元悪役令嬢×護衛

⑧自分から追放されていくスタイル

 お兄様はあの突然変異後も紳士として恥ずかしくない言動を意識し続け、やがて本物の紳士っぽさが板につき始めた。

 元々頭は良かったのだ。本人がその気になり、一度要領を掴んだ後の習得は早い。


 長年の懸念材料だった“後継者どうするよ問題”にひとまず片がついた形で、お父様もお母様も使用人達も、もちろん私も喜んだ。邸は毎日お祭り騒ぎのよう。

 ただ、ラヴとしては私の侍女ポジから早々に離れる事が気がかりなようで「せめて結婚式を挙げるまではお嬢様の侍女をやらせて下さい!」と直談判に来たのだけど、そうもいかないのでクリスお兄様を呼んで部屋まで連れて帰ってもらった。


「結婚しても私はずっとお嬢様の侍女ですよおおぉぉ!」


 少しずつ遠ざかるラヴの声を聞きながら、椅子の背もたれに体を預けて虚空を見上げる。

 婚約と同時にお兄様は、領地経営に関わる事など次期公爵へ向けた実地教育が本格的に始まり忙しくなってしまった。

 おかげで趣味の時間がほぼ無くなってしまったようだけど、今まで放蕩息子をやってきたツケが回ってきただけだ。自業自得である。

 ……お兄様に自動で動く車の案とか見せたら、大喜びしてくれそうなんだけどな。

 今オタクスイッチを入れてしまったらお父様に叱られる気がする。


 仕方ないので一人で過ごしているけど––考えてみたら、婚約破棄以降、これまで私の周りにいた人達が一気にいなくなってしまった。

 お兄様やラヴといたから気付きにくかったけど、お茶会のお誘いや演奏会の案内などが一切来なくなっていたのだ。

 学院は卒業しているし、王妃教育もなくなったし。結婚の予定もない。

 役割のない令嬢生活のなんと憂鬱なことか。

 かと言って、自分でお茶会を主催するって気分にもなれないし。


 魔道具の勉強はしているけど、近々家を出たなら封印しなきゃいけない知識かと思うといまいち身が入らない。


 まあ……色々あったけど、(私以外)皆ハッピーで良かったね。


 そう言いたいところだけど、このお祝い事から置いてきぼりを喰らっているのが私の他にもう一人いる。

 ハヤト氏だ。

 彼はクリスお兄様がプロポーズした日、妹が婚約したと聞いて大層驚いていた。

「いくらなんでも早すぎない⁉」と。その通りすぎる。

 だけどラヴの意思が固いことと、お手つきでない婚約だったことが良い方向に作用し、クリスお兄様のラヴへの献身を認めたハヤト氏は最終的に祝福の言葉を述べた。


「幸せになれよ」


 私はその時、うちは家族が増えるのを無邪気に喜んでいるけれど、ハヤト氏は一人になる事に気が付いた。

 あの手入れの行き届いた、小さくて温かい家。

 ラヴが結婚したら、彼はあそこに帰っても灯りは消えたままで、おかえりと言ってくれる人もいないのだ。

 彼はどんな気持ちで家族を送り出してくれるのか。

 それを思うと、胸が少し痛くなった。


 鬱々していても仕方がないと気晴らしに庭を散歩していたら、婚姻に向けての話し合いをするため家に訪れていたハヤト氏がちょうど帰るところに出くわしたのか、なんと向こうから声をかけてきた。びっくりだ。


