第十話 お隣さん

「仕事を失敗するなんて、いつぶりだろうか…」


 護衛対象は鋼鉄の城塞の中、多少のラグは問題無いと思っていたが、見当が外れた。


 まさか俺に金で雇った"キメラ"を寄越して殺しにかかるとは。

 ものの数分で処理は完了したが、その数分が命運を分けた。


 俺の情報はリヒテンシュタインが秘匿していた筈だが、割れていた。

 殺し屋共のリサーチ能力には脱帽ものである。


 だが、もう済んだ事だ。

 俺はゆっくりシャワーを浴びたあと、家へ戻るとするよ。

 それにしても、いい景色だ。リヒテンシュタインには感謝しなければな。


 優雅に熱湯を浴びた後、タオル一枚でシャワールームを出た男の目の前には、招かれざる客人が一人。


「仕事先にコーヒーメーカーを持って行くとは、中々いい趣味してるじゃないか。護衛くん…」


 瞬時に理解する。

 私に刺客を送りこみ、護衛対象を殺害した張本人がここにいる。


「任務に失敗してんのにそんなゆっくりしてちゃダメだろー。それに、帰ったところでリヒテンシュタインがお前を生かす理由なんてないんだよ」


 死んだ目に抑揚のない声色をしたブロンドオールバックの傭兵は、静かに立ち上がった。


「言い残すこと、あるなら聞くよー。すぐ忘れるけど」


「ッ!」


 股間に巻いたタオルをヤツの顔面目掛けて放り投げ、胴体目掛けて蹴りを仕掛ける。


「おっと」


 難なく片手でいなされる。

 視界は殆ど無い筈だが、流石に精鋭か。


 テーブルに置いてあった"コンバット・ボールペン"を構え、距離をとった。


 バスタオルをベッドに放り投げた男は、先程と変わらぬポーカーフェイスを浮かべ、俺を見据える。


「"ペンは剣より強し"なんて言葉を考えた野郎はさ、きっとコイツを知らないんだろうな」


男はホルスターを指差しそう言った。


「なんの話をしている!」


「今から君は死ぬって話だよ」


「───ッ!」


 即座に距離を詰める。

 まだヤツは銃を抜いていない。至近距離に持ち込めば勝機はある。


「安心してくれ。面白くないから銃は使わないよ」


 首元目掛けて刺突を放つが、軽々腕を捕まれる。

 想定内。本命はコレじゃない。


 今の俺は全裸だ。ヤツの油断を誘うのには丁度いい。掴まれた方とは逆の腕、仕込み刃を入れてある。


「残念だったなー」


 今の俺は全裸だ。そこがヤツの油断を誘う。

 諦めた様な素振りを見せ、一瞬全身の力を抜いて顔を俯ける。

 …今、この瞬間だ。


 腕部に収納した刃を火花散らして展開、心臓に近い左脇腹を狙い、確実に致命傷を与える。


「獲ったッ!」


意識が飛んだ。


何が起こった。


人中、喉、鳩尾、股間、正中線上の急所を軒並み打たれた。

 脳が揺れてる、顎もか。




 いつの間にか俺の両膝は地面に付き、展開した刃は真っ二つにへし折られていた。


「な、にを…した」


「イヤー、デスクに置いてあったコーヒーカップの取っ手が右向きに置いてあったのに、なんで左手で武器を持ったのかなって、疑問に思ったから警戒してただけだよ」


「…ああ、もう仕込みはないんだな。じゃあそろそろ死んどくかー」


 力の抜けた腕から難なく奪い取られたペンは、俺の脳天に突き刺さった。


「はい、サクー」

 ─────────────────────


「終わったか」


 痩せ型長身にメガネを掛けた男が事後を尋ねる。


「うん、危なかったぞー」


「いい加減に皮膚装甲を導入したらどうだ?」


「いいのいいの、スリルが無きゃつまらないし、弄るのは神経系だけで充分」


「そのスリルとやらに俺も付き合わされる事を忘れるな」


「え?地獄まで相乗りしてこーや」


「冗談じゃない。死体の処理はどうする?」


「んー、適当に」


 ─────────────────────


 部屋をひと通り見て回ったものの、それらしい手がかりはなかった。

 カレンの方も成果は無かった様で、椅子に座って寛いでいる。


 俺の方は何をしていたかと言うと、例の女部屋の寝具に突っ伏していた。

 特に理由はないし、言ってしまえばこちらも成果ゼロだ。


 やけに香水臭いマットレスにいい加減イライラしてくる。寝る前にシャワーに入っていなかったのか?それとも寝香水とかいう代物か?

 何か余計な情報が一つでもあると寝られないタチな俺には理解出来ない文化だ。


「ちょっと、アーサー」


 カレンに呼ばれた。

 何やら隣室の物音が凄いから見てこいとのことだった。

 勿論断ったが、先程の借金を引き合いに出されなす術無し。いつの間にか俺は彼女のパシリにジョブ・チェンジ。


 部屋を出てすぐ左、扉がわずかに開いているのが見える。

 他の宿泊者はそもそもいないのか、気付いていない様子だった。

 あまり他人のプライバシーに関わりたくはないが、今の俺はパシリ、ちょっと様子を見てすぐ戻ろう。原因がわからなくても適当な理由をでっち上げれば良いだろう。


 扉の隙間から見た景色、全身に寒気が走った。

 玄関に入ってすぐ左の浴槽から何かが飛び散る。赤い"なにか"。当然すぐにそれがなにか解る。

 だが、気づいた時にはとき既に遅し、いつの間にか背後には背の高い眼鏡が立っていた。


「ノゾキとかじゃないぜ…」


「話は中で聞く」


「いや、だから…」


 開いていた扉を閉める為正面に向き直ると、眼前10cmに顔がある。


「あれ、お隣さんかー、とりあえず中入ってよ。茶でも入れるからさ〜。あ、コーヒーか」


 すぐにその場を離れようとするも、目の前の男に腕を捕まれ強引に引き摺り込まれる。


 扉は音を立て閉められ、廊下には静寂が訪れた。













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