第6話
朝。目を覚ました僕は、まだ寝静まるメティスを起こさぬよう一階に降りる。そして、着火剤となる発火の魔石の欠片を暖炉に投げ込み、火をつける。
木材がパチパチと音を立てて燃え始める。その光と音だけで、朝の薄ら寒い部屋がほのかに温かく感じられる。
「よし、さっそく始めるか……」
僕は朝食作りに取り掛かる。とはいっても、大した仕事ではない。
昨夜は夕食を近くの酒場で済ませたが、その際に残った食事を包んで持ち帰っていた。これを暖炉の火で温め直すだけでも朝食としては十分だろう。それだけでは味気ないと思い、鍋を取り出して暖炉に吊るし、水とマメと野菜の切れ端を入れ、乾燥させ粉末化した出汁を加えて簡単なスープを作る。
更に取り分けておいた物をパンに挟んでメティスに昼食用として持たせる為、清潔な布で包む。焼いた余り肉と切った野菜を挟んだだけの簡単な物だが、昨夜の食事を見る限り、メティスの胃袋にはちょうど良い量のはずだ。
水瓶の水は少し悪くなっていたので、昨夜のうちに中身を捨てておいた。水源の魔石は便利なもので、内包された魔力が尽きるまで綺麗な水を排出し続ける代物だ。更に、容器から溢れそうになると自動で排水を止める機能まである。
たった一晩しか経っていないというのに、もう水瓶の半分ぐらいは溜まっている。中の臭いを確認しても、気になる所は無い。質の悪い魔石だと、一日かけてコップ一杯分の水しか出さない物もあるようだし、物によっては不純物の混じった水を排出する物もある。だが、この魔石にはそれらの不備は見当たらない。
しかし、いくら良い品質の魔石でも、排出した後の水を清潔に保つ機能は無い。水回りの衛生は体調に直結すると聞く。この水瓶の水も、数日おきに中身を捨てておいた方が良いだろう。
やがて二階からメティスがおりて来る。白い寝間着で髪を下ろした姿は、どこか抜けた様でありながらも、家族にしか見せない一面であり、僕は無性に幸せが込み上げてくるのを感じる。
「おはようございます。よく眠れた……訳ではなさそうですね」
つい敬語が出てしまい、しまったと心の中で反省する。もう僕はメティスのギルドのメンバーでは無く、メティスの旦那なのだ。できるだけ敬語は控える様に、意識していかなければ。
「……おはよう、ウェスタ―。いやはや、我ながら不甲斐ない限りだ。好いた男が隣に居るというだけで、こうも眠れぬとは。君はその様子だと、快眠だったようだな」
「いやまあ、昨日は色々あったから疲れたし……」
それに朝食とメティスのお弁当の用意もあるのだ。早めに寝るのも仕事の内だと割り切っての事だ。
その後、スープとパンとサラダの朝食を取る。これだけ聞くと優雅な朝に聞こえるが、この部屋は木彫りの置物や書類に囲まれた、どこか埃っぽい部屋だ。風情など欠片も感じられない。
「ふむ。旨いな」
メティスがスープに口を付け、ぽつりとつぶやくように言う。早起きして作っただけに、その一言だけで心に風が吹いたような心地よさがある。
「それじゃあ、メティス。今日は帰ってきたら、この部屋を整理するからね」
「うむむ……先に言っておくが、仕事の関係で捨てられない物はあるからな」
食事を終えたメティスは、魔道服に着替えて僕の作った荷物を受け取り、出発の支度を終える。
「では、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
僕はキスをして彼女を見送る。これは昨夜、二人で決めた朝の儀式だった。
さて、一人になったここからが、本格的な仕事の始まりだ。まずは掃除にしよう。物を片付けられるのは今晩からだが、床掃除ぐらいはしなければ埃が溜まってしまう。
まずは窓を開け、換気をする。閉め切った空間では、どうしても空気も劣化してしまう。次に、もともとは僕の寝床として使っていた布を手ごろなサイズに切り取り、水で湿らせて即席の雑巾を作る。テーブルなど衛生面を気にしなければならない所は、新品の布巾を使うが、どうせすぐに汚れる床ならばこれで十分だろう。
あるていど床を拭いたら、次は洗濯だ。水瓶から桶一杯に水をすくい、湯浴み用の部屋へ持ち込む。ここならば水を地下に排水する穴が開いており、床は水をはじくタイルが敷き詰められている為、いくら水を使っても問題がない。
棚に置かれた袋から灰汁を取り出し、桶の水に溶かす。そして、昨日着ていた自分とメティスの衣類をそこに入れ、布同士を擦り汚れを落とす。
流石に女性ものの下着に触れる事は抵抗を感じるが、これも自分の仕事の一環だ。無用な煩悩を精一杯の力で押しとどめ、目の前の作業に集中するしかない。
洗い終わった衣類は一階の窓から外に干す。二階の窓の方が日当たりは良いのだが、あちらは外の大通りに面している。流石に見栄えが悪いだろう。
ここまでの仕事を終えたところで、ちょうど日は最も高い位置に来ていた。区切りが良いので、昼食を取る事にする。
朝作ったスープの残りとパンで自分の昼食にする。午後は夕食の買い出しと、この散らかった部屋の大掃除に向けた準備を進めなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます