第7話


 町の市場はメティスの家からそう遠くない位置にある。周囲には堀が掘られ、橋を渡らなければ市場には入れないが、これは盗難防止の意図があるらしい。


 そして、この市場は町の中で最も栄えている場所だろう。農家や商人が食品を所狭しと並べ、呼び込みに余念がなく活気に溢れている。


「さて、急がなきゃな」


 僕は夕食の食材を購入した後、木材を購入した。かなりの荷物になるが、両手で食品を抱え、木材は背負う形で運ぶ。これぐらい運搬できなくては、冒険者などやっていられないだろう。


 なんとか馬車を使わずに家に帰り着く。大仕事に取りかかる前に、夕食の支度を済ませておこう。


 市場で買ってきた野菜と鶏肉を一口サイズに切り、鍋に入れて炒める。程よく火が通ったら、水を入れてかき混ぜながら煮込む。


 しばらくして、牛乳とバターと出汁を加え、かき混ぜてから暖炉の炎から少し高い位置に吊るす。弱い火力でゆっくりと煮込めば、メティスが帰ってくる頃にはシチューが完成しているだろう。


 そして、棚の中から冒険者がクラフトに使う工具セットを取り出す。メティスが以前使っていたものだが、最近は冒険に出向くことがほとんど無くなり、仮に出向いても、クラフトスキルが高いメンバーが随伴するため、随分と使われた形跡が無い。


 鉋の欠けた刃を取り換えたり、可動部に油をさしたりと、工具の手入れからやる羽目になるが、僕はこういった細かい作業が嫌いではない。そのまま休憩を挟まず、手入れを終えた工具を使って、購入した木材を切り出し、長さを揃えて組み立てる。


 一つ一つの工程を終える毎に、着実に完成に近づく。無心でこれらの作業を行う時間は、余計な事を何も考えなくて良いから好きだ。


 やがて、部屋の隅に、天井まで届く高さの棚が出来上がった。早速、床に散らばるガラクタや紙類をここに収納したい欲が沸き上がるが、大切な物がどこにあるのか把握しているメティスの事だ。勝手に触れれば怒られるだろう。


 ふと気づくと、日が落ち掛け部屋が薄暗い。僕は暖炉から火種を取り出し、ランプに灯をともす。温かな光とは、どうしてこうも心を穏やかな気持ちにさせてくれるのだろうか。


 シチューの様子はどうだろうか。暖炉に吊るした鍋を取り外し、中をかき混ぜてみると、甘い香りと共に空腹が刺激される。買ってきたパンを付けて食べたい欲に駆られるが、そろそろメティスが帰って来るはずだと思いとどまる。


 使い終わった工具セットを片付けていると、戸が開く音がしてメティスが帰宅する。


「おかえり。今日はシチューを作ってみたよ……どうしたの?」


 リビングに入って来たメティスは、どこか顔色が優れず、表情も暗い。


「ああ、ただいま。いや、冒険者からの報告に、嫌なものが混じっていたのでな。それより、これは君が作ったのか?」


 彼女は努めて笑顔を作り、僕が作った棚を指さす。


「うん。戦いは苦手な分、クラフトはよくやってたから、これぐらい簡単だよ。今夜はリビングの物をここに整理するまで、寝かせないからね!」


「うう……分かった。その前に、早く食事にしたいな。そろそろ空腹が我慢の限界を超えそうなのだ」


「そうだね。僕もお腹が空いて死にそうだよ」


 メティスが暖炉に吊るした鍋からシチューをよそう。その間に、僕はバケットを切り、更に付け合わせのサラダを作った。テーブルに並べるだけで、


「うむ、中々に豪勢だな」


「そうかな? メティスなら普段、もっといいもの食べてたんじゃないの?」


「確かに、接待を受ける機会には恵まれていたがな。しかし、身近な人間が手間をかけて作ってくれた食事には、感情的な価値が付与されるであろう。それよりも、早く頂こう」


「そうだね。いただきます」


 一口シチューをすくって食べると、肉と野菜と乳の甘味が絶妙に交じり合って口の中に広がる。食材を切って煮込んだだけとは思えない、我ながら非常に良い出来だった。


「……旨いな」


 メティスの表情も、無理して作っていた笑顔から素の笑顔へと変わる。


「お代わりもあるから、どんどん食べてね」


「私がそんなに量を食べられない人間である事は知っているであろう。しかし、もう一皿ぐらいなら入るだろうか? うむむ、悩ましい限りだ」


 作った僕としては、これ以上ないほど嬉しい反応だ。明日からも食事には力を入れようと、心の中で一人舞上がる。


「それで……嫌な報告って何があったの?」


 せっかくの空気を壊すような話題で、聞いてよいものか迷ったが、メティスが暗い顔をして帰って来たのだから気になる話だ。


「ああ……どうせ明日には広めなければならない話だから、君には話してもいいだろう。このところ、魔物の動きがどうも不穏だったので、冒険者たちに周辺地域を調査させていたのだが……悪い予感が当たってな。明後日、大量の魔物の進軍がこの町の近くを通過する。きっと人の気配にあてられて、この町に吸い寄せられる魔物も多く出るだろうな」


「えっ? だ、大丈夫なの?」


「うむむ……一応王都には軍を出すよう願いを出したが、時間が無いからな。騎士団が間に合うかは分からない。それまでは、冒険者の力で町を防衛するしかないだろうな。なあに、案ずることは無い。私が出れば良いのだ。そうすれば、騎士団が到着する頃には全て片が付くだろう。連中には魔物の亡骸の処理を手伝って貰えば良い」


 メティスはそう言って笑うが、僕としては彼女が危険な戦場に出るというのは、気の進む話では無かった。


 そんな感情が表情に出ていたのだろうか、メティスは手を伸ばし僕の手を握る。


「そう不安そうな顔をするでない。百戦錬磨の私が、たかが魔物の群れ程度に後れを取るはずが無い。それに、この町には私以外にもカドモスやモニアが居る。この町の守りは万全といえるであろう」


 カドモスとモニアは、メティスの右腕と左腕と言われる手練れの冒険者で、メティスが居なければ二人のうちどちらかがギルドマスターに成っていたと言われている。僕の記憶が正しければ、現にカドモスはメティスに何かあった際は全権を委任される、副ギルドマスターの地位についていたはずだ。


「……あんまり無理はしないでよ?」


「ああ、分かっている。それよりも、私の目の前の敵はこの部屋の整理なのだ。せっかく君が大工仕事に精を出してくれたのだから、私も働かねばつり合いが取れぬであろう」


 そう言って明るく振る舞うメティスだが、僕はどことなく嫌な予感を感じていた。


 

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