第2話 ローズリア国の戦士 ――求む、戦闘員――

 福島県の小さな街のゲームセンター。高校の卒業式を終えたばかりの大林おおばやし俊海としひろはレーシングゲームのハンドルを握って高得点をたたき出していた。4月からは父親の寿司屋の職人になる予定だ。


「今時、大学ぐらい……」親戚も高校教師も近所のおばちゃんも言ったが、父親の憲雄のりおは、「大林家の先祖は大林坊俊海だいりんぼうしゅんかいという相馬藩の忍者だ。おまけに家業は寿司屋。大学などに進学しても無駄だ」と、進学に反対した。


 明治維新で相馬藩はなくなったが、大林家では忍術の修業を続けている。ちなみに母親は、憲雄が修行ばかりで家庭を、いや、彼女を顧みなかったために、若い弟子と駆け落ちしてしまった。


「そろそろ帰るか」


 時計の針は21時を回っていた。


 俊海が立ち上がると玉城おうじょう美緒みおも立ち上がる。彼女は漁業協同組合で働く二十歳のOLだ。チンピラに絡まれていたところを助けてから、いつも俊海の周囲にいる。その時は忍者修行が役にたった。


 ゲームセンターを出ると、禿げ頭の痩せた中年男性が美女と並んでいた。3月だと言うのに男性はアロハシャツと短パンだ。美女は濃紺のリクルートスーツ姿だが、就活中ではないとわかる。髪が紫色だ。


 彼らの視線が俊海に向いている。ガン飛ばしているんじゃねえよ、と因縁をつけてもいいところだが、相手は中年。俊海には老人も同じだ。優しくしなければならない。


「じいさん、風邪ひくよ」


 そう言いかえて隣を通り過ぎようとした。その時、右腕をガシッとつかまれた。まるで万力で挟まれたような握力だ。


「クッ」


 一瞬、声が出た。力勝負ではとても勝てそうにないと思った。が、何食わぬ顔で腕を握る男の腕を左腕で握り返した。負けてられるかぁ!……とはいえ、いきなり蹴り飛ばしたり殴ったりするのはプライドが許さない。


「ジジィー、何をするのよ」


 美緒の抗議をアロハ男は無視した。


「大林俊海だな。調べさせてもらった。喧嘩が強く、頭もいい。も強いようだ」


 アロハ男は、というところで美緒の顔をちらりと見た。


「お前は力を持て余している。どうだ。好きなだけ女が抱けて、好きなだけを殺せる仕事がある。やってみないか?……そこで働けば、お前はまだまだ強くなる。鍛えている剣術も体術も役に立つというものだ」


を殺す?」


 それでアロハ男の腕力が強いことに納得した。彼はその仕事で万力のような力を手に入れたのだろう。提案は魅力的だが寿司職人になると決めていた。いまさら止められるだろうか? 父親の怖い顔が頭に浮かんだ。それは怪獣より怖い。


「親父の寿司屋も気になるだろう。取りあえず。2年。お試し期間でどうだ」


「ふーん」


 気持ちが動いた。


「トシ。こんなおかしなジジイの言うことを信じちゃだめよ。どうせブラック企業の嘘八百よ」


 美緒が言う。


「ブラック企業ではありません。公務員なのです。取りあえず年俸は500万。あとは出来高で、収入が増えます。宿舎は個室。食事は3食付で、個人負担なし。労働時間は午前9時から夜9時までと長めですが、間に4時間の休憩があります。もっとも海獣が現れた時には退治を優先していただきます」


