日願ノ國ノ鬼退治

透峰 零

鴇申の刻・壱 ー 鬼宿師 ー

 日願ひがん国にはがいる。

 だから人々は、どれだけ日が長い時期であろうとも昼過ぎには町に入る算段を始め、夕刻ともなれば足も早まるのだ。

 しかるに――

「お嬢ちゃん、神成かみな町への道ってわかる?」

 黄昏時にもなって、街道で他人に声をかける者は非常識だと梓が考えても仕方のないことだった。足を止める義理はない。現に彼女以外の道ゆく者は我関せずと通り過ぎている。

 だが、近くに「お嬢ちゃん」と呼ばれるような歳の女は自分しかいない上に、視線はきっちりとこちらを向いている。仕方なく足を止めた梓は、内心の煩わしさを隠しもせずに道端に座り込む相手を睨みつけた。

 声をかけてきたのは、まだ年若い男だ。梓より少し上――二十歳を幾つも過ぎてはいないだろう。

 日に焼けて色の薄くなった散切ざんぎり頭に、黒紅色の着流し。その格好と細面に浮かぶへらへらとした笑みだけを見れば、遊び人と大して変わりはしない。梓とて、彼の腕の中のものがなければそう断じていたに違いなかった。

「知ってますよ。鬼宿師おにやどし様が何のご用がおありで?」

 梓の返答に、男は「ありゃ?」と気の抜けた声を上げて首を倒した。

「よくわかったね、僕の職業」

 梓は無言で男の肩口に目をやった。抱え込むようにして肩にかけられているのは、梓の身の丈ほどもある大太刀だ。

「お侍様には到底見えませんでしたので」

 何しろこの男、髪結もしていない上に格好もだらしがない。

 市井の者とて刃物の所持は禁止されていないが、扱うことが難しい刀剣類を持ち歩く者は皆無だ。自衛のための小刀、あるいは農具あたりが精々である。

 顔立ちは端正と言えなくもないので、袴の一つでも穿いていれば印象も違ったのかもしれないが、それでも軽薄にすぎた。

「なかなか手厳しいなぁ。ま、当たってるんだけどさ」

「それで」

 呑気に伸びをする男に、梓は苛々と問いかける。彼らは嫌いだ。己の力を誇示するくせに、都合が悪いと他人には見向きもしない。

「町に何のご用ですか?」

 先と同じ質問を梓は繰り返す。

 既に道を歩く人影は遠い。辺りを晩夏の太陽が赤く照らし出す。夜になるまで、そう時間はかからないだろう。

 梓の問いかけに、男は意外そうに目を瞬かせた。

「何って。単に道に迷って、帰り方がわかんなくなったんだけど」

「帰る……?」

 あの町に鬼宿師はいないはずだ。なにせ、いたところで旨味がない。

「ちょっと前から滞在してんだけどさ、町から出たら帰り方わかんなくなっちゃって。そろそろ帰らないと相棒に怒られちゃんうだ」

 困っちゃうよねー、と他人事のように笑う男に梓は溜息をついた。黄昏時に声をかける以前の問題だ。予想以上に理由が阿保すぎる。

「事情はわかりました。私も神成町に住んでいるので、ご一緒しますよ」

 途端に男の顔がパッと明るくなった。わかりやすい。

「いやあ、助かるよ。えーと」

「梓です」

「あんがと。僕は曼珠、よろしくね」

「はあ……失礼ですが、曼珠さんはどうして神成町に?」

 立ち上がると、当然ながら上背は相手の方が上になる。女性的にも見える顔に、苦笑が浮かぶ。

「さっきから随分と気にするねえ。何かあるの?」

「あの町に鬼は出ません。だから、いらっしゃっても無駄だと思いますよ」

 挑むように、梓は曼珠を見上げた。男の黒い瞳が細められる。

 鬼を狩って生きる彼らにとって、鬼とは存在理由だ。

 怒られるかもしれない。あるいは殴られるか。今になって恐ろしくなり、梓は胸元に忍ばせた守水まもりみずを握りしめた。

 それでも、言葉を止めることはできない。彼個人に恨みはないが、役立たずの鬼宿師よりもずっと素晴らしい人にあの町は守られているのだ。

「あの町には、教祖様がいらっしゃいますから」

「教祖? なんか新しい宗派でもあるんだ」

 予想に反して曼珠からの批判はなかった。純粋に疑問に思っているらしく、梓に向ける目にも怒りの色はない。

 そのことに内心でほっとし、梓はさらに言葉を続ける。

「はい! 祖師様が町に結界を張ってくださってますし、この」

 隣を歩く曼珠にも見えるよう、梓は守水を胸元から引っ張りだした。

 水、といっても実際は水が入った小瓶に紐を通したものである。

「守水があるので、鬼は私たちを襲ってはきません!」

「へーぇ、そいつはいいね。素晴らしいじゃない」

 手放しで誉められ、逆に梓は不安になった。鬼を狩ることで生計を立てる彼らにとっては面白いはずがないのだが。

「怒らないんですか?」

「怒る? なんでさ。鬼に襲われる人が減れば、鬼が増えることもない。人が無意味に死んでいくこともない。僕らも楽ができる。いいことずくめじゃん」

 ごく自然に当然の理屈を返され、逆に梓の方が面くらってしまった。自分の浅慮に恥ずかしさが込み上げる。

「そう……。そう、ですよね。ごめんなさい」

「別に謝んなくていいよ。ほら、僕らって破落戸ごろつきと大差ないじゃん? 印象がよくないのもわかるよ。それよりさ」

 まじまじと瓶を眺めていた曼珠が、にこりと笑った。

「梓ちゃんさ、今晩って暇?」

「特に用事はありませんけど……」

「じゃあさ、奢るから一緒に晩飯食わない? 今の話も興味あるし。どっか美味い店教えてよ。町に着いてすぐ出たから、どこがいいのかも知らないしさ。どーせ相棒も引きこもってるから知らないだろうし」

 知り合ったばかりの男性と卓を囲むことに、抵抗はあった。だが、曼珠の発した言葉の後半で思い出す。大半の鬼宿師は一人では活動しない。

鬼法医きほうい様もいらっしゃるのですね」

「そりゃね。じゃないと僕ら死んじゃうし」

 それならば丁度いい。梓は一つ頷いた。


「いいですよ。その代わり、お願いがあります」

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