第六話 目には目を。 怪異には怪異を

 この町の中で、屋敷の見張りほど退屈な仕事はない。

 なぜならこんな場所に攻め入ってくる人間なんているはずがないから。

「ふぁ…………っ……」

 ここはユキメの町の中心辺りに位置するお屋敷だ。都のそれと比べればいささか小ぶりだと言わざるを得ないが、それでも十分立派で巨大な、地主様のお屋敷だ。この町で一番偉い人物にわざわざ喧嘩を売るような大馬鹿者なんているわけがない。

 それだけではない。ここの門扉は頑丈で、最近閂も付け替えたばかり。塀も高いし、辺りに足場になりそうな樹木や建築物もない。あらゆる面において、弱点の少ない建物だと言えるだろう。

「それに見てみろこの兵力……庭だけで何人警備がいると思ってんだ……」

 見渡す限りの人、人、人。門の裏から玄関前まで無数の人が集っている。皆一様に刀や槍で武装した熟練の遣い手たちだ。一人でだって憲兵を倒せる実力者もいる。それがここの他、建物の中にも多数つめているのだ。この町の奉行所の連中が束になってかかって来たって敵いやしない。もしここを堕とせるとすれば、それこそ都からの大兵団が必要になることだろう。尤もそんなもの来るはずもないのだが。なぜなら地主様がこの町の代表者組織を買収してしまっているから。ここでこちらに牙を向けるものなど、誰一人だっていやしないのだ。

「……こりゃあ今日も居眠りして終わりかねぇ……。 あ~、晩飯どうしよ…………」

 屋根の上の小部屋には何もない。監視と記録のための器具以外は。当然だ。ここは監視と記録のための場所なのだから。それがここの唯一の問題点だ。時間を潰せるものが何一つない。今日みたいな雨の日じゃ鳥も飛んでこないし、記録用紙に落書きするわけにもいかない。読本の一つでも忍ばせてくればよかったか――

 ばん!

「ッ!?」

 その音は、眠りへと誘われつつあった見張りの意識を覚醒させるには十分すぎるほどの轟音だった。

「んなっ、なんだ!? 地震か?」

 ばん!

 机に伏していた上体を起こす。再びの轟音。心臓に響く低い衝撃。確かに、どこかで何かが震えている。

 しかし。

「……何だ、これ……?」

 これは地震ではない。おかしい。こんな断続的に、太鼓でも打つみたいに走る地震なんて聞いたことがない。こんな変な振動、違う。これは。

 ばん! ばん!

「これは……門の方…………?」

 首を伸ばして下を見る。そこにはやはり、自分のように困惑の顔を浮かべながら門の方へ視線を向ける男たちの姿があった。

「何だよ………何だってんだよ……!」

 ばん! ばん! ばん!

 振動は段々と大きくなっているようだ。太い丸太で扉を打撃しているような衝撃音だ。門の向こうに何かがいる。何かがいて、あの門を破壊しようとしている。

「あんなもんを、どうやって…………?」

 ばん!!!

 答えは突然現れた。何度目かの衝撃の直後、太い木材の閂がはじけ飛んだのだ。

「うわっ!」

「何だッ!?」

 材木の飛沫に怯んだ何人かが尻もちをつき、その他の多くの者が警戒と恐怖に一歩後退る。皆の視線の注がれる中、ゆっくりと、ゆっくりと、支えを失った扉が開いてゆく。

「…………あ?」

 そこにいたのは、女だった。

 ここからでもよく見える、黒い髪の女。赤い着物に身を包み、片手に傘を下げた女。

「…………どういう…………ことだ…………?」

 傘を持っていない方の腕を前に突き出した格好の女が、そこに一人で立っていた。

「壊したってのか? 素手で!?」

 ありえない。そんなこと!

