魔法少女効果 -Magical girl Effect-

橙コート

第一章 Gray Elegy

第1話 再会

 うるさい。梅雨に入り始めているのか、昨夜から延々と降り続けている。大粒のそれが、簡素な素材でできた屋根にあたり、かなりの騒音を醸し出している。


 東京、池袋駅。JR東日本、三番線。緑とオレンジのラインの入った湘南新宿ラインを待ちながら、俺は人混みの中に佇んでいた。


 午後四時半。普段であればこの時間帯は、湘南新宿ラインの通る三、四番ホームはさほど込んでいない。特に中央改札からの接続の悪いここ、最南端のスペースは人がほとんどいないと言っても過言ではない。しかし、そんなここにも、今日はそれなりの人間がたむろしている。理由は明白。俺が待っている線の一本前、高崎行きの湘南新宿ライン特別快速が、人身事故の影響で遅延してしまったらしい。


「だる」


 都内の大学に通い始めて、二か月とちょっと。片道二時間の電車通学にもようやく慣れてきたと思っていたが、予想外のタイミングで人込みに遭遇すると、緊張と疲れが増して、つい周囲の人間には聞こえぬ声で、ぽつりと心中を吐露してしまう。


 けれど、都内のそれなりに学費の高い私立・立春大学を選択したのも、群馬県からの通学を選択したのも、無論この俺だ。弱音を吐く資格はない。こんなことでは、学費を払ってもらっている両親に顔向けできない。


 それに、俺はまだ楽な方だ。昨今、巷ではオンライン授業なるものが流行しており、それに伴い対面授業は減少。俺も今日のように、実際に大学へと登校する日数は、週二日ほどしかない。決して苦痛でないというわけではないけれど、それらの影響がない状態よりかは、はるかに快適なのだ。


 ホームの北側、俺から見て左の方向に、視線を移す。特別理由があるわけではない。ただ、暇なのだ。ホームでの待ち時間。それも周りに多くの人間がいる間は、何かしようにも、できることは限られてしまう。今の俺にできることは、スマートフォンで音楽を聴くことと、こうして池袋という街に生きる人々の行動を観察すること。この二つくらいしかない。そんなことを考えながら、今度は反対側のホームへと目をやった。


 頭を抱えながら電話するスーツ姿の中年男性。マートフォンとにらめっこしている女子高生。人の波に流されぬよう、拙い足で歩む少年とその母親。


 そんな人間たちの様子を皆が見ながら、ふと思う。彼らも、一緒なのだと。


 俺は、ここ池袋駅には、栃木県にある足利市駅から電車に揺られ来ている。今日の朝、そこでも同様の光景を目の当たりにしたのだ。東京都と栃木県ということもあり、利用者の人数に差はあるものの、人間の様子にはほとんど差がない。皆、目に光がないのだ。あるとすれば、母親のあとを懸命に追っている少年くらいであろう。


 皆、疲れているのだ。


 まるで他人を見下すかのように観察しているが、俺もその一人。人生というくだらないゲームに対する闘志も、好奇心も、すでに枯れてしまっている。


 高校を卒業して三か月。俺の周りからは次第に人が消えていった。小学校からの幼馴染は上京し、遊学からの友人は県外で一人暮らし。いつも俺の思いつきに付き合ってくれていた、親友でできた仲間も、地方国公立大学へと進学したり、来年の受験に向け遠くの予備校に通い始めたりと、地元を離れた。


 世界が変わった。俺はそう思った。東京の大学に通っては入るものの、大半の時間を地元で過ごす俺にとって、まだまだホームグラウンドは群馬県だ。しかしそこに、知っている人間はいない。馴染みのある街の中には、知りもしない人間の姿しかない。その事実に対し、得体の知れない恐怖と、底知れぬ不安を感じている。


