第4話 式神、あるいは捕食者のまなざし
『わたくしは八雲。朝陽殿と契約を交わした、貴方様の敬虔なる僕にございます』
歌うように告げて、そいつ――八雲はお手本のように美しい礼をする。
呆気に取られた朝陽は、阿呆のように繰り返すしかなかった。
「契約を交わした……? 俺と、お前が……?」
『はい。それはもう、がっつりと。主殿がその場で目を回してしまう程度にはたっぷりと霊力をいただきましたあとで』
ぺろりと赤い舌で唇を舐め、八雲は襟元をくつろがせる。首筋には、確かに式神の証である五稜星が刻まれている。慌てて袖を捲って念を込めれば、同じ紋様が朝陽の腕にも浮かび上がった。
(いつのまに!?)
朝陽は思わず叫びそうになる。しかし次の瞬間、固く閉ざされた記憶の扉がこじ開けられたように、昨日のことがまざまざと頭に蘇ってきた。
(そうだ。俺、依頼の帰りに幽鬼に襲われたんだった)
長い手足で虫のように追いかけてきた薄気味悪い悪鬼。幽鬼除けの護符を置いてきてしまった朝陽は、追いかけてきたそいつから逃れるべく、裏の寂れた神社に駆け込んだ。
必死に逃げていた朝陽は何かにつまずき、転んだ。見ればそれは引きちぎられた結界のなれ果てで、青ざめる朝陽を黒い霧が包み込むように覗き込んでいた――。
朝陽は縁側から立ち上がり、にまにまと笑う八雲を指差した。
「お前! 昨日、オンボロ神社にいたやつか!」
『あな嬉しや。ミジンコ程度の記憶でも、わたくしめを思い出していただけましたか』
「なんで!? どうしてこんなヤバい奴と、俺は契約を!?」
パニックに陥りながら朝陽は頭を抱える。退魔師における契約とは、相手を式神として使役すること。式神は妖怪が主流だが、同期の新吉は精霊使いだし、中には幽鬼を使役する退魔師もいる。
だけど目の前の八雲は、朝陽のような見習い退魔師が太刀打ちできる相手じゃない。四門の当主が束になってようやく抑え込めるような幽鬼だ。うっかり契約など持ちかけようものなら、その場で捻り殺されてもおかしくない。
すると八雲は口元に袖を当て、遊女のように嫣然と微笑んだ。
『つれないですねぇ。わたくしは、貴方様の命をお救いしたのに』
「救った?」
『ええ、ええ。それはもう颯爽と。まるでお伽噺において姫君をお救いする英雄豪傑のごとく!』
だんだんと記憶が蘇ってくる。
昨日、朝陽は絶体絶命のピンチだった。
前にはそこそこヤバい幽鬼。後ろには超絶ヤバい幽鬼。前後を挟まれ、逃げようにも戦おうにも八方塞がりの状態だった。
喰われる。……殺される。青ざめる朝陽に、前方の幽鬼が臨戦体制に入る。けれども後ろのヤバい奴はくつくつと忍び笑いを漏らした。
“惜しい。品がない。ただ貪り食うには忍びない”
爪で硝子を掻くような叫び声を上げて、四つん這いの幽鬼が飛びかかる。だが次の瞬間、長い四肢を持つ不気味な身体が、空中で前触れもなく青白い焔に呑まれた。
"控えよ! いまより此れは、我、
愉悦を孕んだ高笑いをBGMに、焔に包まれた幽鬼はのたうち回りながら消滅した――。
「……え? なんでお前、あの幽鬼をぶちのめしたの?」
わけがわからなくて、朝陽は恐々八雲を見上げる。すると八雲は、いい笑顔でにっこり小首を傾げた。
『もちろん、貴方様の霊気を美味しくいただくためならば』
「どういう理屈!? ていうか、お前も俺を喰べるつもりじゃん!」
そんなの全然、助けたって言わない! 抗議を込めてますます距離を取れば、八雲は心外だと言いたげにぴくりと眉を動かした。
『あんな下級幽鬼と一緒にしないでくだされ。たしかにわたくしは貴方様の霊気が目当て。ですが美学も品もなく、貪り食うなどもってのほか! それでは獣と同じでございます』
「は、はぁ……」
『せっかく素晴らしき源泉を見つけたというのに、枯らしてしまうなど愚行の極み。我ら幽鬼といえどひとなれば、希少な源泉は守り育むのが道理にございましょう!』
よくわからないが、八雲には八雲なりの美学があるらしい。
霊気とは生命力のようなものだ。退魔師は霊気を源に念を込めて術を繰り出すが、使いすぎれば疲弊する。体力と同じで食事や睡眠などの休息で回復するものの、限界を超えれば最悪死に至る。
(つまり、俺ほど美味い霊気を持つ人間を、適当に喰うのは勿体ないってこと?)
ある意味で八雲も、がっつり朝陽を食料認定している。結局根本は同じじゃないかと突っ込みたいが、相手が幽鬼では言っても仕方ない。顔をしかめる朝陽をよそに、八雲はうっとりと目を細めて艶っぽく吐息を漏らす。
『下級幽鬼を葬ったあと、さっそく味わった主殿の霊気のなんと美味たることか……! あれは天上の美酒にも匹敵しようというもの。あの味を知ってしまえば、並の幽鬼であれば我を忘れて国をも滅ぼしましょうや!』
「褒められても全然うれしくねえわ。ていうか、そのタイミングで俺、お前に霊気を喰われちまったわけね」
『この八雲をもってしても甘美な誘惑に抗い難く。ほんの一口いただくつもりが、うっかり主殿の意識を奪うほどいただいてしまいました』
「昨日の記憶がごっそり抜けてるのお前のせいか! そんなの、全然助けたって言わねえよ!」
満足げに頷く八雲に、朝陽はきぃと怒る。
やたらと眠いのもおそらく八雲のせいだ。一晩寝ただけでは霊気が十分に回復しなかったのだろう。
そこまで考えたところで朝陽はふと首を傾げた。
「待て。俺の霊気を喰うって目的は果たせたんだよな。なんでお前、俺と契約したんだ?」
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