第4話 魔力
彼女にかいつまんでこれまでのことを語る。
俺にはこの世に産まれでた時から前世の記憶があった。前世の記憶は日本で育ち、高校を出て働くか大学に行くか迷っていたところで途切れている。
その先、日本にいた時の俺は死んだのか老年まで生を謳歌したのかは分からない。
知りたい気持ちがないわけじゃあないけど、特段努力して知りたいってほどじゃあないってところだ。
俺にとって大事なことはは前世より今世だからな。うん。
「だから俺は日本語が分かるし、有馬さんが高校生じゃないかって推測もできる」
「エメリコくんのように前世の記憶があるひとは他にもいるの?」
「不明だ。少なくとも俺は会ったことがない。だけど、俺という例があるのだから、他にいても不思議じゃあない」
「うんうん」
こくこくと頷く萃香。
すっかり話し込んでしまい、元から腹ぺこだった俺の胃袋が空腹で麻痺してきている。
『よし、じゃあ、約束通り何かおごるよ』
『な、何でもいいのかな……』
『うん。露天でと言ったけど、レストランとかでもいいよ』
『エメリコくんのおうちで食べたいな』
遠回しだったけど、彼女が何を言わんとしているのかはすぐに分かった。
そらそうだ。突然転移してきて、泊るところなんてないし、そもそもお金も持っていないだろう。
それに加え、言葉も通じないときたもんだ。
『俺のところでよければ、落ち着くまで泊ってくれていいよ。でも』
『あ、ありがとう! でも?』
『俺の家はお店にもなっているんだけど、今は俺一人で暮らしているんだよ』
『う、うん。それでも、わたしは……エメリコくんならいいよ。何も知らないわたしにこんなに親切にしてくれたんだもの』
こらこら、何を想像しているんだよ。
耳まで真っ赤にしちゃって……そんなことするわけないだろうに。
弱みにつけこんで、家に泊るなら、ぐへへ、何てことは絶対にしない。
彼女の気持ちが落ち着いたら、どうすべきか、何をしたいのか彼女自身で答えを出してもらおう。
それまでは、うちで暮らせばいい。
転生と転移と状況は違うけど、得も言われぬ孤独感や虚無感は俺だって抱いたことはある。転移なら転生より更にその気持ちが強いだろうから。
『有馬さん、食べ物を買って俺の家に向かおうか』
『う、うん。や、優しくして、ね』
ちょんと俺の手の甲を自分の指先で触れながら、萃香が恥ずかし気に長い睫毛をふるわせた。
◇◇◇
くしゅん。
お店の中に入った途端に、萃香が可愛らしい咳をする。
そんなに埃っぽいかなあ。
棚を人差し指でつつつーっとやると、べっとりと埃が指に付着した。
あちゃーと苦笑していたら、青と紫のスライムがさっそく俺の足元で跳ねる。
続いてチリンチリンと澄んだ鈴の音が響き、モミジも二階から降りてきた。
『可愛い!』
萃香がその場でしゃがみこみ、モミジに向けて手招きをする。
つーんと顔を背けていたモミジだったが、萃香が人差し指を左右にパタパタし出すと、気になったのか尻尾が指の動きに合わせて揺れていた。
『店の奥がダイニングキッチンなんだ』
『抱っこしてもいいかな……?』
『うん。暴れるかもしれないけど』
そーっと手を伸ばしモミジを抱え上げる萃香。
お、珍しくモミジが嫌がってないな。それどころか彼女の胸に頬をすりすりして甘えているじゃあないか。
俺にはあんなこと滅多にしないのにい。そうか、女の子がいいのか。このエロ猫め。
萃香はモミジを胸に抱いたまま、俺の横に並ぶ。
途中、小瓶に触れそうになり慌てて身を引いたりする姿が横目にチラリと見えた。
整理整頓しなきゃと思ってはいるんだけど、外出が多くてなあ。いろいろ欲しい素材があったからさ。
作業机のところに椅子をもう一脚持ってきて、萃香と並んで座る。
さっそく買ってきた肉串と豆とレタスのサラダを包みから開けた。
『まずは食べようか』
『うん! エメリコくん、どこに?』
『いや、調味料をとね』
キッチンの棚からトンガラシの粉が入った小瓶を持ってきて萃香に見せる。
『いただきまーす』
『いただきまーす』
二人揃って手を合わせ、さっそく肉串を手に取る。
そのままどさーっとトンガラシの粉をかけ、かぶりつく。
うん、甘辛タレとホロホロ鳥のもも肉の相性は抜群だな。
『エメリコくん、ちょっともらっていい?』
『うん』
萃香は手のひらに少しだけトンガラシの粉を乗せ、小さく舌を出しちょこんと赤い粉に当てる。
『エメリコくん……』
うわあ。思いっきり顔をしかめているじゃないか。目には涙もにじんできているぞ。
急ぎ水をくみ萃香に手渡す。彼女は口元から水をタラりと垂らしながら、ごくごくとコップを空にした。
『辛い……辛すぎだよ、これをそんなにかけてたの?』
『それほど辛くないって。ちょうどいい』
更にトンガラシの粉を肉串に振っていたら、赤スライムが肩の上で激しく跳ねる。
