⑦「話がうますぎる。怪しさしかない。本心を見せろ」と煽った結果


 翌朝、お兄様はガチガチに緊張していた。それはもう、見てすぐわかるくらいに。

 いつもなら徹夜明けで朝食もとらずに眠りにつくんだけど、今日はしっかり夜に寝てもらって(でも眠れなかったみたい)綺麗に片付けた部屋でメアリーアンに身だしなみを整えてもらった。

 これで姿勢にさえ気を付ければ、(一見)ちゃんとしたイケメン貴族の一丁上がりだ。

 会話にはどうしても残念さが滲み出るけど、オタクスイッチさえ入らなければちょっと寡黙で気難しそうな人、という程度の印象でおさまるはずだ。

 ……おさまるよね?


 期待に目をキラキラさせているお母様と、昨晩お母様から話を聞いたらしいお父様、それと何だかよくわかっていないけれども雰囲気がいつもより浮ついているのを察して黙っているルークと、お兄様と私。皆で朝食を食べる。

 ジェフリーが「ご到着なさいました」と知らせてきたのは食べ終えてお茶を飲んでいた時だった。私とお母様が同時に立ち上がり、お兄様はカップを持ったまま停止。お父様とルークはよくわからなさそうな顔をしてジェフリーと私達を交互に見る。


「私が出迎えて来ますので、お母様はどうぞお部屋でお待ちになっていてくださいませ」

「いいえ、この家の女主人は私なのだから私が出迎えてしかるべきでしょう。アリス、貴女こそお部屋で待っていなさいな」

「お母様今まで使用人の出迎えなんてした事ないでしょう?」


 先を競うように二人並んで競歩しているうちに女性使用人の休憩室に到着し、扉に手をかけた。

 その時、ふと何か薄膜を突き破ったような––魔法の結界を抜けたような感覚が、身体を突き抜けていった。


「……!?」


 思わず手を引っ込める。お母様も同じものを感じたようで、浮わついた表情はなりを潜め、剣呑な空気を張り詰めさせている。

 結界の魔法がラヴのいる部屋に張られていて、それを私達が破った?

 誰がなぜ、そんな事を……?

 ちょっと意味がわからない。

 扉の前で固まっていると、背後からジェフリーが説明してきた。


「……ラヴ様のお兄様も、ご挨拶に見えております」


 えー!? 帰ってきたのー!?


 ジェフリーが洗練された仕草で扉を開け、すっかり勢いを削がれた私たち母娘がしずしずと後に続く。するとラヴが慌てて立ち上がって礼をしてきた。


「おはようございます! あ、あの、今日から、よろしくお願いいたします!」

「ええ……、よろしくね」


 どう反応したものかわからなくて無難に応える。

 ジェフリーが険しい表情でラヴの背後に行き、座ったままの兄らしき人物に話しかけた。


「ハヤト様、勝手に魔法を使われては困ります。それも奥様とお嬢様に向けてなど、言語道断でございますよ」

「それは悪かった。だけど奥様とお嬢様に向けたつもりはないんだ。俺はこの部屋に悪意を弾く結界を張って、お二人はそれを破って入って来られた。それだけだ」


 低く爽やかな声に反して語られる内容はなかなかに失礼だ。

 悪意渦巻く社交界ですら、余程の事情でもない限り初対面の前から魔法でフィルターをかけるなんて先制パンチはかまさない。


「ちょっと兄ちゃん! そういうのやめてって言ってるじゃない!」

「牽制は必要だ」


 これはとんだモンペ兄、と思っていると、ハヤト氏は立ち上がってジェフリーの頭をの上から姿を現した。

 ––なんて美しい人間。

 しばらくの間、そんなアホな感想しか浮かばなかった。

 ハヤト氏は薄茶色の髪で瞳は金色と、ラヴとほぼ同じ色合いをしていたけれど、造形が神がかって美しかった。髪も肌もなんだか発光しているようにすら感じる。

 メルキセデス王子よ、今どこで何をしているか知る由もないけど君の完敗だ。

 眼球が動かず、目を離すことが出来ない。

 こ、これが、目が溶けるという現象ですか……!?


「もー! 兄ちゃんてば! お嬢様は私の恩人なんだからね! 悪意とかある訳ないし、失礼だから本当にやめて!」

「お嬢様がそうでも、他の人間はわからないだろ。平民だからと下に見てくる奴がいないとも限らない」

「だとしても私は大丈夫だってば! 私だってそれなりに強いの知ってるでしょ!」

「まあな」


 軽い兄妹喧嘩を放心状態で眺めていると、 ハヤト氏は私達母娘に向き直った。なんというか、そこに居るだけで絵になる人だ。

 ああ、これは身内だったら確かにコンプレックスを抱く事もあるかもしれない。


「初めまして、奥様。お嬢様。ラヴの兄のハヤトです。妹に義手を贈って下さったそうで、お礼も兼ねてご挨拶に参りました」


 ひぃ! 美形すぎて怖い! こっちを向かないでほしい!

