第10話
「ふぅむ、予想通りと言っては何だが、ただの流行り病だね。この薬を飲めば、今夜中には熱が下がるだろうよ」
「……手間をかけて申し訳ないな、ネラス」
不気味なマスクの医師であるネラスは、メティスの診察を終えると薬を僕に渡してきた。
「食事の後に飲ませると良いよ。朝食を取ったのなら、この後すぐでも大丈夫だ。眠くなる成分も入っているから、じゃじゃ馬娘も大人しくなって旦那様も大助かりだね」
「誰がじゃじゃ馬娘だ!?」
「あっははは。怒る元気があるのなら大丈夫だ。だが、ただの風邪といっても無茶は禁物だよ。しっかりと栄養のあるものを食べて、薬を飲んで寝てくれ」
ネラスはそう言いつつ、持ち込んだ器具を片付け帰り支度を始めていた。
「……本当にありがとうございました、ネラスさん」
「いいって、これが仕事なのだから。それよりも、今度君たちの話を聞かせてくれよ。さて、あまり長い事診療所を不在にするのもまずいだろう。そろそろ私はお暇しよう」
僕はネラスを玄関から見送る。その時、やけに外が騒がしく感じた。きっと魔物の襲撃の事が町に広まったのだろう。
二階の寝室に戻るとメティスは薬を飲んでおり、既に寝息を立て始めていた。眠くなる効果もあると言っていたが、それほど即効性のあるものなのか、はたまたメティスが診察の為に無理をしていたのか。
何はともあれ、ネラスから処方された薬が効けば、メティスの身体はもう心配ないだろう。
濡らした布でメティスの顔を拭い、いつでも彼女が起きた時に水分を補給できるよう、水差しにたっぷりの水を入れコップと共にベッドの脇の棚に置く。
問題は、この町への魔物の襲撃が冒険者たちで抑え込めるかどうかだ。こればかりは、僕にできるのは神に祈る事だけだ。
ふと思い出して、一階のリビングに向かう。まだ整理の途中だったガラクタ類から、片目にだけ黒目の入った木彫りの置物を取り出す。
「……君が本当に願いを叶える置物だと言うのなら、この町を守ってくれよ」
木彫りの置物が答えるはずもなく、ただただ片目で僕の事を凝視していた。
その日の夜は生きた心地がしなかった。窓から外を覗くと、時折遠くで光が瞬いたかと思うと、地響きのような音が家の中に居ても聞こえてきた。もう王国騎士団は到着しただろうか。冒険者たちは無事だろうか。そんな不安が渦巻く中、メティスの看病をしながら過ごす。
「そう、世界の終わりを待つかのような顔をするでない」
外の様子を気にしていると、メティスが起き上がって言った。
「ああ、メティス。起こしちゃった?」
「いや、眠りすぎも体に毒だからな。それより、今朝の麦粥は残っていないか? 空腹で死にそうだ」
「うん、持ってくるよ」
僕は取り分けておいた麦粥を温め直して、メティスの元へと持って行く。
「もう食べさせてあげなくても大丈夫かな?」
「そ、その話は忘れたまえ。熱による気の迷いだ」
いじらしく言う彼女の姿に、嗜虐心と庇護欲が入り混じった、複雑な感情が沸き上がる。
「甘えたくなったら甘えてくれていいんだよ? 僕だって気分が乗ったら付き合うし」
僕はそう言ってメティスの顔に近づいて、自分の額と彼女の額を合わせる。
「な、なにを!」
「うーん、だいぶ良くなったみたいだけど、まだ少し熱があるかな。それ食べ終わったら薬飲もうか」
「ええい、離れろ! 恥ずかしいではないか!!」
メティスの言葉に従って顔を離すと、彼女は勢いよく粥を食べ始める。
「ちょっと、そんなに勢いよく食べたら火傷するよ!?」
「うるさい! もう手遅れだ!」
慌てて水差しからコップに水を注ぎメティスに渡すと、それも勢いよく飲み干す。メティスはどうにも僕に対して耐性が無さすぎるような気がする。
「……落ち着いた?」
「まったく、君というヤツは……まあ良い。それよりも、君はあまり悲観的な顔をするでない。この町は私が居なくとも、カドモスやモニアが上手くやってくれるさ。それよりも私が心配しているのは、この戦いの後の事だ」
「戦いの後?」
「ああ。きっと大量の魔物の死骸が手に入るからな。それらの素材を有効活用していかなければ。それに、王国騎士団や冒険者への労いも必要だな。他にも、同じような魔物の襲撃が再びあった時の為の備えや、魔物がなぜ進行していたかの調査。うむ、考えただけでも胃が痛くなりそうな、忙しい日々が続くであろう」
「……確かに、やる事いっぱいで大変そうだね」
「うむ。悪いがハネムーンには当分の間行けそうにないだろう。いや、いっその事、カドモスに後処理を投げつけて、私は国外逃亡というのも悪くないかもしれないな」
「そ、そんな事したらギルドマスター辞めさせられるんじゃ!?」
「ふふふ、冗談だよ。さて、私は薬を飲んでもうひと眠りするとしよう。君も私の心配ばかりせず、眠るのだぞ。きっと明日、目を覚ます頃には全てが上手くいっているであろう」
「……そうだね。おやすみ、メティス」
「ああ、おやすみ。ウェスター」
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