第8話 成人の日(2)

「では、これより成人の儀を執り行います。ルーティ様、こちらの陣の上にお立ちください」


 役員の指示に従い、俺は下に書かれた魔法陣の上に乗る。

 

 あぁ、覚えている筈もないのに、少し懐かしさを感じる。

 俺は、物心つく頃前に同じような儀式を受けて、奴隷に堕ちたのだった。

 それは、自分の両親の所為だと言い聞かされてきた。

 俺は、自分の親を知らない。ただ、自分の子を貧民街に置き去りにするような親だ。ひどい者に決まっている。

 しかし、俺は、自分の親を根本的な部分から恨むということはできなかった。

 これは、自分の運命なのだからと、受け入れここまで生きてきた。この考え自体は今も変わっていない。いくら自分の奴隷堕ちが親の所為であったとしても、それを含めた自分の人生なのだから。

 確かに、親のいない人生には辛いものがあったのかもしれない。俺が意識しないようにしていただけで、本気で落ち込んでいた夜もあったと思う。

 でも、同じように親の顔を知らないフラリオや、セマム様との出会いを通じて、そういった寂しさもかなり薄れてきていた。

 特にセマム様に関しては、本当の親のようにも思っている。


「セマム様、本当にここまで育てていただき、ありがとうございました」


 俺は、あふれる感謝の気持ちを、陣の上から、セマム様にぶつける。

 それに対してセマム様は優しく微笑みかけてくれた。


「では、現主人であるセマム様はこちらの陣の上にお立ちください」


 同じくセマム様も指示通り、陣の上に乗った。


「それでは、本格的な儀式を行いますので、ルーティ様。奴隷紋をこちらに見えるようにしてくださいませ」


 奴隷紋……俺を戒め続けた最悪の証。

 それが入った腹部を見せる為、服を脱ぐ。

 役人が女性の為、少し恥ずかしい。

 なるほど。奴隷紋の位置を詳しく聞かされていたのと、役人の性別への異議申し立て用紙はこのときの為のものだったのか。


「はい。それで大丈夫です。では、先ほどの説明の通り、儀式には5分程度の時間がかかりますので、その間、決してその魔法陣から動かないでください」

「「はい」」


 セマム様と同時に答えると、役人は、頷きで返し、魔法のようなものを唱え始めた。


ーー

 「はい。これで、儀式は終了です。念のため、奴隷紋をご確認ください」


 そう言われ、腹部に目をやると、確かに奴隷紋が綺麗に消え失せていた。

 

 「はい! ちゃんと消えてます!」


 返したその言葉に役人は笑顔で返した。


「はい。では、もう魔法陣からは出てもらっても大丈夫です。良ければ、セマム様もご確認ください。と言っても、奴隷紋なんてものはその印に過ぎず、実際はその市民権の有無にありますので、帰りの際、国民登録カードの持ち帰りをお忘れなくお願いいたします」


 そう言い残し、役人は部屋を出ていった。

 恐らく、2人だけにしてあげようという計らいなのだろう。


「セマム様……ありがとうございました」

「あの子にもこの瞬間を見せてあげたかったものです。もちろん、この話は手紙で送ってはいますがね」

「確かに、お嬢様には直接伝えたかったです」


 お嬢様は、2年前に13歳という驚くべき若さで国家騎士としての才覚を見出された。

 きっかけは、街全体で行われた剣術大会。

 お嬢様は、あれから順調すぎるほどに成長し、10歳を超える頃には、俺の身体能力と互角以上に遊べるようになり、国家騎士として選ばれたときには、本気の模擬線で負け越すまでに強くなっていた。

 師匠に拳法を習ってから、本気の戦いで負けたのはあれが初めてだった。5歳も下の女の子にその体たらく。師匠に見られていたら、ひどいお叱りだっただろう。

 まぁ、その才覚を大会を偶々見に来ていた騎士団長に見いだされたわけである。

 そして、その2か月後、最年少で正式な国家騎士として信任された。

 それ以来、年の初め以外は家に帰っていない。

 もちろん、お嬢様は見出されたときに、セマム様や俺と離れてしまうことに悩んでもいたようだが、『毎週手紙を送る』という約束のもとで、納得してくれた。


「次会ったときにちゃんと伝えてあげなさい。もちろん、気持ちの込めた文章も大事ですよ?」

「はい!」


 今回の手紙は特別だから、いつもとは違う便箋を用意しようかなど取るに足らないことを考えていると、いつもよりも真剣な顔でこちらを見つめている。


「ルーティ。貴方は今日このときを持って、奴隷から解放されました。そして、それと同時に、今日成人を迎えるのです」

「?? それは同じ意味では?」

「今の成人は国の法で定められた年齢……20歳を迎えたということです」

「へ? 待ってください。私の誕生日はずっとわかってこなかったはずです。それこそ、私自身が知らないのに……それに、今日迎えるって、今日が僕の誕生日だったということですか?」

「今日、貴方は奴隷から解放され、この国の市民権を得たのです。つまりは、この国家の一員として認められたということです。国家が、人の生まれの情報を知らないままに、一市民を認めると思いますか?」

