第2話 魔除けの精油

 半年前――。


 これでここに来るのは何回目だろう……二百回を超えた時から数えるのをやめた。

 きっかけは些細なことだったんだ。


 冒険者がさ、こんなことを言っていたんだよ。

『魔除けの精油って一種類しかないんだよなあ。便利なんだけど、弱いモンスターにしか効果がなくてなあ』

『んだなあ。もう少し使い勝手が良かったら、高くても買うよな』

『だよなあ』


 この会話を聞きつけた俺はピンと来たね。

 魔除けの精油を改良し、性能をアップさせることができれば……ウハウハやないかって。

 

 祖父の後を継ぎ、錬金術屋を営むことになったはいいんだが、売上がパッとしない日々が続いていた。

 ここで一発、大逆転を狙おうとしていたわけなんだが……。

 現実は厳しい。

 魔除けの精油は一種類しかなかったのではなく、まともに効果を発揮するものが一種類しか作れなかった、というのが現実だったんだよ。

 だけど、俺は諦めない。ここまできたら諦めることなんてできないだろ!

 既に挑戦回数は二百回を超えているんだぞ。今更、引き下がるわけにはいかねえ。

 絶対に一儲けしてやるんだ。ふ、ふふふ。

 

 風がふわり吹き抜け、背の低い雑草を揺らす。


「今度こそ……うまくいけよお」


 懐から魔除けの精油が入った小さな小瓶を取り出し、きゅぽんと蓋を抜く。

 ちょろりちょろりと魔除けの精油を手ぬぐいに染み込ませ、周囲を警戒する。

 

 ぴょこん、ぴょこん。

 すぐに涙型のぷよんぷよんした子犬くらいのサイズをしたスライムが草むらから顔を出した。

 色は草原と同じ、深い緑色をしている。

 あれは、モンスターの中でも「最弱」と言われるグリーンスライムだ。

 錬金術屋の俺でさえ、棒で突っつくだけで倒すことができるほど。

 

「あちゃー。また失敗か……」


 最弱のスライムさえ寄って来るとは……。これじゃあ、劣化もいいところだよ。

 さっきのスライム? 俺の足にすりすりして攻撃をしてくる様子はない。

 魔物を退けるどころか逆に懐かれるなんて、これじゃあ魔除けならぬ魔物寄せじゃねえか。

 

「もういいや、帰ろう」


 どっと疲れた俺は、小瓶を懐に仕舞い込み街へ戻ることにしたのだった。

 

 ◇◇◇

 

 夕刻前に自分のお店兼自宅に到着する。

 俺の錬金術屋はアマランタの街の外れにあって、この時間になるともう道行く人の姿は見えない。

 街の商店街ならこの時間は人であふれているんだけど、一軒だけポツンと建っているものだから買い物客がわざわざここまで足を運んでくれないんだよなあ。

 ま、錬金術屋ってのは、専門店だ。

 ここにしかない商品を並べれば、お客さんはきっと来てくれる。

 幼馴染であるテオの鍛冶屋は、俺と同じで街はずれにあるというのに繁盛しているものな。

 

「これから、大繁盛するさ。うん……たぶん、きっと」


 はああ。

『ルシオ錬金術店』

 扉の上に飾った祖父の父が作った看板を見上げため息が出る。


「今日は終わり。明日からまた頑張ろう」


 グッと拳を握り、殊更明るい声で宣言した。

 扉をガチャリと開け、家の中に入る。

 

 ぴょこん。

 ん?


「ついてきていたのか」

 

 さっきのグリーンスライムが俺の足元でぴょんぴょん跳ねた。

 尻尾があったら、思いっきり振ってそうなほどグリーンスライムがはしゃいでいるように見える。


「特に害も無いから、まあいいか」


 おっと、スライムに構っている暇はない。

 ――チリンチリン。

 ほら来た。鈴の音が二階に登る階段から響き、一匹の黒猫が姿を現した。


「すまん。モミジ。腹が減ったよな」

「にゃーん」

 

 スリスリと俺の脛に頬を擦り付ける黒猫こと飼い猫のモミジ。

 さっそく深皿に牛乳を入れ、床に置いてやる。

 待ってましたとばかりにモミジがペロペロと牛乳を舐め始めた。

 

 ぴょんぴょん。


「お前も何か食べたいの?」

 

 グリーンスライムが飛び跳ねてアピールしてくる。

 でもなあ、スライムが何を食べるのかなんて分からん。草原に棲息しているんだから、虫とか葉っぱとか食べてるんだろうか?

