②誰が変態だ

 そっと胸に手を当てて微笑むと、メアリーアンは目をかっと見開いてぷるぷると震え始めた。


「お嬢様が……! まともになられたっ!」

「まともって……まともってどうなのよ! 今までおバカだったとでも言うの?」

「いいえ! 感性のお話です! 実は私もあのお化粧はどうなんだろうとずっと思っておりました! ああ、メアリーアンは嬉しゅうございます! お嬢様は一晩でずいぶん大人になられたのですね!」

「自信を持ってもいいんだ、って気が付いただけよ」


 涙ぐむメアリーアンをなだめ、自分で唇にクリアピンクのグロスだけをさっさと塗る。

 そういえば、ヒロインのステータスアップアイテムは化粧品だったよね。可愛いデザインのパケで、たくさん集めて一気に使うのが快感だった。

 もっとも、たくさん集めて一気に使っていたのは今も同じなのにステータスは上がるどころかむしろ下がっていたような……ああ、そうか。これが現実か。しょっぱい。

 今までの私は、違う自分になりたくて時間とエネルギー(と化粧品)を無駄に消費していた。

 私は私のままでも良かったのに、それに気付かなかった。

 じっと鏡の中の自分を見る。つやつやサラサラの金髪には天使の輪っかが輝き、化粧っ気のない小さな顔の中では青々と澄んだ宝石のような瞳が煌めいていて。ピンク色の唇は控えめながらもぽってりと肉感的で、なんというか、幼げながら色気もあり、なんとも危うい。

 これで巨乳なのだから、神様は不公平だ。

 悪役くらい引き受けないと、バチが当たるってものね。

 思わず、ふぅとため息をつく。こんなに素材に恵まれていながら自信を持てず迷走してしまうなんて、女心とは複雑だ。


 朝の支度を一分で終え、これからどうしようかと考える。

 婚約破棄は、もうそれでいい。構わない。好きにすればいいと思う。

 ただ、パーティーでの断罪は家のためにも出来れば回避したい。だけど今夜起こる事に対して今から出来ることは、あまりにも少ない。

 身支度しちゃったけど、学院は欠席したほうがいいんじゃないかしら……。

 幸いにも一人を除いて家族仲は悪くないので、ここはやはり公爵たるお父様に相談するのが良さそうだと思う。

 婚約を破棄されるのは避けられなくても、事前に相談しているのとしていないのでは大違いだろう。

 無いと思うけど、もし「お前など家の恥だ! 出ていけ!」と追い出されるとしても、今かパーティーの後か、たかだか半日程度の違いしかない。大して変わらない。


 転生ハイなのか、それとも巨乳で得た自信なのか。今の私に怖いものなど何もなかった。


「お父様、少しよろしいですか?」

「ああ、アリスか。どうした? ……っと、今日はずいぶん雰囲気が違うじゃないか」


 コーヒーでむせそうになっているお父様に私はぐっと詰め寄った。


「ええ。本日で学園も卒業ですから、生まれ変わるには良い機会だと思いまして。それよりも、私の今後についてお父様にご相談したく思いましたの」


 お父様の表情がスッと引き締まった。その様子に、お父様もマリア嬢の件はご存知だと思い至った。


 ――うん、あれだけおおっぴらにイチャついてれば当然か。


「私、婚約破棄されそうなんです」

「おお……ずいぶん直球だね……」

「誤魔化しても仕方ありませんもの。力が足りず、殿下のお心を繋ぎ止められなかった事、お詫びいたします」


 深々と頭を下げる。以前の私だったら決して認められなかったし、口に出来なかった言葉だ。

 お父様の深いため息が聞こえた。


「それで、アリスはどうするのかな?」

「そこなんですよねぇ……。殿下はきっと"追放だ!"なんておっしゃると思いますけど」

「追放? アリス、お前はそこまでひどい事をしたのか?」

「心当たりはありませんわ。お相手の女性にちょっと苦言を呈したことがあるだけです」

「それだけか? 公序良俗に反する事はしていないのか?」

「はい。誓って」

「ふむ……」


 お父様は唸り、思案顔になる。


「殿下は子供だな……」


 真っ先に出てきた感想がそれって。つい吹き出してしまった。

 いや全く、その通り。

 そう、私が気に入らないのであればパーティーで断罪などせずとも、穏便に婚約を解消する方法くらいいくらでもあるのに。

 ただ、思い当たる理由はある。


「おそらく、穏便に私を排除したとしても、かの令嬢は身分の問題で正妃にはなれませんから……別の新たな婚約者を宛がわれるだけだと思ったのでしょう。彼女を正妃にするために、周囲に愛を見せ付けておく必要があるとお考えになったのだと思います。現婚約者の私を公衆の面前で辱めておけば、今後正妃候補を押し付けてくる人間も減りそうですし……」