「ほれ」
トンガラシの元……ルベルビートルの角が満たされた樽の蓋を開けてやった。
赤スライムはぴょーんと樽の中に入ってぷるぷる体を震わせる。
『赤い子ちゃん。あの色って、この赤色なのかも……』
『おお、そうだぞ。よくわかったな!』
『冗談だったのに。本当にそうなんだ』
『うん。赤の正式名称はトンガラシスライム。そしてこの赤い粉はトンガラシの粉と言うんだ』
『唐辛子じゃなくてトンガラシなのね』
『そそ。材料が虫の角だしな』
『え……』
とっても嫌そうな顔で水を要求する萃香。
いや、味はほとんど同じなんだからいいじゃないか。
仕方なく水をもう一杯汲むと、彼女はごくごくと一息に水を飲み干してべーべーっと舌を出す。
『まあ、食べようよ』
『う、うん……』
しばらく無言でもしゃもしゃとやった後、手を合わせてご馳走様と声を揃える。
食事の後、簡単に水の出し方とかトイレとか説明しようとしたが、今更とあることに気が付く。
水はともかく、トイレはさすがに俺が手伝うのはマズイよな。
『有馬さん、この世界にも家電みたいなものはいくつかあるんだよ』
『すごい! 見た感じはファンタジー中世風? な世界なのに』
『うん、そこの蛇口を捻ったら水が出るし、トイレも水洗式なんだけど……大きな問題があって』
水が出る蛇口に手を触れ、くるりと蛇口を捻ったら水がちょろちょろと出てくる。
次に萃香に邪口を捻ってもらうが、やはり水は出てこない。
やっぱり……。
不思議そうに首をかしげる萃香の手に自分の手を重ねる。
すると、蛇口から水がちょろちょろと出てきた。
『え、え。どうなっているの?』
『これ、魔力を込めると水が出るんだよ』
『魔力?』
『だよなあ。日本には魔力なんてないものな。魔力が使えないと、ここでの生活はままならないんだ。特にトイレ……』
『トイレがどうなるの……?』
『水が流れない』
萃香の顔からさあああっと血の気が引く。
口が開きっぱなしになって固まっている彼女の肩をポンと叩き、作業机のところにある椅子に座らせる。
『必ず魔力を使うことができる……はず』
『……はず』
『いやいや、絶対、うん、大丈夫?』
『ううう』
そうだ。手足を動かすように魔力を使うことができるはずなんだ。
俺は物心ついた時から魔力を使うことができるようになっていたからな。言葉を覚えるより早く、にだ。
『目をつぶって、大きく深呼吸をしてー脱力ー』
『すーはー』
『続いて、丹田に力をためるように』
『丹田?』
『お腹の辺りをきゅううっと』
『お腹痛くなりそう……』
『……』
心配になってきた……。
でも俺の心の内をよそに彼女の集中力が高まっているようだった。
『どうかな?』
『お、おおお?』
開いた彼女の瞳の色が、明るい緑色に変わってる。
何だろうこれ。魔力の強い人の中には、髪の毛や瞳の色が変わる人がいるとか何とか聞いたことがあるような。
魔力に敏感なスライムたちは特に何かを感じ取った様子はなかった。青は俺の肩でぷるぷるしているし、紫は作業机の上でむにゅーんとへっこんだり元に戻ったりしている。
『な、何かあったの?』
『ううん。鏡持っている?』
『うん』
萃香が鞄を取りに店舗側に足を運ぶ。
そこで、彼女の悲鳴が聞こえた。
「有馬さん」
「え、ええ。これ」
「たぶん、魔力が体を巡って目の色が変わったんだと思う」
「やった! だったら、水も出せるかな」
蛇口に手をそえ、チラリとこちらに目をやった萃香に頷きを返す。
ゆっくりと蛇口を捻ると――。
どばあああああっと物凄い勢いで水が出てきた。
「きゃああ」
「だあああ、離して、蛇口から手を!」
驚いた。
原因は魔力の流しすぎである。
初めて魔力を扱うから加減が利かないのか。この世界で生まれた人は物心つく前から魔力を扱うから、自然と魔力の調整は身につく。
たまごを掴むときに思いっきり握りしめないように、魔力の力加減も自然とできるようになるんだ。
「こればっかりは調整だなあ。そうだ」
店舗から魔道具を一つとってきた。
「それは?」
「こいつは魔力測定器みたいなもんだ」
木枠の薄い板に細い筒が差し込まれた実験道具にも見えるそれは、中が透明な液体で満たされている。
萃香が筒に指先を添えると、途端に真っ赤に変わった。
「力を抜く……といっても難しいかもしれないけど、こうふううっと息を抜くような」
「こ、こうかな」
筒の色が赤から紫、そしてまた赤へと巡るましく変わっていく。
「赤が強く、魔力が弱まると青に近くなっていくんだよ。魔力が無くなると透明になる」
「これで魔力の力加減を練習できるのね」
「そそ。しばらくやっていると慣れると思う」
「うん」
んーっと大きく伸びをした萃香は目をつぶって、深呼吸を繰り返した。
続いて、彼女は筒に触れたが、筒の色は透明のまま変化がない。
