⑥ラヴもなかなか闇が深いところがある
「そうね……。落ち着くわ。ラヴはきっと、我が家に来れば深い付き合いになるもの。急いて事を仕損じてはいけないわね」
––お兄様、ラヴはきっと、いい子です。しかもお兄様に好意的でした。元Aランク冒険者とあれば、お父様も認めて下さるはず。
嫁、ゲットして下さいませ!
時計の長針が一周するかしないかの頃、人物調査を終えたとジェフリーから伝えられた。
「え、早くない?」
「そうでもないですよ。彼女は有名人ですからね。私も噂だけは存じておりました。実際の人物像は本日初めて知りましたがね。いやなかなかどうして、しっかりした女性のようですな。もし本人が望み、家政婦長や奥様が良いと言えば、侍女として受け入れる事は可能でしょう」
ようやく侍女勧誘へのゴーサインが出た。
彼女は人間関係が良好な上に身持ちは固いようで、今までお付き合いした異性はいないとのこと。
話によると、ものすごく強いSランク冒険者の実兄がいて、彼が男関係を鉄壁ガードしているという。
ちなみにSランク兄とは今も一緒に暮らしているが、彼は少し前から他国へ遠征している、というのはSランク兄と直接知り合いだという我が家の諜報員の話。
案外身近で繋がってた。
ジェフリーいわく、どんなに住む世界が違っても、頂点付近の人間関係は近くなるものです、との事。妙に納得力があった。
しかし、Sランクの兄か……。さっきそんな話はしていなかったような。
なんていうか、本人も冒険者をやっているのに別行動をしている辺り、あえて距離を置いている可能性が高いわよね。
とはいえ、これは十代の人間にはよくある話だ。自立心の芽生えというやつ。特に問題は無いでしょう。
だけどあの子の背景を聞くにつれ、普通なら安心材料しか感じないはずなのになぜだか不安になってきてしまう。
ラヴちゃん、うちのお兄様には高嶺の花なんじゃないかしら……。
……まあ、ダメならダメで構わないか。侍女になってもらうだけでも御の字よね。
という訳で、私は先にお母様に話を通すことにした。
ーー侍女? ジェフリーがいいって言ったの? じゃあいいんじゃないかしら、と気のない返事をしていたお母様は、クリスお兄様に会った上でなお好意的でしたと聞いた瞬間、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
「ほ、ほほ本当に……?」
「はい。昨日の義手の女の子です。今日の新聞に載っているらしいのですが」
「そう、あの子ね……」
ぽつりと呟き、うず高く積み上げられた新聞の山に静かに手を添える。信じられない事に、あれは全て今日の新聞だ。業者か。
朝、お兄様の記事が一面に載っているのを知ったお母様は、公爵家総出で王都中の売り場から新聞をかき集めさせたという……。
「お母様……その大量の新聞、どうするんですか?」
「決まってるじゃない! 使用人全員に配る分と、お友達に配る分と、観賞用と保存用とあと予備の分よ!」
まるでオタクのような言い分に血縁の業の深さを感じる。
そういえばお母様は社交界でも有名な本コレクター、特に英雄伝や偉人伝を好んで集めていたけど、それってもしかして––。
何かの可能性に気が付きそうだったけど、まあいいか、と考えるのをやめた。
とにかく、お父様より先にお母様を"ラヴを囲い込み隊"の味方につけようと思う。
なぜならお母様はクリスお兄様を溺愛していて、そのクリスお兄様が、次期公爵の札をもってしてなお婚約者が決まらないのでやきもきしているからだ。
決まらない理由は、うちが公爵家としても突出して力を持ちすぎたため貴族間のパワーバランス的に難しく、本来なら王家から降嫁するのが一番良かったのだけど、あそこには男子しかおらず――かと言って、他の高位貴族では王家からすれば面白くないし、ならば下位貴族、と打診してみれば、お兄様に会う前はウキウキとしていたご令嬢が、いざ会ってみれば徐々に目の光を失っていくさまを何度も見てきたからだ。
そういうのってお兄様だけじゃなく、お母様もけっこう傷付くらしい。
お父様としてはそれでも良かったらしいけど、家に入るお嫁さんとなればお母様の発言権は絶大だ。
「アキュリスに好意とまではいかなくても、もう少し歩み寄る気持ちを持ったお方がいいわ」の一点張りで、なかなか首を縦に降る機会に恵まれずズルズルと時間ばかりが過ぎて今まできていた。
