第2話 人は二度死ぬ
背中を押された早川は、ふわりとホームで宙を舞う。すると、彼女の身体は線路の上へと飛び出ていく。彼女の長い髪が、風に流され大きく広がる。胸から突き出るような体制の彼女は、動じていないのか、それとも反応する暇もないのか、そのまま前を向き落ちていく。その様子が、スローモーション映像のように、ゆっくり長々と視界に映る。周囲の人間にはその光景が目に入っていないのか、ただただその場に佇んでいる。
雨を割き走るアルミニウムの車両。それが、レールと車輪が擦れる音とともに、早川のことを照らし突き進む。そのまま、その銀色は早川を無視し、俺の視界を染めてしまった。
そしてその瞬間。俺の脳内で、一つの記憶が思い出される。
早川は、数か月前にすでに死んでいる。
「どういうことだ……」
早川の死。その記憶が、俺を次第に埋めつくす。その記憶の存在に対する不信感。先ほどまでいた早川のような「何か」に対する恐怖。そして、それに干渉した藤乃に対する違和感。それらすべての感情が、一気に溢れ出す。
「藤乃……」
そんな不安定な精神状態の中、藤乃の方に視線を向ける。しかし、俺の様子を見ても、彼女は一切動じない。先ほどと同じような冷静な口調で、藤乃はある問いを投げかけてくる。
「どう? 思い出せた?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。数秒ほどの間を空け、俺はその言葉を噛み砕く。「思い出せた?」と尋ねてきた。ということは、だ。彼女は、俺が早川に関する記憶を思い出してことを知っているのだ。そのことを理解し、俺は再度恐怖する。左手を腰に当て、こちらを向く少女に。
「どういうことだ!」
気付けば、藤乃のもとへと近寄っていた。それでも無反応な彼女に対し、三度恐怖する。俺は両手でがっしりと、彼女の肩を掴み、浮かび上がってくる無数の質問を投げかける。
ホームにいる人々は、早川のことが見えていなかったのではないだろうか。早川が轢かれたレールの様子ではなく、藤乃に向け叫ぶ俺の方へと視線を向けてくる。けれど、今の俺にそれを気にする余裕はない。
「あれは一体何なんだ? なんでお前は早川を押した? なんで俺の記憶のことが分かる? なんで俺は早川のことを……忘れて……」
言葉にしていると、改めて彼女の、早川の死を意識してしまう。中学時代俺を助けてくれた彼女は、既にこの世界に居ないという事実が、俺に悲しみと苦しみを植え付けるのだ。
「山折」
藤乃の腕を掴んだまま、膝から崩れ落ちていく俺に対し、彼女は言う。
「来て」
◆ ◆ ◆
彼女に右手を引っ張られながら訪れたのは、池袋駅東口を出て、徒歩数分ほどの場所に位置する大衆向けの喫茶店だった。雨天のためか、それとも単純に池袋駅周辺だからなのか、店内にはそれなりに客がおり、混雑している。
机を隔て正面に座っている藤乃は、「山折は何にする?」などと訊きながら、俺の前にメニュー表を広げる。そこには、珈琲や紅茶、簡単な料理難化の写真が掲載されている。しかし、今の俺にそれを決めるほどの余裕はない。
俺は、思い出してしまった記憶の整理をしなければならなかった。
三か月前。早川は、群馬県にあるアパートの自室で首を吊って亡くなっているところを発見された。遺体の傍には遺書が置いてあり、警察は自殺と判断。彼女の左腕には、無数のリストカットの痕が残っており、精神的に追い詰められていた。
彼女が亡くなってから一週間が経過したころ頃。俺はそのことを、早川の友人から教えてもらった。そしてそのとき、早川が高校に通っていたこと。高校では青春を送っていたこと。高校卒業直前、専門学校への進学を決め、県内のアパートで独り暮らしを始めたこと。
しかし、その話をした記憶も、会話の内容も、今の今まで俺の頭から抜け落ちていたのだ。
「なぁ」
「ん? 決まった?」
「俺は、なんであいつのことを忘れていたんだ」
「分かった。話すから聞いて。う・る・さ・い」
藤乃は俺の質問を制止する。
「山折は、
藤乃の口から出たのは、聴き馴染みのない変な横文字であった。単語の最後尾に「エフェクト」、日本語にすると効果が付いているということは、恐らく何かしらの現象の音を言っているのだろう。それにしても、その前にある「マジカルガール」とはどういうことだろうか。日本語にすると魔法少女。まったくもって意味不明である。
「マジカルガール……? まほうしょうじょ……?」
俺は脳内に浮かんだ推察を口に出す。
「そう。あんたはそれを発現しちゃって、早川さんの死に関する記憶を失ったの」
言いながら、彼女は自身のスマートフォンを机上に置き、画面を見せてくる。そこには、タイトル欄に「魔法少女効果」と表示されたオンライン百科事典のページが映っている。
「魔法少女効果。簡単に言えば記憶障害の一種。これを発現した人間の脳内には、現実世界で体験していない記憶が生まれてしまうの」
彼女は気だるそうな表情で説明を始める。
「記憶障害……ですか……」
「そう。でも、ただの記憶障害ではないんだって。発現者は、現実の世界にない幻覚を、こちらに具現化してしまう。山折の場合、さっき池袋駅にいた早坂さんがそれにあたるってことなんじゃないかな」
どういうことだろうか。理解が追い付かない。俺は、彼女に向けてその疑問を口にしていく。
「待ってくれ。じゃあ、さっきの早川は俺が見ていた幻覚だったということなのか」
それに対し、彼女「そうなんじゃない」と軽く肯定する。
「それだとおかしくないか。なら、なんで藤乃にもそれが見えていた? 俺が俺の脳内に生み出した幻覚なのだとした、あんたにそれが見えているというのはおかしいでしょう」
藤乃の話していることの大枠を無理やり理化し、質問する。
「そうね。だから、それがこの効果の特徴なんだってさ」
「特徴?」
「そう。この効果を通して見た幻覚は、他の発現者にも見えるようになる。だから、この魔法少女効果っていうのを発現した人は、皆が皆同じ幻覚を共有できるってことらしい」
俺は文学部に通っている大学生だ。ゆえに、医学的な知識に関してはほとんど持ち合わせがない。ただ、そんな俺でも彼女の言っていることを否定的に捉えてしまう。
「そんなことあり得るよ」
「それを私に聞かれても詳しくは分かんない。でも、実際透けていた早川さんが見えていたんだから、本当なんじゃない?」
首を傾げながら答える藤乃の飄々とした態度がどうも気にかかる。第一、彼女は何故、このような情報を持っているのだろうか。
「それで、あんたは何故そのことを知っているんですか?」
そう俺が問いかけるのと同タイミングで、藤乃は席を立つ。
「これ以上山折がこの効果に関わることはないし、その必要もない。だから、このことはもう忘れちゃっていいよ。まぁ、私も詳しいことは分かんないから、絶対とは言えないけどさ」
「おい、藤乃」
そんな彼女を制止衣裳と席を立つ。するとは藤乃はこちらに振り向く。
「いい? あんたにはこれ以上関わってもらうと、私が困るの」
ぽつりと一言呟く。その声は冷たく怖い。同時に、何か裏があるような、ちょっとした不気味さも含んでいるようにも感じる。
そんなことを考えていると、藤乃は颯爽と店を出て行ってしまった。
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