第4話

「それ、やばいんでは」

 アニメ声というのか、妙に甘ったるい声が上がる。何年も聞いているはずの声が最近どうも耳障りで愛想笑いを浮かべた。落ち着いた茶色で統一された店内では色彩鮮やかな彼女はどうも浮いている。新しいドリンクを試飲してもらうため夏季休暇中の元同級生である香織を呼んだが、うちの顧客層には合っていないのかもしれない。ただこれは店で会うための口実でもあった。本当は先週の来客者について相談したかったのだ。叔父もいない定休日と忙しい彼女の都合が合う日はなかなか無い。

「そんなにまずいことかな」

「だって羽鳥つばさ、っていう名前だけでどこにつばさがいるのか探し出してきたわけでしょ。あの子も十分きもくない?」

 きもくない、その語尾の上がった言葉に肯定と否定、どちらがどちらの意味を持つのかわからなくて曖昧な相槌を打つ。気持ち悪いという表現が適切とは思わないが香織のいうことも尤もな話だ。私は一方的に、噂程度の情報でも藤見夏夜を知っているが、彼女が私を知っているはずがないのだ。

 思いがけない来店客があってから一週間、どうもすっきりとしない気分で過ごしていた。気分転換にもなるかと思って良く言えば客観的な、欠点として言うなら楽観的な彼女に一連の出来事を語ってみた。第一声が「やばい」だったので気落ちしかけたが、どうやら悲観的な色は少ない。どこか茶化すような口調で喋っているが、私に気を使っていたりするのだろうか。

「もしかしてこのお店に来る口実として使ったんじゃない?ケーキ食べて興奮してたんでしょ?」

「いや、興奮とまでは言えないけど。たしかにうちは初めて入るの難しめの店構えだけど、流石にこれは手が込みすぎでしょ」

 だよね、とあっさり返される。他の、おそらく安心できる要素を考えている香織を横目にポケットから手帳を取り出す。

「これも手に余ってるんだよね」

 手帳に挟んでいた紙に目を落とす。すると横から香織も覗き込む。

「これ、電話番号だよね」

「多分、そう。あの子が置いていったんだよね」

 軽く波打った茶髪から鼻についた香水の匂いでむせそうになる。柔軟剤の匂いにしては強烈な花の匂い。また好みを変えたのか、数週間前まで香水なんてつけなかった人なのに。そんな私の様子に気づいたのかすっと体が離される。カウンター席の隣に腰かけた彼女はデニムに包まれた長い足を組みなおした。

「え、藤見さん家の電話番号もらうなんてほんとラッキーじゃん。もう電話したの」

 輝かせた猫を思わせる瞳は何年も前から変わっていなくて安心する。高校で出会った友人は卒業し進学した後もこうして市外から度々遊びに来てくれる。影響されやすい彼女の変わっていない部分を垣間見るたびに学生時代が呼び起こされる。勿論私も卒業後の数年で大分変ってしまったが。トレードマークにしていた二つ結びを白くしたとき香織も大分驚いていた。

「なんで理由もないのに電話するの。下手に電話して怒らせたくないし」

 そう言うと、つまらないと言いたげに口が曲げられる。桃色のリップに縦皺がはいる。背の高く距離感の近い香織と顔を近づけて話していても圧を感じないのは子供っぽい仕草が原因なのかもしれない。

「じゃあ香織が電話したら。この紙あげるよ」

「無理だよ、私が貰ったわけじゃないし。そもそも勝手に電話番号教えちゃダメでしょ」

 それもそうだ。本気で提案したわけではないが正論で返されてしまい苦笑する。新しく提供予定のチョコラテに口を付ける。ミルクチョコの種類選びに失敗したかもしれない。舌にまとわりつくような甘さがどうも嫌だ。熱かったときは気にならなかったが、すこしぬるくなった時もおいしい甘さを追求するのも難しい。

「まあ電話したって悪いことにはならないだろうし。そもそも向こうだって社交辞令みたいな感じで置いていったんじゃないかな」

 冷静に指摘され、そうかもしれないと頷いた。

「ねえ、香織は呪いとかってあると思う?」

「え、あるんじゃないかな。あった方が面白そう。つばさはどう思っているの?」

 身を乗り出し、私の顔を覗き込む。何気ない様子を装いながら聞いてみたのだが、思いがけない食いつきっぷりに思わず身を引いた。

「呪いなんて、ないんじゃないかな」

「でも藤見さんの家って代々神様飼ってて、その神様を使って呪うんだよね。わんこの姿をしてる神様」

 同じようにチョコラテの入ったマグカップを傾けておいしそうに目を細めている。香織にとってはちょうどよい甘さなのだろう。

「そういう噂も聞くね。でもイタチに似ているとも聞いたけど」

 私も聞いたことある、そう言われて相変わらずオカルト好きなのかとからかえば、民間信仰が好きなのだと頬を膨らませていた。ずっと市外にすんでいた香織が噂を知っていたことには少し驚いた。

「犬神って言うんでしょ。ほら、こんな感じの」

「ああ、聞いたことがある」

 薄い水色に彩られたつやつやの長い爪で器用にスマホを操作している。香織に見せられた画面には何やら帽子と服を着て人のような風体の獰猛そうな犬の絵があった。垂れた耳と鋭い牙が描かれているが神様といった神々しさは感じない。鳥獣戯画かと問えば妖怪だという。