 何か仕掛けがあるはずだ。或いは、あの女は囮で、他から何か本命が……

「ぎゃああああっ!」

「ぐ、うわァ!」

「!」

 視線を外したその一瞬に、ことは起こっていたらしい。

 仲間たちの悲鳴に急いで向き直れば、もうすでに女は門の前にはいなかった。見失った。

 しかし、さほどその事実は問題ではなかった。

 女はすぐに見つかったから。否。

「なんだよ……なんだよ、あれ…………!」

軽々と女に吹き飛ばされていく仲間たちを見てしまったから。

女が手にした傘を振るう度、徒手空拳の武術宜しく掌底を繰り出す度、地を蹴り足を突き出す度。

仲間の刀は弾け飛び、仲間の体は宙を舞い、仲間の意識は地に沈む。

あれほどの手練れを、あれほどの物量をたった一人で相手取っている事実が嘘のように感じるほど、女は次々警備を撃破していった。背中に目玉が付いていると言わんばかりに隙のない立ち回りだ。見張りの男にも武術の心得があった。だからこそよくわかる。あの女の異常性が。あの女の戦闘力の高さが。

「あいつ……あいつ、全く余裕で戦ってやがる……ッ!」

 目元を伝う汗がもどかしい。しかしそれを拭う手間さえ惜しいと感じるほどに、この戦いは激しく、華麗だった。

「……すげえ……」

 見る見るうちに仲間の数が減っていく。次から次へと、仲間がまともに立っていられなくなっていく。

 一歩、また一歩と、女が玄関へ近づいて行く。

「! ……いけねぇ、報告!」

 弾かれたように見張りが立ち上がる。危うく見張り窓に頭をぶつけそうになる。そんなことなどどうでもいいと、早足で部屋の奥へと引っ込んでいく。

「化け物だッ! あんな奴、俺らじゃどうしようもねえッ!」

 縺れる足を必死に動かし、主の部屋を目指す。

 こうしている間にも、仲間は次々倒されているだろう。

 いや、もうすでに、一人も戦える者は残っていないかもしれない。

「…………ッ!!」

 溢れ出す最悪の事態への恐怖心が、男の背中に刃を突きたてていた。


「首切り椿って、お前知ってる?」

 天井の高い部屋に、良く通る低い声が響く。外来品らしきガラスの照明を彩るいくつもの蝋燭が小さく揺らぎ、その光を全身で浴びる真下の机をあざ笑う。

「首切り……? あの、都の怪異ですか」

 磨き上げられた高級机には相応の品性を備えた椅子が必要だ。果たして、ここには二つの椅子があった。背もたれと気位の高い椅子が。その一つに腰かけた男が訝し気に答える。紺色の装束の上からでもわかる程に盛り上がった筋肉の男だ。大きな背もたれにゆったりと体を預け、顎髭をこすりながら視線を迷わせる。

「海外の茶だ。 良い香りだぞ」

 かちり。白磁の茶器が男の前に差し出される。手を添える人物の腕は細い。椅子に座るこの男なら、わけもなくちぎり取ることが出来ただろう。しかし同時にこうも感じる。この男の腕は、決して誰にも捻られたりしない。それどころか、誰からも汚されることはない、と。

「砂糖を入れて飲むものらしい。 使うか?」

「いえ。 とりあえずは」

 男の返答がつまらなかったのか、小さく鼻を鳴らしてから細腕の人物は歩き出す。その衣服は男のものとは一線を隔していた。袖の細い服を上体に、引き絞られた袴のような形状のものを足にそれぞれ纏っている。履物もこれまた異質。草履や下駄とは全く違う。硬い黒革が紐によって足に縛り付けられているようだ。

 全て海の向こう側の国の文化だ。こんなものを身に着けることが出来る人物。それだけで、この男の経済的優位性は圧倒的に高いことがうかがえる。実際彼はこの町で最も金を持っている人物だった。そして同時に、この町で最も強い権力を有している人物でもある。

「話を戻そうか。 ……椿の怪の話だ」

 大男の向かい側の椅子が引かれる。やがて揃いの茶器を手にした男の唇が大きく歪んだ。まるで劇でも楽しむ者の様に。

「東の都で随分騒ぎになっていたな……。 まだ俺があそこにいたときは聞いたことがなかったが……この町に移ってきた……今から三年くらい前からか、急に噂になって、ここまで流れてきた」

 洋装の男の背後には大きな窓がある。その向こうに見るのは生憎の雨空。しかし大男にとっては都合の良い天気だった。晴れた日のこの窓は眩しくていけない。向かいに座る人物の顔が全く見えなくなる。自らの主の顔が。

