第3話
施設内にある部屋に戻った私はベッドに横たわると、天井のシミを数えるつもりもないのに凝視していた。そもそもこれはシミというかカビなのかもしれない。水漏れが最近起こったって、ユーリが言っていた覚えがある。
「……」
真っ白な壁を少しずつ侵食しているそれはまるでウィルスのようで、私たちの肉体に起きていることをまさに体現しているみたいだった。
「はぁ……」
何も考えずさっさと寝て、早く身体を治そうって思っていたはずなのに……。
医者に言われたからか――人ならざるものがどうしても頭の隅から離れてくれなかった。むしろ、寝ようとすると、余計に頭のなかに紗枝と、人ならざるものが交互に頭のなかを駆け巡る形になった。
ベッドから右手を伸ばすと、薄い紫の光が私から漏れ始めた。
「……」
私に体現したウィルスは、光の魔法。誰よりもはやく、誰よりも鋭い魔法の力だった。
魔法……つまり超感覚的知覚能力者(ESP)や、いわば超能力を発現したものといった方が近いのかもしれない。それをいつからか『魔法』と世界規模で標章するようになった。それがそう呼ばれて、一般人にも知られるようになった時には何もかもが遅かった。元々、世界人口は減少傾向だったということもあったけれど、数万の人口があっという間に、数万人しか生き残らなかった。全て人ならざるものに喰われてしまった。それでも抵抗はあるにあったというべきなのか。
とにもかくにも、人ならざるものの大群にはどの国の軍隊であっても役に立たず最終的には崩壊し、魔法が使える人間――つまりは人ならざるもの予備軍、そして予備軍に守れられた人たちだけが生き残るだけとなった。その予備軍が人ならざるものに抵抗するために組織を作った。それが私の所属する組織『グランディーネ』。
人ならざるもの……彼らがこの世界に生まれた理由は、世界規模で謎だった。ウィルスのようにどんどん感染して、人間が進化していった。それはまるでお伽話に出てくる吸血鬼が眷属を作るかのように、広がっていった。一つ――人間の進化。一つ――神の試練。一つ――人間を滅ぼすためのプログラム。一つ――獣への退化。いろいろな説が生まれたけれど、どれも定かじゃないし、証明は誰にもされていなかった。しようとしている人間は残り少ない旧人類の中にはいるけれど、答えは誰も出せていない。そもそもサンプルを集めるのも命懸け、そしてまた自分もまたサンプルなのだから、大半が答えを出せずに狩られるか、自害するかの未来しか残されていない。
人ならざるものは……魔法という力を手に入れた人間――旧人類が後に変化する新人類なのだから……仕方がないことかもしれない。
私も結城紗枝。彼女がいなかったら、生き残れなかった。この手でお父さんを殺すこともなかった。悔いがあっても、なくてもそうするしか方法はなかった。人ならざるものとなったお父さんはお母さんを喰おうとした。だから、お母さんの生命を守るためには紗枝の言う通り殺すしかなかった。それが私の最初の殺人。それから私は紗枝の後をくっつくようにグランディーネに入った。そして私の手は汚れていった。そうしなければ、ここでは生きていけない。それが赤ん坊でも、子供でも、老人でも、人ならざるものになら関係ない、排除するしかない。それはもう仲間じゃなくて、敵なのだから。
この地下施設の中でもいつ誰が襲い掛かってくるかわからない。私も例外じゃない。そのため、部屋には厳重なセキュリティが安全上かかっている。そして暗黙の了解として、異常な数値を弾き出した魔法反応があった部屋に毒ガスを入れて殺害するシステムが組み込まれている。それも再生能力が追いつかないまでに中から壊していくウィルスだという話。少なくとも、私が組織に入ってから、今まで使われたという話は聞いたことはない。
「……」
右手の包帯をおもむろに解くと、あんなにも傷ついていたはずの右手はまるで嘘のように傷跡すらもうなかった。失ったはずの大量の血でさえ、あの時は危なく思ったのに今はなんともない。
「……はぁ」
本当何もないくらいに綺麗な肌……昔だったら、それこそ羨ましく思われたかもしれないだろうけど、今は気持ち悪い、気味が悪い。自分でもそんな風に思ってしまう。魔法に目覚めたものの宿命とはいえ、仕方ないと思うしかなかった。
人ならざるものの正体は、誰にも解明できないと言われているけれど、私は感染源だけは知っている。誰よりも知っている。
あの人が私を不良から助けるために見せてくれた黒い炎。そして紫の雷。あれは間違いなく魔法だった。そしてその証拠のように、魔法というウィルスは私の住む街から、進行していったように私には感じられた。
少なくとも、私がお父さんを殺したのは、魔法という言葉が報道される前。そして私も紗枝が私を助けてくれてから、魔法が使えるようになった。それも紗枝と全く同じ魔法を。
最初の魔法使いは誰――?
