第4話


 孤児院を後にした僕たちは、僕の部屋に寄っていた。


「上がるとき、落ちないように気を付けてくださいね」


 僕は梯子はしごの上から手を伸ばし、メティスに身を気遣う。僕は部屋単位で冒険者に住まいを貸している建物の、最も安い部屋、つまりは屋根裏部屋に住んでいた。


「ふむ。これでもダンジョンを駆け巡っている冒険者だ。梯子から落ちて頭を打つなどという失態は犯さぬよ」


 メティスはそう言いつつ僕の手を取り屋根裏へ上がる。そこには寝床と衣服だけが存在する、殺風景な空間があった。


「なんだ、ウェスタ―君。この結婚は君も想定していたのだな。私の家に転がり込むことを想定して、身辺整理を済ませているとは感心するぞ」


「いや……これが僕の全財産なんですけど……」


 乾いた布切れの寝床を風呂敷に、衣服を包んでしまえば、引っ越しの準備は完了してしまった。装備の類は冒険者ギルドに預けているとはいえ、我ながら何ともみじめな生活をしていたものだ。


 部屋を引き払う旨を伝えに、一階に住む大家の元を訪れる。気怠そうに姿を見せた老人は、メティスの姿に面食らった様子だったが、今日限りで退去する事を伝えると、急な話だから違約金を払え、清掃費も寄こせと金銭をせびってきた。


 僕が抗議しようとすると、メティスがポケットから金貨を取り出し大家に握らせた。


「これでは足りぬか?」


 驚きの表情を浮かべる大家に、メティスは堂々と言い放つ。その言葉には、これをやるから黙れ、無駄な時間を取らせるな。という感情が込められているように思える。


「いや、十分だ。達者でな」


 大家はそう言い残すと、そそくさと部屋へと引き上げていった。メティスの気が変わる事を恐れての事だろう。


「すいません、こんな事になって……でも、良かったのですか?」


 埃っぽい建物から出ながら僕は尋ねる。先ほど孤児院でメティスには金銭の余裕が無い事を聞いていたから、無用な出費に申し訳なさを感じての事だ。しかし、メティスは気にしない様子で答える。


「構わん。それよりも、ここの貸し部屋にはうちの冒険者ギルドのメンバーも多く住んでいるのだろう? ギルドマスターの金払いが悪いと、クエストの報酬が支払われるか不安に思う者も居るだろう。後で変な悪評を立てられるぐらいなら、あれぐらいの投資は必要だ」


「はぁ、ギルドマスターも大変なんですね」


「他人事のように言うでない。これから君は、そのギルドマスターと一蓮托生なのだぞ? さて、ここから我が家までは距離がある。馬車を使うとしよう」


 メティスは舗装路を走る巡回馬車を停めさせ、御者ぎょしゃへ目的地を告げて手間賃を渡してから乗り込む。意図して選んだのかは定かではないが、室内式の客車で内装も二人で乗るには広々とした、高級な巡回馬車だった。


 夕日が窓から差し込み、虚しさと高揚感が混ざり合った、なんとも言い表せない感情が込み上げる。


「メティス……どうして僕だったのですか?」


 かなり強引に婚姻を済ませたメティスにとって、自分がそれほどの価値がある男だとは思えない。もしかすると、貴族や王族からの誘いを回避するために、適当に選ばれたのが自分なのではないか。そんな物悲しい考えが浮かび上がり、思わず尋ねる。


「どうしてこんなに急だったのか、不思議か?」


「ええ……まぁ」


「……私にはね、君以外考えられんのだよ。まだ我々も若い事は自覚しているが、世間が君との婚姻を許してくれるうちに、夫婦の関係を結んでおきたかったのだ。なあに、案ずることは無い。結果として上手くいったのだ。君は私のような女で不服かもしれぬが、巷では醜女しこめも三日で慣れると言う。しばらくは我慢してくれたまえ」


「……メティスは……その、可憐だと思う、よ?」


 気恥ずかしさでしどろもどろになりながらも、きちんと自分の感情を伝えておかなければと思い、必死に言葉を探す。メティスは自分を自虐的に評価するべき人間ではない。そんな感情が胸の辺りで渦巻き、脈拍が加速する。


「ま、魔法の腕も、マスターとしての采配も……凄いと思う。その、孤児院に居た頃から憧れてはいたけれど、メティスはどんどん遠い所に行って……少しでも近くに居たくて冒険者を続けていたけれど、上手くいかなくて……だから、急にメティスが僕の手の届く所に降りてきたことが、夢みたいで信じられなくて……ええっと、つまり何が言いたいかと言うと、その……」


 感情を言語化する簡単な言葉が出て来なくて、どうすればメティスに思いを伝えられるか、必死になって考える。その様子がメティスにどう映ったのか分からないが、彼女は僕の側に寄り、唐突に首に手を回したかと思うと、柔らかな唇を重ねてきた。


 どうしてよいのか分からず、困惑しつつも、僕も彼女を抱きしめその甘美的な時間に身をゆだねる。しばらくの後、彼女は唇を離して僕の目を見た。


「教会では略式の手続きだけだったからな。夫婦の誓というやつだ」


「……メティス、好きだ」


「ああ、私もだ。ウェスタ―」

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