Nasuca

@nylon-tex

Nazca

 乱れた黒い髪が、口に入っている気持ち悪さなど気にもせず、四ノ宮彗(スバル)は満点の星空を、ただ眺めていた。

 町で1番高い丘の上、両手を枕にして寝そべる彗は、深呼吸をした。

 深夜に家を出て、ここで天体観測をすることが、ここ数ヶ月での日課である。叔父さんは何も言ってこないが、気を使ってくれているのだろう。そのほうが自由で気分が良いから助かる。狭い部屋で引きこもってるよりは、星を見て、自分の小ささと未熟さと、無力さを実感した方が、心地が良いと感じていた。

 イヤホンを外して、静寂に浸かる。暑さを忘れさせる微風が、耳を撫でる。

 脳裏には、死ぬ寸前の、大好きな母の顔。「愛してるわ。」の言葉。

 星々が霞み、ぼやける。やがて流れ出る涙を拭きもせず、ぼやけた視界の中で、1番輝いている星だけを見つめていた。

「ん?」

思わず、抱いた違和感が声に出る。

「あの星、なんだろう。」

手の甲で目を拭う。その星はシリウスのように明るいが、6月に見えるはずがない。しかもだんだん、彗の方へに近づいてきている。

 彗は立ち上がり、瞬きも忘れてその星を見つめる。気づけばその星はすぐ近くにまで来ていた。差し伸べていた両手の平に、ゆっくりと着地した。光が弱まり、金平糖のような凹凸が確認できる。

 それはさながら“光る石“のようなもので、感触も固く、匂いはしない。舐めてみようかとも考えたが、怖くてやめた。

 いつものように芝生だらけになったブラウスとスカートを払う。もう着る機会はなく汚れてもいいものだから、ここにくる時は決まって制服に着替えている。

 ブラウスの胸ポケットに星を入れて、「星からの贈り物が来た」なんて、年齢にしては幼いロマンチシズムに浸りながら、彗は丘を降りていった。


 部屋のデジタル時計は、1:36を示している。

 彗は月明かりに照らされる窓を一瞥して、その後に、手の平で淡く光を放つ星を見た。

「これ、どうしよう。」

声を溢す。勢いで持って帰ってきてしまった後悔が、今になって輪郭を現してきた。

「机に飾るか、でも、急に光って寝れなくなったら嫌だし…」

ブツブツと独り言をしていると、星の光が少しだけ強く光りだした。

「!!?」

彗が驚いて両手を離すと、星はその場で浮遊し、ふわふわと彗の目元の辺りまで浮かんできた。

「爆発したり、しないよね?」

星に喋りかけるように言うと、それに呼応するように、また光が少しだけ強くなった。

「コ、うう」

「ばく、、ネ?よ」

彗は一瞬、身体が固まった。

「…嘘でしょ。」

明らかに、この目の前の星から声が聞こえた。言葉にはなっていないが、自分の声に反応し、真似をして発声をしたのだと感じた。

(だとしたら…)

 彗はベッドの脇の本棚から、目に入った小説を引っ張り出した。

「檸檬と一体化することに成功した私の満足感。」

てきとうにページを開いて目に入った一節を、星に聞かせるように音読する。星はゆるく回転を始めると、

「れ、もん」

と呟いた。

(伝わった!)

ならば!と思った彗は、本棚の隣の漫画棚からお気に入りの漫画を取り出すと、付箋の貼ってある中間部分を開いて、その見開き1ページを、突きつけるように見せた。星に視力、あるいは眼前のものを認識する何か、があるのかを確かめるのだ。 

 その1ページは彗のお気に入りだ。優しく純粋無垢な主人公の少年が、初めて怒りの感情をあらわにして、その「怒り」を武器に具現化して覚醒するシーン。憎悪の灼きついた眼光は恐怖と美しさを纏っており、羽が生え、牙を持ち、血管が浮き出た悪魔のような姿がカッコよかった。そこに芸術を感じた。小説ばかりだった自分が、作画という特性を持つ漫画を好きになったのも、このページがきっかけだ。そのコマにセリフはない。

 しかし、彗の期待虚しく星は無反応で、この作画の素晴らしさを共感してもらおうという企みは打ち砕かれたが、言葉でない言葉を繰り返し、優しく光を点滅させている様子は、喜んでいるようにも見える。

