第8話 酔いどれカモメ亭

「ここ?」

「うん。最初に萃香と食事をするならここと思っててさ」

「へえ。『酔いどれカモメ亭』かあ」

 

 看板を見上げている萃香が上機嫌に呟く。

 アットホーム過ぎるお店かなと思ったけど、彼女の反応が悪くなさそうでよかった。


「『酔いどれ』と書いているけど、居酒屋ってよりは定食屋に近いかな」


 年季の入った扉を横にスライドさせると、カランコロンと子気味よい音が響く。

 

「あ、これ」

「うん、この鈴は人気みたいでさ。使っているお店は多いよ」

「そうなんだ」

「日本と違って、鈴の音にもそんなに種類がないしさ」


 会話をしながら店の中に入ると、時間が早いためかまだお客さんの姿がまばらだった。

 さっそく鈴の音に反応した看板娘がポニーテールを揺らしながら元気よく挨拶する。

 

「いらっしゃませ!」


 しかし、彼女は俺の顔を見るや笑顔から素の顔に戻ってしまった。

 

「なあんだ。エメリコだったのお」

「よお、タチアナ。今日はテーブル席でもいいかな?」

「うん。あれえ。エメリコくうん。誰かなあ、その可愛い子はあ?」


 ニタアと嫌らしい笑みをしながら、手のひらを口にあてる看板娘ことタチアナ。


「何だよ、その口調。後で紹介するよ」

「絶対だよ! 空いている席ならどこでもいいから座っていいよ」

「うい。オススメを二つとブドウジュースを」 

「はあい。オススメ二丁ー」


 注文を受けたタチアナは奥にいる親父さんに声をかける。


「今日は赤い子と紫の子なのね! この子たちは?」

「さっき食べさせたから今日は無しで大丈夫かな」

「はあい」


 俺の肩に乗った紫スライムを人差し指でつんっとしてからタチアナは別のお客さんの元へ注文を取りに行った。

 

「すごい元気な人だね」

「うん。タチアナの元気よさもこの店の名物だと思ってる」

「あの笑顔を見ているだけで、元気になれそう!」


 萃香が両手をぐっと握りしめ、タチアナの後ろ姿を目で追う。


「俺と同じ歳なのにすごいなあって」


 しかも、俺は前世の記憶もちだから、タチアナより体験した時間が遥かに長いんだけどな。

 歳を経たからといって、人間、そう成長するものではないのである。(エメリコ、心の俳句)

 

「エメリコくんっていくつなの?」


 椅子に腰かけながら、萃香がふと思い出したように問いかけてきた。


「俺、一応今年で20歳になる」


 彼女の対面に腰かけながら、特に隠すこともないので素直に答える。

 すると、彼女の目がとっても開いてしまった。

 エメラルドグリーンの目に黒髪ってなんだかミステリアスな感じで、素敵だよな。

 目を見開いているから、彼女の透き通った瞳がよく見える。

 

「え、えっと。エメリコさんって呼んだ方がいいかな……」

「今まで通りでいいよ。そう歳も変わらないだろ?」

「う、うん。だけど、わたしより二つも上だったなんて」

「萃香は高校三年だったのか。受験やら進路で大変な時に……」

「そうだったの! でも、もう気持ちを切り換えないとね!」

「じゃあ、萃香は18歳か」

「ううん。まだ17歳よ。もう少しで18歳だったのに」

「いつだったんだ?」


 さり気なく彼女の誕生日を聞くイケメンな俺である。


「来月の5日だったんだけど……暦が違うから、わからなくなっちゃわない?」

「確かに。この世界は、一年が360日だからなあ。でも、ま、殆ど同じだ」

「なにそれえ。でも、エメリコくんらしいや」


 あははと快活に笑う萃香は、よほどおかしかったのか口元を押さえ涙目になっていた。

 彼女の肩が揺れると、赤スライムも同じようにぷよよんと震える。

 笑ってこのまま流そうたってそうはいかないぞ。

 俺は彼女に問い詰めないといけないことがあるのだ。

 

