地獄のアトリエ -呪われた勇者とゴミ屋敷の錬金術師-

人生

第1話 囚われの錬金術師




 暑く、寝苦しい――天才美少女錬金術師ことエルセは、その感覚で目を覚ました。


 眩しい――直射日光がエルセの不健康な身体を焼いていたのである。


「ん……何事……?」


 そこにあるべきものがなくなっていたのである。つまり、天井。屋根が消えていた。


「何事……!?」


 エルセは飛び起きる。

 慌てて周囲を見回せば、ここは間違いなく自宅の寝室。エルセはベッドの上にいた。壁の棚には本が収まり、床には脱いだままの服が散らかっている。机にはもったいないからと捨てられなかった様々なアイテムの一部が並んでいる。きれいな正方形を描いた部屋。昨夜と変わらない、我が家の寝室――なのに、見上げると、頭上には快晴が広がっていた。


「…………」


 まるで屋根の部分だけ切り取られてしまったかのようだ。外で誰かが斬撃系の技でも放ったのかもしれない。そういう痕跡が見られた。


 エルセはベッドから下りて、扉一枚挟んだ先にあるリビングに移動した。まるで冷静なようだが、実は衝撃のあまり思考が停止しているだけである。


 寝室とまったく同じ間取りの正方形のリビング。正面の扉は錬金術の工房に、右手側はそのままキッチンに続いている。左手には勝手口。リビングといってもテーブルとイスがあるだけで、来客も想定していない、ただ食事をとるためだけの空間だ。


 エルセはとても自堕落な人間だが、部屋の整理整頓はきちんとしている。床にはいくつかの本や箱の山が積まれているが、これも彼女なりの美的感覚に基づいた整頓である。


 しかし現在、それらの山は崩れ、いくつもの蔵書が床に散らばっていた。見覚えのない物体がその上に散乱している。ツノ、ホネ、スジ……? 甲羅のようなものや透明な石など、様々なアイテムがそこら中に転がっているのだ。


 泥棒でも入ったのかと寝起きの頭でぼんやり考えながら、エルセはテーブルの上に積まれた紙の束と、その上にこれ見よがしに置かれた一通の封筒に目をやる。もちろん、それらも昨夜まではなかったものだ。


「エルセへ」と見慣れた筆跡――嫌な予感を覚えながらも、状況の説明を得るべく、エルセはその手紙を手に取った。



『親愛なる幼馴染みへ。

 私は決意しました。このままではいけないと。

 エルセは自立しなければなりません。そのために、エルセを監禁することにしました』



 ……一度、頭を抱えて空を仰ぐ。



『これから私が採取してきた素材をエルセの自宅に送ります。

 ペトラが街中から様々な依頼を請け負ってきたので、エルセはお家で仕事に励んでください』



 周囲に視線を向ける。素材……なるほど、床に散らばっている見慣れぬアイテムはどれもモンスターから採取できるものだ。エルセは脳内に記憶している図鑑の頁を手繰る。このツノは、間違いない。デモゴルゴンとかいう強力な魔物のものだ。売ればそれだけでしばらくは遊んで暮らせる稀少品である。それだけに、入手難度はとても高い……。


(そういえば……最近姿を見ないと思ったら……)


 この手紙の送り主はエルセの幼馴染みであり、帝国最強の勇者と呼ばれるカルラだ。彼女は先日、帝国北部に出現した悪魔の討伐に向かったのだ。その辺に落ちているのはその時のドロップアイテムだろう。滅多に手に入るものではない。なにせ、くだんの悪魔デモゴルゴンは死亡時に呪いを振りまき、討伐こそ成功しても生還するのは困難と言われる魔物なのだ。言い値で売れるかもしれない。


(ペトラへの借金も返せるぞ……。うえっへっへっへ……)


 真面目に仕事なんてしなくても、最強の勇者からの差し入れがあれば遊んで暮らせるのだ。そこのところをカルラは分かっていない――



 ……ドスン!



