第5話 あくどい、あるいは食い意地の張った契約
てっきり「俺を助けてくれ!」「ならば契約を…」的なやりとりがあったのかと思った。だが八雲は問答無用で幽鬼を排除しているし、目当てだった朝陽の霊気も食べたらしい。なのになぜ、契約などしたのだろう。
すると八雲は、形の良い唇の端をいっそう吊り上げた。
『主殿はまさか、わたくしめがたったあれしきで満足するとお思いで?』
ぞくりと八雲の妖気が深まる。反射的に後ろに下がる朝陽に、八雲はずいと身を乗り出した。
『否。ありえませぬ。できませぬ。主殿の霊気は極上の美味。口にすればたちまち、忘れることも手放すことも出来ませぬ』
「でもお前、貪り食うのは美学に合わないって……」
『ええ、ええ。であればこその契約なのです』
黒曜石のような瞳に妖しい光を宿し、八雲は両手を広げる。ごくりと息を呑む朝陽に、八雲は曼珠沙華のように赤い舌をのぞかせた。
『貴方様はわたくしめの獲物。貴方様の霊気はわたくしめのもの。誰にも渡しませぬ。誰にも喰わせはしませぬ。わたくしがそばで御身をお守りし、大事に大切にその霊気をいただきまする』
「くっそ、それが目的か!!」
げえっと顔を顰めると共にひどく納得した。八雲は最初から言っていたではないか。お前の霊気を喰いたい。大事に大切に味わい尽くしたいと。
今度こそ飛び退り、朝陽は力強く両手でバッテンを作った。
「無理! 拒否だ! お前なんかに、これ以上霊気を喰われてたまるか!」
『はて。それは、我らの間に結ばれた式神契約を、ただちに破棄せよとの申し出で?』
「当然だ! 式神契約は退魔師が拒否すれば簡単に解除できる。見習いでもそれくらい知ってんだぞ!」
表情ひとつ変えない八雲を、朝陽はびしりと指差す。
退魔師と式神の契約は、退魔師が主人、式神が従者の上下関係だ。それは式神契約の成り立ちが、『悪さをした妖怪・結城を退魔師がぶちのめし、従えたもの』に端を発するからだ。
駒一族のように友好的な妖怪もいるし、精霊も気に入った人間には喜んで力を貸す。けれどもいまだに、『やっつけた相手を従える』スタイルが多いため、基本的に契約の主権は退魔師にある呪術構造なのだ。
息を巻く朝陽に、八雲はゆらりと首を傾げた。
『よろしいので? さすれば主殿は、相応のペナルティを受けることになりますが』
「はあ!?」
契約破棄で退魔師がペナルティを受けるなど聞いたことがない。仰天する朝陽に八雲はシレッと頷く。
『わたくしが主殿と交わさせていただいた契約の条文はふたつ。ひとつ、わたくし八雲は主殿の式神として御身をお守りするというもの』
「そりゃな。式神って、大体がそういうもんだろ」
むしろほかに何を交わすことがあるだろう。訝しむ朝陽に、八雲は細く長い指をもう一本立ち上げる。
『そして、もうひとつ。――主・朝陽は、式神・八雲に働きの対価として、己の霊気を
「結局そこに戻るのかよ! お前、さては食い意地がはってんな!?」
『あな恥ずかしや。これもそれも、主殿の類まれなる美味な霊気がいけないのです』
裾で口元を隠して恥じらう八雲に、朝陽は頭を抱える。ていうか八雲はすでに、朝陽が目を回すくらいには霊気を喰べたはずだ。
そう朝陽は反論しようとするが、その前に八雲に顔を覗き込まれた。
『いま一度申し上げましょう。わたくしほどの悪鬼が、あれしきの
「っ!」
『順番が前後したとはいえ、わたくしめはかの幽鬼より主殿をお救いしました。であるからして、主殿はわたくしに対価を払うべきであり、その量はいまだ、まったく、わたくしの求める量に到達しておりませぬ』
顔を引き攣らせる朝陽に、八雲は実に悪霊らしく邪悪に微笑んだ。
『ただちに契約を解除するなら、主殿はわたくしめにすべての借りを返さねばなりませぬ。――そう張り切って霊気を喰わせば、主殿が死にますぞ?』
「んな……!」
なんたる悪逆、なんたる非道。たった一回、しかも勝手に手を出したくせに対価を要求するなんて、下町の借金取りの方がまだ良心的というものだ。
けれども、気色ばむ朝陽をあやすように、八雲はどうどうと眉尻を下げた。
