第2話 呪われた女勇者と雇われた魔女
錬金釜のある工房の整理をしながら、エルセは考えていた。
いくらなんでも、これはおかしい――異常だ。
(デモゴルゴンの討伐に行ったんだよな――確かあのモンスターは、死後に呪いを振りまく――悪魔を倒した英雄が、帰国後に乱心して身内を殺めて破滅する……そういう伝説があるが、デモゴルゴンの呪いもその類か? カルラも呪いに……?)
可能性はある。一目で分かる状態異常ではないから見過ごされたのだろう――あるいは帝国最強と呼ばれる勇者の抵抗力がなせる業か。すぐには乱心しなくても、徐々に精神を病んでいって――
(ボクに直接危害は加えなくても、こういうかたちで暴走しているって線も……。うわあ、あるぞ、絶対ある――じゃなきゃ突然こんなイカれたことする訳ない!)
だとしたら、対策はある。
(身体の異常じゃなくて精神系の呪いか――魔法の領分だけど、ボクなら治療薬もつくれるはず。幸い、原因であるデモゴルゴンのツノもある――それで薬をつくって――)
しかし、その治療薬をつくるのに必要な薬剤はこの工房の先、今や素材の山に塞がれた扉の向こうの「店」としての工房に置かれている。あそこまで素材の山を掘り進める必要がある。
「じゃなきゃ、天井もないし、素材の山を登って向こう側に渡るか……」
そうやって空を見上げていると、遠くからこちらに向かって飛んでくる人影が見えた。ホウキに腰掛けている少女だ。
「やーい、エルセ、進捗どうですかー?」
「ペトラ……さん」
この状況に一枚かんでいると思しき魔女、ペトラ(さん)の登場だ。
「お前ェ、早く仕事こなして片付けないと、寝るところもなくなっちまうぜー?」
「ぐぬぬ……」
「生き埋めになるのが先か、あたしにカネ返すのが先か――どうなるかねぇ……」
今のエルセはペトラに頭が上がらなかった。しかし、言わねばならないことがある。
「ぺ、ペトラ……! 聞いて! マジ大変だから! カルラが呪われてるんだよ!」
「はあ……? そりゃさすがにこの状況はアレだと思うけど、命の危機でも感じなきゃ働かないと思われたお前ェが悪い」
「ぐぬぬ……」
どうやら借金を返済するか、真面目に仕事をこなしてペトラからの信用を回復させでもしない限り、何を言っても聞き入れてはくれないようだ。
このままでは事態は悪化する一方――自分で蒔いた種とはいえ、あんまりにもあんまりすぎる。作業の疲れもあいまって、エルセの虚弱なメンタルはもう限界だ。状況の打開よりも、いかにこの現実から逃げだすかといういつもの方向に思考をシフトしつつあった。
(ベッド周りの
エルセの寝室には地下室への入り口がある。そこはもともと倉庫だったが、改装し、今はエルセの趣味の部屋となっている。趣味のためなら努力は惜しまないのである。食糧もあるのでほとんどシェルターも同然だ。エルセがペトラに借金してまで買った趣味のアイテムもそこに保管されている。
(だけど地下室の掘り返す前に、生き埋めにされるかも……)
寝室のドアを塞がれてしまうとおしまいだ――そうでなくても、小一時間かけて整理した工房が再び使えなくされても困る――
「依頼書を持ってきてやったぜ。お願いされたアイテムが出来たら、そこのスイッチを押せば運搬ゴーレムが来るから、依頼書と依頼品を一緒に乗っけるんだぞー」
「スイッチ……?」
依頼書とやらの紙の束をリビングに放り込むと、ペトラはさっそうと上空を去っていった。足の踏み場に難儀しながらエルセはリビングに戻る。先ほどは気付かなかったが、紙束の影に隠れて、小さな小箱が置かれていた。ボタンがある。
(これを押せばゴーレムがアイテムを受け取りに来る――あの岩石を運べるくらいだ――いや、さすがに人間は運ばないはず。それくらいはペトラも考えてる……ボクがゴーレムに乗って逃げ出す可能性くらい。だけど、)
人間ではなく、アイテムとして認識されればどうか?
