♪2 それはEあるいはミ

 コツ、コツ、コツ。

 足音が響く。

 かなでは祖父の屋敷を探検していた。

「五十八、五十九、六十……」

 数を数えながら、三階の長い廊下を歩く。

「六十一、六十ニ。うん、おかしい」

 奏はあごに手をやり、首をひねる。

「何度やっても六十二歩だ」

 もう廊下を七往復もしていたが、端から端まで移動するに、一度の例外もなく六十二歩かかった。

一階と二回は七十一歩かかるのに、だ。

 奏は突き当たりの壁にかかっている抽象画の豪勢な額縁に細い指をかけた。「えいっ」と力を込めると大きな絵がキイィと木枠ごと動く。隠し扉らしい。

「おじいちゃんっぽい仕掛けねぇ」

 奏の祖父は変人で知られる発明家だった。中二の二学期を前にという妙なタイミングで祖父の屋敷で暮らすことになったのは、魔王のせいである。邪なるものが音楽を愛するあまり、甘美なる五線譜に紡がれる物語を独り占めしてしまった。

そのために、奏の両親は仕事を失った。母は高校の音楽の先生、父はピアニストだった。

 失業した両親の職探しのため、奏も祖父の住んでいた町に引っ越してきたのだ。

 すべて魔王のせい。

ただ、そんなことを奏が知るよしもない。

 隠し扉の向こうの空間は狭かった。古びた机しかない。床も机の上も厚くほこりがかぶっている。部屋の隅にはクモの巣がある。

 隠し扉は開け放してあるが、室内は薄暗い。壁には奇妙な図案のようなものが描かれていた。横に五本線が引いてあり、しばらく空間をおいて、また五本線が横に伸びている。

 線の上や線と線の間には、いびつな黒丸がある。ほとんど黒く塗りつぶされているが、ところどころにはなかを塗りつぶさない楕円だけのものも見受けられた。

 円からは縦に棒が伸びていて、棒の先から風になびく旗のようなものが描かれているものもある。

 そう、これは楽譜だ。もっとも、この世界の人間たちの頭からはその存在は消し去られてしまっているが。

「やたら穴の多いゴルフ場の設計図?」

 笑いをこらえながら、奏は机に近づいた。引き出しが一つついている。錆びた金具をつまみ、引いてみた。なかには謎の機械がある。

「なにこれ。どこかで見たような気もするんだけど」

 不可解な機械は、奏の手のひらにぴったりと収まった。ボタンがいくつかついている。

 つーと、奏の目の前にクモがおりてきた。驚いた拍子にボタンを押してしまった。シャーと音がする。止めようとして、機械を落としてしまった。

 拾い上げようとしたときには音がしなかった。床に落ちたとき、衝撃で止まったらしい。

「これって、テープレコーダーってやつ?」

 確かめるべく、奏は左向きの三角を二つ横に並べたボタンを押してみた。テープが巻き戻る。カチャリと音がして、すぐに勝手に停止してしまった。右向きの三角形が一つのボタンを押す。

 ゴツッ。

 再生されたのは、床にぶつかったときの音のようだ。

奏は奇妙なことに気づいた。五本線の一番下のものの上にあるつぶれた黒い丸と、丸から上に伸びた線が赤く点滅しているのだ。しばらくすると謎の発光現象はおさまった。元の黒い楕円と黒棒に戻る。

「もしかして」

 奏はもう一度、再生してみた。すると、また記号の一部が赤く変化する。

「音に反応して光るんだ。おもしろーい」

 いろいろ試してみようと、奏は隠し部屋を飛び出した。

 さっきは廊下の端から階段まで二十六歩かかったのに、十七歩で階段までたどり着いてしまった。

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