「その娘を今すぐお連れしなさい! 侍女で良いのかしら? 私の妹に頼めば養子にしてもらえるわよね、そうしたらすぐに婚約者としてお迎えできるわよ」
「お母様、落ち着いて下さい。まだ何も始まっておりません」
「始めなければ始まらないのよ!?」
こりゃダメだ。危険すぎる。
うかつに期待させるような事言うんじゃなかった。
「お母様。好意的と言っても、まだ数分間顔を合わせていくつか言葉を交わしただけです。お兄様がどんな人か知っている訳ではありません。私としては、計画的に、段階を踏んで、ゆっくり、少しずつお兄様の本当の姿を知ってもらう必要があると考えておりますわ。ひとまず、私の侍女にしても構いませんこと?」
「……上手くやれるの?」
「もちろんですわ」
目を合わせて、静かに頷きあう。
その一部始終を部屋の隅で見ていたメイドは、まるで悪巧みをしている四天王のうちの二人のようだった、と後にメイド仲間に語った。
先触れを出してもらい、馬車をゆっくりとラヴの家へ走らせる。
隣に座るのはメアリーアンで、彼女の手元にはお母様に持たされた手土産がある。
中身は、惚れ薬の効果があるとされている最高級チョコレートだ。本当にそういう魔法的効果がある訳じゃないけど、これをもらった女の子は口説きやすくなるという殿方の共通認識のようなものがある。らしい。
お母様ったら、惚れ薬を持たせるなんて何を考えているのかしら。持っていくのは私なのに。
カラカラと車輪の回る音を聞きながら、徒然に任せてぼんやりと考える。
……そうだ。馬車型の魔道具なんてどうかしら。車みたいに、馬がいらなくて、自分で運転して走るやつ。
構造と術式を頭の中で組み立てようと思考に耽るうちに、馬車はラヴの家の前についた。
そこは小さいながらも可愛らしい一軒家で、よく手入れされている温かみのある家だった。
メアリーアンがドアをノックすると、先触れを聞いていたらしいラヴがすぐに出てくる。
「お嬢様! ついさっきぶりですね! 狭いところですが、どうぞ入ってください!」
「ありがとう。急にごめんなさいね。どうしても早くお話ししたいことがあって」
そう言いながら手土産を渡す。チョコレートだと伝えると、ぱあっと顔を輝かせた。
「チョコレート! 大好きです!」
材料のカカオは高く売れるのでよく採ってきましたけど、あれ採ると必ずファイアハイエナの群れが追いかけてくるんですよね、などとたくましいエピソードを繰り出しつお茶を淹れてくれる。
それからチョコレートをお皿に綺麗に並べてくれて、三人で一緒にテーブルを囲んだ。まずは世間話に花を咲かせ、お茶を半分くらい飲んだあたりで頃合いと見て本題を切り出す。
「……そういえばラヴ、お仕事を探すとおっしゃったわね。当てはあるの?」
「うーん、頼めば働かせてくれそうなところはいくつかありますけど、まだ決めてません」
「それなら……もし貴女がよければですけど、うちで働きませんか? ちょうど人手が足りないと思っていたところだったのですよ」
「えっ……!?」
ラヴは目を見開いて固まってしまう。
「や……やっぱり嫌?」
「いやいやいや! 嫌とかではなく……ステュアート公爵家の使用人、ですか? 私が?」
「ええ、そのつもりでお誘いしたのだけど……どうかしら?」
「ぜひ! お願いします!」
テーブルに乗り上げる勢いで前のめりになってお願いされた。逆にびっくりだ。
「そんなに即決して大丈夫ですか? その、ご家族の方と相談などは」
「必要ありません! むしろ兄ちゃんが帰ってくる前に決めちゃいたいくらいです!」
「そのお兄様だけど、先ほどはお話に出て来なかったわね。立派な方のようだけど、いったいどんな方なんです?」
「ぐっ……。すみません、隠したつもりはないんですけど……。兄ちゃんは私が見てきた中で一番強い人です。……身内の欲目でもなんでもなく、本当に強いんです。そもそも最初に孤児達を纏めてパーティーを作り上げたのが、兄ちゃんでした。でも、兄ちゃんはパーティーなんて組まなくても、一人でじゅうぶん強かった」
ぽつぽつと語り出した口調はどこか心細い。
その時なんとなく、ラヴ達パーティーがSランクへの昇格を急いだ理由が見えた気がした。
「元々、仲間の皆も私も、自分達だって弱くはないけど兄ちゃんは別格だって知ってました。だから兄ちゃんがソロになるって言い出した時は誰も反対しなかった。そのあとすぐです。兄ちゃんがソロでドラゴンの討伐を達成したのは。それを聞いた時、やっぱり私達は足手まといだったのかなって思って……」