「曰く、踏まれて荒らされた落ち椿の花の恨みが人を襲うのだと……。 だから被害者は皆、首だけ綺麗に切り落とされて死ぬんだそうだな。 死体を見たっていう向こうの知り合いが寄越した文にもそう書いてあった。 ……なんとも惨たらしい話じゃないか。 ええ?」

 主が立てる茶器の音に遅れ、大男も渡来の飲料を口に運ぶ。なるほど確かに、見知った茶とは異なる苦みと渋みがある。砂糖が必要なのも頷ける。

「私も存じております。 ……しかし、確かに残酷な話ではありますが……それが何か? 私には、ただの流行りの怪談噺の一つにしか……」

「じゃあよ、こんな話は知ってるか?」

 男の言葉をかき消すように、洋装の男が身を乗り出す。話はどうやらここからが本番のようだ。

「その椿の怪とやらに殺されたっていう人間……その全員が、あそこじゃ名の知れた人物だって話はよ……。 ……大名仕えのお偉いさんに、規模のデカいやくざ屋の幹部……あとはそう、そんな奴らに護衛で雇われるような腕の剣客か……。 とにかく、挙げてきゃ切りがねえ。 椿に殺された被害者の身元は皆、有力者連中なんだ」

「つまり……。 つまり、なんと仰りたいのです……?」

 問われた男の口元が急激に歪みを増していく。瞳に浮かぶ狂気の色も同じく。この男が何を考え、何を言おうとしているのか。大男にはなんとなくわかる気がした。

「分かってるくせによ。 ……お前も気付いたはずだぜ。 …………首切り椿なんて妖怪はいねえ。 ……いるのは人だ。 生きた人間。 ……それも次々に人の首を切り落とす、異常な趣味の達人だ」

「…………」

 ごくり。生唾を飲み込む。確かに彼の話は筋が通っている。人殺しの妖怪はただの囮の噂話。その背後にいるのは腕の立つ人斬り。しかもそいつは、意図的に首を切り落として回っている。

 理由は恐らく、大きな噂で自らの犯行を誤魔化すため。そんな工作が必要な理由も明白。そいつが雇われの剣客だから。

「……雇い主は、大名の誰かでしょうか……」

「そう考えるのが妥当だな。 ……或いはもっと上か…………! どっちにしても、面白えことにはなりそうだな」

 そこまで語り終え、満足そうに男が茶器を傾けた、そのとき。

「――――お館様っ! 一大事、一大事ですッ!!」

 部屋の扉が強引に開け放たれた。

「……もっと静かに来れねえのか」

「あっ、すみません! ……しっ、しかし! 急を要する事態でして……」

「なんだ」

 やって来たのは見張りの男だ。額に玉のような汗を浮かべている。恐怖に引きつった顔を張り付けた挙句、今にも泣きだしそうになっている。不機嫌さからか違和感からか、男の眉が寄る。

「先ほど屋敷に侵入者が……! 急に門を壊して入ってきたかと思ったら、庭の奴らをみんな倒して……! ……あんなの人間じゃないです! 化け物だ! 物の怪ですよッ!!」

「!」

 見張りの報告を聞いた瞬間、獣が吠えた。

 否、洋装の男が天を仰いで笑い出した。

「因果なもんじゃねえか、ええ? お前よ」

大男と見張りの者の視線を奪っておきながら、男はゆっくり首を傾け、口を開く。

「都の妖怪の話してたらこれだ! この田舎の町にまで化け物だとよ! 妖怪って奴ァ面白れえなあホントによお!」

 そのまま再び笑い出す。獣のように獰猛で、悪鬼のように残酷な笑い声。大男にとっては、目の前のこの男こそが怪物に見えてならなかった。

「…………ウツギぃ。 お前も大概、化け物だよな」

「……化け物には化け物、ですか」

 ぎろりと心臓を射抜く瞳。まっすぐ受け止めるよりない。

「話が早ええじゃねえか」

 ぎしり。椅子を押して立ち上がる。立ってみれば余計に巨大だ。なるほどこれは、化け物の様相である。

「……案内してもらおうか」

「あ……はっ、はい!」

 見張りが走りだす。後をゆっくり、ウツギが追う。

「…………さァ、どうなるかな……?」

 最後に残った獣の舌が、大きく唇を這いまわった。

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