「!?」


 ぱらぱらぱらぱら……、と。何かの落ちる音が背後――寝室の方から聞こえ、エルセは恐る恐る後ろを振り返る。


 ベッドの上に、見慣れないものがある。巨大な岩石の塊だ。宝石のようにきれいな結晶が生えている。


「…………」


 遅れて、背筋に冷たいものが走った。もう少し起きるのが遅ければ……。


 上空を何かが過ぎ去っていくのが見えた。あれは……ゴーレムだ。あれが今の岩石を落としていった――だけでなく、また別のゴーレムが飛んできて、ベッドの近くに何かを落としていった。また石だ。それも、きちんと削れば高値で売れる宝石を含んだ……。


 ハッとして、エルセは手紙の続きに目を向けた。



『ただ、素材を送って仕事をこなすだけではいつもと変わらないと思ったので、ここはエルセのために心を鬼にして、適当にやってるだけでは処理できない量の素材を送ろうと思います。

 ちょうどアイテムを預けていた倉庫がいっぱいになったので、整理もかねて。それもこれも、エルセがちゃんと仕事をしないのがいけないのです』



「人ん家にものを捨てるなよ……ゴミ箱じゃないんだぞ、ボクの工房は!」


 錬金釜に物を放り込めば自動的にアイテムが生成されると思っているのかもしれないが、素材ならなんでもいいという訳じゃないのだ。



『私はしばらく西部への遠征に出るため、戻ってくるのは数日後になります。

 帰ってきた時に、エルセのお家がゴミ屋敷になっていないことを祈ります』



「うへぇ……」


 しかし、まさかこんな強硬手段に出るなんて思わなかった。それなら仕方ない、少しくらい働こう――と重い腰を上げかけたところで、再びゴーレムが上空を過ぎ去っていった。岩石がベッドを押し潰した。


「待て待て待て……」


 床に砂利や石のかけらが散らばっている。さすがに見過ごせない。というか、このペースで素材が運ばれてきたら――


「潰される……」


 そうでなくても、いずれ生き埋めにされる。


 自分の考えにゾッとしたエルセはとっさに勝手口から外に出ようとした。

 しかし、ドアが開かない。ノブは回るが、何かがドアを外から押している――覗き窓から裏庭に目をやって、エルセは硬直した。


 薬草を栽培していた――ほったらかして雑草だらけになっていた花壇が、荒らされている……。巨木が倒れ、岩石が積もり、近郊に生息する魔物の死骸が散乱している――荒らされているなんて騒ぎじゃない。まるでそこらで入手できる素材を手当たり次第放り込んだかのような様相を呈している。


 ドアが開かないのも納得だ。窓から見える裏庭は地獄絵図だ。子どもがおもちゃ箱の中身をひっくり返したかのような有様だ。無数の素材が積み重なって、巨大な壁を形成しているのだ。まるでバリケード。エルセの家はそれに覆われてしまっているようだった。


 ……それだけじゃない。


「何かいる……」


 魔物の死骸に引き寄せられてきたのか、森の中に住む肉食系の動物が紛れ込んでいるようだ。ネズミのようなものも見える――肉が蠢いている。アンデッド化しているのかもしれない。


(その辺で殺したモンスターを、とにかくやたらめったら突っ込んだんだな……。ちゃんと処理されてないし、加工されてない一部の素材が腐って変な化学反応を起こしてる……)


 外に出るのは危険だと直感した。少なくともなんらかの攻撃系アイテムを錬成しなければ……。幸い、そうしたアイテムをつくる素材なら工房にいくらでもある――


「……うはぁ……」


 工房へと続く扉を開けようとしたら、何かが引っかかって完全には開ききらなかった。なんとか開いた扉の隙間から覗くと、そこは既に足の踏み場もないほど無数の素材に埋め尽くされていた。


「……ちゃんと処理して保存しとけよ、もったいない……」


 明らかに腐っていると思しき色合いの木の根、変色している液体の詰まったガラス瓶、虫の湧いている肉片……。もとは珍しい素材だったのだろうが、敵を倒して拾えるものは拾っているというだけの勇者のずさんな管理の結果、売値が半減している代物ばかりだ。ものの価値を理解しているエルセにとって、その光景は精神を病むくらいには衝撃的だった。


(とにかく、使えるものと使えないものとに分けて整理して、少しでも作業できるスペースを確保しないと……空間すら資源だ……)


 それに、早く処理しないと売れるものも売れなくなるし――頭上を再び影が横切っていった。物音――早くしないと、生き埋めにされる。



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