「お嬢様、もうじき暗くなるよ。邸内に戻ったほうがいいんじゃないのか」

「いいのよ。私が何をしていようと、誰も気にしないもの」


 つい拗ねた言葉が口をついてしまう。

 実際、婚約を破棄された私はクリスお兄様の助手兼世話焼きババアとしてしばらくここに残る事を許されていたに過ぎない。

 あの時はまさかここまで早く結婚が決まるとは思わなかったけれど、お兄様が嫁と社会性を手に入れつつある今、私はもうお役御免である。

 お父様もお母様もそんなにすぐに追い出すほど薄情じゃないと知っているけど、家の中に居場所がないのも事実。

 ハヤト氏は私と少し会話をする気になったのか、距離を開けて離れたところからついてくる。


「誰も気にしないって事はないだろ。天下の公爵家のお嬢様なのに」

「もうすぐお嬢様じゃなくなるのよ」

「なんで?」

「色々あるの」

「ふぅん。家を出るってこと?」

「ええ。両親は私を愛してくれていると思うけど……だからってずっと家に居座っていい訳じゃないし。結局、私、どこに行っても厄介者なのよね」


 ふ、と小さな笑い声が聞こえた。思わず振り返りそうになったけど思いとどまる。

 だって美形怖い。


「……何ですか?」

「いや、俺と同じだな、と思って」

「貴方が? どうして? 力も名声も美しさも、人が欲しがるものをたくさん持っているじゃない」

「それはあんたもだろ」

「いいえ、美しさしか持ってないわ」


 お金はあるかもしれないけど、私が持っている訳じゃない。この場合はノーカンだ。


「自分で美しいって言っちゃうんだ」

「別にいいじゃない。誰も言ってくれないんだから、自分で言ってあげないと忘れちゃうもの」

「そっか」


 声が急に近くなって、びっくりしてつい振り返った。すぐ後ろにハヤト氏が立っている。

 いつの間に、こんな近くに。

 彼はかがんで私の目線に合わせ、ばっちり目を合わせてきた。

 彼の金色の瞳が目の前に。消し飛ばされそうなほどの光のオーラをまともに浴びてショック死しそうになる。


「お嬢様は、可愛いよ」

「は……?」

「可愛い」

「う、そ」

「本当」


 にこ、と笑いかけてきた。何? この、懐かない猫が甘えてきた感じは––。


「だから、忘れないでね」

「はい」


 間違いなく青春の一ページに刻み込まれました。老後まで毎日めくって楽しみます。


「ねえお嬢様。さっき自分の事厄介者って言ったけどさ」

「ええ」

「俺もそうなんだ。仲間だと思ってたやつらが、気が付くと俺の機嫌を伺うような顔をするようになってさ。ちょっとケンカっぽくなるとすぐ謝ってきたりして。……違うだろ、お前にも言いたい事あんだろって言っても絶対に言わなくなった。幸い、バカ言って笑っていられる関係は残ってたから手遅れになる前にそこから離脱したけど……確かに俺も厄介者だった」

「そうだったんですか……」


 おそらくラヴ達パーティーから抜けた時の話をしているのだろう。

 そんな経緯があったのね。

 それにしても今日のハヤト氏よく喋るなー!

 最近人と会話してなかったのかしら。

 怖い人だと思ってたけど、そんな事ないのかも。


 輝く美形にも少し慣れてきて、少しは仲良くなれそうな気がしてくる。


「……俺達ってさ、なんか……寂しいよな」


 やっぱり最近人と会話してなかったらしい彼はぽつりと呟く。

 その姿は、生き方が上手じゃない人間そのもので、寂しいというありふれた言葉が憂鬱な心の中にスッと入り込んできた。


「……ええ、寂しい、ですわね」


 何でも持ってるようで、何も持っていない私。ハヤト氏も同じなのかしらね。

 この寂しさを何で埋めたらいいのか、私にはわからない。どちらともなく笑みを浮かべた。


「お嬢様。妹を助けてくれて、ありがとう。これからもよろしくね。お嬢様じゃなくなっても、何か困った事があったら相談してこいよ」

「私は何もしておりませんわ。兄の力です。ですが、遠慮なく頼らせていただきますわ」

「俺、ハヤトって言うんだ。お嬢様の名前は?」

「知ってますし、私の名前もご存じでしょう?」

「お嬢様からは聞いてないし、まだ呼ばれたこともないよ」

「……そうだったわね。私、アリーシャです。親しい人はアリスと呼びます。わかりました? ハヤト」

「うん、わかった。アリスね」


 今日、私はハヤトと親しくなったらしい。

 家の中に送ってもらって、帰っていく彼の背中を見送る。ずっと足元がフワフワしていた。

 