 そんなことを考えている間にもグリーンスライムは腰のポーチにアタックしてくる。

 何か食べるようなものがポーチに入っていたっけ。

 ガサゴソとポーチを漁るが、魔除けの精油が入った小瓶くらいしかないぞ。

 壺を机の上に置こうとしたら、グリーンスライムが小瓶に体当たりをする。

 

 カラーン――。

 スライムに当たられた衝撃で小瓶を取り落としてしまった。

 小瓶の蓋が外れ、どぼどぼと中身が零れている……。

 そこへすぐさまグリーンスライムが乗っかり、こぼれた魔除けの精油をぷよぷよした体に擦り付け始めたではないか。

 魔除けの精油が乾いたスポンジに吸い込まれるようにグリーンスライムの体に取り込まれて行く。

 すると、グリーンスライムの体色が深い緑色からスカイブルーに変化したのだ!

 

「え、えええ。何これ」


 慌てて棚の中から片眼鏡を取り出し、青色になったスライムを覗く。

 この片眼鏡は「鑑定」の効果が付与された魔道具なんだ。

 

『ブルースライム+1

 レベル:1

 体力:4

 力:4

 素早さ:4

 魔力:0

 スキル:無

 状態:エメリコに懐いている』

 

 グリーンスライムからブルースライムに名前が変わっている!

 ステータスもオール1だったはずなのだけど、微妙に強くなっているし、それに+1って……。

 まるで、強化した武器のような鑑定結果になっている。

 名工が作った武器や、鍛冶屋で強化した武器は「ショートソード+3」のように通常よりステータスが高い武器にすることができるんだ。

 防具やその他道具も同様なんだけど、モンスターで+1なんて聞いたことがない。

 ひょっとしたら、このスライム……強化できるんじゃないのか?

 

 スライムの強化実験をやる前に、一つ試したいことがある。

 ペロペロと牛乳を舐めているモミジに少しだけ魔除けの精油を振りかけてみた。


「にゃああ」

 

 尻尾を振り回して、お怒りモードになってしまったようだ。

 一応鑑定してみるが、モミジのステータスに変化はない。

 俺にも試してみよう。手の平に魔除けの精油を落としてみたが、そもそも油なので吸収しない。

 ついでと言ってはなんだが、つううんとした香りが鼻につく。

 

「強化するっていっても、どうすりゃいいんだろうな」


 俺は錬金術師である。なので、いろんな素材が店内にあるわけだが。

 他には錬金術で作成したポーションや精油やらも置いている。


「よっし、じゃあ、錬金術の応用で強化できるかまずやってみよう」


 ぽよぽよするブルースライムを両手で抱え上げ、調合用の机の上に置く。

 スライムは特に暴れる様子もなくぷるるんと体を震わせた後、じーっと動かず大人しくしていた。

 錬金術の基本は「調合」「合成」の二つ。

 スライムと何かってなると調合よりは合成の方がよさそうだな。液体とか粉じゃないしさ、スライムは。

 

 何にしようかな。

 引き出しを開け、ざっと眺めてみる。

 ドラゴンの鱗とか一角獣の角とかあればいいんだけど、そんな高価な素材はこの店にはない。

 こいつで行くか。

 鮮やかな紫色をしたキノコに目をつける。

 こいつはパープルボルチーニという毒キノコだ。食べると痺れて半日ほど動けなくなってしまう。

 手軽に採れて、調合すると中々使える素材なんだよな。粉々にすり潰して、エーテルと混ぜ、調合するとねっとりとしたシビレ薬になるんだ。

 狩りに使うとかすっただけで、獲物の動きを止めることができる。

 

 今回は調合したものではなく、キノコのまま使うことにしよう。

 右手をキノコに、左手をスライムにかざし、目を閉じ体内の魔力を一点に集める。


「エメリコの名において願う。シンテシス合成


 手の平から柔らかな光が降り注ぎ、キノコがスライムに吸収され光が消えた。


「お、うまく行ったか?」


 さっそく鑑定してみるとするか!

