第3話 最悪な押しかけ、あるいは記憶にない再会


 ここで一度、四門について整理しよう。


 事の起こりは200年前。当時の日ノ本は、数多の幽鬼が世に巣食っていた。幽鬼は人々に災いと狂気をもたらし、戦は絶えず、疫病が襲い、毎日大勢の人間が死んだ。


 混沌を憂いた帝は、市井で神の如く崇められていた4人の退魔師を呼び寄せた。


 伊与延司いよのえんじ滋雨久僧じうのきゅうそ久遠神楽くおんかぐら。そして彼らを以てしても天才と一目置かれた退魔師、吉備張角きびのちょうかく


 帝の勅命を受け、4人の退魔師は自らを長とする4つの退魔師機関を作り上げた。遠来の四神になぞらえ、それぞれ朱徳院、青徳院、玄徳院、百徳院の名を与えられた彼らは、御所を囲んで四方に拠点を置く。そして都に蔓延る幽鬼を退治してまわった。


 以上が四門しもんの起こりであり、そのうちの百徳院こそ朝陽が所属する退魔師機関である。


「……で、あるからにして。渡来の民間信仰に過ぎなかった退魔道は帝の庇護のもと発展し、その技能は日ノ本に広く伝わった。ここまではいいな?」


 トントンと教本を叩き、講師が畳の上を闊歩する。筋骨隆々、呪符を投げたり呪いを念じたりするより拳で殴って解決した方が早そうなこの男は、周防大河すおうたいが。こう見えて百徳院のナンバーツーで、宮仕えをする当主・吉備宗次きびのそうじに変わり詰所の運営を切り盛りしている。


 生徒は4人。うち2人は朝陽と一生だ。残りの2人も同期で、童顔なほうが神薙新吉かんなぎしんきち、尖った印象のほう間虎之介はざまとらのすけという。それぞれ退魔師の家系で、朝陽たちと同じようにバディを組んでいる。


 たった5人だけのスカスカの教場で、朝陽はとんでもない眠気に襲われていた。


(なんでこんなに眠いんだ!? 気を抜いたら2秒で気絶しそうだぞ!?)


 眠い。が、周防の前で寝るのはまずい。授業中に寝ようものなら、強烈な拳骨を落とされた挙句、庭掃除まで押し付けられる。朝陽本人だけじゃなくペアの一生もだ。


 居眠りの罰を連帯責任で……なんてことになったら、一生にどんな嫌味を言われるかわかったもんじゃない。手の甲をつねったりした唇を噛んだりして、朝陽は必死に眠気に抗う。


 そんな修羅場めいた朝陽には気付かず、周防は粛々と教本を読み上げる。


「鬼祓いの広まりという意味じゃ、退魔師の登用は大きかった。一方で退魔道がメジャーとなることで、呪詛による災いや事件が都に一気に増えた。結局、一番怖いのは人間だな!」


 ちょうどそこで、救いの時報の鐘が鳴る。


(よっしゃ! 乗り切ったぜ!)


 この後はしばしの自由時間。軽くひと眠りすれば、午後の詰所当番までには元気になれるはずだ。


 けれどもホッとする朝陽の斜め前で、虎之介がぬるりと手を上げた。


「せんせぇー。朝陽くんが、授業が退屈で眠くて死にそうって顔をしてまーす」


「はあ!?」


「あと今朝の朝餉当番、寝坊して一生いつきひとりにやらせたそうでーす」


 振り返った虎之介は、意地悪くニヤリと笑った。


(虎の野郎……!)


 朝陽は憤慨して立ち上がりかけたが、虎之介に掴みかかるより先に、周防がわなわなと肩を揺らした。


「あーさーひー。お前って奴は!」


「ひっ! ちが、周防さん……!」


「貴様、拳骨落としの刑だ!!」


 ゴン!と頭に衝撃が落ち、視界に火花が散った。





「あなたというひとは!! どれだけ私の足を引っ張れば気が済むんですか!!」


 金切り声とまではいかなくても、いつになく怒り心頭の一生が怒鳴る。あまりの剣幕に、さすがの朝陽も身を縮めた。


「悪かったよ。俺のせいで、お前まで庭掃除やらされて……」


「問題はそこじゃありません!! 教場で眠りこけるだなんて、あなたは一体何をしにここに来たんですか!?」


 一生は激しい怒りに顔から血の気が引いている。朝陽も朝陽で、一生の言い草にカチンときて言い返してしまう。


「眠ってない! さっきのは、どう考えたって虎の言い方に悪意があったろ!?」


「じゃあ言いますが、あなたがこれまで授業中に転寝した回数は!? 課題を忘れたのは!? 出来が悪くて、赤点すれすれを彷徨ってきたのは!? あなたのこれまでの行いが、あなた自身の信頼を下げていることがまだわかりませんか!?」


