルクとチョコレートどっちがいい?」

「どっちも」

「……はい、どうぞ」


 苦笑いして、チョコレートのほうを渡してきた。両方はくれなかった。

 今必要なのは、謝罪より感謝。気持ちを切り替えるために笑みを作る。


「ありがとう」

「うん。……で、あの女の子との個人的な因縁って何? さっきからすげー気になってたんだけど」


 話を転がしてくれたのでありがたく乗っかることにする。

 というのも、マリア一派と私の確執は貴族社会では周知のゴシップだし。隠しても仕方ないもんね。

 一部箝口令が出ているらしいけど、そこは私の知らない部分。知っている範囲なら話しても問題ないだろう。


「そうですよね。気になりますよね。ええと、私、政略結婚を予定していた相手がいたんですけど––」


 晴天の噴水広場でアイスクリームを食べながら話すには些か爽やかさに欠ける話題だったけど。例の男爵令嬢の登場から次々に高位貴族の跡取り息子達が彼女に篭絡されていき、殿下と私の婚約破棄に至った流れをかいつまんで話し終えると、ハヤトは「凄い話だな……小説みたい」と言った。


「あんな人達もうどうでもいい、と思っていたのですけどね。先ほどは彼女がハヤトまで毒牙にかけようとしているように見えて、ついカッとなってしまって」

「それで急にあんな風になったんだ?」

「はい。みっともないところをお見せしました」

「別にみっともないなんて思ってないけど……。でも、お嬢様があんなにくっついてくるとは思わなかったからびっくりはしたかな。……ねえアリス。俺、貴族のルールとか全然知らないから教えてほしいんだけど、男が女の子に触れる時はどこまでがセーフなの?」

「セーフ?」

「そう。多分、さっきのはアウトでしょ?」


 黒歴史を無邪気に突つかれているような居たたまれなさを感じるが、自業自得なので仕方がないと気を持ち直す。


「……ええ、それは、その通りですが……。一般的に見られるのは、男性の手に女性の手を乗せる程度でしょうか。ダンスの時はその限りではありませんが」

「手を乗せる? ……こう?」


 そう言ってハヤトは自分の手のひらに私の手を載せる。そういえば彼と触れ合うのはこれが二回目だ。

 伝え忘れていたけど、エスコートが必要な時は大抵手袋をしているものなので、素肌同士で触れ合う事はそう多くない。

 多くないだけで無い訳ではないのだけど、人が行き交う昼間の噴水広場でただ手のひらを重ね合わせるという事が異様に気恥ずかしく、頬が熱くなって俯いた。


「そ、そうですわね」

「じゃあ、これは?」


 もう片方の手がぽん、と頭に置かれ、指先が髪をそっと撫でる。限界だと思った。美形は三日で慣れるというが、まだその域に達しきれそうにない。


「あ、アウト! それは、アウトです!」

「え? そうなの? そっか、頭を撫でるのはアウトか……」


 心臓に悪いことをしてくる!

 それに、今のは頭を撫でるという無邪気さより、もうちょっとたちの悪い何かを感じた。

 恐々としているとハヤトは、ふ、と笑い、手をそっと私の膝の上に戻す。


「いいこいいこ、ってやりたいな、って今までに何回も思ったんだけど、やっぱりダメか。やらなくて良かった」


 ああ、もう。

 こりゃあかん。認めよう。きっと最初からそうだった。

 好き。




―――


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