 彗は嬉しかった。心臓は高鳴り、瞳孔が広がった。人と話せなかった自分が、紛いなりにも、自分の言葉や行動を伝えることができたからだ。

「よし、今晩を使って、あなたに言葉を覚えさせるわ!」

彗はそう言いながら、本棚から辞書やお気に入りの小説を片っ端からベッドに投げた。星はくるくる回転しながら

「コとば、おぼおぼボ」

と言い、淡く発光した。


 変な夢を見た。自分の中に水のような柔らかさの物体がのめり込んでくるような感覚があって、意識、記憶、思考、全てを覗かれて、その物体に、自分自身の全てを理解された“ふり“をされたような夢だった。その後は、母と流れ星を見れた喜びや、父が覆いかぶさってきた時の恐怖や、咄嗟にシャーペンに手が伸びた私自身怒りが、ショートムービーのように繰り返し流れた。

 カーテンの隙間から、光線のように伸びる陽の光に当てられて、彗は体を起こすと、顔の上に置いたはずの本が消えていることに気づいた。彗が机の上で浮いている星を姿を確認すると、昨日の夜が現実であったことを思い知らされる。

 彗がベッドから起き上がると

「起きたか、君」

と低い男性の声で星が話しかけてきた。彗の身体は凍りつき、少し固まる。

星は自分の上に本を浮かせて、パラパラとページを捲りながら

「君の棚にある本を勝手に拝借した。この本も、実にいいな。」

と、紳士のような口ぶりで言ってきた。

「あなた、覚えが早いのね。」

震え声を抑えるように小さく言って、彗は近づくと、彗の顔ぐらいの大きさまでに肥大化した星を、恐る恐る、中指で軽く撫でた。落ちている石ころとは違う、タイヤのような、ゴムっぽい表面の硬さを感じた。