包帯をその辺に投げ捨てると、総司令が話していたことを思い出した。
「……」
この世界の八割の人間はもう魔法に目覚めたという。もう人ならざるものがこの世界を握るのも近いのかもしれない。でも、感染源である紗枝を殺しさえすれば、残りの二割は救えるかもしれない。
そんな思考を繰り返しているうちに、
「――萌いる?」
ふいにアラーム音が部屋の中を鳴り響かせた。誰かが部屋の外にきたみたいだ。
「ん? ……いるけど?」
ベッドから身体を半分だけ起こすとそう扉越しにその人物に話した。いつもの定例行事。これが私と彼女のやりとりの仕方――情報交換方法だった。
返事から数秒の空白の後、
「いやぁ、いつもの情報なんだけどさ……」
太い男の声からして、今日は男に変わっているようだ。
「えっ――本当に!?」
紗枝のことを考えていたこともあり、声が少し裏返った。けれど変に思われないよう感情を必死に抑えて、
「……それで?」
言葉に冷静さがあるように続けた。
「あぁ、まじだって! でも、ただの後姿らしいから、それが本人かどうかは実際のところわからないって話だが――」
顔が見えないけど、一生懸命さを言葉から感じた。彼女らしいといえば、彼女らしい図々しいしさだった。彼女の情報屋としての能力は目を見張るぐらい重要度が高い。それでも、紗枝に関してだけは違う。
「……それは証拠がないと同じだよ」
だから、私もいつもと同じように皮肉をこぼした。彼女が持ってくる情報は紗枝に似ている人がいた。紗枝と同じような姿をしている人がいた。結局どれもこれも似ている何かって情報しか届いてこない。
「まぁ、そういうなよ。どうせ他にやることないんだろ?」
お互いに顔が見えないからなのか、お互い本音のようなものをぶつけているのかもしれない。いつから、こんなやりとりをするようになったのかはもう覚えていない。
「……」
もう何年もこうやって、同じことを繰り返している。それなのに、あの人にかすりもしない。
「じゃぁ、いれておくからな?」
沈黙が肯定と仮定された後に郵便ポストから、何通かの封筒が落ちてきた。それと同時に小さな足音が遠くへいった。
「……」
いつもと何ら変わらない同じ情報の受け取り方が今回も無事に終わった。
「……」
人ならざるものが増加してから、デジタルデータはなくなりつつあった。それはデジタルデータがどこからでも改竄ができ、変更・修正が容易だから……ちょっと違うか。人ならざるものでもアクセスが簡単に出来るからか。対応策として、アクセス権を制御すればいいだけのことだけど、もう直せる人間が存在しない。放置されたデジタルデータは、今や真意すら誰もわからない。
だから、この情報の受け渡しが一番安全。アナログデータ以外に、信じられるものはこの世界には残されていない。医者のファイルと同じようなもの。
立ち上がり、封筒を手にとって見ると、
「……」
差出人はいつものように――ユーリ・ユグドラシルだった。
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