第9話


 メティスを二階の寝室に寝かせた後、下の階に降りて朝食の準備に取り掛かる。備蓄の食材で病人でも食べやすいメニューとなると、麦粥あたりが良いだろう。


 鍋に水を張って麦を入れる。干し肉を細かく刻んで、麦と一緒に水に入れてもどしてしまおう。しばらくして鍋の水を捨て、新しい水に取り換え、暖炉の火でしっかりと炊き込む。水気が無くなったらコンソメと昨日の残りの牛乳を加える。


 しばらく煮立たせたら器によそい、最後にチーズと塩コショウを加えれば、麦粥の完成だ。


 一連の作業をしている内に、すっかり太陽は高く上り、外からは町が営みを開始した気配が感じられる。きっとしばらくすれば、カドモス達が魔物の襲撃の話を広め、町は混乱に包まれるだろう。


 僕は麦粥を持って二階に上がる。寝室に入ると、メティスは既に目を覚ましていた。


「おはよう。気分はどうかな?」


「……最悪の目覚めだよ。とんだ醜態を晒してしまったな」


「全部熱のせいだよ。ほら、麦粥を作ってみたんだけど、食べられそうかな?」


 僕はメティスにお椀と食器を渡そうとすると、彼女は受け取らず僕の目を見た。


「腕を上げるも億劫だ。食べさせてくれないだろうか?」


「えぇ……」


 病人を労わる気持ちよりも気恥ずかしさが勝り、思わず嫌な顔をしてしまう。


「なんだ、嫌なのか?」


「嫌じゃないけど……」


 本人が自分で食べられないと言っているのだ。僕は仕方なくスプーンで一口サイズ掬い、息を吹きかけて冷まして、メティスの口元へと運ぶ。彼女は舌先で熱さを確かめた後、お粥を口へと運んだ。


「……旨いな。だが、これは中々に羞恥心を刺激される。やはり自分の手で食べた方が良さそうだ」


 メティスは僕からふんだくるようにお椀を奪い取ると、自分の手で食べ始めた。頬が赤いのは、熱のせいか恥ずかしさのせいか。なんだか、メティスは熱を理由に僕に甘えたかっただけのような気がする。


「それじゃあ、僕はお医者様を呼んで来るから。間違っても、魔物を退治しに行こうとか思わないでよ?」


「……カドモスの言う通り、今の私が行ったとて役に立てることなど無いしな。それに、もし君が医者を連れて来た時に私がここに居なければ、君は町の防衛ラインまで私を探しに来るであろう。もしも何かの間違いで、君が命を落とすような事があれば、私の精神は耐えられん。歯がゆいが、今回の件はカドモスに任せて、私は養生に専念するとしよう」


「うん……それがいいよ」


 その言葉に安心した僕は、着替えを済ませて外へ出る。まだ魔物の話は広まっていないのか、人々は昨日と変わらない日常を送っていた。町が混乱する前に、医者にメティスを見て貰わなければ。


 メティスの家の近くには、同じ孤児院出身の医者が開いた診療所があったはずだ。僕は記憶を頼りに、その診療所の場所を見つけ出し、まるで強盗だと思われても仕方がない勢いで扉を開け中に入る。


「ネラスさん!」


「あわわ、何事!?」


 診療所の内部は非常に狭く、一人の人間を診察するのがやっとの場所だった。壁には大量の薬が並べられており、その部屋に孤児院の先輩であるネラスメディー、通称ネラスは居た。


 口元がくちばしのような形の顔全体を隠す不気味なマスクを被り、黒いローブで全身を包んだ、見るからに異様な姿。なんでも、あらゆる病と呪いを防ぐ力があるらしいが、常日頃からこの姿で出歩いている為、遠くからでも良く分かる。


「あれ、ウェスターだよね? 久しぶり、元気してた? って、元気じゃないからここに来たのか、あっははは」


 マスク越しのくぐもった声でネラスは笑う。


「いや、元気じゃないのは僕じゃなくてメティスで……」


「メティスちゃん? あの一番私たちの中で出世した子だよね。ウェスター仲良かったっけ?」


「ああ、ええっと、今は結婚して一緒に暮らしてます。って、そんな事より、メティスが熱あって見て欲しいんです!」


「わーお、ビッグニュース! あの鉄仮面のメティスとヘタレ代表のウェスターが結婚だって!? 一体全体どんな結婚生活を送っているのか想像できないよ」


 ネラスはちゃらけた様子で軽口を言うが、その手は薬や道具を鞄に詰め、往診の準備を進めていた。


「可愛い後輩たちの為ならば、私も精を出さなければ。早く君たちの愛の巣まで案内したまえ」


 自宅を愛の巣と言われて複雑な気分だが、今はそんな細かい事を気にしている場合ではない。

 

「案内するのでついて来てください!」


 僕はネラスを連れて診療所を出る。そして、まだ正気を保っている町の中を駆け抜けていった。

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