「萃香。さっきのどういう意味……?」

「何のこと?」

「ほら、俺の年齢を聞いて」

「え、ほら、ねえ。あ、タチアナさんが来たわよ」


 そんなことで誤魔化そうたってそうは……。

 そこで、後ろから日に焼けた健康的な肌をした腕が伸びてきて、コンコンとコップを机の上に置く。


「ブドウジュース、お待たせ」

「ありがとう」

「こいつ、ちびっ子で髭も生えてないけど、これでも私やテオと同じ歳なの。ビックリしたでしょー」

「はい、とっても」


 そこ、満面の笑みで応えるんじゃねえよ。もう。

 確かに俺はテオみたいに背が高くない。タチアナよりは……少しだけ高い。どうだー。

 萃香と比べたら頭半分くらいも高いんだぞ。

 

「こら、撫でるな」

「恥ずかしがってまあ。色気ついちゃってえ」


 タチアナにわしゃわしゃ頭を撫でられ、憮然とした顔をする俺。

 でも、タチアナよ。そのセリフは……ちょっと、あれだぞ。

 恨めしい目で彼女を見上げたら、悪びれもせず「ばあい」と言いながら紫スライムをつんつんして去って行った。

 

「仲いいんだね。テオさん? にも会ってみたいな」

「そのうちすぐ会えるよ。俺の友達を萃香にも紹介したくて、ここに来たんだよ」

「うん。そうなんじゃないかなって何となく思ってた。『俺の友達は萃香の友達』ってなれたらいいな」

「すごいな。萃香は」

「え?」

「独りぼっちで分けわからない世界にきて、そんなに前向きに頑張れるんだもの」

「ううん。不安で不安で仕方ないよ。今でも。だけど、エメリコくんがいてくれるから。わたしを連れて行ってくれたから、ね!」


 その顔は卑怯だぞ。

 なんだよお。その輝くような屈託のない笑顔は。八重歯まで見えちゃってるぞ。


「ええと、テオはさ、鍛冶屋の息子でこう適当な奴なんだけど、悪い奴じゃあない。もう一人、それなりに親しい友達がいるんだけど、店から滅多に出て来なくてさ」

「タチアナさんみたいにお店を?」

「うん。まあでも、あいつは店員をやっていなくても、出て来ないだろうな……そんな奴だ」

「パソコンやゲームがないのに、家でずっと……はめげそう」

「あはは。本ならあるからな。ここでも」


 話をしている間にも、萃香の目線はいろいろなところに向かう。

 初めて見る異世界のレストランだものな。ここは安くて量が多い庶民的なレストランだから冒険者や衛兵のお客さんも多い。

 彼らは肉体労働者だから、よく食べるんだよほんと。

 ん、彼女はまた何か気になるものを見つけたのかな。

 彼女の視線を追うと、身の丈ほどもある大剣に行きついた。


「あ、ごめんね。いろいろ目移りしちゃって……人の物を見るのって失礼だと分かってても、つい」

「ううん。あんな大剣は持つことはともかく、屈強な人でも振り回すのが難しいと思うじゃないか」

「うんうん! でも、持ち主さんはあんなにスラリとした男の人なんて」

「そうなんだ。魔力の影響か何か分からないけど、この世界の人の筋力って青天井なんじゃないかと思っている」

「あ、あはは……」

「ドラゴンもバッサリと剣で斬るとか聞くしさ」

「ドラゴン! あ、冒険者さんたちが討伐に?」

「うーん。大陸で二人しかいないSSSクラスの冒険者ならともかく、SやAじゃあ、好んでドラゴンとガチバトルしにいかないんじゃないかな」


 何故かそこで、赤と紫スライムがぷにぷにボディに角を立てて、自己主張する。

 おいおい、勘弁してくれよ。

 俺、今言ったよね。好き好んでドラゴン退治なんて行かないって。

 