 美女が労働条件を説明した。


「へぇー。聞いたことのない仕事だな。好きなだけ女が抱けると言うのは、どういうこと?」


「それがメインの仕事です。海獣の退治のほうが付属業務ということになります」


「なんだ。ホストかぁ」


「女を持ち上げて喜ばせるのではない。数多く交わる聖なる仕事だ。それで世界が救われる」


「世界を救う? スーパーヒーローかよ」


 アロハ男が真面目な顔で言うので、俊海は笑ってしまう。


「笑い事ではない。さっさと決めろ。とにかく時間がない。お前が働かないというのなら、私は別の男を誘いに行かなければならないからな」


 そう言われると、アロハ男の誘いが魅力的に感じた。


「どうですか。今ここで、返事を下さい」


 美女が返事を迫る。


「俺が抱きたいと言ったら、お姉さんも抱けるのかい?」


「もちろんです」


 美女が応えた。それで気持ちが決まった。


「よし。あんたが俺より強かったら働くよ」


 俊海はアロハシャツの男に蹴りを入れ、腕を振りほどいて殴りかかった。彼は蹴りをひょいとかわして拳を腕でブロックすると、ぐいっと間合いを詰めて肩の関節を固めた。


 2人の戦いは短かった。1分ほどで、俊海はねじ伏せられた。


「決まりだな。では明日の午後1時、海浜公園の記念碑前に来てくれ。君1人でな」


 アロハ男は、ねじり上げた俊海の腕を放した。


「じいさん。あんたの名前も、働く場所も聞いてない」


「なるほど。親にも説明ができないな。私の名は斎藤さいとう啓蔵けいぞう。仕事場はローズリアの王宮内警務部になる。こっちの美人は調査員のミーシャだ」


「ローズリア?」


「南国の豊かな国です。念のために、位置追跡マークを……」


 ミーシャは言いながら、俊海の手の甲に小さなスタンプを押した。スタンプは円の中に幾何学模様と文字が混在する不思議なものだった。文字は、日本語でも英語でもない。


「このスタンプは、何?」


「GPSのようなものです。まる1日たつと自動的に消えますから、安心してください」


「では。明日、遅れるなよ」


 斎藤とミーシャが肩を並べて歩き出し、最初の角を曲がって姿を消した。


「トシ、本当にあんな話、信じているの?」


「嘘だとしても、面白そうじゃないか」


 俊海の心は、刺激を求めてメラメラ燃えていた。




 午後1時の海浜公園は、内陸から海に向かう風がきつく人気もなかった。


 俊海は、あれこれ考えた末に父親に無断でやって来た。話すのはローズリア国から電話するつもりだった。


 記念碑の前にはアロハシャツの男だけがいた。


「あの美人がいないじゃないか」


 俊海が文句を言うと、「ミーシャは先に行った」と斉藤は笑い、俊海の荷物に眼をやった。ショルダーバッグ一つだ。


「それだけか?」


「ああ。新天地に行くんだ。古いものは要らない。向こうでアロハを買うよ」


「なるほど。いい覚悟だ」


 男性2人が旅立ちの会話を楽しんでいると、「トシー」と叫ぶ声がした。


「なんだ、お嬢さんもきたのか……」


「私も連れて行ってください」


 斎藤の前に立った美緒は、息を切らしながら頼んだ。


 どうしようもないというように、斎藤は首を横に振る。


「それほどこの男が好きか?」


 齋藤の問いに、美緒はコクンとうなずいた。


「それでお前さんは、この男に何をしてやれる?」


 美緒が視線を上げると、俊海と眼が合う。


「何を、って。料理や洗濯やセックスや……」


「この男は、まだまだ成長する。そのためには旅が必要だ。男の旅立ちを邪魔するな」


 齋藤が諭すように言った。


「私は何も……」


「必ず戻って来るよ」


 俊海は、美緒の肩に手を置き慰める。その時は、本当に戻ってくるつもりだった。


「これを身につけろ」


 齋藤が青いカードを差し出した。受け取って、財布に入れた。


 彼は俊海の手の甲に不思議な記号を油性ペンで書き始めた。


「これは、なに?」


「サンカという。まじないのようなものだ」


 話している間に複雑な記号が完成し、俊海の身体は固まった。


「よし」


 齋藤は満足げにうなずくと、自分の手の甲にも同じ記号を書き始める。


「よし」


 齋藤が美緒に向き、「静かに見送れ」と念を押した。


 俊海と斎藤がマネキンのように固まる。


 美緒が驚いた。ひどい孤独を感じたのだろう。


「どうしたの。死んじゃったの?」


 彼女は俊海の肩を揺さぶる


「やだ! 動いてよ。返事をしてよ」


 齋藤の書いた謎の記が悪いと考えたのか、それをゴシゴシと手のひらでこすった。

油性ペンで書かれた記号が消えるわけもなく、時の経過とともに俊海の身体はすきとおり始める。


 ゴシゴシ、美緒はこすった。


 俊海の身体が消えた時、美緒も消えていた。宇宙がゆがみ、彼女は時空の狭間に落ちたのだ。

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