story:10
8月もすでに下旬に入っているのもあり、息苦しいほどの猛暑日は未だに続いている。駅から店まで歩いただけでも、止めどなく汗が滲んだ。
照りつける日差しも容赦無く降り注ぎ、帽子を被って外出しなければ頭部にこもった熱が後々に頭痛として残りそうである。
見上げた空には入道雲が浮かび、夏季特有の透明な蒼が美しく映えていた。
夏休みも残すところあと2日となった日の午後。冬田純哉は自宅からの最寄り駅にて美愛と待ち合わせ、そこから近場のファストフード店に入り、昼食を取りながら談笑を交わしていた。
対面のテーブルを挟み、美愛は自身のスマホの画面を見せつつ、眼前の相方に尋ねる。
「冬田先輩、このキャラ知ってます?」
画面に表示されているのは、SNSに投稿されている人気キャラクターのイラストだった。桃色のボールのような外見をした主人公を題材にしたものだ。
「知っとるよ? それのゲーム、小学生の時ハマってたし」
「可愛いですよね!? 私、これのイラストを見ていつも癒されてるんですよぉ」
無邪気な少女のようにはしゃぎながら言う美愛に対し、純哉はうんうんと首肯する。本人の可愛らしさも合間って、中々似合う組み合わせだと思った。日頃気が沈んだ時も、そのSNSを開いてイラストを閲覧しているのだという。
「ちなみに冬田先輩は何かハマられてるものとかあります?」
「んー、俺はねー」
純哉はスマホの画面をタップし、動画投稿サイトを開く。そして、検索履歴にあったワードから目的の動画を出し、再生して美愛に見せる。
「これだな」
純哉が見せた動画は、外国語の曲を面白オカしく改変したもので、ミュージックビデオもそれに合わせたものだった。場面によって登場人物にディスりを入れたり、脈絡の無い単語を繋げたりと歌詞がメチャクチャだ。
メチャクチャとはいえ、面白いという意味でである。
「………なんですかこれは?」
じわじわと笑いが込み上げてくるのを感じながら、美愛は突っ込んだ。主な感想は、カオスといったところか。
「なんか笑えるでしょ、これ? 昨日の夜もこれ観て1人でずっと笑いよったよ」
相当ツボに入ったらしい。今でも笑いを堪えながら動画を見せている。たまに口ずさんでもいるそうだ。
「へ、へぇ………」
苦笑したまま、美愛はじわりと頷いた。動画の内容についていけないのか、これ以上は何とも言えないのだろう。実際に聴いてみれば印象は違うのだろうが、今はイヤフォンが無いので動画だけに留めておく。
あとで聴くかどうかは、気が向いたらそうする。とりあえず今は、美愛の知らない世界だった。
スマホをテーブルに置いてバーガーの包みを開ける純哉は、すでに食べ終わった美愛に訊く。
「それにしても、ほんとにバーガー1個で足りたん?」
少食なのだろうか、美愛は格安のバーガーを1つしか食べていない。せっかくなので奢ってやろうかと純哉は思ったが、美愛自身が遠慮して断った。また、本人曰く節約もしてるらしい。
彼女の体格が小柄でスラッとした細身なのも、控えめな食生活が背景にあるからだと思われる。
「ええ、足りましたよ?」
「そっか、君がそういうなら大丈夫だね」
会計を済ませる直前と今で二度確認したが、これ以上気を遣うのはお節介か。本人が満足ならそれで良い。
昼食を食べ終えると、2人はファストフード店を出てローカル線が通る高架下の歩道を歩く。車の交通量が多い車道にも面しているので、常に排気音が聞こえる。
純哉は当然の如く、美愛を右側もとい歩道側に歩かせ、自分は道路側に立つ。いつか学んだ女性への気遣いを無意識に見せた。
並列して歩きながら、純哉の右手にチラチラと視線を向ける美愛。ある種の欲動か、彼女の心はトクリと高鳴り、意識は呆然とする。
ただ分かるのは、彼との接触を求めていることだ。その主たる心境は、甘えたいといった願望か。だからこそ美愛は、己の気持ちに身を委ねて口を開く。
「冬田先輩……」
「どしたの?」
「手を、繋ぎたいです」
「………え?」
訊き間違えか。純哉は呆気に取られて振り返る。前方に気を付けて、歩くスピードも落とした。
確か、手を繋ぎたいと言っていた気がする。認識が遅れはしたが、純哉は彼女と気持ちが合わさったような感覚がした。このシンクロした感じはなんだろうか。
