第14話 絶望の淵の王子様

「本当にあなたには何をしても駄目ね。まったく、もっとセシリーちゃんを見習ってできないわけ?」


 お母さま、そのような言葉はもう聞き飽きてしまいました。

 でも、私は何度でもその言葉を聞き続けます。

 それが、セシリーの為になるなら私はいくらでも我慢します。そう、これでセシリーが幸せに暮らせるなら、いくらでも悪役を買って出ます。


 何をしても駄目。それが私の人生という小説の表紙に付いてしまった汚れで、それは、どれだけ拭っても消えてはくれません。

 そして日に日にその汚れは、1ページ1ページと染みて、私の人生を蝕んでいくのです。


 それでも、あの人は……あの人といる時だけは、その汚れを忘れることが出来ました。


 多分、あの人との想い出のページだけは、綺麗なままなんでしょう。多分、彼には汚れを遮る力があるんでしょう。


 でも、その想い出を挟むページは既に両方汚れていて、それを避けて通ることはできない。

 

 ほら、今だってこうして、汚されたドレスも自分で洗っています。

 

 冷たい。


 痛い。


 辛い。


 春とは言え、夜はまだ冷える。そんな中屋外での洗い物は寒い。

 手を見ると、真っ赤に霜焼けしてしまっている。


 力いっぱいに叩かれた頬が痛む。


 確かに、問題を引き込んだ私の責任ではあるのかもしれません。

 

 でも、私がしたのは、たったそれだけ。それだけのことで、着ていたお気に入りのドレスは泥まみれ。それを洗い落とせるまで、家に入ってはいけないなんて馬鹿げている。


 そんな主張を伝えたところで、多分帰ってくるのは、愛という名の平手打ちなんでしょうね。

 だから、私は黙って言うことを聞くしかなかったのです。


「お父様……何故、私に魔法はつかえないのでしょうか?」


 お父様がもし生きていらっしゃったなら、こんな状況にはならなかったのでしょう。

 

 8年前、お父様の他界から全てが変わってしまった。……いや、もうとっくにこの運命は変わってしまっていたのかもしれませんね。


 もともと魔法至上主義の貴族社会の中でも、お母さまは特に非魔法使いに対する慢侮心を強くお持ちでした。それは、お母さまの生まれの家が、そういった教えがされてきたもので、お母さまのなかではそれが、『当然』で『自然』なことなのだとお父様から聞かされていました。


 通常、魔法の開花は10歳までには見出される。どれだけ遅くても15歳までには発現する。例外は無い。つまり、それまでに魔法を発現できなかったら、生涯その人は魔法を使えないということだ。


 でも、私は10歳になっても魔法を使えませんでした。


 日に日にお母さまの私に対する風当たりが強くなっていくのがよくわかりました。でも、耐えられないほどではありませんでした。


 初めの変化は、妹のセシリフォリア……セシリーの魔法の発現だった。


 セシリーの魔法の才は凄かった。魔法においてセシリーは天才だった。8歳という若さで魔法を発現し、その才覚を現し出した。生涯魔法使いが使える魔法は、多くて5種類と言われている。そんな中、セシリーは10歳を迎える頃には、20種類を超える魔法を使いこなせるようになっていた。その恐ろしいほどの才能は色々なところから引っ張りだこになっていた。


 その結果、母親はセシリーばかりを可愛がるようになり、私に対し日常的に罵倒するようになっていきました。そして私はいつしかお母さまから出涸らしとして扱われるようになりました。


 でも、その罵倒の度、お父様は私を守ってくださいました。

 そして、泣いた私をよく慰めてくだしました。


「ロベリスにもロベリスの良さがある。気にすることはない」

「貴族は魔法が全てではないよ。現にこの国を治めているダリア国王様は非魔法者だからね」


 そんな言葉で私はなんとか立ち直ってきました。


 しかし、運命の女神様はまだ私を許さなかったのです。


 泣き虫な私がこれまでの人生で最も泣いたのはこの時でした。


 8年前の父の急死。死因は流行り病。どんな魔法医療を持ってしても助かりませんでした。


 


 それから家全体の私の扱いは変わった。守ってくれる人がいなくなり、お母さまの本格的な虐待が始まった。


 嫌味は暴力に代わり、ストレスは嫌がらせに代わった。


 街に出かけるときと、お母さまの前にいる時、そしてお父様が昔買って下さったロマンス小説を読んでいる時以外はずっと泣いていました。


 そんな絶望の淵にいた私は、徐々に別の私を作るようになっていた。街に出かけては、家に知られないほどにありふれる理不尽に頭を突っ込んでは、それに抗うようになった。


 自分の理不尽にも抗えない小娘が生意気なものです。


 でも、そうでもしないと私の精神はとっくに限界を迎えていました。そんなアブナイ遊びのひとつでもしなければ、絶望の底に落ちてしまいそうだったのです。


 しかし、その遊びも長くは続かなかった。衛兵沙汰になり、名前を出してしまったあのとき以来、私が街に出られる機会はかなり限られるようになった。


 お母さまに噂伝いに事が知れてしまい、私への口撃はもっとひどいものになった。


「どうしてこう、問題を抱え込んでくるの?」

「あなたみたいな出来損ないには、黙って家にいることすらできないわけ?」

「まったく、勘弁して頂戴。私にあなたのような娘がいるという事実だけでも信じたくないのに」


 この辺りから、お母さまは私の私物にまで手を出すようになった。


 それでも私は、街に出ていたことを後悔していません。なぜなら――


 


 ――そのおかげで王子様と出会えたから。




 王子様の名前はルーティというらしい。その女の子みたいな名前からは想像つかないほどに男らしい身体つきで、優しい人で、不思議な人だ。


 私が助けようとしたあの奴隷の少年は、私よりも大きな王子様になって帰ってきた。まるでロマンス小説の騎士様のような彼との短い時間は、私には刺激的で、依り掛かるには充分過ぎた。


 どんな悲しい思いをしても、彼との時間を思い出し、立ち直ってきた。


 彼は絶望の淵で震える私に、耐えるだけの力をくれた。

 

 それは過去形なんかじゃなくて、今このときも私を守ってくれている。左腕の傷にまかれた花柄の布。熱なんてとっくに逃げている筈なのに、何故か温かい。私の冷えた心身に温かな湯をかけてくれるようだった。


 だから、まだ私は頑張れる。


 もう少し……もう少しだけ頑張ってみようと思える。


 せめてーー


「せめて、熱が冷めるまで、溺れさせて」


 その願いが神に届くよう、寒空の中私は呟く。


 夜の寒さはまだ続く。でも、この熱が残っている間は耐えてみようと思う。


 いずれ、温かな朝が来ると、そう信じて。

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