第4話 ルーティ・ローディアのある休日

 俺がルーティ・ローディアになってから、1年弱が経過した。

 あれから、色々なことを経験し、学び、吸収してきた。そして何より、自分の周りの全てが変わった。これまでの人生からは想像もできないような日々を送っている。三食も、寝る場所も用意してくれ、更には、勉強の機会までも用意して頂き、至れり尽くせりな状況だ。


 そして、今日は、週に1度与えられている、休日だ。生まれてこの方、ずっと働いていた俺には、休日という概念自体が物珍しく、また、最上級にありがたいものだった。


「休日に、勉強とは精が出ますね、ルーティ」

「!? あ、セマム様でしたか。申し訳ございません、ノックに気づかず」

「いえいえ。この国の経済学は難しいですからね。集中するのも分かりますよ。でも、平日昼は働いて、夜は勉強。そして、休日さえも勉強しているなんて、大変ではないのですか?」

「いえいえ。学ぶことは新鮮で、とても楽しいです。私は、これまで無学でした。教育の機会もろくに与えられず、学のないまま生きていくと思っていました。しかし、セマム様に拾っていただき、こんな勉強の機会まで頂き、感謝が伝えきれません。だから、それに恩返ししたいと、そう思っているのです」

「そう言ってもらえて嬉しいですが、もっと自分の為に――」

「それに、何もセマム様や、自分の『価値』を示す為だけにしているわけではありません。これは、僕の『将来』の為でもあるのです」


 そう、将来、ロベリスさんの隣に並ぶ為に。


「……そうですか。でも、無理は禁物ですからね?」

「はい! 肝に銘じておきます」


 そして、僕の周りの変化は人間関係にも及んでいる。

 

 隣人の方々には、ローディア家の使用人として良くしてもらい、セマム様にもこうして親身に話していただいている。恐らくこの人は僕が母と呼べる唯一の存在なのだろうと改めて実感させられる。


 そして、僕の人間関係の変化を語る上で、最も重要な人と言えば――


「お兄ちゃん! 今日は庭でボール遊びで遊ぼ!」

「は、はい! お嬢様、少しお待ちを!」


 このお嬢様のことだ。

 

「こらっ! マーガレット! 今日、ルーティはお休みで、お勉強をしているのよ。邪魔をしてはダメ。代わりにお母さんが遊んであげますから」

「えー。嫌だ、今日はお兄ちゃんと遊ぶの!」


 マーガレット・ローディア。

 彼女は8歳で、僕より5,6歳年下のセマム様の娘だ。

 僕が初めてこの家を訪れたときは、病床についていたが、今やこんなに元気になってしまった。

 最初の方こそ、知らない人として、恐怖や、敵意の目を向けられていたが、いまや随分気に入られてしまったようだ。


「こら! 聞き分けのない子は――」

「まぁまぁ、私も丁度気分転換をしようと思っていたところです。それに、お嬢様と遊ぶのは楽しいですから」

「ほんと!?」

「はい」


 お嬢様様に笑顔で返すと、それの100倍の笑顔でこちらを見てくれる。


「本当によかったのですか? せっかくの休日を」

「はい。それに、楽しいのは本当ですよ。僕はこれまで人に必要とされて生きてこなかったですから、こうやって慕ってくれる人ができて、嬉しいです」

「そう言われては弱いですね。では、お願いしてもいいですか?」

「はい、もちろんです!」


 そうして俺は、お嬢様に連れられ、庭へ向かうのだった。


──

「はぁ、楽しかった! ありがとうお兄ちゃん!」


 2時間弱ほどボール遊びを続けると、お嬢様は随分満足な様子でそう告げる。


「……はい! 私も楽しかったですよ。それにしてもお嬢様の身体能力は凄いですね。普通は、そのお歳であんな球投げれませんよ」


 これはお世辞でもなんでもなく、本音だ。

 お嬢様は、大人顔負けに、速く、高い球を投げる。俺がこのことに気づき始めたのは、お嬢様と遊び始めた半年前のことだ。それも、ここ最近での進化らしく、セマム様もそれを認知していなかったのだとか。


 因みに、そんな球を投げられて、俺は取れるのかと聞かれれば、何とかついていけている程度だ。これも仕事の為のトレーニングの一環だとして受け入れている。


 それが、お嬢様との遊びを「楽しい」と感じているからくりだ。


「さて、もうすぐお菓子の時間です。今日は私が作ることにしましたので、30分後に机にお越しください」

「ほんと!? お兄ちゃんの作るお菓子なんて嬉しい! お店のやつよりおいしいんだもん!」

「そんなに喜んでもらえると、こちらとしても作り甲斐があるってもんですよ」

「ほんと、お兄ちゃんってなんでもできるよね。料理も、お掃除も、お勉強だって毎日欠かさずやってるし……こうやって一緒に遊んでもくれる。よし! 私決めたわ!」

「ん? 何をです?」

「私、大きくなったら、お兄ちゃんと結婚する!」

「え、え?」


 度肝を抜かれてしまった。

 5,6も下の女の子にこんなにも心を動かされるとは思ってもいなかった。

 誰にも愛されず生きてきた俺が……告白?

 

 こんなに幸せなことが……ってそうじゃない!

 俺は、ロベリスさんに恋をしているんだ! こんな約束を受けるわけには――


 でも、お嬢様に嫌われてしまうのは、この家で生きていく為にも、なによりお嬢様の気分的にも良いものではない。

 取りあえず、この場の最適解としては――


「そうですね。お嬢様が色々な人に出会って、大きくなって。その頃にまだ、こんな私を慕って下さるなら、その時にまた、お告げ下さい。まだお嬢様の人生は始まったばかりなんですから」


 少しの罪悪感を感じつつ、お嬢様の目を見て告げる。

 そう、俺も、お嬢様もまだ幼い。子供の頃の約束なんて忘れるもんだって、フラリオも言っていた。今はこれでいいだろう。


 それに、お嬢様は、まだ小さいからわかりにくいが、艶やかな金髪で、顔だちも、俺がこれまで見てきた女の子中で最も整っていると思う。つまりは、将来、俺なんかは眼中から追い出されてしまうほどの美少女になると確信している。

 この前、見せて頂いたセマム様のお若い頃のお姿を見ても、美しくなることはほとんど確定事項だろう。

 そんな美女になるんだ。直に俺みたいな奴隷には近づきたくなくなるだろう。


 この時の俺はそんな甘い考えをしていた。


「本当ね!? もう予約取ったから! ぜぇったいにお兄ちゃんのお嫁さんになってみせるんだから!」

「はいはい。心待ちにしておきますよ」


 そうなんとか動揺を隠して返すと、お嬢様は少し膨れた後、にこっとこちらに笑ってくれた。


 このとき、俺が取ったと思っていた『最適解』が、実は『最悪解』だったことに気づくのは、もう少し後の話である。

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