純哉は右手を差し出し、同時に言い添える。
「俺も、同じこと考えてた」
小さく笑い掛け、一旦立ち止まった。互いに想い合っている相手と同じ気持ちだっただけで、こんなにも心が温かくなるとは。今まで感じたことのない新手の嬉しさだ。半年前ぐらいの純哉では、想像も出来なかった心持ちである。
「へへへぇ………」
幸せに満ちたニヤけ顔を浮かべながら、美愛は左手を純哉の右手と繋ぎ合わせた。手中から、明るいオーラが溢れ出したような温もりを感じる。
(柔らかくて小さいな……)
人生で初めてまともに異性と手を繋ぎ、仄かに赤面して歩き出す純哉。慣れはしていないが、自分なりに女子をエスコートする。
美愛の手は小さくて柔らかいだけでなく、言い表すとたぷたぷとした脂肪分があるように思った。スクイーズのようなスライムのような、独特だが心が穏やかになる感触である。
さすがに脂肪分というとデリケートな言い方にはなるが、美愛は肥えているのではなく寧ろ細身なので悪口ではない。どうにしても、病みつきになる肌触りだ。
「ところで俺たちは何処に向かっているんだ?」
気恥ずかしさを隠すため、純哉は余裕を取り繕って自身等に問い掛ける。とりあえず散歩みたいではあるが、何処に行くにしても屋根があるところへ行かなければ暑いだけだ。
炎天下ではすぐに体力が削られるし、息切れも顕著になる。ただ目的もなく無意味に歩くだけでは、無駄に水分などを消耗してしまう。
「ね、何処に向かってるんでしょうか?」
すでに息を切らしているが、美愛は楽しそうに同調した。美愛からしてみれば、純哉と一緒に居られれば何処でもいいのだという。
最低でも、暑さをしのがなければ。それに優柔不断な対応は女子を前にしてはよろしくない。よって純哉は、自らにまとわりつく猛烈な暑さによる後押しもあり、自分なりの最適解を導き出す。
「あ、カラオケ行くか!」
そういえば近場にカラオケ店があった。カラオケなら屋根も冷房もあるし、ドリンクバーもあるので水分補給も出来る。もっといえば、唄える。
「カラオケ……! いいですね……! 行きたい……!」
ピンときた。距離的にも時間的にもカラオケがいいだろう。そして2人は、半ば逃げるように目的地へ向かった。
店内に入ると、猛暑から救い出してくれるような冷気が全身に染みた。地獄から天国まで這い上がったようだ。とても大袈裟だが、生き返った感じがする。
ちなみにここに来るまでの道中、2人が繋いでいた手は汗ばんだので離していた。暑い中互いの体温が触れ合っていたので、それは当たり前か。
「ああああぁぁ、涼しいいぃぃぃぃぃ」
純哉がじじくさい口調で呟いているのを、美愛がくすりと笑って合いの手を入れる。彼女もまた、顔を赤くしてのぼせているが、冷房の恩恵でたちまちは落ち着くだろう。
カラオケ店に入ってすぐのところ、純哉は率先して受付を済ませる。時間はフリータイムのドリンクバー付きで、どちらかといえば小さめの個室へ案内された。
暗い室内の電気をつけて、2人はソファに腰を降ろす。ようやく一息つけた。だが、まだ部屋の温度はこもっていたのでリモコンを操作して冷房をつける。
「さて、早速何か唄っちゃう?」
異性とカラオケに来るのも初めてだが、不思議と緊張はしない。しかも2人切りだが、逆に落ち着いている。それは相手が美愛だからか、先程のように極端に物理的な距離を詰めなければゆとりが持てていた。
あるいは、普段から連れとカラオケに来ているので、この環境自体には慣れているのか。
唄いたい曲を予約するためのタッチパネルの横にあったマイクを手にした美愛は、第一に名乗り出る。
「じゃあ、唄いたかった曲があるので私からでいいですか?」
「おっけーよ? じゃあ、任せた!」
はしゃぎ気味な美愛に後を託す純哉。専用のタッチパネルを動かして、まずは採点機能を入れる。次にアーティスト名から希望の曲を探し出し、選曲した。
美愛の歌唱力は、可もなく不可もなくといった感じだ。加えて振り付けも合わせて唄っていた。だが、身体の動きはぎこちなく、楽しんではいるのだが忙しない印象である。
そんな、可愛らしくて可笑しい彼女を前に、純哉は必死で笑いを堪えながら見守っていた。
(っくくく……! 赤星さん……、もしかしてリズム感無い……?)