「完全に魔力が抜けたな」
『え? 何?』
萃香がパチリと目を開け、こてんと首をかしげる。
彼女の目の色は元のこげ茶色に戻っていた。
『あ……そういや、つい驚いて日本語で喋ってなかったみたいだ。だけど、さっきまで、通じていたよな』
『ほんと? ひょっとしたら。ちょっと待って……まだ難しい』
筒の色が緑色に変わる。お、なかなかいい感じじゃないか。
一方で彼女の目の色も綺麗なエメラルドグリーンに変化していた。
「魔力が体に巡っていたら、言葉が通じるようになる……のかな?」
「そうかも……? 今、エメリコくん、日本語で喋ってないよね?」
「うん。アストリアス語だよ」
「街でもお話しできそう!」
「だな! すげえな」
これが、異世界チート特典ってやつか。
俺つえええとかできる能力じゃあないけど、ここで生きて行くためにはこれほどありがたい能力はない。
「しばらく練習していいかな?」
「うん。もちろん。トイレは切実な問題だからな」
「う、うん。がんばる!」
気合を入れるためにぐぐっと力を込めてしまったからか、筒の色が真っ赤になっていた。
眠たくなってくる頃、彼女はまだまだ覚束ないものの、集中していたらなんとか魔力の力加減ができるようになったのである。
すげえ、必要に迫られると人間何とかなるもんだな。うん。
◇◇◇
翌朝――。
「うーん」
背中と腰が少し痛い。ごろごろしたが、床が硬い……。あ、そうか。昨日はベッドじゃなくて床に寝たからか。
頭の下には赤スライムが枕代わりになってくれているから、快適そのものだ。
俺が起きたとみるや、赤スライムがぷにゅーんと俺の頭の下から抜け出し、ぴょんぴょんと跳ねる。
天井に張り付いていた紫スライムがにょーんと体が垂れて俺の腹の上でぴょこぴょこ。青スライムは足元で「はやくおきれー」と猛烈にアタックしてくる。
こ、こいつらあ。モミジは丸くなって萃香と共にすやすやとベッドの上で寝ているというのに。
「仕方ねえ。分かったよ。餌だよな」
ふああと大きなあくびをして、体を起こす。すかさず両肩と頭に乗ってくるスライムたち。
階下でスライムたちに餌をやっていると、眠気まなこをこすりながら萃香も二階から降りてきた。
「おはよー」
『おはよー』
「魔力、魔力」
「う、おはよおー」
よし、いいぞお。
そうそう、そうやって自然に魔力を巡らせることができるようになっていかないとね。
練習あるのみだ。
「軽く朝食を済ませてから、出かけよう」
「ふああい」
髪が乱れっぱなしになっているぞ……。
櫛も買った方がいいよなあ。いや、持ってるか。
身の回りの物は何が足りないか分からないから、彼女に聞きつつだな。ついでに俺も何か必要なものがあったら買っておこう。
お出かけグッズとか痛んできていた気がする。
丸パンにハム、チーズとレタスを挟みんだものとぶどうジュースだけというシンプルな朝食を終え、すぐに家を出ることとなった。
◇◇◇
「ど、どうかな?」
「うん、可愛いんじゃないかな!」
「そ、そう」
ぱっと頬を朱に染めつつも、その場でくるりと回転する萃香。
結構ノリノリじゃないか。
彼女の動きに合わせて、ひだひだのスカートがふわりと舞う。膝上10センチくらいかな。
このスカートの名前はサーキュラースカートというらしい。フレアスカートとおんなじデザインに見えるのだが、何か違いがあるのだろうか。
まあそれはいい。彼女のスレンダー体型とショートカットにこの赤いスカートはよく似あっていると思う。
上は紺色の半袖ブラウスに黄色のリボン。スカートが腰上まで覆っているから、なんだかカフェの店員ぽく見えなくもない。
「タイツとハイソックス、どっちがいいかな?」
「どっちも買っておいたらどうだろ。あと着替えの服もあった方が良くないか? 高校の制服は目立つだろ」
「いいの!? ありがとう!」
そんなわけで、もう一着服を揃えてブーツとパンプスも追加した。
先に買った日用品と合わせたら結構な荷物になったなあ。
一度家に戻り、荷物を置いてから再度街に繰り出す。
今度は食材の買い出しだ。
「この辺りが食品を置いている店が並んでいるんだ」
「ふむふむ」
「一人で来れそう?」
「うん! 真っ直ぐだし、大丈夫だよ!」
紫スライムを肩に乗せた萃香が笑顔を見せる。任せとけーってガッツポーズつきで。
彼女に食材の買い出しを任せようと思っているんだ。街と人々に慣れて欲しいと思ってさ。
「何か危ない目にあいそうになったら、紫に頼ってな」
「紫の子ちゃんに?」
「うん。こんな小さくてぷるぷるだけど、こいつ、結構強いんだ」
「そうなんだ」
萃香が紫スライムをつんつんとつっつく。
彼女の指の動きに合わせて紫スライムがぷるぷる震える。
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