「い、いえ」

「先程の儀式にはおそらくそういう、情報特定も含まれているのでしょう。受付に戻ってもらえる国民カードには誕生日・年齢・国籍などの基本的な情報が記録されるのです。このように」


 そう言って、セマム様がカードを見せてくれた。

 そこには今言われた通りの情報が記載されている。それにしても、7年間生きてきて、こんなカード見たことも無かったな。


「まぁ、貴方が知らないのは当然の事でしょう。こんなカードのことなど、参考書のポエムくらいにしか載っていないことですからね」

「でも、国民全員が持っているんですよね?」

「国民全員が、と聞かれれば答えはNOです。こんなもの、商売やギルドカードの登録の他に使い道は無いですからね。通行証にも使えますが、この国の通行証など、もっと簡単に手に入れられますし」

「では、何故そんなものの登録を?」

「別に、奴隷解放の際に強制的に行われるものではありません。私がそうするように事前に話を通していただけです」

「何故、そんなことを?」

「ルーティ。私はあなたに自由に生きてほしいのです。この国の嫌な部分しか見てこなかったあなたに、もっとこの国の色々なことを。本で学べることだけでなく、もっともっと大切なことを、です。これは、あの時私を……マーガレットの命を救ってくれたあの少年にではなく、家事も勉強も勤勉に取り組んできたあなたへの願いです。カードはそんな私からの贈り物だと考えてください。あなたが自由に生きるのに、少しでも枷を取り除いてあげたいという、母からのね」

「セマム様……」


 セマム様の表情から強い感情を感じられた。

 これは、お嬢様を送り出したあのときの顔とよく似ている。

 そんな言葉と表情に言葉さえ出なくなってしまう。

 それを見て、セマム様も少し照れたような表情をし、それを隠すように話を続ける。


「そして、成人の話は簡単で、カードの登録時に20歳を超えている場合、登録時から成人として認められるということです」

「なるほどです。でも、あれ? 私の年齢が全くわからないなら、私が20を上回っているということも確実ではないのではないですか?」

「あ……それは……」


 セマム様は気まづそうに下を向き、首を振ってからもう一度口を開く。


「ごめんなさい、ルーティ。私はあなたにひとつだけ隠し事をしていました。事前に話を通す際に、あなたの年齢だけは知らされていました。しかし、初めは自分自身の目で確かめて欲しかったから黙っていたのです。ごめんなさい」

「や、辞めてください。セマム様が頭を下げるようなことではないですから。それに、良かったです。私は……俺は、自分の年齢なんて知らないまま生きていくと思っていましたから。感謝こそすれ、恨むことなんて一切ないです」

「……そう言っていただけると助かります。ルーティ。少し遅れましたが、20歳……そして今までの7年間分も含めて、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます。誰よりセマム様からの祝福が心に刺さります」

「そして、成人おめでとう。これで、もう一人前の大人ですね……ごめんなさいね。本当はこんなつもりじゃなかったのに……」


 セマム様は感極まってしまった。

 涙こそ見えないが、声が震えている。 

 こんなセマム様は初めてだ。


 そんなセマム様は自身の胸をトントンと叩き、切り替えてから再び口を開く。


「さて、ここからが本題です。先ほども言いましたが、あなたはもう立派な成人です。そんなあなたに、今から2つの選択肢を与えます」

「……」


 息を呑む。そして、俺も心を落ち着かせて、聞く姿勢に入る。


「1つ目は、このまま私の家、ローディア家に残るということ。このまま家のお手伝いを手伝ってくれてもいいし、新しく職を見つけても構いません。そして、2つ目は……この家を出ること。私は、あなたにできる限りの可能性を残してあげたい。だから、あなたが望むのなら、この家を出て、つまりは、ローディアの名を捨てて、生きていくこともできます。もちろん、自立の為のお金はこちらから出します。今まで、タダ働きだったのです。これくらいのことは当然ですから、気負う必要はありません。主人と奴隷という忌々しい繋がりは解かれた。遠慮なく選びなさい」


 今度はセマム様の表情から何も見えなくなる。

 恐らくは、俺の選択の邪魔にならない為のポーカーフェイスなのだろう。


「決まっています。私は、あなたが許す限り、ルーティ・ローディアでいるつもりです。それは誰に何と言われようと変わりません」

「そう…….ですか」


 セマム様は安心したように胸を撫で下ろす。

 その安心する姿は、この選択が正しかったということを示してくれるようだった。


「ルーティ。強くなりましたね。……私なんかよりも」

「セマム様が育ててくださったおかげです」

「いけませんね……この歳になると、涙腺が弱って」

「何を言いますか、まだまだお美しいですよ、セマム様は」

「……『お母さん』と読んでもいいんですよ?」

「おかあ……すいません。まだ恥ずかしいです」

「ふふっ。好きなように呼びなさい。あなたは

自由なのですから」


 セマム様の心からの笑顔をそのとき、初めて見たような気がした。

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