「妖怪なら、神様じゃないんじゃないよね。それに、イタチには見えないけど」

 そんな感想を言えば香織にもよくわかっていないようで肩をすくませ両手を上にあげていた。外国人なら様になるかもしれないが、かなり似合っていないポーズを取られ反応に困る。

「それより、つばさは大丈夫なの。呪いたいほど憎まれているってことじゃないの」

 心配しているようなことを言うが上がった口角が隠しきれていない。人の不幸を楽しむようなところもあるのがこの友人の欠点の一つだ。話題が彼女の好きな分野であることも面白がる大きな理由なのだろう。

「別に、そこまで心配することじゃないと思う。知らない間に憎まれていたっていうのは怖いけど」

「でも藤見さんの家を突き止める行動力はあるんでしょ。ストーカーとかになるかもしれないし」

「呪いとか言ってる間は大丈夫でしょ」

「それもそっか。そもそも犬神ってそんなことできなかった気もするし」

「随分詳しいみたいだけど、ネットに載ってるの?」

 すぐに犬神とやらに戻ってしまった話題にため息を吐きつつ、とことん付き合う覚悟を決める。相談してみたかっただけだが、彼女はまだまだ話したいようだ。こちらの要望だけ通すのは悪いし、試作品のチョコラテはまだ改良の余地ありという一応の結論はでているのだから。底に沈殿が出来てしまったカップをソーサーの上に戻す。

「おばあちゃんの家が校上町にあってね。あそこら辺で犬神信仰があるみたい。昔はよく話してもらってたんだ」

 心なしか胸を張って言っているが、特に羨ましくもない。相槌に白けた気持ちが表れていたのか急にムキになって語り始めた。身を乗り出して熱弁するものだからカップがカウンターから落ちないようにさりげなく避難させる。

「たしかにあんまり覚えていないこともあるけど、そこらの噂より確かだと思うよ。藤見さんの家を守っている神様で、女性しか命令できないんだって。藤見家の女性が羨ましいと思ったものは犬神が奪って持ってくるからお金持ちになるらしいよ。だから藤見家の女性には近づいたり自慢したりするのはダメなんだ」

 矢継ぎ早に説明されても上手く呑み込めなくて曖昧な笑みを浮かべる。

「まあ、今時ネットでも載っているだろうから、詳しいことが知りたかったら調べてみたら」

 どうやら表情から困惑が読み取られてしまったようで苦笑いされる。しかし時間をかけて考えてみれば案外単純な話のようだった。

「じゃあ犬神という神様は藤見さんの感情にそって羨ましいひとを呪うっていうことかな」

「そう、なのかな。うーん、呪いと言ってもいいのか分かんないけど。憑りつかれる、に近いかな。とにかく近づくなってことばかり教えられてきたけど、あんまり大したことないよね」

 香織もよくわかっていないようで首をかしげる。

「私も近づいちゃいけないとは言われてきたな。だいぶ年が離れているし気にしてなかったけど」

「ああ、つばさはずっと校上町に住んでるものね」

「校上町に住んでいる子ならみんな親や祖父母に教わったことがあるんじゃないかな」

「へー、面白いよね。まだ犬神信仰が残っているなんて。校上町が凄い田舎だからかな」

 なんだか馬鹿にされているようなセリフだが、香織は心底興味深いと思っているのだと感じる。高校生の頃の一過性の興味だと思っていたがどうやらまだオカルトじみた話が好きなようだった。あまり話したことがない話題だったがこんなに楽しそうならもっと話してみても良かったかもしれない。

「でも他にも噂ってあるよね。目が合ったら病気になるとか殺されるとか、人の肉食べているとか。犬神に関係ないの?」

 学生の頃は同級生たちと、卒業後は近所のコミュニティで秘密を共有するように噂を教え合っていた。その噂はどれも眉唾に感じていたが、中には目撃談もあったものだ。

「うーん、聞いたことないな。みんな藤見家に近づかないための理由付けでいろんな噂が出回っちゃったのかな」

 なんとなく腑に落ちるような、落ちないような説が提唱される。でも私より詳しい香織が言ってくれただけで少しの安心感が持てる。

「ね、呪い殺すなんて大げさだよ。しかも所詮噂だし」

「うん、でもそんなことでみんなから遠巻きにされているんなら少し、可哀そうかな」

「まあそうだね。でも本当に何かあったのかもよ?」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ」

 ばしりと一回香織の肩をたたき返す。けらけらと笑い合いながらふとあることが頭をよぎった。

「ならあの人のことは心配しなくてもいいかな」

「ああ、藤見さんの娘さん、つばさを呪おうとした人を呪うって言っていたんだっけ。あの人って、自分を呪おうとした人を心配してたの?相変わらずお人よしだね」

 独り言のようにつぶやいた内容に、呆れたと言わんばかりに返される。よく優しいと評されるが、お人よしという意味のことも多かった。他人に甘いという自覚もあるので否定することが難しい。だが今から人を殺しますと言われたら、その相手が気に食わなくても一応止めるものじゃないだろうか。この考え方がお人よしなのかもしれないが。

「そうは言うけど、呪い以外にも良くない噂はあるもの。思ったより子供っぽかったし、軽はずみに殺すなんて言う子だよ」

 何するか分からない。このまま忘れてくれればいいけれど、態々ここを訪ねてくるくらいだ。きっと何かある気がする。

「そんなに気になるなら藤見さんの娘さんに電話して聞いてみれば」

 出来るわけの無い提案に口をゆがめてみせる。よほど面白い顔をしていたのか香織は笑い声をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る