(『小人薬』があれば――)
自分の身体を収縮させ、15センチからそこらの「お人形」のような見た目にしてしまう――エルセの趣味である「リアルおままごと」のためのアイテムだ。
(キッチンの冷蔵庫にまだあったはず――よし。これと、あとは適当な依頼を請け負ってしまえば――)
冷蔵庫に保管していた薬瓶を手に取ると、エルセのメンタルも若干上向いた。希望が見えてきた。これでこの家を脱出しよう。ついでに高値で売れそうな素材も持って行けば、しばらく大丈夫だろう――南部の商人ギルドにいけば、仕事も見つかる。あそこなら匿ってくれる友人もいる。
「うえっへっへっへ……」
脱出プランを練りながら、簡単にこなせそうな依頼はないかと確かめる。
『余命間近の妻に、想い出の味を食べさせてあげたいのです。ナスカのパイをつくってください』
『病気の母のために治療薬をつくってください。お金はいくらかかっても必ず支払います』
手元にある素材でつくれそうなものはこの二枚だが――
(前者は安価でつくれるけど、後者は高い素材もってかれるなぁ……。というかこの依頼人たち、家族じゃないの?)
ともあれ、どちらも切迫した依頼だ。請け負うなら早くつくらなければ、遅れてしまえば依頼達成とはならないだろう。見れば、もはや神頼みかと思うくらいに急を要した、それでいて実現の難しい依頼ばかりである。
(ここにある無数の素材とボクの才能があれば、あるいは――いやいや、そんな真面目に仕事するなんて……)
そうこうしているうちにイカれた勇者が帰ってくるかもしれない。いくら治療薬を作れても、それを摂取させられるかは怪しいところだ。対策として護身用のアイテムが必要になってくるだろう。時間は有限だ。全ての依頼には応えられないし、資源にだって限りがある。
何をどうするか、目的を一本に絞り込まねば――
(逃げるが勝ち)
早速簡単につくれるパイをキッチンで調理し――
(小人薬を飲んで――)
身体が小さくなるのを待ってから、スイッチを押してゴーレムを呼べば――
その時である。
ガサゴソ、と――気味の悪い物音が、工房の方から聞こえてきた。
リビングのテーブルの上に立って薬の効き目が表れるのを待っていたエルセは、世にも恐ろしいものを目にした。
(腐った素材に湧いていた虫か……!? それともタマゴでもあったの……!?)
素材の中から現れたのだろう、節足動物系のモンスターの登場である。
これが平時であれば気持ち悪いと思いながらも退治していただろうが――現在、エルセの身体はどんどん収縮をしている最中である。服のサイズが合わなくなり、シャツが覆いかぶさってくる。
(ど、どうする――食べられる!)
エルセの現在の身長は15センチほど。対して問題のモンスターは高さなら3センチ程度だが、サイズが大きい。跳んでこられたら――
(ゴーレムを呼ばないと! 早く脱出しなきゃ……!)
服の中から抜け出して、素っ裸のエルセはテーブルの上を移動しようとした。スイッチは目前――目の前にそいつが跳んでくるまでは。
「ひぃ……!?」
弾かれるように飛びのいた。シャツに足をとられながら必死に後ずさる――節足動物はエルセでなく、テーブルの上のパイの皿に興味を示したようだ。
(そうか、ナスカのパイの匂いにつられて――でもあれ喰い終わったら、次はボクかも……!)
なんとかしなければ。ゴーレムは呼べない。スイッチを押してもすぐに来るとは思えないし、パイがなくなった以上、うまく脱出できるとも限らない――退治しなければ。
(火打石……! そうだ、ベッドの周りに散らかってた石と、その辺の何かを燃やせば――いや、そうしたら火事になるし、最悪、大爆発だ。ヤツの嫌う匂い――殺虫剤をつくれば……!)
エルセは早速テーブルからイスに飛び降り、床に着地した。その辺に散らかっていた素材が今や立派な障害物と化している。そのあいだを縫うようにして、寝室へと急いだ。
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