「それは……っ」


「私は家の誇りや威信を背負い、すべてを掛けてここにいるんです。あなたみたいにいい加減な人がペアだなんて不愉快だ。やる気も目標をないなら、即刻荷物をまとめて出て行ってください!」


 怒涛の糾弾に、朝陽は言葉を挟む隙も与えられず口をつぐむ。一方の一生は、我を忘れたことを恥じるように目を逸らした。


「……すみません。少し言葉が過ぎたようです」


「いや……」


「掃除は分担しましょう。蔵の向こうは私がやりますので、あなたはこちらをお願いします」


 一生は足早に広い庭の最奥――古い蔵の影へ姿を消してしまった。残った朝陽は、ため息を吐いて縁側に腰かけた。


「――……俺も、半端な気持ちでここに来たんじゃないのにな」


 珍しく弱音が零れて、朝陽は空を仰いだ。


 退魔師の中でも、四門は特別だ。世にあまたといる退魔師の中で、四門の当主だけは宮仕えが許されているし、都で幽鬼絡みの事件があれば必ず四門が幽鬼退治に乗り出す。


 しかし逆をいえば、四門だけが退魔師になる道じゃない。ほかにも大なり小なり退魔師の集まりはあるし、どこにも属さず諸国を旅しながら弟子を取る退魔師だっている。四門に……百徳院にこだわる必要はないのだ。


(だけど俺は、みたいになりたくて、百徳院に来たんだ)


 あれはまだ朝陽が、幽鬼と戦う術も勇気も持ち合わせていたなかった幼い頃。泣いて怯えるしかなかった朝陽を颯爽と庇い、眩い光で幽鬼を消し飛ばした背中があった。


 あの背中に憧れて、朝陽は退魔師になることを決めた。そして、最難関といわれる百徳院の入門試験をなんとか突破した。


 四門のひとつを担う名家の生まれである一生が、重責を背負っているのはわかる。完璧に見えるが、きっと朝陽にはわからない苦労があるのだろう。


 けれども朝陽にも、かなえたい夢があるんだ――。


 箒を握る手に力がこもった、そのときだった。


『――あんな八つ当たりを気にするとは。我があるじ殿は、存外に繊細なお心はあとをお持ちでいらっしゃる』


 少し、いや、多分に嘲りの色を含んだ冷笑。それとは別に、記憶の底が何かに揺さぶられるような、ゾッとする感覚。


 朝陽はぎょっとして顔を上げる。次の瞬間、己を見下ろす黒い影にひゅっと息を呑んだ。


「う、うわああっ、あぐ、ううぅぅぅ!?」


『しぃーっ。いけませんよ、主殿。大声を出しては、一生殿が戻ってきてしまう』


 唄うように告げつつ、そいつは朝陽の口を塞いだのとは反対の手の人差し指を、形の良い唇にそっと当てる。その上では、黒曜石のような瞳をのぞかせる切れ長の目が、にんまりと妖艶に細くなった。


(なんだ、こいつ。何者、いや、本当に!?)


 混乱しつつ、朝陽は必死に目の前の化け物を見る。


 絹のように艶やかな黒髪に、深い紫紺の直衣を纏った装束。女と見まがうような白肌の、完璧に整った艶やかな面差し。ただの(というにはあまりに美しく、あまりに妖艶だが)高位の退魔師に見えなくもない。だが、


(なんだ、この妖気……! 自我を保っちゃいるけど、こいつ、いままで会ったことがないレベルのやばい幽鬼だ!)


 まずい。こんなのはレベルが違いすぎて、朝陽がひとりで対処できる類のものではない。どうにかして助けを呼ばなければ。


 決死の形相で裾に手を突っ込む朝陽に、そいつは「おや」と首を傾げた。


『その眼差し。まさかとは思いますが、よもやわたくしめを覚えておいででない?』


「ンム? ンムムムーーー!?」


『あな悲しや。こんな美丈夫をお忘れになるなんて』


「……ぶは! お忘れもなにも、お前みたいな化け物、欠片も記憶にないぞ!?」


 どうにかそいつの大きな手――幽鬼のくせに、しっかり実感があって妙に力強かった――を振りほどき、朝陽は叫ぶ。するとそいつは、合点したように笑みを深めた。


『なるほど、なるほど。わたくしとしたことが、美味に浮かれて羽目を外しすぎた模様。具体的に言えば、貴方様の霊力をいただきすぎたようです』


 恐ろしいことを言って、そいつはにんまりと微笑む。


 なんだ、霊力をいただきすぎたって。顔を引き攣らせる朝陽にそいつは、それはそれは美しい所作で地に手を重ね、深々と平伏した。


『わたくしは八雲。貴方様と契約を交わした、朝陽様の敬虔なるしもべにございます』

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