story:13

文化祭に関する話題が一段落ついてからというもの、純哉はタイミングを見計らって本題を切り出してみる。不信感を与えたり誤解を生み出したりする言い方にならないよう、言葉を選びつつ慎重に訊いた。


「でさー、赤星さん。これは疑っとるとかじゃなくて、君のことを心配しとる意味で訊くんだけど……」


自分たちの関係がこじれたりしないよう、心理的な距離感に気を配りながら問い掛ける純哉。


「赤星さんが言ってた用事って、そんな大掛かりなものなん?」


言った後に、純哉は他に相応しい言い方があったのではないかと少しだけ後悔した。いざという時に、それらしい語彙が出ないことは悔しく思える。


「定期的に連絡が途切れるって、結構ガチなやつだったりするんじゃないん?」


心中から溢れる言葉が止まらない。伝え方を繕おうとすればするほど、空回りして不自然になってくる。


「……………え?」


対する美愛は、酷く動揺した様子で狼狽えた。やはり何か隠していたのか。2人の間には、重い空気が流れ出す。同時に、互いの思考も硬直していた。


「……………」


視線を逸らし、口を噤む美愛。もはやこうなるのも、時間の問題だったかも知れない。動きが鈍った脳味噌を可能な限りフル回転させ、美愛は真実を告げる覚悟を決めた。


だが、何処から語ってよいものか。情報量が多過ぎて自分でも処理しきれないが、美愛は一つひとつを辿るように話し始めた。


「……あの、何を聞いても驚かないでくださいよ?」


たちまち、予防線を張ったつもりで前置きだけはしておく。ワンテンポ間を空けて、純哉は頷いた。


それと同時に、純哉の中では確信的な不安、いわゆる“嫌な予感”が全身を駆け巡った。表現しようもない、怖気にも似た気味の悪いものを感じ、動悸までしてくる。


これが俗にいう第六感というものなのか、身体の至るところから危険信号を発していた。まだ直接内容は聞いていないのに、この場から逃げ出したい気すらする。


今という時間が過ぎれば、己の精神が地の底まで叩き付けられるだろう。しかし、この1分1秒は無慈悲に進む。


「私の寿命は、もうすぐ近くまできているんです」


つまりはそういうことだった。夏休み中も定期的に連絡が途絶えていたのは、自身の身体に異常が生じていたからだと。とはいえ結論だけ言われても、その背景が分からない。後追いで、美愛は続ける。


「私は生まれつき、臓器に異常がありまして……。医者の方からは、長く生きれても15歳までしか生きられないって……」


人生を達観したような、潤んだ瞳で美愛は答えた。


(な……、何を言って……)


美愛の言っていることが、右から左に抜けていく。彼女から伝えられる一言一句が理解出来ない。そもそも現実味が感じられない。純哉の鼓動がまた早まる。


しかも15歳までしか生きられないとは、まさに文字通り1秒後に死んでもオカしくないではないか。逆に何故今生きているのか不思議なぐらいだ。


また、高校1年生ということは誕生日が早ければすでに16歳になっている。ならばより、何が起きても変ではない。いや、起きていたからこそ連絡が途切れたりしていたのか。


「じ、15歳までって……、それもう過ぎとる……」


「いえ、早生まれなのでまだ15です……」


どちらにしても、危ないことには変わりは無い。かなりギリギリの状況といえる。


赤星美愛が抱える持病、それは世界でまだ数えるほどしか前例がない先天性の珍しい難病だった。その病気は、端的にいえば臓器の奇形によるものだ。先刻、美愛が言っていたように、罹患者の平均寿命は概ね15歳までだという。


よって美愛は、生まれてから今日という日まで幾度も大きな手術を繰り返してきた。純哉と会えない夏休み中もそうだった。身体、及び臓器に過度な負担をかけられないため、食事や運動も制限されてきたのである。


