応援コメント

01 寧王(ねいおう)・朱宸濠(しゅしんごう)」への応援コメント

  • 拝読致しました。
    自分は司馬遼太郎作品の中では峠が一番好きで、河合継之介の関係で王陽明にも興味がありました。(^-^)
    つい最近、「山田方谷かるた」なるもので楽しんだという縁も??
    あのアグレッシブな儒学を創始して王陽明さんの物語、楽しみにしています(^-^)
    しかし佛郎機銃と火竜槍、ネーミングセンスなら圧倒的に後者が勝ちですね……

    作者からの返信

    「峠」は凄いですよね。
    あんな題材なのに、青春とエロスと滅びが共存しているところが凄い^^;
    そして、山田方谷とか、また凄いモチーフのカルタ(笑)

    さて、そんな人たちに影響を与えた王陽明さん。
    ちなみに西郷さんとかにも影響を与えています。
    拙作の当初プロットでは、西郷さんが桐野利秋に語った話、という形式を採っていました(笑)

    フランキは、まあ、最初にフランク族(西洋人)ありき、のネーミングですから、火竜槍と比べるのはちょっと可哀想な気もしますね^^;

    ありがとうございました。

  • 佛郎機銃の由来、勉強になります☆
    明から清の時代は朧げな部分が多いので、良い妄想ができそうです (*´ω`*)

    作者からの返信

    佛郎機銃、私も書くにあたって勉強しました☆
    明清って、時代が近いんですけど、何となくよくわからない、みたいなところがありますよね^^;
    そのあたりがまだ鉱脈というか、題材があるんじゃないかな、と思って、王陽明にたどりついた次第です。

    ありがとうございました。

  • 王陽明

    儒学者で尊敬は出来る人間は数あれど、

    親しみを持てる、数少ない人物です。

    儒学者にて官僚、田中芳樹の中華名将100選にも入る人物。

    楽しみにしています。

    作者からの返信

    王陽明、なかなかの人物で、その生き様がもう、彼の思想というかスタンスというか、そういうのを文字通り「体現」している人だと思います。

    田中先生の「百選」にも入ってましたか?
    それは気づきませんでした……というか、失念しておりました^^;
    読んだのが、大分前ですので。

    お楽しみいただければ幸いです。

    ありがとうございました。

  •  こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。
     私、朱子学より陽明学の方が好きなんですが……。
     一歩間違うと、という危険性はやはり皇帝やら将軍に睨まれやすいですよね。足利尊氏と楠木正成を並べたら、どっちが扱いやすいか、みたいなことになりかねないし。

     陽明さんが何をやったかまでは詳しくないので、楽しみです♪

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    朱子学、陽明学、それぞれの特色みたいなのがあって、それに「合う」かどうかっていうところもあると思います。
    何というか、江戸幕府としては朱子学の方が都合が良かったんでしょうね。
    陽明学は……このお話でも描くつもりですが、必要とあらばみたいなところがあるので、その辺がNG扱いにつながったのでは、と思います。

    お楽しみいただければ幸いです。

    ありがとうございました♪

  • 火竜槍って相当強そうな感じしますが、やはり西欧の武器にはかないませんか。
    王陽明……記憶の彼方の世界史の授業を思いだします。「どんな人だったっけ?」という感じなので、これから先読むのが楽しみです。

    作者からの返信

    火竜槍って、初期の火砲というか鉄砲というか、そんな感じです^^;

    王陽明は、陽明学で知られている人で、学者と思いきや、それだけでなく、役人で軍人だったりする人です。
    この人のこの「寧王の乱」に代表される行動や態度が――陽明学が、のちの日本の江戸時代末期のいろんな人に影響を与えます。
    河井継之助とか西郷隆盛とか大塩平八郎とか……。

    じゃあ王陽明ってどんな人だったのか?
    その辺を知っていただけたらと思います^^;

    ありがとうございました。

  • 今月のお題ですね。

    これは全く知らないエピソードだ。
    楽しみにしてますね。

    永楽帝はねえ。
    結果的に見ると宦官の台頭を許しちゃって、国家へのボディブローを累積させちゃった部分が点を辛くしちゃいますね。
    そんな永楽帝が警戒したなら朱権も相当な……。

    作者からの返信

    実は例の公募に落ちた作品のひとつ(のリニューアル)だったりします^^;
    やはりマイナー過ぎると駄目なのか……(笑)

    永楽帝はたしかに……^^;
    鄭和なんていう、規格外の宦官がいたのも要因でしょうね。
    あと、イシハという武将も宦官だったし、その辺からもあるみたいです。

    朱権はおっしゃるとおりアレな人です。
    永楽帝の死後、息子の洪熙帝(仁君で有名)に「もっといいところの王にして」って言ったら、「ざけんな」とキレられたぐらいですから、やっぱアレな人だったんでしょう(笑)

    ありがとうございました。