 その日の夜、私はお父様に呼び出された。

 執務室に入ると、お父様は椅子に座ったままウトウト船を漕いでいる。

 あら、珍しい……。

 近付くとハッと目を覚まし、何度か瞬きをしてゆっくり目頭を揉んだ。


「お疲れのようですわね、お父様」

「ああ……。だけど、忙しいのはクリスの教育のためだからな。こんな忙しさなら大歓迎だ。アリスのおかげだよ。ありがとう」

「いいえ、私は何も。全てが収まるべきところに収まっただけです」

「ふむ……。それで、保留にしていた例の件なのだが」


 うっ。

 私の身の振り方についてかしら。怖い。


「本来ならローランド子爵(四十二)のところに嫁いでもらおうと思っていたんだがね」


 ア––ッ! 二回も離縁している事故物件じゃないの! なんてこと! 私、そんなに市場価値が無いの⁉

 ぷるぷるしていると、お父様は気まずそうに頬をかいた。


「年頃の跡取り令息で婚約もしてないのはうちのクリスくらいだったし、ローランド子爵よりもうちょっと若いのだとギャンブル好きだったり三男四男で爵位を継げなかったりでアリスには少し酷かなって」


 私のためみたいな言い方してるけど、四十二歳バツ二だって相当よね⁉ 私、清らかな十五歳よ⁉


「ろ、ローランド子爵なら政略的にメリットがあるのですか?」

「いや、別に。クリスの時もそうだったけど、うちの場合は結婚するなら王族か伯爵以下じゃないと角が立つから。ローランド子爵はその辺りが丁度良かっただけ。ついでに言うと、彼は頭があんまり良くなくて、アリスを使ってうちの事業にちょっかいかけて来ても簡単にあしらえて楽だなって」

「そんな消極的理由でバツ二ですか⁉」

「うん……。だから、正直、絶対に行ってもらいたい訳でもないんだよね。どうする?」

「お断りしたいですっ!」


 メリットがあるなら納得もしようが、ゼロをゼロのままキープしたいだけならお断りしたい。


「だよねぇ……。ただ、そうなると修道院しかないかなぁ。出来れば幸せになってほしいんだけどね。アリスにはクリスに真人間の道を作ってくれた功績があるから、希望があるなら聞ける範囲で聞くけど……何かある?」

「そうですね……」


 頭をフル回転させる。修道院でも別にいいけど、入ってしまえば俗世との繋がりはほぼ絶たれてしまう。きっと戻っては来られない。

 やり残した事はあるかしら。いやむしろやり残した事しかないんだけど、心残りというか。

 心残り––。

 結局、魔道具をまだひとつも作れてないし、それに。

 それに、せっかく親しくなったハヤトと二度と会えなくなるのは寂しい。

 もし許されるなら。家にメリットがなくてもいいのなら。私、普通の庶民になりたいわ。


「お父様、私……庶民になって街で暮らしたいです」


 正直に伝えると、お父様は目を丸くして驚いた。


「本気?」

「ええ。本気です」

「修道院のほうが楽だよ? あそこなら戒律は厳しくても生活は保証されているし、身の安全も確保できる」

「承知の上です」

「……もし本当に街で暮らすなら、うちとの関わりは隠してもらう事になるけど」

「仕方ありません。公爵家に迷惑をかける訳にはいきませんから」


 話しながら、私は図らずもゲームの通りになりつつある事に気が付いた。

 あのゲームでアリーシャはエンディング後市井に追放されて二度と現れない事になっている。

 まさか自分から市井に出るなんて言い出す事になるとは思わなかった。ここに来て強制力じみたものを実際に感じて戦慄してしまう。

 そういえばあの乙女ゲーム……攻略情報を見ただけだけど、逆ハールートを達成した後最初のメニュー画面に戻ると、攻略対象が一人増えるらしいのよね。隠しキャラってやつ。

 その隠しキャラって……

 あ。

 ハヤトじゃん。


 なんで忘れてたの……。お嬢様びっくりしたわー。

 毎回ギリギリアウトで記憶が戻るの本当やめてほしい。


「……そこまで覚悟が決まっているなら、許可しよう。アリスが自分で考えて決めたなら私も反対はすまい」


 ほらー! お父様もその気になってるじゃーん! もう引くに引けない感じになっちゃってるし!

 ……いや、引く気はないんだけどさ。

 強制力に従うのは癪だけど、自分で考えて決めたんだから。

 自分の意思を曲げてまでゲームに逆らうのもそれはそれで癪だし。


 四十二歳の事故物件に引っ越すか、修道院か、市井か。

 こんなの令和の乙女なら誰だって市井を選ぶと思うのよ。

 街角で花育てたりパン焼いたり、たまにおしゃれして遊びに行ったりしたいじゃない。


「アリス、本当にいいんだね?」

「はい。わがままを聞いて下さって、ありがとうございます」


 今夜の話はそこで終わった。


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