運動が出来ないばかりに、体育の授業は全て見学で身体を満足に動かせず、好きな歌の振り付けを踊ろうにも身体がついていかない。


こんなにも短いと決め付けられた人生に、一体何を、どんな意味を見出せというのか。だからこそ美愛は、自分がこの世に生を受けたこと自体を恨んだ。


だが、限界まで悩み抜くと、案外開き直れるものだった。いや、そうせざるを得なかったといった方がまだ正確か。全てを悟ったような、諦めたようなといっても当てはまる。


ならびに、それだけの大病を患って生まれてきたのもありきで、治療費もとい手術費も莫大にかかってきたのも事実だった。


両親の金銭的な負担も大きいからこそ、家計も苦しくなる。やがて、自分の手には負えないと察した美愛の父親は、日頃のストレスにも耐えかねて自ら命を絶ってしまったという。幼い美愛と、妻を残して。


美愛が生まれてきたからこそ、家庭も家族の将来も崩壊した。そんな彼女を、いつしか母親は“疫病神”と罵るようになる。


「それで母さんは、私に強く当たり散らして……」


気付けば美愛は泣いていた。その小柄な身体の内に秘めた溢れんばかりの哀しみと絶望が、止めどなく流れ出てくる。


今、ここで息絶えても不思議ではない恐怖に加え、家に帰れば母親からの心無い中傷が浴びせられるのだ。それでも帰らなかったら帰らなかったで、また母親からの理不尽極まりない逆鱗に触れることになる。彼女は今の今まで、抱えきれない闇を抱いて生きてきたのだった。


「なん……で……」


どうしてか、どうしてこうなってしまったというのか。純哉は悔しい気持ちを通り越して、筆舌し難い虚無感に駆られていた。涙も出そうで出ない。おそらく出したところでどうにもならないと、身体が訴えているのだろう。


本当に、悪い夢ならば一刻も早く覚めて欲しかった。


自分はまた、大切な人とのこれからや相手への想いを失ってしまうのか。純哉も美愛と同じように、自身が置かれている現実に失望した。ぽっかりと開いた心の穴は、哀しみでさえも埋められない。ただそこにあるのは、底知れない虚無だった。


「っ!」


美愛は両腕を、純哉の上半身に絡ませて強く抱きしめる。頭部は相手の右肩にすがるように預け、視線だけは虚に向けていた。美愛の柔らかな触感と体温を制服越しに感じ、純哉ははっとする。


「冬田先輩、我がままだっていうのは分かってます。けど、私は最後まであなたと居たいんです。だから、……最後の恋はあなたがいいの」


消え入るような声で、美愛は言った。自分に居場所を、拠り所を与えて欲しい。側に居て欲しい。心の底から、笑顔にさせて欲しい。凝り固まった表情が、自在に動くようになるほどに。


「……赤星さん。俺だって、これを最後の恋にしたいよ」


前に彼女が訊いてきた、最後の恋についての問いはそういう意図だったことを今になって理解した。純哉は喉を絞って声を出し、美愛を抱き返す。


これが、人生において最後に抱く恋愛感情となるのか。それでも考えようによっては、恋の辛さ、失恋の苦しみ、そこから派生するであろう煩わしい人間関係に悩まされることがなくなるのなら、都合は悪くない。


とても達観した考えだが、そう思うと妙に納得も出来た。


純哉の両手と両腕に力が入る。こうして彼女を抱き留めておかなければ、赤星美愛という人間が消えてしまいそうで。はたまた、彼女との時間が過去のものになってしまわないように。


無駄な抵抗だとは分かっていた。しかし、美愛の存在をこの世に留めたいと思った。今の純哉に出来る、精一杯の悪足掻きだ。


「だから先輩、本音を言えばちゃんと恋人らしくタメ口で喋りたいし、名前で呼び合いたいな。後悔を残さないよう、あなたとの時間を生きていきたいんだ」


そこまで言い切ると、美愛は顔を上げた。次いで、純哉の首筋にそっと唇を当てる。


「っ!」


雲が触れたような、とても柔らかくて優しい口付けだった。未練や悔いを残すまいとばかりに、美愛は恥じらいと躊躇いを捨てる。一瞬だったが、確かに残留するキスの感触が、純哉の意識を覚醒させた。


すぐすぐには答えが出せそうにない、難解な課題。だが、彼女を何らかのかたちで救い出さなければならないという結果論だけには思い至っていた。


生半可な回答では決していけない。今の自分に出来ることとは何か。ほんの僅かでも細々とした視点から、純哉はこれからの動向について考える。いつになるか分からないが、必ず答えを出さなければならない問題だ。


互いに存在を求め合う2人の時間は、そのまま刻一刻と過ぎていく。

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