『話は最後まで聞きなされ。そうは言ってもこの八雲、あくまで忠実なる式神なれば。一度にいただくには危険なだけで、そうそう非道なる量の霊気を求めているわけではございませぬ』
「というと?」
「主殿は若く、体もすこぶる健康にございまする。霊気も、よく寝て食べて時間を置けば、しっかり回復するご様子。ならば無理に霊気の一括払いなどせず、分割払いにて借りを返せばよろしいのです」
「……それって、どれくらいかかるんだ?」
疑り深く、朝陽はじとりと八雲を見上げる。こういうタイプは、とことん疑ってかかるに限る。うっかり口車に乗せられて、蓋を開けてみれば一生そばで付き纏われるなんてことになったらごめんだ。
すると八雲は、ぱっと晴れやかな笑顔で両手を広げた。
『なんと! たったの7日にございます!』
「へ? それだけ?」
『はい。主殿の現在お持ちの総量に対し、無理ない範囲で最短に霊気をいただくならば、ですが。昨日いただきましたのと同じほどを7日間頂戴すれば、昨日の働きぶりに見合った対価となりましょう』
はっきり言って拍子抜けした。
つまり今日くらいの眠気を7日間我慢すれば、晴れて『支払い』は完済する。そうなれば、八雲との契約を破棄して問題ないわけだ。
ふむと考え込む朝陽に、八雲は揉み手する。
『主殿もいずれ、いずこやの妖怪や幽鬼を式神として従えることになるやもしれません。ですから此度の契約は、期間限定の式神おためし体験として、お楽しみいただけばよろしいのでは?』
「……お前、俺を騙そうとしてないよな?」
『もちろんですとも! 式神は、悪意を以て主を騙せばペナルティを負うもの。数百年を生きる幽鬼なれど、わたくしとて痛いのは苦手にございます』
胸に手を当ててしみじみと告げる八雲には、胡散臭さが漂う。しかし、言ってることは本当だ。式神が主を害そうとすれば、五稜星の紋様が焼けて激しい痛みと苦痛を与える。
(信じてもいいのか……?)
一瞬そんな考えが頭をよぎるが、慌てて首を振る。頭を使うのは苦手だが、朝陽は勘だけは鋭い。この八雲という幽鬼が、一筋縄でいくような幽鬼であるわけがない。
「だいたい、お前な! ペナルティも何も、契約はお前が勝手に結んだだけで……」
「……誰と話しているんです?」
「うわ!」
背後に響いた声に、朝陽はその場で飛び上がった。振り返れば、いつの間にかそこには箒を片手に訝しげな顔をする一生がいる。
先ほど気まずい別れ方をしたのも忘れて、朝陽は一生の腕を引っ張った。
「いいところに来たな! 聞いてくれよ。こいつが、式神契約がうんたらって脅してくるんだ!」
「は? 式神?」
「いるだろ! ここにデカいのが! ほら……あれ?」
八雲を指さそうとして、朝陽はぱちくりと瞬きをした。八雲がいない。今しがたまで、小馬鹿にしたような目でひとを見下していたというのに。
忽然と姿を消してしまった八雲を探して、朝陽は何もない空間に呼びかけた。
「おい、いるんだろ!? おーい!」
「……夢でも見ていたのではないですか?」
「そんなわけあるか! いたんだって! いまここに、見るからにヤバそうな幽鬼が!」
「百徳院の敷地にそんなものが入り込めるわけないでしょう。というか私には、あなたがぶつぶつと独り言を言っているようにしか見えませんでしたよ」
むきになる朝陽に、一生はますます訝しげな顔をする。一生は基本的に、冗談を言うような人間ではない。といって、あんな危険な匂いがする幽鬼を見落とすような間抜けでもない。
「おかしいな。ほんとにいたんだけど……」
「白昼夢か何かでしょう。授業中に居眠りしそうなくらいですし」
自信がなくなってきた朝陽に追い打ちをかけるように、一生が首を振る。それで朝陽は思い出した。一生とは、朝陽の居眠り(未遂)のせいで揉めていたはずだ。掃除を終えるにはまだ早すぎるし、どうしてこちらに戻ってきたのだろう。
そんな朝陽の疑問を見透かしたのか、一生は手のひらに乗せた何かを突き出した。
「呼び出しですよ。現在、詰所にいる者は、すぐに大広間に集まるようにとのお達しです」
そう言って一生が見せたのは、人の形をした薄い紙――
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