第13話 お母さんの言葉

 いつも通り、食事を方付け、皿を洗い、次は窓を拭こうと移動しかけたその時、日常の1ページに一石は投じられた。


「ルーティ。街で聞きましたが、昨日、料理屋で問題を起こしたそうですね。それも貴族を巻き込んだとか……」


 ギクッ!


 心臓が後ろから一撃入れられたように大きく鼓動する。

 まさか、セマム様の耳に入るとは……。

 いや、当然と言えば当然だ。以前から俺が起こした問題には、そう追求することは無かったが、認知だけはしていた。その中でも今回は結構大きな事として知られてしまったから、色々と噂も立ってしまったのだろう。


「あ……あの、セマム様これは――」

「ルーティ。私は、何も、このことに対してあなたを怒ろうというわけではないです。今までのあなたを見てもこういった噂が立つ時は決まってあなたが人助けをしている時でしたからね。ただ、あなたは昨日、立派な大人になったのです」


 言い訳をする間もなく、セマム様は言葉を続ける。

 セマム様が私を叱るとき、決まって俺の顔は見ず、ただ、意識だけはこちらに向けるのだ。

 今、この時のように。


「だから、こういった行動を控えるとかの簡単な話ではなく、もう少し『上手い』やり方を覚えていってもいいという話です。今までは若さ故の過ちとして扱われていたものも、あなたが大人になるにつれ、周りの目も厳しくなってくる。公的人間が絡むとなおさらです。あなたは、自分自身がどう見られてでも人を助けたいと考えているかもしれません。その考え自体は、否定すべきものではなく、むしろ尊重すべきことです。ただ、助けられる人のこと、自分を想ってくれる人、自分を評価してkれる人達にも少し視野を伸ばしてみてください。難しいことかもしれませんが、賢いあなたにならできることだと思っています。今まであなたが積み上げて来たものは、無駄じゃない。頭を使いなさい、ルーティ。それが成人した我が子に送る私からの最初の課題です」


 セマム様は優しい。それでいて正しく、厳しい。

 だから、俺はこの人について行こうと思ったのだった。

 このことについて全く追求することなく終わるだけでなく、昨日使った5万ダリアのことすら話題に出さない。


「は、はい! おかあ……セマム様」


 俺の返事を聞くと、セマム様はこちらに笑顔だけ見せた。


「では、もうこの話は終わりです。ここからは全く違う話になるのですが……」

「?」

「ルーティ、あなた気になる人のひとりでもいないのですか?」

「ブフゥ! セ、セマム様!?」


 予想だにしないその質問に、思わず吹き出し、持っていた雑巾を床に落としてしまう。


「そう、驚くことでもないでしょう。親が子の色恋を気にするなんてごく自然なことでしょう?」

「あ……いや……た、確かにそうなのかもしれませんが……」


 セマム様がこんな質問を投げかけてくるなんてことはこれまで一切無かったので、たじろいでしまう。

 この問いも成人になった俺に対するものなのだろうか。それとも、正式に子供になった俺への歩み寄り?

 いずれにせよ、返す答えは決まっている。公爵家の姫に対する片思いなんて、ロマンス小説の中だけでしか許されない。そもそも、彼女の正体を言うわけにもいかない。


「そ……そうですね。まだ、俺にはそういうのは早いですから。今まで勉強と家事でそういうことに目を向ける暇も無かったですから」


 言えない。その勉強や家事、その全ての努力の原動力が、彼女への恋心なんて言えるわけがない。


「そうですか……。まぁ、あなたもそろそろそういった経験も必要ということだけ伝えておきます」


 事なきを得た会話の行方に胸をそっとなでおろす。

 セマム様も座っていた椅子を立つ。

 

 仕事にお戻りになるのだろうか。などと考えていると、再度セマム様は口を開く。


「それでは、ここからは完全に私の独り言になるのですが、貴族の……特に公爵家の女性の結婚年齢はどれだけ遅くても22歳までと呼ばれています。最近の結婚観を見ると、少々早いくらいかもしれませんね」

「!!?」


 拾い上げた雑巾が再び床に落ちていくのと同時に、セマム様は部屋を後にした。


 昨日の事件から、俺は絶対にロベリスさんの地位だけは出ないように工夫を施した。

 貴族ということは、服装から推測可能な域かもしれないが、どう考えても、貴族の爵位まで推察することは不可能だと断言できる。


「本当に、あの人にはどこまで見えているんだか……」


 雑巾を拾いながら、俺は呟いた。



――


「でもそうか。やっぱりただ待っているだけでは駄目なんだろうな」


 昼食後の昼休憩中、自室の机で伏しながら呟く。


 ロベリスさんは俺よりも2つほど上の年齢……つまりは今年で22だ。結婚こそしていないが、そういった関係の人間、もしくはそう言った見合いの話が来ていてもおかしくはない。というか未だに結婚の報道が出ていないことがもはや不自然なほどだ。彼女は公爵家の長女だ。見合いなんて星の数ほど来ているはずで……。


 毎日、セマム様の読んだ後の新聞を読み続けてきた俺は、そのくらいの推測なら直接話を聞くまでもなくわかる。こういう情報が報道からしか聞けていないという自分の無力感に気を落とさないことも無いが、何しろ全く彼女に近づけなかった4年間に俺ができたことはその程度だったのだ。


 彼女の住む場所も、彼女に伝えたいことも頭の中に入っているのに、それを伝達する術は無かった。一般市民どころか奴隷だった俺が彼女に手紙を出したところで彼女に届く前に検閲に引っかかって終了だったんだからな。そして、昨日あれだけ話しても、俺が出来ることという観点で見ればその状況はそう変わらない。


 一番直接的な方法で言えば、彼女の家に侵入することだが、こんなのは駄目なんだろうな。

 恐らく可能か不可能化で聞かれれば、可能ではあると思う。深夜、警備の少ない箇所を狙って侵入するくらいの事は出来ると思う。

 でも、問題はその痕跡の消去だ。彼女が俺が来たことを黙ってくれていたとしても、痕跡を完全にかき消すことはできない。公爵家の家だ。どれほどの人数が周囲にいるのかわからない。その誰一人に見られず侵入をできると思うほど自惚れてはいない。それに、運よく誰にも見られなかったとしても、指紋や、臭いなど、様々なことに気を配る必要がある。何せ、相手は公爵家……貴族の中の貴族だ。どんな魔法的方法で突き止められるかわかったもんじゃない。

 それに、セマム様に今朝注意されたばかりだしな。バレた後の事を考えると、彼女にも迷惑が掛かり、更に次会うことが難しくなってしまうだろう。


 ようはやり方の問題だ。安全に、それでいて確実に彼女に思いを届ける魔法みたいな方法。


 そう、魔法みたいな……。


 魔法……。


「そうか。魔法には魔法で、か」


 次にやるべきことが決定した。


「頑張れば、夕方に出かけることくらいなら出来そうか」

 

 俺は、昼休憩を終える前に、手早く家事に手を付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る