第二話 無礼者、店に憚る
町を人々の往来が賑わすころ。お日様が元気よく頭の上から笑顔を見せてくれる頃。私のお店には一番活気がみなぎっている。
お店の外では赤い布を敷いた縁台に人々が腰かけ、大通りの往来を眺めながら世間話に花を咲かせ、団子など頬張っている。対して店内はと言うと、こちらもこちらで大盛況。空いた席なんて一つもない状態なものだから、騒がしくって仕方がない。やれ茶のお替りだの、大福が遅いだの。みんな好き勝手に大騒ぎしながら、それでも笑顔は絶やさない。みんなこのお店が大好きなのだ。このお店の朗らかな雰囲気と、美味しいお茶菓子と。それから。
「はい草餅お待ちどぉ! ……あン何だい? 酒だァ? んなもんここにあるわきゃないだろ!」
それからみんな、声の大きな元気の塊、キョウナお母様が大好きなのだ。
お店が開いてからはずっと、お母様は休む間もなく働き続けている。前日や早朝に仕込んでおいたお料理を用意し、お客さんたちの相手をし、お勘定の計算まで一人でやっている。本当に、どうしてここまで頑張れるのかが不思議で仕方ない。せめてお手伝いの人を呼ぶべきではないのかと思われてならない。
あんまり不思議だったので昔このことについてお母様に聞いてみたことがある。どうしてこんなに疲れ切ってまで、一人でこのお店を続けているのかと。
「馬鹿だねアサヒ。 アンタ、そんなの決まってるじゃないのさ」
照れくさそうに笑いながらも、お母様はまっすぐ私のお顔を見ながら答えてくれた。
「この店はあの人……アンタのお父様が遺してくれた、たった一つの形見なんだよ……。 大事な大事な、あたしらの食い扶持。 ……そんでもって、大事な大事なあの人の宝物。 あたしが一所懸命にならないでどうするのさ」
そう言って私の頭をなでてくれたお母様のお顔は、私には眩し過ぎるくらいに輝いて見えた。
「はいこれ、三番の机に持って行ってくださいね」
そうそう、もう一つ。最近お母様の忙しさの種は増えたのだった。
「はいよぉお嬢様……。 三番に……三番、ネ」
私が手渡したお盆を危なっかしく両手で支えている彼女の存在だ。
結局あの泥だらけの女、名はキハルと言うらしいのだが、彼女はうちの店で住み込みで働くこととなったのだ。他に行く当てもなく、かといってこのまま奉行所に突き出すのも憚られる悲惨な人物。正直他にどうすることもできなかった。ほとんどなし崩し的に決まった契約だったが、言い出しっぺだからかキハルさんの方は存外乗り気で、お母様に呼ばれるままにいそいそとお店の奥に消えていったすぐ後には前掛けを付けて再登場して見せた。お母様が使っているのと同じ、深い緑の前掛け。相当うれしかったのか、何度もくるくる私の前を回ってはその姿を披露してくれた。まずは体と着物を何とかしろと、すぐさまお母様に引っ張りこまれてしまったのだが。
とにかく彼女は、月餅亭にて無銭飲食の咎を償うために働き始めた。えっちらおっちらお盆を運び、おっかなびっくり注文を聞き、やっぱりしっかりドジを踏んで。何とかかんとか毎日頑張っている。
「は~いよ三番席の皆様ぁ、美味しいお茶の御登場だよ~!」
「お~キハルちゃん、ありがとう」
「もうお盆ひっくり返したりはしなくなったね」
「ハハ……その節はどーも」
これは本当の話だ。最初のうちは不器用の何の。本当に何もできない困り者だったのだ。お盆ごとお茶をひっくり返してお客様を火傷させたり、運ぶお団子の種類を間違えてしまったり、注文を取り損ねた挙句、二度も三度も同じお客様に注文内容を訂正されていたり。年下の私が言うのも変だが、目を離せなくてもう、危なっかしくて仕方なかったのだ。まるで大きな妹が出来たみたいだと苦笑いしていたのも記憶に新しい。そんな彼女のお仕事もどうにか軌道に乗ってきたようで何よりである。あとはそう、あの『お嬢様』呼びだけ何とかしてくれれば完璧なのだが。
「お~うキハルちゃん、こっち来てくれ!」
「キハルさんキハルさん、ちょっと良いかい」
「キハルちゃ~ん!」
加えて、彼女を見ていてわかったことがある。
「はいよはいよぉ。 順番でお願いしますねぇ。 私は一人ですからねぇ~!」
どうにも彼女、他人に取り入るのが上手すぎる。先の失敗の連続でお客さんに愛想つかされなかったこともそうだが、とにかく初対面からあらゆる人々と仲良くなってしまうのだ。
その原因の一端はあの、底抜けに明るく朗らかな言動であろう。お母様の気力も凄まじいが、キハルさんのあれは別方向に飛びぬけている。最早一つの才能だ。へこたれず、落ち込まず、ねじ曲がらず。お母様が若いお馬のようだとするなら、キハルさんはさながら竹の木だ。しなやかで、折れることのない竹。その真っ直ぐな姿が人々の心をも貫くのだろう。
それから、それから。
「可愛いねぇ……キハルちゃんは」
「良いね良いね! ……特にあの綺麗な黒髪よ……!」
「くぉら! このエロジジイ共が! 人の店の子なんだと思ってるんだい!」
それからとっても、キハルさんは可愛らしい。泥やら汗やらさっぱり落としてみればもう、そこにいたのはなめらかなお肌の美人さんだったのだ。流れるように艶やかな黒髪やぱっちり開いた瞳はお人形さんの様だったし、節くれだってはいたが、長くて細い指もぞくりとするほど美しい。これなら人気が出ない方がおかしいというものだ。