 ワクワクしながら、片眼鏡を覗く。


『ブルースライム+1

 レベル:1

 体力:8

 力:4

 素早さ:4

 魔力:0

 スキル:麻痺耐性+3

 状態:エメリコに懐いている』

 

 見た目こそ、涙型のぷよぷよしたブルースライムのまんまだ。

 だけど、毒キノコのシビレ成分を取り込んだのか麻痺耐性がついているじゃないか!

 地味に体力も上昇しているし。

 

「まだパープルボルチーニはあったかなあ……」


 シビレ薬は割に動く商品なんだよね。売上の少ない我が店において主力商品の一つだ。

 一番人気があるのは、薬草類だけど。

 でも、薬草類は道具屋の方が……ぐうう。負けねえぞお。 

 何でも広く浅く置いています、なんて店に負けるものかあああ。

 なんて、負のオーラを出していたらパープルボルチーニを発見した。なあんだ。薬草と一緒に置いていたのかあ。


「エメリコの名において願う。シンテシス合成


 在庫の半分ほどのパープルボルチーニをブルースライムに合成してみた。

 スライムの見た目の変化はないけど、どうなっているのかなあ。

 ワクワクしながら、片眼鏡を覗く。


『ブルースライム+1

 レベル:1

 体力:38

 力:4

 素早さ:4

 魔力:0

 スキル:麻痺耐性+10

 状態:エメリコに懐いている』


「お、おお」


 麻痺耐性がカンストしているじゃないか。

 パープルボルチーニは確かにシビレ薬の材料だけど、低位の麻痺効果で耐性が青天井にあがるとは、すげえなスライム。

 恐ろしいことに耐性がカンストした後も、体力はそのまま成長していくのか。

 キノコだけでどこまで体力があがるのか試してみてもいいな。

 

 お次は何を試そうかなあ。

 薬草、毒消し草、ポーション、硫酸、硫黄と次々に合成していく。

 やはり特にスライムの見た目に変化はなかった。

 しかし、ステータスは確実に成長……いや、何かもうおかしい。

 

『ブルースライム+1

 レベル:1

 体力:108

 力:4

 素早さ:72

 魔力:0

 スキル:麻痺耐性+10

     自己修復+10

     酸耐性+10

 状態:エメリコに懐いている』

 

 キノコの時と同じで、低位の回復手段である薬草なんかでも、スキルがカンストまであがってしまうのだ。

 少し怖くなってきたけど、それ以上に何だか楽しくなってきた。

 このスライム、一体どこまで強化することができるんだろう。

 

「にゃーん」


 モミジが俺の足に頬を擦りつけ、ひょいと膝の上に乗っかってまるくなる。

 珍しいな。まだ布団に入っていないのにお休みモードになるなんて。モミジは猫らしくなく、夜もぐっすり休むことが多い。

 夜ごはんを食べて眠くなっちゃったのかな。

 ぐうう――。

 いや、違う。ははは。ついつい夢中になって結構時間がたっちゃったみたいだ。

 腹の虫が時間の経過を教えてくれた。

 

「少し食べてから寝るとしようかな」


 モミジの顎を指先でぐりぐりとしたら、彼はぐるぐると喉を鳴らし尻尾をぐてえっと垂らす。

 モミジを抱っこして、二階の自室にあるベッドに寝かせ作業台へ戻った。

 店の奥は作業スペースと生活スペースが一体になっていて、部屋が広くないので机は一つだけだ。

 つまり、作業台は食事にも調合にも使う。

 ちゃんとお片付けしていないと、毒草の粉が料理に入ったりしてのたうち回ることになる……二回ほどやっちまったけど、アレはキツイ。

 

「ふんふんふんー」


 炭に火をつけ、お鍋をぐつぐつと煮込む。ウサギ肉と玉ねぎに、鳥ガラを加えー。最後はこれだあ。

 ブルースライムがぴょこぴょこと足元で跳ね、踏みつけそうになりながらも真っ赤な粉が入った瓶を手に取る。

 そう、こいつは俺の生活に欠かせない「トンガラシ」だ!