「君が昨日、本を読んでくれたおかげだ。」

「そう。よかった。」

小1時間しか教えられず、すぐに寝てしまった覚えがあるが、本当に覚えが良いらしかった。

「君、教えてほしいことがある。」

「ん?何?星さん。」

「世の中には名前というものがあるらしい。個体を識別するために用いるものらしい。よくわからないものだが、私も欲しい。どこに行けば手に入るのだろうか。」

彗はきょとん、として、次に不思議と込み上げてきた笑いに口を軽く抑えると、

「いいね。私があげるよ。」

とにこやかに笑った。

「君が、あげられるのか。」

「うん、あげる。」

「君には、名前があるのか。」

「うん。私の名前はスバルよ。四ノ宮彗。」

星はそれを聞くと、光を強めてさっきよりも速度を上げて回転した。

「スバル。いいな。スバル。良い。つまり、今から私がスバルか。」

彗は、ん?と眉を顰める。

「ああ、ごめんごめん、あげるってそういうことじゃなくて、私が新しく作って、それをあげるのよ。」

星の回転が止まった。

「…おぉ?」

と低い声で言った。“意味がわからない“と言っている具合なのが、彗にも伝わった。

「ごめんって!ややこしいこと言って。今考えるから、ね?」

彗が手を合わせると、星はまた少し回転を始めて、

「楽しみにしている。」

と言って、また本をペラペラと、不思議な力で捲り始めた。

 しばらくして、

「できたよ!」

と彗がノートを手に持って立ち上がった。

「楽しみだ。」

「あなたの名前はね、」

上部分の凹凸を優しく撫でる。

「ナスカ」

「茄彼…」

「そう。あなたの名前はナスカよ。」

星は回転し、強い光を放つ。

「茄彼、那須か、良い名前だ。初めて聞く言葉、私の名前。」

「ありがとう。気に入った。ありがたくこの名前をいただこう。」

「うん。気に入ってもらえてよかった。」

 彗がそう言ってナスカを撫でると、扉をノックする音がした。

「出かけてくるよ。ご飯はここに置いておくからね。」

男性の声だった。柔らかい、優しさのこもった声である。彗は扉を見つめるだけで、何も答えなかった。

「君の他に、この家には誰かいるのか。」

「今のは、叔父さんだよ。お父さんの弟。」

「何かの本で読んだ“家族“というやつか。家族というのは、仲良く話す存在ではないのか。」

「うーん。全ての家族が、そうとは限らないかな。」

彗はベットに倒れ込んで、布団に顔を埋める。

「叔父さんとは、話さないのか。」

「うん。あんまり」

「なぜ?」

「なぜって…」

腕を鷲掴みにされた時のことを思い出す。悲鳴すら出なかった。鳥肌が立つ。そして、飛び散った血潮。

 母の死に目に来なかったくせに、大切にもしなかったくせに、失った後で悲しみを欲情で振り払う。そんな態度に対して放った、怒りと防衛の刃。

「男の人が、苦手なの。」

彗は俯いて言った。

「そういうものなのか。」

「うん、そういうもの。」

彗は毛布に顔を埋めると、眠りはしないが目を瞑って、映る現実と、張り付く回想とを、自分から遮断した。

 


 ナスカが家に来てから3ヶ月ほどが経った。夏休みは終わり、同級生たちは体育祭の準備と練習に明け暮れている頃だろう。暑さはいまだに鎮座し、そこを退く気配がない。

 彗は冷房の効いた涼しい部屋で棒アイスを食べながら、なんてことない時間を垂れ流していた。

「学校というものは、楽しいのか。」

ナスカは依然として、頭上で本を浮かべて、パラパラと不思議な力でページをめくっている。話すことがだいぶ上手くなったように感じる。

「人によっては、かな。友達がいれば楽しいし、でも、嫌いな先生とかがいれば、楽しくない。」

「私が学校に行ったら、彗は人気者だろうな。」

「目立って嫌だよ。」

「フフッ、そうだろうな。」

ナスカはご機嫌そうである。軽くジョークをカマせるようにもなったようだ。

「…彗。」

少しの沈黙の後、ナスカが呼びかけた。

「ん?」

食べ終えたアイスの棒を舐めながら、そっぽを向いててきとうに返事をする。

「突然だが、私は、元居た場所へ帰ることになった。」

「え」

彗はナスカに方に首をすばやく向ける。

「またすぐに戻ってくることにはなるが、一時的にいなくなる。」

「ああ、そう。」

「また、ひとりぼっちになっちゃうよ。」

「…彗。」

「ん?」

「まずは、叔父さんと話してみてはどうだろうか。」

ナスカの言葉に、彗は意図をつかめずにいた。眉を顰め、困惑した表情で発光体を見つめる。

「今日の夜には、私はここを出る。」

「長旅になるから、今少し休ませてもらうことにするよ。」

ナスカは机の上に着地し、発光をやめて眠りについた。

「…意味わかんないよ。」

彗はアイスの棒をゴミ箱に投げ入れて、シュートしたのを見届けると、顔を毛布に埋めた。


 夜。部屋のドアの前で物音がして、

「ご飯、置いておくよ」

といつもの優しい声がする。

 クーラーの効いた部屋で毛布にくるまり、目を瞑る彗を、現実に引き戻してくれる声。ベッドと一体化しそうになってしまうのをいつも止めてくれるのは、この声だ。

「叔父さんと話してみてはどうだろうか。」

ナスカの声が脳内で流れる。妄想でシュミレーションをしてみるが、まずどうやって声をかけて良いかが解らない。タイミングが肝心だ。もう叔父さんは下の部屋に戻ってしまう。声をかけるならもう今だろう。

 叔父さんが階段を下っていく音が、だんだん遠ざかって聞こえなくなった。

 布団をどかし、立ち上がって、部屋のドアをそっと開ける。今日はカレイの煮物だった。甘い匂いが鼻腔を辿って、食欲を刺激する。砂糖と醤油の奥深い味が、食べなくとも舌の上に連想される。

 彗は机の上で眠るナスカをチラッと見た後、お盆を持ち上げて下の階へと降りて行った。

 目を丸くして見つめる叔父さんの様子に、彗は何を言う事もなく、目を逸らして、対面に座った。おじさんの方も特に何も言うことはなく、黙々とご飯を口に運んだ。

「いただきます。」

か細く可愛らしい声が、静かなダイニングに透き通る。

「叔父さん、スイちゃんの声、久しぶりに聞いたよ。」

叔父さんは言うと、ズッと鼻を1度だけならして、ご飯を頬張るように食べた。

 口の中のお米の、1粒1粒の輪郭がはっきりと解る。しかし、味はしない。飲み込む瞬間は硬水を飲み込む時のように詰まる感覚があり、喉と鼻の間がツンと痛くなる。おじさんと娘、お互いがそんな状態だった。そんなのだから、夕食の時間はいつもより長かった。

