⑤彼女はラヴ。孤児院出身の女剣士。
学院でパーティーが行われている頃、ステュアート公爵家では夕食を終えたアリーシャと公爵とで今日の報告と話し合いが行われていた。
「そうか……あのクリスが義手を作った、と……」
「はい。とてもご立派でした。さすが次期公爵、ステュアート公爵家は安泰だと誰もが絶賛しておりましたわ」
お父様は氷を浮かべたブランデーを一気にあおる。その瞳が涙に濡れていたのは気付かないことにした。
次期公爵がひきこもりオタクであることに誰よりも気を揉んでいたのがお父様なのだ。涙のひとつくらい出て当然だと思う。
「お兄様は天才ですけど、そのぶん私以上に世間知らずなところがありますから、世間との橋渡しをする存在が必要だと強く感じました。あの才能を生かすも殺すも周囲の人間次第。私なら機密も守れますし、お兄様を立派な紳士に仕立て上げることも可能です。いずれお嫁さんをもらってお役御免になる時がくるのは承知ですが、いかがでしょう。それまでの間、私をお兄様の助手として、家に置いていただけませんか? ついでに助手をしながらお兄様のお嫁さん候補を見繕って、世話焼きババア的な仕事をするのも考えております。きっとお役に立てますわ。修道院や後妻業はその後でも構いませんこと?」
「ぐうの音も出ないね。それで構わないよ。……というかアリス、なんだか時々言葉使いが下品になってないかい?」
「あら、そうでしょうか? 気が付きませんでした。ホホホホ」
自分を解放しすぎたかしら。ちょっと反省。
「うむ、気を付けなさい。……それにしても、魔道具に関心がなく、クリスを一番嫌がっていたあのアリスが一番の理解者になるなんてね。わからないものだな」
「別に嫌がってなどおりませんでしたわ。ただ、得体が知れなくて不気味に思っていただけです」
「それを嫌がると言うんだけどね」
公爵家の夜は、穏やかに更けていく。
翌朝の新聞では、ステュアート公爵家の跡取り息子が自由自在に動かせる義手の魔道具を開発したというニュースが、腕を失った少女に寄贈したという美談つきで大きく取り上げられていた。
––さて、どんな魔道具を作ろうかしら。
昨晩、無事にクリスお兄様の助手という形で時間稼ぎに成功した私は考えていた。もちろん助手で終わる気はなく、いずれ自分で作る気満々である。数学的な思考は苦手だけど、挫折するにしてももうちょっと頑張ってからにしたい。
「取り敢えずお兄様のところに行こうかしら……」
ひらめきはまだ訪れず、今必要なのは勉強と経験だとお兄様の部屋へ向かう。すると、メイド達がやけにざわついている現場に遭遇した。
「騒がしいわね。何かあったの?」
一人のメイドを捕まえ、何事か尋ねる。
「ええ、あの、あ、アキュリス様に女性のお客様が見えております!」
「まあ! それは本当!?」
「はい! 先んじて家令様が対応しておりますが、このような事は初めてで皆動揺しておりまして! 騒がしくしてしまい誠に申し訳ございません!」
「何言ってるの! そんなの騒がしくなって当然よ! お兄様には伝えた!?」
「いえ、そちらは家令様のご判断により保留中にございます」
「そう、ありがとう」
いそいそと応接室へ向かう。
あの兄に会いにくる女性がいるなんて、詐欺か奇跡のどちらかしかない。これは助手兼世話焼きババアとして要確認案件だわ!
ちょうどティーセットを載せたワゴンが応接室に入るところだったので、開いたドアから女性の顔を見ることができた。
「あらっ? あの子は……」
見知った顔に思わず声が漏れる。するとその女性はパッと顔をこちらに向け、花が咲くように表情を綻ばせた。
「お嬢様! お会いしたかったです!」
そう言って立ち上がった彼女は、昨日病院で義手をつけたあの女の子だった。
「もう退院しましたの?」
「はい! お陰さまで! 本日はどうしてもお礼を申し上げたくて、退院した足でそのまま立ち寄らせて頂きました! 見て下さい! こうして鞄も持てるんですよ!」
昨日とは打って変わってキラキラした笑顔の彼女は、木の義手で大きな鞄をひょいと持ち上げる。
おお、あのくらいの重さでも持ち上げられるのか……。
「ジェフリー、彼女は私が対応するわ。あとはお願いね」
ジェフリーとは家令の名前である。"あとはお願いね"の意味するところを正確に受け取った初老の彼は礼を取り、音もなく退室していく。ジェフリーはこれからこの子の素性を調べ上げ、お兄様に会わせても大丈夫かどうかを判断するのだろう。
こちらから会いに行くのと、家まで会いに来るのとでは、警戒レベルが違ってしまうのを許してほしい。
「……ごめんなさい、私ったら勢いだけで公爵家を訪ねてしまって……。冷静になって考えれば、手続きも取らずに面会なんて出来る筈がなかったのに。……ええと、私、ラヴって言います。家名はありません。出身は十二番街の孤児院で、今はAランクの冒険者として王都ギルドに所属してます」
「え、Aランク……!?」
かなりの大物だった。
話を聞くと、ラヴは孤児院の出身だそうだ。
孤児院のお兄ちゃん達が結成したパーティーに後から参加した、女剣士とのこと。
彼女は華奢だけど、この世界では人の強さは見かけだけでは判断出来ないのだ。もちろん魔力の存在が影響している。
話を戻すと、元々冒険者は孤児出身の者が多く、自立心も仲間意識も強いので、実力さえあれば女だからと侮られたりする事もないらしい。
冒険者としての仲間に恵まれたラヴには剣士の才能もあったようで、めきめきと頭角を現し危険な任務にも次々と挑戦した。
気が付けばAランクという高みに登り詰めていて、多くの孤児院に寄付が出来るまでになった。