 

 どばどばあああっとトンガラシの粉を鍋に投入。

 うーん。この鼻にびりびりくる感じ、良いね良いね。

 

 鍋掴みを装備し、手をワキワキさせ……鍋を作業台に運びこ……ううおお。


「待て。そこでぴょこぴょこしたらコケるって」

 

 カラン――。

 ふ、ふう。

 何とか転ばずに済んだが、トンガラシの粉が入った瓶が棚から落ちてしまった。

 拾い上げようとしたら、ブルースライムが瓶を掴んだ俺の手に向け猛烈にぷにぷにさせてくる。

 

「トンガラシが食べたいのか?」


 ぴょこぴょこ。

 ぶるぶる身を震わせて跳ねるブルースライム。

 イエスかノーか分からん。

 

 深皿を床に置いて、トンガラシの粉を乗せてやるとブルースライムがそこに乗っかり体に赤色の粉を取り込み始めた。

 ついでだ。トンガラシも合成してやろう。

 すり潰していない甲虫の角のままのトンガラシをブルースライムの頭に乗せて、魔力を込める。

 

「エメリコの名において願う。シンテシス合成


 甲虫の角が光を放ち、ブルースライムの糧になった。

 

 ん? もっとトンガラシの粉が欲しいのかな?

 トンガラシの粉は俺の生命線……毎日思いっきり使うんだ。

 お前も好きなのか、トンガラシが。

 

 何だか妙に親近感を覚えた俺は、一抱えある甕に入っている真っ赤な甲虫の角を作業台横まで運ぶ。


「粉にした方がいいのかな」

 

 甕の蓋を開けたら、ブルースライムが飛び込んでいってしまった。

 ついでだ。合成もしてしまえ。

 

 なあんてやっていたら、甕の中が空っぽになってしまったぞ。

 明日、仕入れにいかないと。

 すっかり冷めてしまったウサギ肉をほうばりながら、やってしまったことを少し後悔する俺なのであった。

 

 スライム?

 スライムは俺の膝に登ってぷるぷるとご満悦な様子だよ。

 色まで青色から赤色に変わっちゃってまあ。余程、トンガラシがお気に召したと見える。

 

 どれどれ。

 行儀悪くもしゃもしゃしながら、片眼鏡を手に取る。

 

『トンガラシスライム+1

 レベル:1

 体力:168

 力:380

 素早さ:272

 魔力:0

 スキル:麻痺耐性+10

     自己修復+10

     酸耐性+10

     火の息+5

 状態:エメリコに懐いている』

 

「え、ええええ」


 カラーン。

 つい、持っていたスプーンを落としてしまった。食べながらステータスを閲覧するのは良くないな、うん。

 こ、こいつスライムの癖に火の息なんて使えるようになったのか。

 しかし、口なんてないけど、どうやって火の息なんて使うんだろう。そもそもこいつ、呼吸さえしてないような……。

 

 ◇◇◇

 

 ――現代。

 背負子の横でぷるぷるしている赤スライムを指先で突っつく。

 こいつ、赤スライムって呼んでいるけど、鑑定によると名前は「トンガラシスライム」なんだよな。

 トンガラシを欲しがるのも納得である。

 あれからいろいろ合成して、こいつがとんでもない能力値になっていることは俺だけが正確に把握している。

 普通に鑑定しただけだと、赤スライムのステータスを閲覧できなくしたからな。

 そうそう。赤スライムのために、家にあるトンガラシストックを倍に増やしたんだよ。

 面白いことに、スライムは色によってある程度食べ物に好みがあるようで……。

 

「待たせたなー。すまんすまん」

「いえー」


 赤スライムこいつのことを思い出しながら、背負子の中を整理していたので特に待ったという感覚は無かった。

 むしろ、ファビオが来るまでしばらくかかるってミリアが言っていたのに「もう来たの?」くらいだ。

 

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