「なんだかやる気だよ。この子たち」

「やれんことはないと思うけど……ドラゴンっていってもいろいろ種類がいるからなあ」

「そうなんだあ。あ、エメリコくん。だいたい想像はつくのだけど、SとかAとかって冒険者の強さを示しているの?」

「うん。あくまで冒険者ギルドに認められたクラスだから、低いクラスだからといって弱いとは限らないんだけど……」


 そう前置きして、俺は冒険者のクラスについて萃香に語り始める。


 冒険者になるにはとても簡単だ。冒険者ギルドにいって登録料100ゴルダを支払えば完了となる。


「日本円にしたら1万円だよね。車の免許に比べたら安いけど……

「うん、結構なお値段だと思う人もいるかも。だけど、冒険者に登録するとクリスタル製のカードをもらえてね」

「クリスタルって、水晶!?」

「うん、薄いけどクレジットカードサイズかな。そいつに、文字が浮き出てきて、ランクとか他のステータスが出てくるのさ」

「おおー」


 手を叩いて待ってましたーとされたところで、俺はカードを持ってないんだけどね。

 リリーが来た時に見せてもらえばよかった。彼女なら気にせず「……うん」と言ってくれそうだ。

 冒険者の持つカード……略して冒険者カード(まんまやないか)は、自分のランクと職業が記載されているから見せたくない人も多いと聞く。


「それで、ランクなんだけど、登録したばかりならEランク。実績を積むことでD、C、B、A、Sとあがっていく」

「あれ、SSとSSSってさっき言ってたよね」

「うん。SS以上は本当に数が少なく、特別に認められた人しかなれないみたい」

「SSSの人が二人だったっけ」

「うん。SSは十人だったかな、確か。冒険者はアストリアス王国内だけでも数万人いると聞くし」

 

 王国以外にも幾つか国があると聞いているけど、不勉強なものでよくわかっていないことは萃香に秘密だ。


「え、思っていたより人口が多いんだね、この世界」

「日本ほどじゃないよ。この街、アマランタでだいたい18万人くらい住んでいるんだけど、それでも街の規模が上位10位内とか聞く」


 もちろんだが、上位10位に入る街の名前を俺が知っているはずはない。これも萃香には、以下略。


「すごいね! 王都だともっと多くの人が住んでそう」

「いずれ、機会があったら王都にも、船にも乗ってみたいな」

「船?」

「うん、潮の香りがしなかった? この街って港町なんだよ」

「やっぱり!」

「ここは街の中でも一番海から遠いから。波の音が聞こえ辛いのかも」

「ううん。耳を澄ませば……ほら」


 目を瞑り、耳に手を当てる萃香。

 俺も彼女の真似をして耳に手を当ててみた。

 ……。

 

「お待たせ―。二人して祈りでも捧げているの?」

「お、噂をすればってやつだな。魚介スープか」

「うん。魚介のトマト煮込みとチーズ、パン、バターのセットになりまーす」


 タチアナが慣れた仕草でコトリコトリと皿を机に置いていく。

 よく落とさないよなあ。お盆だけじゃなく、腕の上に乗せて運んできているのだもの。

 

「じゃあ、さっそく食べようか」

「うん、おいしそう! いただきまーす」

「いただきまーす」


 二人揃って手を合わせ、食事をいただくことにした。

 おお、こいつは豪勢だな。タラのような白身魚、タコ、イカ、更にムール貝のような大粒の貝まで入っている。

 それだけじゃなく、野菜もたっぷり使われていて栄養バランスもバッチリだ。

 

 パンにスープを浸して食べると、魚介の旨味が存分に溶けだしていてこれだけでもうごちそうになっているぞ。


「んー。おいしい! スパイスも使っているのかな」

「何を使っているんだろうなあ。おいしけりゃ何でもいいや」


 はふはふしながら、食べていくとあっという間に完食してしまった。

 厚手の鉄鍋に入っていたから最後まで暖かくいただくことができたのか。細かいところまで気配りが行き届いているなあ。

 さすが、酔いどれカモメ亭である。このカスタマーファースト精神を見習いたい。


「ごちそうさまー」


 タチアナに萃香を紹介するって約束していたけど、お店がにぎわってきていてそれどころじゃなさそうだった。

 後ろ髪引かれる思いながらも、店を後にする。

 