孤児だから不幸、孤児だから無知––世間からはそう言われがちだけど、だからって本当に不幸になってやる義理は無い。
無知だとしても、こうして腕ひとつで孤児院に寄付できるくらいお金持ちになれる。努力すれば、幸せになれる。
小さな仲間達に、そう示してきたつもりだった。
転機はSランク承認のためのクエストで訪れた。
Sランクとは、ドラゴンの討伐によって承認される冒険者の最高ランクのことである。この世界において、ドラゴンとは災厄であり、神格化されるほどの強モンスター。挑めばもちろん命を落とす確率は高い。しかし、若くして底辺からAランクに駆け上がったラヴと仲間達は怯まなかった。自分達ならいけると信じて疑わなかった。
結果、惨敗。
一人も命を失わなかっただけマシだと、誰もが言った。
ドラゴンの戯れのような爪の一振りで右腕を失ったラヴは気を失い、仲間達に抱えられて撤退し、あの病院で目覚めるに至る。
目覚めたラヴは、もう剣士として戦えないことを知った。それどころか、普通の生活も送れなくなってしまった事にも気が付いた。水を飲もうと何気なくベッドから降りようとして、バランスが取れず転んでしまい、受け身も取れず床に頭を打ち付けた時初めて、これまでの強い自分はもういないと実感したのだ。
ひたひたと絶望がやってきた。
今までの自分は、稼いだお金を孤児院へ寄付していっぱしの市民になったつもりで、孤児達に"皆も頑張れば私のようになれるよ"と嘯いていた。
冒険者になりたがる子供達を、積極的に支援した。こんなリスクを孕んでいる事など、"わかったつもり"で––。
なんて傲慢だったのだろう。
なんて愚かだったのだろう。
才能に甘えて、鍛練が不十分だったかも知れない。少し立ち止まって、自分達の力量を検討するような慎重さが足りなかったかもしれない。
だけどすべては後の祭り。戦う手段を無くした自分はもう何も出来ないし、この先どうなるのかも、何も分からない。
努力? 頑張る? 何を、どうやって?
これからは、物乞いのように生きていくしかないんじゃないか。こんな綱渡りのような生き方を子供達に勧めていたなんて、自分はなんて罪深い事をしてきたのか。もう自分は、死ぬしかないのではないか?
そんな事ばかり考えていたある日、ステュアート公爵家の方々が面会しに来る、と医者に伝えられて––。
その後は、知っての通りである。
「天から女神様の御使いが降りてこられた、と思いました」
ラヴはうっすら涙ぐみながら回想を終えた。
私は何も言えず、圧倒されたような心地で乾いた喉に紅茶を流し込む。
凄い子だわ。ちょっと、人生が濃すぎるんじゃないかしら……。
改めて自分が恵まれた環境にいるのだと教えられた気持ちで、どこか後ろめたさを感じつつラヴを見る。薄茶色の髪で、茶色の瞳。ごく普通の色合いを持つ私と同い年くらいの彼女は、私の眼には悟りを開いた修験者のような、どこか神聖な存在に見えた。
「……ラヴは、これからどうしますの?」
「そうですね……。だいぶ身体の感覚が変わりましたし、さすがに今までと同じように魔物と戦うのは厳しいです。ですが、家事や普通の体力仕事なら問題なく出来そうなので、冒険者稼業は引退して、何か仕事を探そうと思ってます」
「何だか勿体ないわね」
「いいんです。せっかく拾った命ですから、大切にしないとです」
そう言って、義手の木目をそっと撫でた。元々は兄の等身大の美少女人形になる予定だった腕などと絶対に知られてはいけない雰囲気。曖昧に微笑む。
ラヴは空になったティーカップをソーサーに置き、ぺこりと頭を下げた。
「それでは、私、帰りますね。今日は突然お訪ねしたのに会ってくれて、ありがとうございます。アキュリス様には、改めてお礼のお手紙を送らせてください」
「ありがとう。私からも伝えておくわ。ええと、こちらからも連絡したいのだけど、どちらにお住まい?」
「ありがとうございます! 今は、この住所に」
そう言って、急いでメモ紙に住所を書き渡してくる。義手は固い木製だから、さすがに字を書くのは大変そうだ。一刻も早い改良が望まれる。
「では、お邪魔しました」
「いいえ、楽しい時間を過ごせたわ。ありがとう」
ラヴを見送り、急いでジェフリーの元に駆け込む。
「ジェフリー! 彼女はどうだった!? 大丈夫そう!?」
「は、大丈夫そうです。話は全て事実のようでした。次回は通しても構わないかと」
「よっっっし! 」
ジェフリーは通信型魔道具を机に置いた。
ラヴは界隈では結構有名人であったらしく、公爵家の名の元にギルドへ問い合わせてみればすぐに大まかな行動歴を教えて貰えたらしい。
貴族は、うかつに他人を懐には入れられないのだ。それが魅力的な人物であればあるほど、用心しなければならない。
「私が! どんだけ! ラヴを我が家の侍女に誘いたかったか! わかります!? ねえ、わかります!?」
「わかります、わかりますから、落ち着いて下さい」
「もー! 今から、今からでもいいかしら? まだそんなに遠くまで行ってないわよね?」
「落ち着いて下さい。まだ公的な一面がわかっただけです。侍女ともなれば、ギルドや孤児院の者達にも彼女の人となりを聞き取ってからでないといけません。……マリアの乱の再来は御免ですよ」
貴族達の間では、身分の低い令嬢が高位の貴族男性達を手玉に取って社会を大いに乱していくことを、いつからか"マリアの乱"と呼ぶようになっていた。
とある令嬢が学院に入ってからなので、ここ一~二年での話である。
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