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07 白の境に舞う金烏。」への応援コメント


  • 編集済

    拝読致しました。
    いや、鷹狩じゃないんだからさ(・・;)
    読みながら、思わず突っ込まずにはいられない(^_^;)
    前話までで、寧王配下の将二人が可愛そうダナー、とか思っていたら、じつは王陽明もそんなに扱い違わないじゃん!という衝撃。
    かの陽明学の祖がよもや過労死だったとは、宮仕えの切なさを感じさせますね(^_^;)
    ですが、正徳帝の話を書こうという人はいませんが、王陽明ならばたくさん書かれ、学ばれ、敬されているのが救いですね。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    ちなみに、明の歴代皇帝の中では、こんなんでもまだマシだった正徳帝。
    酷いのになると、敵を退けた将軍を処刑しちゃうし……。
    正徳帝はアホだけど、そこまで酷くなかったからなぁ(遠い目

    だからといって、ドラえもん扱いされて、叛乱が起きるたびに、召喚されるというのもどうかと思いますが。
    しかし、名将・王陽明といえども、寄る年波と病気には勝てず、終焉の時。
    それでもこの人が戦いつづけたことは、成し遂げたことは、人々の心から消えず、今日でも伝えられているところに、この人の偉大さが現れていると思います。

    ありがとうございました。

  • 寧王も寧王なら正徳帝も正徳帝って感じ。これだから北虜南倭となったと言わざるを得ない器ですね。それだけに、王陽明の存在は輝かしかったのでしょう。その輝きに落とす影も濃かったせいで、周りからの妬みも多く、有る事無い事吹聴されたのかなと。
    実に興味深い史実と胸熱な描写でした☆
    とても面白かったです★★★

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    この時代の明って、イマイチな印象なんですよね。
    それは、皇帝や王族、宰相とかもふるわないせいかなぁと思います。
    何というか、政治もなぁなぁだから、地方で寧王レベルの人に叛乱を起こされる、みたいな。

    そんな中、そういう状況と認識して正しく行動できる王陽明は、やはり希少な存在だったんでしょう。
    そしてその正しさのゆえに、最後が恵まれなかった哀しさが、彼をより一層際立たせたのでしょう。
    でも、粛清とかされなかっただけ、王陽明はまだ恵まれていた、とも言えます……この「言えます」というところに、明という時代の救いの無さが象徴されていますが^^;

    あまり知られていない時代、そして人物を描くのは不安でしたが、愛宕さんにそう言っていただけて、「やったぜ!」という気分です☆

    ありがとうございました。

  • 王陽明、不遇な最後だったんですね……。
    こうやって歴史に埋もれていった偉人はたくさんいるのでしょうが、彼の場合は生きざまも教えも後世に伝わり良かったです。
    また、いろいろと勉強させていただきました!

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    王陽明はこれでも、実は明の役人や武将の中ではマシな死に方をしています。
    明の末期には、敵を防いだ功ある武将を刑死させてしまうという、酷い展開もあります。
    しかし王陽明個人にとっては、やはりきちんと扱ってもらえなかったことが悲劇ですね。
    それでも、民草のために、平和と安定のために尽くす姿勢こそが、彼の生き様であり信条ではありましたが……。
    逆に、こういう人の教えだからこそ、幕末の志士たちに「響いた」のではないかと思います。

    ありがとうございました!


  • 編集済

    とある作品で、王陽明の人柄を伝えるエピソード…

    真実を極めるためには対象をよく観察することが大事と聞いた陽明、

    友人と早速取り掛かったが、動かずにじっと対象を見続けることに、

    一日で友人は音を上げ、陽明は三日やって気がふれそうになった。

    そのあと陽明は(朱子学の言う)「真実を見極める」のは本当に大変だ…

    とこぼした(笑いながら)。

    批判を行うのに、真っ向からではなく、ユーモアをもって告げる。

    そのオトナな対応「親しみを持てる儒者」と私が思う点です。

    確か、あのう つとむ氏だったかな?このエピソードを教えてくれた作家は。

    作者からの返信

    そんなエピソードがあったんですか。
    知らなかったです。

    でも言われてみると、確かにそんな風にやりそう(笑)
    まず実行し、それで確かめてみて、結果を評する。
    しかもユーモア込みで。
    なかなかできることじゃないですし、だからこそ、尊敬と、そして親しみを持てますね!

    ありがとうございました。

  • 長続きした王朝はだいたい中興の祖とも言える君主が現れるのですが、明はそのままずるずるといった感じですね。

    そんな時代に士として生きるのは大変だったんだろうなあ。
    刑死してないだけマシとか思えてしまいます。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    明の皇帝は、洪武帝からすぐ、永楽帝という巨星が登場してしまったのが、ちょっとアレでしたね。
    宰相クラスだと光る方が出てきますが……。

    しかし正徳帝、こんな皇帝でも明末の皇帝よりマシというのが凄い。
    そして中二病。
    宇宙大将軍レベルの自称をして大軍を率い、寧王一人を「捕らえて」終わりとか、どんだけだよと思います。

    晩年の王陽明も、自分が出兵しないともっと事態が酷くなる(皇帝親征はアカン)と考えて、地方叛乱の平定に乗り出したんだろうなぁと思います。
    それでも刑死してないだけ、明末の時よりはまだマシというのが、明という王朝の救いがたさです。
    やはり初代皇帝の猜疑心の強さが後々まで響いてしまったのか……。

    ありがとうございました。

  • こんにちは。

    ウィキペディアを調べてみたら、正徳帝から後の明の皇帝は「無能」とか「凡庸」とかさんざんな書かれようで、こういう時代に忠臣として生きるというのはたいへんなことだったでしょう。

    「知行合一」のひとですから、そういう時代に自分の「知」を「行い」に結びつけようとして報われず、でも、それが後世にすごく大きな影響を与えたということですよね。

    今回もすてきな物語をありがとうございました。

    作者からの返信

    そうなんです。
    正徳帝は、こんな皇帝でも、これからつづく明の皇帝たちに比べれば、まだマシというのが救いがたいところで……^^;
    そういう皇帝の下でも、まだ民草のために頑張ろうと奮闘する王陽明。
    まさに「知行合一」の精神で、頑張っていたんじゃないかと思いますが、それが報われないというところが、何とも言えません。

    しかし、そういう生き様が、たとえば大塩平八郎や河井継之助、西郷隆盛らに影響を与えたかと思います。
    あまり知られていない、目立たない生涯ですが、後世への影響力という意味ではすさまじいですね^^;

    ありがとうございました。

  •  こんにちは、御作を読みました。
     どのような毀誉褒貶にも惑わされること無く、己が生き様をもって、志有る者を魅了する。
     確かに、白の境に舞う金烏となったのかも。
     あまり詳しく無い時代でしたが、だからこそ色々と胸を打たれるエピソードでした。面白かったです。

    作者からの返信

    王陽明の「学」を著した「伝習録」って非常に難解と聞きます。
    (読んでないから「聞きます」と言うのですが……^^;)
    でも、「伝習録」を介さなくとも、王陽明の生き様は、精神は、伝記みたいな感じでいろんな人に知られていったんじゃないかと思います。
    そしてそれは、こんな酷い時代だったからこそ、輝いていったのではないかと。

    ありがとうございました。