 ◇◇◇

 

 寝る場所についてひと悶着あったが、俺が床で眠ることで押し切った。

 夜が更けるまで萃香と相談した結果、「ルシオ錬金術店」の休業日を延長することにしたんだ。

 元々、すでに四日以上店を閉めていたし、今更伸びたところでそうそう変わらない。

 休業日の延長を決めたのは、ルシオ錬金術店はまだまだお店としてやっていくにいろいろ準備が足りていないことが分かったからだ。

 両親のお店を手伝っていた経験のある萃香の意見はとても参考になった。

 何度か「え、えええ!」と驚かれてしまったんだけどね……。

 

 そんなわけで、お店の再オープンに向け俺たちは朝から街へ繰り出すことにした。


「ええっと……商品、内装……あとなんだっけ」

「あ、あれ、おいしそう。ん? エメリコくん、大丈夫だよ。わたしが覚えているから」


 萃香はこれまで食材買い出しルートしか歩いていないから、初めて見る露天の景色に目を奪われている様子。

 あ、もう俺が覚えきれていないって把握されている。

 ま、まあ。彼女と一緒なら心配ないさ。は、ははは。

 

「まずは、品揃えと帳簿やら値札用の紙とペンを買いに行こうか」

「うん!」

「あ、あれ、食べてみる? 日本にはないフルーツだから」


 元気よく返事をしつつも、萃香の目が釘付けになっている柄はスイカなのだが、皮の色が黄色と紫というフルーツを指さす。

 

「なんだか見た目が少し……果肉の色も青色ってなんだか」

「スイカだって、黄色があるじゃないか。似たようなものじゃ。かき氷の色だと思えばいけるいける」

「エメリコくん、あれ食べたことあるの?」

「いや、無い。ははは」

「ちょっとお」


 ぶううっと膨れる萃香に「ははは」と笑うものの、俺は内心、彼女の気付きに感心していた。

 俺は産まれてこのかたずっとこの街に住んでいるけど、あの毒々しいフルーツに目を向けもしなかったんだ。

 彼女の新しいものに対する好奇心は俺にはないものであることは確か。

 お店を繁盛させるにあたって、別人の視点、それも頼りになる彼女がいてくれてよかったと思う。

 彼女は俺に養ってもらっている感覚がまだ残っているのかもしれない。だけど、俺の方はもうすでに彼女に対して、そのような気持ちは微塵も持っていないんだぞ。

 二人三脚やることで初めて、店を運営することができると思っている。

 どっちが欠けてもお店は立ち行かないさ。


「はい」

「え、えええ。買ってきたの」

「だってえ、食べるかって言ったじゃない」

「言ったけど、俺は食べるって一言も」

「はい!」


 満面の笑みで切り分けて串に刺さった毒々しいスイカに似た何かを手渡してくる萃香。

 ち、ちいい。目を離した隙になんてことを。

 

 だが、そのまま捨てるなんてことは勿体ない。食べ物は粗末にしたらいけないからな。うん。

 ――シャリ。


「お、おお。これはなかなか」

「からーい。甘いと思ってたのに」

「いやいや、これは悪くないぞ」

「食べる?」

「あ、それなら、赤に」


 萃香が串を赤スライムに向けたら、ぴょーんと俺の肩から萃香の持つ毒々しいフルーツへ飛び乗った。

 そのまま包み込むようにべとーっとなった赤スライムは一瞬で串ごとフルーツを取り込む。

 

「こいつはいい発見だった。また買いにこよう」

「わたしはパスで……」


 小さく舌を出して、べーっと顔をしかめる萃香なのであった。

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