第九話 何が起こった?
外に出てしばらくすると、ジャックから一通のメールが届く。
埋め合わせの仕事に関する情報だった。
ちなみに着替えはジャックから借りた。
内容はこうだ。
"南区の大企業OD《オパール・ドアーズ》の上役が、先日ホテル街で不審死を遂げた。死の真相を突き止め、犯人がいるのなら殺せ"
「なぁ、これって警察がやる仕事じゃないのか?」
「警察組織は四大企業の傀儡と化しています。南区を統べるDB《ダイヤモンド・ベイ》とODは最近経営方針の差から対立気味で、警察が動かないのはその見せしめかもしれませんね」
「あー…。OK、探偵ごっこに興じるとしようか?あとさっきのやり取りなんだが…色々言いたい事はあるが、結果オーライだ。にしてもカレン、お前肝座ってんなぁ」
ぶちっ。
何かが千切れた音がした。
なんだ。嫌な予感がする。
目前のカレンがなんだか恐ろしい顔をしている。
「怖いに決まってるでしょう?????」
先程とは比べ物にならない圧を感じる。"一"と対峙した時のような…
「す、すまない。俺の為にあそこまでやってくれて。ところでさっきの音は?」
「脳の神経回路が過負荷で一本引き千切れた音です」
堪忍袋の緒って訳ね。ああ…いい人生だった。
死神との逢瀬を待ち構えていた俺であったが、別になんてこともなく許された。
ただ、「食事を奢りなさい」だとよ。記憶喪失の無一文にそれはちょっと厳しいんじゃないか?
「お金は私が貸します。奢りなさい」
なんてことだ。
一生自分に借りを作らせるつもりだ。この女。
─────────────────────
薄暗い地下にあるとある一室。
男の眼前には無数のモニターがあり、監視カメラの映像が区画の隅々を映し出す。
最後の一本だった煙草を吸いきり、珈琲を一口。もはやいつ淹れたかも定かではない。
「畜生、畜生畜生…」
貧乏揺すりが止まない男は、とある過ちを犯していた。
所属している組織への上納金が足りない。
いくつもの風俗店を経営し、今までは金に困らない生活をしていた彼であったが、何故か今月は客入りが途端に減った。
何度も何度も組織には連絡を入れ、支払いの延期を嘆願したが、聞き入れてくれなかった。
この先に待っているのは死である。そう判断した男は手元にある残り少ない資産を擲ち保有しているビルを要塞に仕立て上げた。
いくつもの張り巡らされた致死性のトラップに、無数の監視カメラ、並の傭兵では突破できない難攻不落の要塞である事を自負している。
だが、相手取っているのは"組織"。雇われているのは決して"並"ではない。
だが、ツテはある。この区から"東区"への亡命をするのだ。
昔面倒を見た男が企業の幹部へと昇進したらしく、助けを求めるとすぐに協力してくれた。
これから東区のトップソルジャーが迎えに上がるらしい。電話番号も抑えてある。
モニターの一つが非常アラームを鳴らす。
「クソが!」
随分とお早いお迎えだ。先を越されてしまったか。
次々と、モニターの画面がブラックアウトしていく。
消える寸前のモニターにわずかに映った男は、凄まじい身のこなしで警備ロボットやトラップを無力化していた。
焦る男の電話が鳴る。
傭兵からのコールだった。
食い気味に取り、耳に押し当て叫ぶ。
「オイ!迎えはまだか!」
「既に到着済だ。迎え撃つから扉を開けろ」
「ああ…わかった。今開けた…とっとと来い!」
迎えが来た。ヤツの、リヒテンシュタインが雇った傭兵ならば間違いはない。
四大企業の一つ、東区を統べる大企業"Z.S.M"の若き幹部。
アイツが路上で生活していた時に面倒を見てやったのは俺なんだから、これくらいの恩返しは必要だ。
その時、再び電話がかかる。同じ番号からだ。
「もしもし」
「"もしもし"じゃねえよ!とっとと来い!そこまで来てんだよ敵がよ!」
「…なんだって?」
「はぁ?御託はいいからはやく来いよ!」
「わかった。だが、俺が来ても絶対に扉は開けるなよ。外で迎え撃った後、別の手段を用いて連絡をする。ではまた後で」
プツン。電話が切れる。
何かがおかしい。
だって今アイツは到着して扉を開けろって──