「…………」
正直言って、気が付くと彼女に見とれている自分がいて怖い。しっかりしなきゃ。私はキハルさんのお姉さんなんだから。もう。
そんなこんなでお店の裏で、今日何度目かの決意を胸に刻み込み、両の頬をぺしぺし叩いていたそのとき、仕切りの暖簾の向こう側からその声は聞こえてきた。
「やめてください!」
鋭く張り詰め、氷のように冷え切った、女性の悲鳴だった。
「なんでぃお嬢さん、大きな声出しやがって」
慌てて奥から飛び出してみれば、そこは見たこともないほど静まり返った空間だった。いつもの騒ぎが嘘のような静寂。重く暗く、唾すら飲むのが苦しいような異様な空気に支配されていた。
「やめてください……もう……本当に……!」
「ンなこと言って……満更でもねぇと思ってんだろ? 照れなさんなって」
この空気を生み出している張本人は明らかだった。お店の席を一つ完全に乗っ取っている一人の大男と、その腕の中で震えている小柄な町娘だ。
男の方の顔は見覚えがある。このお店で何度もあったことがあるから。悪趣味な橙の着物で太い胴を着飾り、これ見よがしに刀を下げたあの姿は何度も。
そして、あの女性は多分。
「だれ?」
「あっ」
いつの間にか私の隣にやって来ていたキハルさんが腰を落としつつ口を開いた。急に顔の近くに現れた形のいい唇にどきりとしてしまったが、今はそんなことを言っている場合ではない。息をひそめて、答える。
「あの男の人は多分、このあたりの土地を管理してる地主さんの部下の人です。 威張り屋さんで乱暴だから皆怖がってます……。 ……それに、女の人にすぐ声をかけるから余計に気味が悪くて」
偉いのは雇い主の地主の方だろうに。その虎の威でも借りているつもりなのか、あの男の横暴ぶりは近所でも有名だった。店の売り物は何でも値切るし、接客には文句ばかりつけるし、そして先のとおり、若い女性に見境がないのだ。すぐに口説いては体をまさぐり、自分の女であると吹聴して連れまわす。あの男のせいで、この町の女性陣は一人で出歩けなくなっているといっても過言ではないのだ。
それに、実は。
「それに私……一度、あの人に声をかけられたことがあるんです……。 怖かった……!」
口にするだけで、背筋が凍るような感覚に襲われる。忘れもしない冬の朝。あの男、かじかむ指先で注文を取っていた私をじっとりと眺めまわしたかと思えば、「温めてあげよう」などと言って私の両手をぎゅっと握り締めたのだ。あの恐怖と言ったらなかった。幸いすぐにお母様に呼び出されたのでそれ以上何もされなかったのだが、あそこでもし、もう少し長く手を握られていたら。そこから先のことなんて、想像したくもない。
「ふぅん」
震える指先で着物の裾を握り締める私の動揺を知ってか知らずか、キハルさんの態度はいつもと変わらなかった。
「お嬢さんに手ぇ出すなんて、不届き者もいいとこだネ……。 あの子もそういう被害者かな」
「たぶん……」
逃げ出そうと暴れる女性に、覆いかぶさるようにしてそれを防ぐ男。どう見たって健全な関係性ではないだろう。それにあの顔、下衆な笑みの染みついたあの顔が饒舌に語っている。小娘如きに暴れられたところで何もできやしない。俺にはどうやったって勝てないんだ。
「おい、その辺にしとけ」
「ンだジジイ! 引っ込んでやがれ! これは俺とこのカワイ子ちゃんとの問題だ!!」
「でも嫌がってるだろ! やめときな」
「……お前ェも聞きわけが無ェなァおい!」
娘を抱え込んだままで男が睨む。それだけで周りのお客さんたちは動けなくなってしまう。当然だ。相手は何をしでかすかわからない乱暴者で、しかも背後には地主さんがいる。面倒事なんて起こしたくないに決まっている。
でも。
「分かってんのかァおお? お前ェ如きババアがここで商売やれてんのはよォ、ウチがこの土地貸してやってるからに過ぎねェんだぞ! お館様が一言いえばこんなボロ屋、すぅぐに吹いて無くなって……」
「うるさいよ! あたしゃあんたと話してるつもりなんだがね!? あんたのとこのお偉いさんなんて関係ないね!」
お母様はそんなことでは黙らない。お店を守るため、お客さんを助けるため、お母様は毅然と声を張り上げる。かっこいい。勇ましい。
でも。でも。
「……やめて……お母様……!」
そんなことしたら。この人にそんなことしたら。
「手前ェ……!」
男の腕がぴくりと動く。額に浮いた青筋が、眼光をより鋭くとがらせる。
「どうやら本当に、とんだ大馬鹿者らしいじゃねぇか……!」
男の腕が動く。目指すのは腰。刀だ。
「助けてっ!」
一瞬力の緩んだその隙をついて走り出した女性がお母様に飛びつく。どうしよう。あれじゃ間に合わない。
「あ……っ!」
立ち上がった男が刀を抜き去るまでに、逃げられない。
思わず口元を押さえた、そのとき。
「どぉ~やら、そうみたいだねぇ」
場違いなくらい間延びした声が、するりとその場に割り込んだ。
「…………なんだ、手前ェ……?」
「キハルさん……っ!」
先ほどまで私の隣にいたはずのキハルさんが、男とお母様の間に割り込んでいた。
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