 こんな事ってあるんだ!?  知らなかったよ!

 お母様はさすが公爵家の女主人というべきか、肝のすわり方が私とは違ったようで、堂々とした様子で優雅に微笑んだ。


「いいえ、妹さんは大きなお怪我をされて大変でしたわね。さぞかし貴方も驚いた事でしょう。アキュリスの研究が役に立って良かったわ」

「はい。恥ずかしながら、外国にいたもので妹の怪我の事はつい最近まで知りませんでした。妹も連絡してくれればいいのに、無茶をしたのが余程後ろめたかったのか周りに口止めをしていたようで……。噂を聞き、急ぎ帰国して来た次第です。本当に驚きました。公爵家の方々に助けられたなど、実物を見るまでとても信じられない事でしたね」


 あはは、おほほ……。

 クリスお兄様の恩を売りたいお母様と、平民だからって妹に無体働いたら許さねーぞでもありがとうと言いに来たハヤト氏で和やかに会話が進む。冒険者もSランクとなれば、公爵家といえども無下には出来ない。

 力がある上に全く違う世界で生きているので、権力が及びにくく下手な貴族より厄介なのだ。

 はっと我に返った私はラヴに近寄り、こっそり話し掛けた。


「お兄さん、ラヴがうちで働くのはオッケーなの?」

「はい、酒場の給仕とかよりお嬢様のところのほうが安全だろうって」


 そりゃーね。ラヴ可愛いし、変な男近付けたくないのはわかるよ。

 ものすごい変な男(お兄様)を少しずつ近付けようとしている私が言うのもなんだけどさ。

 さっき結界に弾かれなかったのが不思議なくらいだよ。


 その後、ハヤト氏はお茶を一杯飲んだところで帰って行った。下げられていくティーカップを無意識に目で追ってしまう。

 ……え、それ、洗っちゃうの? 本当に? 聖遺物として祀らなくていいの?

 自らに芽生えた危険な思想にはっと気付き、慌てて振り払う。

 そんなことより、まずはラヴの着替えだ。

 侍女は主人よりはいくらか地味になるけれど、ドレスで仕事にかかるのがこの国の文化である。


 元がいいから腕が鳴るわね!


 腕を取って、私の部屋に引きずり込む。


「さあ、メイドさん達。やっておしまいなさい」

「えっ、ちょっと、お嬢様? っ、きゃーっ! な、何をなさりますか!?」


 メイド達が寄ってたかって着てきた服をひっぺがすと、ラヴはハヤト氏にはとても聞かせられない悲鳴を上げた。


「ええと、薄茶の髪と瞳だから、何色のドレスでもいけるわよね。デザインは顔立ちに合わせて可愛らしいもののほうがいいかしら」


 他人のドレス選びで悩むのって楽しい。

 半裸で呆然と立ちすくむラヴに次々とドレスを当て、 何だか妹の世話をするお姉ちゃんのような気持ちで久しぶりの女の子らしい時間をウキウキと過ごした。


「お嬢様……。私、こんなの聞いてません」


 装飾が控えめなパステルピンクのドレスをまとい、髪を編み上げたラヴは可愛い顔をゲッソリとさせて呟いた。


「私、てっきり、掃除とか、馬のお世話とか、そういう仕事だと思って来たんですけど!? こ、こんな、いいとこのお嬢様みたいな格好していったい何の仕事をしたらいいんですか⁉」

「そうね、まずは言葉使いの勉強から始めましょうか。淑女にふさわしい言葉を使って初めて公爵家の使用人として認められるのよ」

「つ、つまり今の私では使用人と認められないと……?」

「……残念ながらそうなるわね。まずはお嬢さんになりきって、どういう事をされてどんな気持ちになるのか知ってほしいの。そうすれば、何をすればいいのか、私が言わなくてもわかるようになるでしょう?」


 ––ごめん嘘ついた。

 言わなくてもわかるようにとかいう無茶振り、以前の私ですらしない。

 ただ、着飾って給金をもらうという発想が浮かばないのは前世の記憶持ちとしては理解できるので、少しでも引け目なく、その状態に慣れてもらえるようにと思ったのだ。

 納得したらしいラヴはキリッと表情を引き締めて、姿勢を正した。


「……わかりました! お嬢様の気持ちを理解するんですね! 精一杯学びます!」

「出来なくてもいいの。ほどほどにね」


 罪悪感で顔が見れない。

 でも、もし本当にうちのお嫁さんになるとしたら、ドレスに慣れたり言葉使いをお嬢様言葉に直していくのは必要なことよね。

 今から始めておいて損は無いはずよ。

 ……お兄様、このお嬢様バージョンのラヴを見たら可愛すぎて腰を抜かさないかしら。

 ちょっと心配。




 それから何日か経った。

 ラヴがいる間はお兄様にはつかず離れずの距離をキープしていたら、意外と無難にやり過ごすことが出来た。

 そうやって何度か顔を合わせているうちにお兄様もラヴに慣れてきたようで、今では軽い挨拶くらいなら普通に出来るようになってきている。

 ラヴも少しずつ動作が優雅に、言葉も丁寧になってきて、全てが良い傾向だ。


「アキュリス様って素敵ですよねぇ……」


 軽く挨拶を交わして去っていくお兄様の後ろ姿に、ほぅ、とため息をつきながらラヴは呟いた。

 おお! 意外とやるじゃないか! お兄様!

