story:7

むせ返るような夏の暑さが加速する7月中旬の某日。冬田純哉は長期休暇前の定期テストを経て、高校生活最後の夏休みを過ごしていた。


今日は学年が2つ下の後輩と、2人切りで遠方の海へ行く予定だ。そのため純哉は、待ち合わせ場所である電車の最寄り駅にて、言い出しっぺの後輩、赤星美愛の到着を待つ。


現在時刻は10時55分。待ち合わせの時間は11時なので、あと5分ある。この時点で純哉は、左手にスマホを持ったまま腕組みをし、少しばかり苛立っていた。


(普通は10分前とかじゃないんか、遅れそうなら連絡寄越しんさいや)


彼女には報連相の概念が無いのか。いや、自分が時間に厳し過ぎるだけかも知れない。こうして必要以上に労力を使うため、純哉は美愛の誘いに乗ったことを今更ながらに後悔していた。なんなら今日1日の時間を使って、糸井や尼川のような連れ同士で遊んだ方が有意義な気さえする。もっと言えば、夏休みの無駄遣いか。


いずれにせよ、純哉は自身の中で愚痴ばかり唱えてカリカリするのも面白くないので、近くにあったベンチに座ってなんとなく空を仰ぐ。


駅の窓から見える青空は実に澄んでいて、透明感があった。綿のようにうっすらと掛かった雲も、爽やかな夏の空を程良く装飾している。


また、このごろは連日の天気が雨だったので、今日は晴れて良かった。梅雨が明けたかどうかについては、純哉の記憶ではまだだった気がする。それでも、今日に限ってカラッと晴れてくれたのは、天候も純哉たちの予定に合わせてくれたのか。


1分程経過して、10時56分になった。純哉が不意にスマホへ視線を落としたタイミングで、聞き覚えのあるはつらつとした声が頭上から掛けられる。


「冬田先輩、お待たせしました!」


ようやく来たかと思いつつ、純哉は顔を上げて相手の姿を確認した。すると純哉は、呆気に取られる。というより、見惚れてしまったといってもいいだろう。


嬉しさを包含したような笑顔を浮かべて眼前に立っていたのは、美愛だった。彼女は女性として必要最低限と思われる化粧を施しており、元来の美白に紅いリップが際立つ。


茶色掛かった髪は後ろで1つに結い上げ、頭には黒い無地のキャップを被っている。更に半袖のティーシャツとショートパンツという夏らしい服装で、学校に居る時の彼女とはまた違った印象があった。


「………あぁ、大丈夫よ。俺も今来たばかりだから」


気を取り直し、純哉はうろたえた調子で気を遣った返答をする。一方で美愛の雰囲気に関しては、学校に居る間がすっぴんだっただけに未だにケバいと思ってしまっていた。


「ていうか赤星さん、化粧とかするんだね」


ベンチから立ち上がり、言及する純哉。対する美愛は目尻を動かさず、首を傾げて聞き返す。


「ええ、しますよ? 意外でした?」


「いや、意外っていうか、似合ってるなーって思ってさ」


良いことではあるのだが、純哉は癖で女子を褒める。特別な意味は無いが、基本的にポジティブなものは思ったことをすぐに口に出してしまう。その代わり、愚痴や負の感情は全力で心の底に塞ぎ込む。


純哉の肯定的な物言いに、今度は美愛がぽかんとする。数秒の間を空けて、美愛はニヤニヤして照れながら喜びを露わにした。


「うへへ、うへへへへへへへ………。ありがとうございます、冬田先輩」


(いや、笑い方のクセじゃろ………)


今まで聞いたことがなかったが、物凄く独特な笑い方ではないか。相変わらず目も笑っていない。純哉は表面上では愛想笑いで聞き流し、心中で指摘した。


それから2人は、電車とバスを乗り継いでおよそ1時間半かけて現地へと向かう。移動中は車内から見える景色を眺めたり、先日のテストの件や夏休みの予定などについてを話題に談笑したりしていたので、目的地に到着するまでの体感時間はとても短いように感じた。