 彗が部屋に戻ると、ナスカの姿はなかった。窓も空いていないので、どうやって部屋から出たのか気になるところだが、彼の超常的な何かだろうと解釈して、壁にかかっている、汚れと寄れが目立つ制服を眺めた。

「学校というものは、楽しいのか。」

またナスカの声が、脳で再生される。

 後期はどんな授業があったか、調べようと思った。



「調査員No.702。調査は順調そうか?」

「現地の女高生と、友人関係を気付けています。」

「何か調べてわかったことは?」

「彼女が寝ている間に体内に入り、“人間“がどんな生物なのかを把握しました。彼女らの言語も完全に把握し、会話に支障が出ない程度に習得済みです。彼女の記憶も覗き、大多数の人間には何かと辛い過去やらしがらみがついているものだと仮説を立てています。」

「なるほど、そこに漬け込めば、人間は簡単に体を支配できそうだな。」

「…おっしゃる通りです。」

「我々が苦しみから解放されるのも、もうすぐというわけだな。奪われるだけの日々は、終わりにしよう。」

「はい。」

「後は、地球での調査報告を調査隊全員に報告しておいてくれ。」

「はい。」

ナスカは返事をすると

「それから1つ、わからないことがあるのです。」

と言った。

「ん?なんだね?」

「彼女と接していく日々で、私の中の何かが渦巻くのです。これを人間は“ココロ“と呼んでいるようです。しかし、私にはこれが何なのか、わからないのです。」

「“ココロ“か。まぁ、それがわからなかったとしても、計画に支障をきたすことはないだろう?さっきも言ったが、支配すればいいのだ。」

「はい。そうですね。」

ナスカは呟くように言うと、ゆっくりと回転して、地球での出来事や調べてわかったことを全員に一斉送信した。自分が、彗から“ナスカ“という名前を貰ったこと以外は。



「お、おじさん。お願いがあるんだけど。」

 ナスカがいなくなってから5日後の、ある日の夜だった。叔父さんとの会話は少ないが、彗はあれからご飯を一緒にリビングで食べている。

 叔父さんは、母が死んでから初めて一緒にご飯を食べた時と同じ、丸い目をして彗を見た。少し緊張している様子である。

 しかし、彗はもう、目を逸らさなかった。

 彗はハンガーにかかった制服を両手で持ちながら

「埃とか、取ったんだけど、あんまり綺麗にならなくて」

「クリーニングとか、出せるかな?」

彗の声は若干掠れていた。それでも言い切った。

 叔父さんは小鼻をじんわりと赤く染めて、彗を見つめる。

「明日、朝1で行こう。」


 数日が経った。笑顔で見送ってくれた叔父さんに、今自分ができる精一杯の笑顔で返したつもりだけれど、やはりまだ、あの頃のようには笑えていないように感じた。

 久しぶりの通学路はたいした変化もなく、ずいぶん前に見た猫の死体も、さすがに綺麗に片されていた。彗は久しぶりの景色を楽しむ余裕もなく、ただ、緊張による痛みが胃の辺りに渦巻いて、お腹をずっと撫でていないと落ち着かない状態で歩いていた。

 そわそわとした気持ちで、それでも平然を装いながら、校門をくぐる。陽の光が直撃する環境に身を置くことに違和感を感じて、速やかに校舎内に入ることだけを考えながら、見覚えのない、おそらく下級生たちの5人ほどの群れを避ける。外に出ない間にこんなにも陽の光が苦手になっていたことを、初めて自覚した。

 昇降口まで辿り着くと、案の定、お互いに顔は知っている同級生たちの視界に入ってしまい、その人たちは、驚きを隠せないといった具合に目を見開いている。心を刺すような視線に緊張して、やはり来なければよかったと後悔していた。靴を履き替えたら速攻で保健室に直行してやろうと思った。

「スバル!?」

後ろから自分の名を呼ぶ声がして、思わず振りかえってしまった。

「久しぶり!もうずっっっっっっと待ってたんだから!」

在学していたときに仲良くしていた、加藤美月だった。

(え、、待ってた?)