きっと、対等になりたかったのだ。はっきり口にした訳ではないけど、そういう事だった。
「兄ちゃんは凄い人なんです。兄妹ですけど、私とは全然違う。……兄ちゃんから少し離れたい、って、正直、そういう気持ちがありました。お願いします。お嬢様、私を雇って下さい」
雇用、決定。
……目的は達成したけど、何か違う。
ラヴちゃんさぁ、お兄さんとちゃんと話しなさいよ。
給金や勤務時間、休日などの話は家政婦長の代理としてメアリーアンが書状を読み上げた。
お給金良すぎませんか、と震え上がるラヴだったが、そんなことはない。たぶんAランクの時のほうが稼いでいたはずだ。
通いか住み込みか尋ねると、ラヴは逡巡したのち兄ちゃんが帰ってくるまでは、と、ひとまず通いを選んだ。私もそれがいいと思う。
明日からでもいいとの事で、明日の朝迎えを出す、と言うとすごい勢いで謝絶された。自分で行きますから、と。
「じゃあ、明日からよろしくね」
「はい、お嬢様。よろしくお願いいたします」
早くも緊張した様子でお辞儀をする。
いい子なのは間違いないんだけど、少し危ういところがあるわね。もっと自信持っていいのにな……。
その日の夜、うちのクリスお兄様の元で改良版義手を組み立てるお手伝いをしながら話をした。
クリスお兄様は部屋に籠っていたゆえ昼間の出来事を知らないけれど、明日からラヴが来るのだから少し意識を変えてもらわなければならない。
しかしラヴの"お兄ちゃんに劣等感を感じる方向のコンプレックス"のことをもやもや考えていた私は話の切り出しかたを間違えてしまった。
「……ねえ、お兄様。もし、とっても可愛くて気立てが良くて努力家で優秀な妹がいたら、どう思います?」
「それはもしかして自分の事を言っているのか?」
「違います! いや、そうかもしれないけどそうではなくて」
「そうだよね。もし本当にそんな理想の妹がいたらかわいくてしょうがなくて、何でもしてあげたいって思うはずなんだけど、僕そんな気持ちになった事一度もないし、架空の話だよね」
……腹立つな、このお兄様。
別に私だって自分のこと気立てがいいなんて思ってないしー! 努力家でもないしー! 別にいいけどー!
「じゃあそんな女の子が実在するとして、もし妹じゃなくて我が家の使用人の中にいたら、どうですか?」
「……もう部屋から出られない。怖くて。パンツを見るくらいはするけど」
「あ、その魔道具は没収しておきますね」
「え、ちょっ、アリス!」
焦った様子のお兄様に構わずメガネ型魔道具を懐の中にしまう。
「お兄様、私が聞きたいのは、怖いとかそういう事ではなくて、格好いいところを見せたいとか何でもしてあげたいって思わないのか、とか、そういう事です」
「そりゃ……思うけど」
「それならこんな魔道具など絶対に使うべきではありません。最高に格好悪いですし第一最低です。明日から私、お兄様の言動に逐一口出ししますからね」
「な、なんで急にそんな……」
「私が王妃の道を無くし、お兄様も私も変わらなければいけない時期が来た。それだけの事です」
「そんなぁ」
「というか、明日からその理想の妹のような可愛い子がうちに来るのですよ。お母様も私も、もしその子がお兄様にとって大切な人になるようであれば、応援するつもりでおりますわよ。もちろん、彼女の気持ちが一番優先されますが」
話が思いがけない方向に転がったのか、お兄様は口をぽかんと開いたまま硬直した。
「理想の……妹のような……可愛い子……?」
「ええ。昨日義手をつけた子がおりますでしょう? あの子、うちで雇うことになりましたの。私の侍女としてですけど。明日からよろしくお願いいたしますね。そうそう、あの子、お兄様に大変感謝しておりましたわ。"まるで神様のように見えました"とまでおっしゃいまして。これは……がっかり、させられないですわね?」
お兄様はガタッと立ち上がり、乱雑に転がる魔道具や素材、紙や筆記用具などを片付け始めた。
今まで、どんなにメイドが片付けようとしても"物の場所がわからなくなるから"と言って触らせなかったのに。
「お手伝いしますわよ」
素材を種類別に分けて、箱にしまっていく。等身大美少女人形の残骸はそっと箱の一番下に入れた。
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