悪寒が首筋に走る。
再び、同じ電話番号からコールが来る。
震える手で電話を耳に押し当てる。
「──到着した」
声が2つ、重なって聴こえる。
机に置いたコーヒーに映る背後には、仏頂面の男が映っていた。
「"取り立て"だ」
「うわああああ!!!!」
─────────────────────
あの後、俺はカレンに歓楽街をひたすら連れ回された。
奢る度に彼女から金を借り、そして奢る。
積み重なった借金の額はもう考えないようにした。
「満足しました。行きましょう」
「満足してもらえたようで何よりだ。にしても良く食うな」
「デリカシー無いですね。親の腹に忘れてきたんですか?」
「へーへー。申し訳ございやせん」
「反省が見えないですね」
「勘弁してくれ〜。ほら、行こうぜ」
歓楽街を抜けてすぐに例のホテル街に行き着いた。
これから現場を調査するらしい。
「なぁ、死体はないんだよな?」
「既に回収されていますが、部屋はそのまま放置ですね。あれ?もしかしてビビってます?」
「び、ビビってないわ!」
ビビっている。
死体を間近にして気分の良い奴なんていないだろうし、何よりつい昨日あんなことに巻き込まれたばっかりだ。刺激の強いものはなるべく避けたいのが本音である。
突然彼女が俺の唇を人差し指で抑えてくる。
動揺する俺を尻目に、一言。
「嘘つき…」
耳元で囁かれたそれは、それはそれは容易に俺の感情を振り回す。
「ははっ!…ビビりに加えて女慣れもしてないんですね」
「ば、馬鹿野郎。俺はそんなっ…」
「ほら、行きますよ」
…全く、なんなんだあの女は。
例のホテルの目の前に来る。
想像以上の豪勢さを誇るホテルの全容に、背筋が寒くなった。
一体一泊でどれほどの金額を積むのだろうか。"OD"13代目CEO"オスマン・ドアーズ"の弟にして、ここで死んだ"オラクル・ドアーズ"はなんとこのホテルを数年以上借りていたらしい。
どこまでが肉でどこまでが機械かわからないほど全身を弄っているフロントマンにカレンが話を通し、例の部屋まで案内された。
網膜認証式のドアを開き、中に入る。
まず飛び込んでくるのは女性物香水の香りに、散らかった部屋だった。
彼が亡くなり、倒れていたのであろうスペースにはホログラムで防護線が描かれており、その床には血のシミが未だ残っている。
「ここで死んだんだな…」
「ええ、死因は全身の回路がオーバーヒートした事による臓器不全と内部の熱傷ショック。この血はその時吐血したものでしょうね」
それにしても、部屋が広い。
一枚張りの大きな窓から見下ろすと都市を一望でき、夜景なんかは圧巻であろうことがわかる。
リビングスペースから奥に進むと、また毛色の違う部屋が現れる。
可愛らしい装飾をした一室で、クローゼットの中には女ものの派手な服がこれでもかというほどに詰まっていた。
「女がいたのか?」
「とっかえひっかえでしょうね。ODは古い家風を未だに引き継いでいて、社長の座は代々その家の長男が継ぐことになっている。それ以外は"スペア"で、基本的に子を作ることが許されない」
「長男が急死したらどうするつもりなんだ?」
「スペアが継ぐ。"OD"の技術力なら年老いていてもそこから子を為すことができます」
とっかえひっかえ。
カレンはそう言っていたが、何か引っかかる。
化粧台や寝具に生活感が残っているし、それは替える時にいっぺん清掃させる筈だ。
見栄を張りたい男の思考はよくわかる。
しかし、生活感はあれど何処を探しても具体的な何かは見つからなかった。
一つくらい彼女の身分がわかりそうな物があるとは思うのだが。
「なぁ、ここに住んでいたであろう女の指紋データとかは取れているんだろ?」
「ええ、しかしそれに該当する人物は署のデータベースにはありませんでした。」
「俺には確実にその女の仕業に見えるんだが。全身の回路が急に焼けるなんてありえないと思う」
「ええ、外部からの要因があると思います。例えば、自殺とか」
ああ、その線もあるか…。
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