しばらく言葉が出なかった。驚いたのもそうだが、「待ってた」という言葉が心に染み込んでいく感覚が、言葉を忘れさせた。美月はずっと何か喋りかけているようだが、彗には届いていなかった。言葉の代わりに出てきたのは、透明色の血雫だった。


 彗の1日は、あっという間だった。家にいる時よりも、明らかに時間の流れが速く感じた。

 結局あの後は保健室に行き、しばらくの間は保健室か図書室で授業をすることになったが、休み時間の間には美月や他の友達が話に来て、今日1日は、退屈という言葉が存在しない、有意義なものになった。

 部屋着に着替えた彗は、ベッドに仰向けになって、放課後の帰り道を思い出す。

「私、ハンドメイキング部に入ってるの。手芸とか、お菓子作りとかして、めちゃめちゃ楽しいから、スバルもいつでも遊びにきてね!無理に入部とかしなくてもいいからさ。みんなきっと大歓迎だよ!」

美月の言葉が嬉しかった。新しい居心地の良い場所ができる予感がしていた。まだ高校2年、失った時間を取り戻すには十分な年月がある。数日後の体育祭は参加したくないけれど、文化祭には、参加したい。もう終わりだと思っていたけど、将来のことまで妄想しようとしてしまう。

「天国のお母さんも、こんな私、もう見たくないかな?」

目を瞑り、母の笑顔を思い浮かべる。病室での最後の笑顔ではなく、いつの日かの、なんら特別でもないある日の笑顔。目頭は熱くなるけれど、もう、涙は流さなかった。

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。外は暗くなっていたが、叔父さんはまだ仕事からまだ帰ってきていない。今日会ったことを早く話したいから、こういう日に限って帰りが遅いことに心が曇る。しかし、こんなにもおじさんと話したいと思ったのも久しぶりの感覚で、引きこもっていた自分も、これからやり直せるのかもしれないと期待が高まった。叔父さんはまた泣いてしまうんじゃないかと考えると、笑えてくる。

 友達が覚えていてくれたこと、そして待っていてくれたこと、部活に入ろうと思っていること、体育祭は参加したくないこと、でも文化祭は楽しみなこと、何から話そうかを考えている時だった。部屋が眩い光に包まれ、彗は腕を顔の前に持ってきて光を遮る。

「彗」

彗が恐る恐る腕を退けると、そこには淡い光を纏って宙に浮いているナスカがいた。

「ナスカ!帰ってきたの!?」

「うむ。」

「もう何年も帰ってこないのかと思ってたよ。」

「そうか。」

「スバル。話すべきことがあるのだ。」

「ほんと?私もだよ!でも、お先にどうぞ?」

彗は首を傾げ、ナスカを見る。

「私は、この地球を侵略しに来た、生命体なのだ。そして、人類を殺す毒をばら撒く爆弾だ。私が爆散すれば、人類は皆死ぬ。」

突然の言葉に、彗は言葉を失った。目が泳ぐ様子が、用量を掴めていない証拠となった。

「…続けるぞ。」

「私の故郷は、ある別の生命体に侵略を受けている。そいつらは不定期的に私たちの故郷に舞い降りては、その地と仲間たちの命を奪っていく。そこで、私たちが別の星に移住する計画を立て、目星をつけたのが地球だ。」

「私たちは、言わば調査隊だ。その中で、私は人類を殲滅する役目を任されている。他の仲間たちを故郷に残して、新しい住処を手に入れようと旅をしている。今にも奴らの侵略は続いていて、私たちがいない間にも、私の仲間たちは奪われ続けている。」

ナスカは淡々と続ける。

「目的は、私で人類を殲滅すること。ただ、私は君を助けたい。だから、君の身体を貸してほしい。」

「そうすれば、君だけは助けられる。私が体内に入って私の細胞を1欠片だけでも君の身体に残せば、毒に抗体を持たせることができる。それから、君は私たちと同じ環境で生きられるようになる。」