踊りだけに目を瞑れば、唄っているのには何ら違和感は無い。しかし、動きを見れば失礼だと分かっていながらも笑うしかなかった。
「あれ? 冬田先輩、何で笑ってるんですか?」
「いや……、ただの思い出し笑いよ……! くくくくっ……!」
「………?」
曲が終わって、美愛が疑問符を浮かべながら尋ねてくる。当然、純哉は上手いこと誤魔化して掻い潜った。面白い上に可愛いで済まされそうなので、敢えてここは指摘しないでおく。
「よーし、じゃあ俺も同じのを唄おうか……! くくっ……!」
何かを企むように口元を歪めながらマイクを持つ純哉。選んだ曲は美愛と同じだが、男声バージョンということか。いや、そう思っていたら、大きな間違いだ。
純哉が唄ったのは、まさかの替え歌だった。出だしから何か違うと思って聞いていた矢先、その違和感は明確となる。
「うひゃはははははははは! それはいけんですよ、冬田先輩!」
同じのを唄うとは言ったが、歌詞まで同じように唄うとは言っていない。不意打ちのようにネタに走る純哉の熱唱を聴き、美愛は腹を抱えて大爆笑する。ちなみに歌唱力は中の上ぐらいだった。
次の順番でも美愛は、またしても面白可笑しく踊りながら好きな曲を唄う。そのたびに純哉はみぞおち辺りが痛くなるぐらい笑いを堪えていたが、後々になるごとに良い加減慣れてきた。
自身等の唄いたい曲を次々に消化していくうちに、入室してから約3時間程経った。喉も疲れてきたし、そろそろ休憩を挟むことで2人は選曲を止める。
曲を予約していないため、室内に設置されているモニターからはカラオケ限定のCMが延々と流れていた。その音声が、2人の沈黙を埋める。
しばらくは会話をせず、各々スマホをイジったり次に唄う曲を探したりしていたが、携帯から視線を外した美愛が口を開いた。
「冬田先輩」
「なに?」
続いて紡がれたのは、純哉にとって驚くべき発言だった。
「今日、冬田先輩の家に泊まりに行ってもいいですか?」
「……えぇ?」
今日は美愛が妙に積極的な気がする。先刻の手を繋ぎたいと言っていたことに然り、泊まりに行きたいというのに然り。それでいえば彼女からラインを聞いてきたのもあるので、今に始まったことではないかも知れないが、急激に距離が近くなったのは確かだ。
「き、急だねぇ、どうしたのよ?」
逆に聞き返されて、美愛ははっとした。よくよく考えてみれば向こうの都合もあるだろうし、いきなりこんなことを言うのも野暮だったか。美愛は心中で自らを戒め、反省した。
「いえ、なんでもないです……」
本音を言えば、己の中の寂しさと虚しさを埋めたい。だが、その代わりに相手の身内までを掻き回してよいものか。いくら彼が自分と合意の上で付き合ってくれているとはいえど、甘えには限度がある。
よって泊まりの件については、また日を改めて申し出ようかと思った。
「そう? まぁ、俺は別にいいんだけどさ」
自分は良いが、親に会わすのはまだ早いだろう。仮にこちらの両親が仕事で居ないなどであれば難なく受け入れられるのだが、たちまちは保留か。
カラオケ店を出ると、穏やかな西日が差していた。昼間に比べると、暑さは少しだけ緩和された感じである。時間もちょうど良いぐらいだったので、2人は再び駅まで歩いて解散した。
彼と一緒に居る間は、何ら異常はなかったのだ。それが離れると、今まで溜まっていたものは一気に溢れ出す。いかに彼という存在が、自分にとっての安定要素であり、支えだったかがよく分かる。
帰宅して早々、美愛は突如意識を失った。目元にクマを作り、瘦せこけた母親は、うつ伏せに倒れている娘を静かに見下ろし、ゆっくりと携帯に手を掛ける。
「…………お世話になります、赤星です」
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