第11話 恒川
僕の家は木造の平屋で、Lの字の短い部分が僕の部屋だ。
雨漏りはするし、風呂やトイレも共同だが、内側に広がる庭は手入れが行き届いていて気に入っている。
さて、そんな愛しの住まいに彼を連れてきた訳だが、これが中々大変だ。
どんどん具合が悪くなり、苦しそうに時々呻く。病院は本人が拒んだので、とりあえず家にあった市販の解熱剤を飲ませたが翌日になっても効果は出ないのだ。
昼下がり、ろくに食事も摂れない彼をこれ以上置いておくことはできない。
(これはもう強制的に病院へ連れて行くか?)
僕が彼に声をかけようとしたとき。
ピーンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
「入るよ、久崎君」
のんびりと穏やかだが存在感のあるその声の主は、僕の許可無く家のドアを開ける。
「恒川……何しれぇっと人の許可無く入ってきてんだ」
「君の許可などいるかな?この家は元々私のものだよ、今君に貸しているだけで」
紫陽花柄の着物で現れた
僕の周りは何故かこんなやつらばかりである。
「君は編集じゃないだろ、わざわざ何しに来たんだ」
僕の問いに、恒川は草履を揃えながら話し始める。
「内村さんが今にも倒れそうなくらい、真っ青な顔して会議室に入っていったのを偶然見てしまってね。また君が原因かなと思って。同じ作家である者同士の責任感というやつかな――にしても内村さん、今頃編集長にすっごく怒られてるんじゃない?」
彼女はクスクスと笑って話しているが、うちの編集長は業界で一番怖いと噂されている。
まず顔が強面。そして身長が180cmで筋肉質と体格も良い。昔柔道をやっていたらしいが、本当にそれだけなのだろうか、その筋の人なのではないかと囁かれている。
見た目とは裏腹に怒るときは静かに、かつ理詰めで淡々としており、そのあまりの凄みに泣きながら命乞いをした社員もいるとか。
その編集長が内村を、怒っているかもしれない。
考えただけでも僕の全身に鳥肌が立つ。
「でも、なるほどね。この子がそうなんだ」
ブルブルと震える僕をよそに、恒川は奥に寝る青年を見つめている。
「彼のこと知ってるのか?」
「実はここに来る前、
恒川はホラー作家だ。
その小説の内容は、日本の学生が幽霊を退治するというもの。読者層は10代後半の少年少女を想定しているのでコミカルな描写が多いが、まるで実際に見たことがあるかのようなリアリティのあるホラー描写が人気となっている。
「その視える云々はわからんが……彼はどうなんだ?」
「その前に、君がトンネルで見たことを教えてくれない?」
僕がひとしきり話した後。恒川が「結局トンネルはなんだったの?君はどう思ってる?」と聞いていたので、適当にそれっぽく話したが、「見えてるじゃない」だとか「足掴まれてたよね」とか、とにかくうるさかった。無理矢理喋らせといて、とんでもない女である。
「これだからホラー作家は……」
「ごめんごめん、職業柄気になってね。――まぁでも青年のことはある程度わかったかな、彼はじきに良くなると思うよ」
特に悪びれていない様子の恒川だったが、青年の顔を見た途端、スッと真顔になる。良くなる、というが、それにしてはどうも表情が暗い。
僕が追求しようとしたところ、彼女はスッと立ち上がった。
「そろそろ帰らないとね、私も忙しいから。久崎君も原稿出すんだよ」
「うっ……」
軽く手を振り、玄関から出ていく。扉を閉める瞬間、彼女は微かに呟いた。
「刀には気をつけてね」
翌朝。
隣の部屋の住人が飼っている鶏の鳴き声で目が覚める。
「っるさ……ふざけやがって、まだ五時じゃないか!伊藤の馬鹿野郎!」
寝起きの掠れ声で僕は叫んだ。ちなみに伊藤とは鶏の名前である。
眠い目をこすりながら、卓袱台を挟んで向かい側にいる青年の様子を伺う。
「あれ?」
しかし、そこに青年の姿はなかった。
体調がよくなったから家にでも帰ったのだろう。それはいいのだが、せめて一言、喋れずとも、お辞儀とか、何かあってもいいのではないか。
そう思いながらも、別に探すことはしなかった。
なんだか、彼にはまたいつか会うような気がしていたからだ。
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