「私は、他の人間たちはどうでもいいが、君のことは失いたくないのだ。」

黙って聞いていた彗が、自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をする。

「なんで、私たちなの?なんで、死ななきゃいけないのがナスカなの?」

ナスカも深呼吸するかのように、ゆっくりと回転する。

「理不尽だと思うか。」

「思う。」

「許してくれ。」

彗は両手でナスカを掴んだ。手には発光による熱が伝わってくる。

「私、ようやくお父さんと普通に話せるようになったの。あなたのおかげよ。友達も、私のことを覚えてくれてた。ずっと待ってたって、言ってくれた。」

彗は涙ぐみながら、訴えるようにナスカに言う。

「私だけが生きても意味がないの!私には、大切な人ができてしまった。」

「そうだ。その通りだ。」

彗は目を丸める。

「君が言う“大切なもの“のために、私たちも行動しているのだ。」

彗はまた押し黙った。人間が生きるために動物を殺し、食うように、ナスカたちも生きるために、人類を殲滅しようと言うのだ。死にゆく動物たちも、「なんでわたしが…」なんて思っているだろう。そんなことを考えた。

「ナスカは、死ぬことが恐くないの?」

「何も思わない。死ぬことは、私の役目だからな。」

「嘘だよ。」

「なに…」

「私が死ぬことは悲しむくせに、自分の死をなんとも思わないわけがないじゃない。」

「私は、ナスカが死ぬの、嫌だよ…。」

「そうか…。」

彗はナスカを優しく撫でる。

「…倒そうよ。」

 真っ直ぐな眼がナスカ見た。

「…何を言っているんだ。」

「そいつらだよ。ナスカの星を侵略してる奴らのこと。」

「ナスカ、あなたは、もう心を手に入れているわ。」

「ココロ…」

「何かジョークを言ってみたり、わざわざ計画のことを教えたり、私の死を憂いたり。それは、心の動きだよ。」

「わからないな。わからない。」

「私の身体に入りなよ。心があるなら、私が教えてあげられる。」

「何をだ。これ以上君が、私にできることなど…」

「恐怖。それと、それに抗う勇気と怒りよ。大切な人や物が失われようとしている時、それを防ぐために込み上げてくる力。自分が危険に侵された時、それを拒絶するための力。それを、教えてあげる。」

 ナスカはその言葉を聞いて、眩く強い光を放つと、液体化した姿へと変身した。透き通るような水の中に星屑の群勢が散りばめられており、その群勢は水の中を流れ、動いている。地上へと降りてきた天の川のようである。これが、ナスカの本来の姿であった。

「本当に、良いのだな?」

「うん。」

ナスカは、彗の覚悟を決めた眼差しを入り口として、体内に飛び込んでいく。一瞬のうちに全身を駆け巡り、身体と脳を一体化させた。

「初めてこの家にきた時の夜、同じように君の中に入ったんだ。その時に感じた、君の中で渦巻く薄暗い何かは、これだったんだな。」

彗の、鋭い刃に変形した右腕を見て、ナスカが言う。

「そう。これが勇気と怒り。勇気と怒りの形だよ、ナスカ。これで、あなたの故郷を襲う奴らを倒そう。」

「そうか、これが。湧き上がるこの情動が!」

「スバルの血液の流れと、激しい鼓動を感じるぞ。奥深くから細胞の震えも感じる。スバルが、自分の過去の薄暗い部分に自分から触れて、勇気と怒りを膨らませていることが解る。何を、思い出している?」

「気持ち悪いから、その話はあとね。」

右腕の刃は肥大化していく。やがて制服を突き破り、彗の背中から翼が生える。獣のような牙が宿り、燃えるように赤く染まった血管が、首から頬へつたう。

「あなたの星まで、どれくらいかかるの?」

「あまり心配はいらない。君とのこの融合感覚ならば、光は超えられる。」

「そう。」

部屋の窓が開く。ナスカの超常的力だ。彗はそこから飛び出して、家の屋根の上へと登る。

「行こう。終わらせに行こうよ。」

彗は身体を硬質化して、屋根から空に向かって飛び立った。男で1人面倒を見てくれた叔父さん、待ってくれていた友達、これからの自分自身の未来、全てを守るために。

 飛び立つ流星は、淡い光に包まれている。恐いものは何もない。


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