「無理だろう。その令嬢では第二妃でも難しいのにまして正妃など……。庶民を蔑むわけではないが、その継子令嬢では殿下の後ろ楯にはなれない。アリスの件を抜きにしても、揉めるぞ。つい先日隣国の王女殿下と婚約された第二王子殿下もおられる事だし。王太子の交代もあり得る」

「愛の力で何とかするそうですよ」

「なんと無茶な……。殿下は王位継承権を放棄するおつもりなのか……?」


 お父様は頭を抱えてしまった。


「ねえ、お父様。あちらがもうすっかりその気でいる以上、一方的に婚約破棄を言い渡されるよりも、陛下にご相談の上、前もって破談にして頂いたほうがまだ公爵家の傷は浅いと思いますの」

「それはそうなんだが、すぐには無理だ。 色々しがらみがあるからな。その、殿下の暴発はまだ先伸ばしに出来そうか?」

「いいえ。残念なことに、今夜の卒業パーティーが暴発の場です」

「……確かなのか?」


 鋭い視線を受け、こくりと頷く。お父様はため息をつき、椅子の背もたれに背中を預けた。


「ならば、打てる手はあまりないな……。アリス、せっかくの卒業式とパーティーだが、今日はどちらも病欠しなさい」

「はい、そのつもりです」

「そうと決まればまずは殿下にエスコートを辞退する旨を連絡しないと……」

「大丈夫です。殿下は初めから私をエスコートするつもりなどございませんわ」

「そ、そうか……。それほどまでに……。一応連絡はしておくが」


 痛ましげに伏せられた目は、次に開いた時には公爵のそれになっていた。


「よく相談してくれたな、アリス。気位の高いお前には辛い決断だったろう。 それで、お前の今後についてだが……跡取りでない以上、いつかは家を出なくてはならない。他の嫁入り先を探すか、修道院に入るか……いずれにしろ、考える時間が欲しい。後で改めて話そう」

「ええ、結構です、お父様。……その件ですけれど、もしお許し頂けるなら、私にも考えさせて下さいませんか? こうなった以上、自分の生き方を自分なりに考えたいのです」

「……内容による」

「ありがとうございます、お父様。愛していますわ」

「私もだよ、アリス。愛している」


 そう言ってお父様は目を閉じた。一礼して退室する直前、ぽつりと独り言を言うのが聞こえる。


「ルークにも注意しないといけないな……」


 ぱたん。扉を閉じた。

 ルーク。

 それは一つ年下の、義理の弟の名前だ。攻略対象ですでに攻略され済みである。ちなみに年下ワンコ枠。

 金髪に青い瞳という私と同じ色彩を持つ彼は、元々は私の従弟だった。お父様の弟君の伯爵家の息子だったのだが、十年前、伯爵夫妻は夜会の帰り道、運悪く強いモンスターに遭遇してしまいそのまま帰らぬ人となってしまったそうだ。

 四歳にして両親を一夜で失ったルークをお父様は養子として引き取り、私の義理の弟とした。

 私とルークは小さい頃は本当の姉弟のように仲良しだった。だけど思春期の入り口で突然距離を取られた後、そのままヒロインに傾倒し、以降は挨拶のみか「マリア先輩をいじめるな」と一方的に言いに来るだけの、殺伐とした関係になってしまったのだ。

 いい子なんだけどね。

 噂をすれば影とやら、廊下の角から現れたルークは出会い頭に私と遭遇して、一瞬うろたえた。


「え? えーと、ね、義姉様……?」

「ええ。おはよう、ルーク。……どうかして?」

「いえ、あまりにも別人のようなので」

「ふふ、そうかしら」


 別人のようでいてこれが素の私なのよ。肩に入りっぱなしだった余計な力が抜けて、今は何の気負いもない。

 フラれる事までも含めて自分を認められると、こんなにも心が楽になるのね。

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