 お兄様がラヴに恋をしているのはもう明確で、夜ちゃんと寝て食事もとって、身なりに気を使い、慣れないながら運動もしているのを私は知っている。

 別人のような涙ぐましい努力っぷりに、男子三日会わざれば刮目して見ざるを得ないのね、と感無量だ。毎日会ってるけど。

 やはり男子が変わるには家族の百のお小言より美少女の一度の微笑みである。

 報われてほしいと思っていたから、自分の事のように嬉しい。これからは、少しずつ、お兄様の本当の姿をやんわりと見せていかないとね。

 そういう意味ではここからが本番だ。事前に心構えを仕込んでいく必要がある。


「そう? 素敵かしら? クリスお兄様って変わってるのよ。自分の好きな事を話し出したら止まらないの」

「それは研究者肌の方にはよくある事ですわ。好きな事に全力で取り組めるからこそ、偉大な結果を残せるのですものね。素晴らしい事だと思います」

「……人前に出ると緊張しちゃって、話せなくなったり妙な事を口走ったりするのよ」

「普段の威厳あるお姿とのギャップが素敵なんです。もう何度キュンときたか」


 あれ……?

 これ、私の手助け、要る?


 思った以上に順調、むしろ順調すぎて怖いくらいだ。

 というかラヴよ、いつからそんなに分厚いフィルターを目に装着しちゃってたの。義妹(予定)は心配です。


 実は今日はお兄様からラヴに贈り物をする日なんだけど、私、その現場にいないほうがいいかもしれない。


 ラヴに淹れてもらったお茶を飲みながら、お兄様が声をかけてくるその時を待った。



「ラ……ラヴ、さん! ちょっと見てほしいものがあって。アリスと一緒にぼ、私の部屋に来て下さい」


 ––来た。

 贈り物––、改良版義手が完成したんだ。


「はい、なんでしょうか?」


 ニコニコしながら歩くラヴと一緒にお兄様の部屋に向かう。

 お兄様が扉を開けると、陽光が照らす正面のテーブルに白い肌の色をした腕が置いてあった。


「……あれは?」

「君の新しい右腕。作ったんだ。今のより自然で使いやすいと思う。軽くて、必要な魔力も少なくした。……受け取ってもらえたら嬉しい」


 それを耳にした瞬間、ラヴは両手で口を覆い、目を涙で潤ませた。


「そんな……! 私のため、ですか? そんなに、目の下に隈を作ってまで……⁉」

「これは、……元々だよ」


 お兄様が下手くそな微笑みを浮かべると、ラヴは泣き崩れてしまった。


「ど、どうしたの? やっぱり、泣くほど気持ち悪かった……? ごめん、僕……」

「違います……っ! 嬉しいんです! これ以上泣かさないで下さいよぉー!」


 うわーん、と声を上げて泣きじゃくり、お兄様はオロオロと狼狽えている。

 そして私に視線で助けを求めてきたから、首を横に振り、口の動きで"い け"とゴーサインを出した。

 するとお兄様は頷き、何を思ったか懐に手を入れて中から小箱を取り出した。


 えっ!?

 指輪!?


 いや確かに"いけ"って言ったけど、そっち!?

  普通こういう時って、抱き締めたりハンカチを差し出したりするんじゃないの!?

 いきなりプロポーズとか、コミュ障にもほどがあるんじゃなくて!?


「ラヴさん! もし貴女がよろしければ、僕と結婚してくれませんか?」


 ラヴはしゃくりあげながらお兄様を見上げ、見つめ合った後、静かに頷く。

 お兄様は嬉しそうに左手を取り、薬指にやたらでかい石のついた指輪を嵌めた。


「でも、本当に私でいいんですか……? 平民だし、身体は片腕で傷物だし……」

「うん、僕はね、失った手が右で良かったと思ってるんだ。こうして、ラヴさんの本当の指に指輪を嵌める事が出来て」


 お前、誰だ。

 私は白昼夢を見ているのかと頬をつねり、夢では無いと確認してから黙ってお兄様の部屋から一人で退室した。


その日から、ラヴは正式にお兄様の婚約者となり、本物の手と変わらないような義手をつけて、貴族になる勉強をする事になった。



――――


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