 そして、それにも関わらず絶え間なく動き続ける世界での生活に、俺は疲れた。


 だから、だろうか。俺は彼女を見つけてしまった。


 反対側のホーム。人混みに覆われ、視界に入ることのできなかった自動販売機の裏。そこに、彼女の姿はあった。


 早川由紀はやかわゆき。俺の中学校のクラスメイトである。彼女は、とても優しい人間だった。人と接することに抵抗を感じる時期のあった俺に対して、彼女はいつも話しかけてくれた。俺の数少ない異性の友達である。クラスの中で特別目立っているような人物ではなかったが、それでも自分と価値観の合う友人に囲まれながら、青春を謳歌していた。


 ただ、それは二年生までの話である。


 中学三年の春。彼女は学校にこなくなった。理由は今でも分からない。しかし、真面目だった彼女を不登校にさせるほどの何かが、心を蝕んでいたのだろう。そんな彼女に対し、俺は手を差し伸べることができなかった。彼女が俺にしてくれたことを、俺は彼女にすることができなかった。繊細な彼女のことを、俺の言葉が壊してしまう気がして、一歩を踏み出すことができなかったのだ。


 その後悔が、今になって湧いてくる。しかし直後、俺は自身のそんな感情を否定した。本当は、彼女のためではない。自分のためなのだ。彼女なら、疲れてしまった俺の心に、潤いを与えてくれるのではないかと、期待してしまっているのだ。

そのことを自覚しつつも、身体は自然と反対側のホームへと向かっていた。

JR東日本一、二番ホーム。新宿や渋谷、さらには横浜といった主要都市へ向かう電車の通るそこは、遅延の影響もあり、先ほどまでいた三、四番ホームと同等かそれ以上に混雑している。


 多くの人で溢れかえっているそこで、俺は彼女を探す。全方位へと視線を向ける。しかし、いくら探しても、彼女の姿が見当たらない。


山折やまおり


 そんな俺の名を誰かが呼んだ。声は後ろの方向から聞こえた。早川もことを探すために上がってきた階段の方から。そのことを瞬時に確認しながら、俺は考える。その声の主の正体を。聞き覚えのあるもののようにも感じたが、それが誰のものなのかまでは思い出せない。しかし、それが早川のものではないことは分かる。


 彼女の声は、もっと柔らかかった。もっと優しく、話している相手を包み込むようなおっとりとしたものだったはずだ。それに比べ、今俺の耳に入ってきた声はどこか鋭く、冷たいようにも覚えた。


「あれ、人違いだったかしら」


 考えていると、再度後方から声が聞こえる。先ほどの人物と同じもののようだ。正直誰だっていい。俺は、覚悟を決め、身体を半回転させる。


 すると、そこには早川と同じく中学の同級生・藤乃杏子ふじのあんこが佇んでいた。


 風景画がプリントされた白色のTシャツに、裾の広い紫色のパンツ。そのいかにも大学生らしい格好と、無の元の辺りにまで延ばされた艶のある黒髪が、大人っぽい印象を与える。


「藤乃……?」


 そんな女性に対し、本当に藤乃であるかを確かめるように呼びかける。すると、彼女は平然と「久しぶりね」とだけ告げる。こちらは短時間で二人の知り合いと遭遇していることに困惑と驚きを隠すこともできないというのに、彼女はまるでここで会うことが分かっていたかと思わせるほど落ち着いている。


「ねぇ、山折。やっぱりあんたにも、あれが見えていんの?」


 言いながら、彼女は俺の身体の左側へと視線を移す。何事だと思いながらも、俺は彼女の視線を追う。すると、そこには早川の形をした「何か」の姿がある。輪郭は、先ほど反対側のホームから見た彼女のそれと同じである。しかし、それは人間ではない。本能的にそう察知する。そこにいる早川の身体は透けている。以前TVで見たことのある立体映像のように、よく映画なんかで見かける幽霊のように、彼女は半透明の状態である。


「……はい。でも……」


 早川の姿をしたそれは一体何なのか。藤乃はその正体を知っているのか。そんな疑問に頭を支配されながらも、藤乃からの質問に答える。すると、藤乃がそれに近づいていく。


 そのタイミングで、一本の電車が轟音を立てながらホームへ入ってくる。普段よりもホームにいる人間の数が多いからか、大きな警笛が響き渡る。


 その瞬間だった。


 勢いよく藤乃杏子が、早川の背中を押した。

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