やはり皮肉なことに、純哉は先程苛立っていたのとは打って変わって美愛との時間を有意義に感じてしまっている。ふとした瞬間に我に返るので、そのたびに自嘲して鼻で笑う。


いっそのこと突き放すことが出来れば良いのだが、純哉には抵抗がある。どうしても相手の顔色を窺ってしまうのだ。


「あっ、冬田先輩! ここです! 見えてきましたよ!」


バスの窓越しに海が見え、美愛ははしゃぎながら言う。


「おぉ、なんか良い感じのところじゃん?」


口ではそう言って同調するが、純哉の中では現地に着いてからの期待よりも面倒臭さが勝っていた。もう少しで、この冷房がガンガンに利いた車内から溺れるような猛暑の中へ飛び込んでいかなければならないのか。


いつまで居る気かは知らないが、海辺をぐるっと散歩でもしてさっさと帰ろう。また熱中症っぽい感じで倒れられても困るし、マズいと感じれば早々に連れ戻す。


席の近くに設置されている、次のバス停で降りたい意思を伝えるボタンを押し、バスは目的地の真ん前にあるバス停に止まった。そこからICカードを使って運賃の支払いを済ませ、2人は小走りで外に出る。


案の定、純哉と美愛は真夏の鋭い日差しに晒され、その眩しさに目を瞬かせた。


「あっつ! 異常気象じゃろ、これ!」


開口一番に純哉が叫ぶ。思ってもなかったことを言ったため、普段本音を抑えている分少しだけすっきりした気がした。


来客への手荒い歓迎か。美愛も右手を額に当て、日差しを遮りながら純哉に促す。


「ちょっと歩いたら日陰に行きましょうね? 向こうに公園みたいなのもあるみたいですし」


それを聞いて、純哉はムッとした。目の前にお土産を売っている店やレストランが入っている建物があるではないか。細かいが、なぜそちらではなく公園をチョイスしたのか。建物の中の方が、涼しいに決まっている。


そうは思っても、純哉は自分が中途半端に細かい人間だと分かっているからこそ指摘するのを抑え、言い方を変えて美愛伝えた。


「うん、あっちはまだ砂浜とかに比べて涼しそうだしね。でもこのお土産とか売ってるところの中の方が涼しいんじゃない?」


「あー、まぁ、そうですねぇ。休めるスペースとかあればそっちに行きましょうか」


純哉の意見を聞き、美愛は朗らかな表情のまま頷く。この茹だるような暑さの中でも、美愛は純哉との時間を楽しんでいるようだ。とりあえずは浜辺の方へ向かうため、2人は足並みを揃えて石畳の上を歩いた。


石畳の先、ウッドデッキ越しに砂浜と青く煌めく海が見える。空も視界いっぱいに広がって開放的だ。いかにも夏の風物詩といった光景を前に、2人のテンションは一気に上がる。


「うほぁーっ! まさにザ・海って感じでいいですね!」


美愛は興奮し、語彙力が追い付かない様子だ。この辺り一帯のスピーカーから流れているラテン系のBGMが、彼女たちの昂揚感と万能感を更に助長させる。


波打ち際に居る水着姿のカップルや家族連れ、砂浜でビーチバレーをしている大学生と思しき男女のグループは、きっと自分たち以上に夏を満喫しているのだろう。


「まー、良いロケーションじゃあるね」


美愛の後ろ側に立つ純哉が、目に映る景色を眺めながら呟く。気が付けばその視線は、美愛にも向けられていた。


純哉が無意識に美愛に見惚れているのもさることながら、彼女は不意に振り向いて何気無い話題を振る。


「それにしても、やっぱりそこそこ人が居ますねー」


「だね。ちょうど良い時期だし、みんな夏休みに入ってるからかな?」


「ですよねぇ。あー、私も水着持ってくればよかったかな?」


ただのひとりごとだったが、純哉は彼女の発言から派生して美愛の水着姿を想像してしまう。そのイメージでは色気は無く、ただ可愛らしいだけだったのだが、純哉はすぐに脳内から想像を打ち消して勝手に背徳感に駆られる。


(いや、ないな……)


表情から悟られぬよう、顔に力を込めて自然な笑みをキープする純哉に、美愛は言葉を続けた。


「冬田先輩、ちょっと砂浜歩きません?」


なんとなく砂の上を歩きたくなったので、そう誘いを掛ける。対する純哉は、快く応じる。


「いいよ、海に来ん限りそういうのって出来んし」


「そういうのって?」


「ん? 砂浜の上を歩くっていう経験ね」


「あぁー、ですねぇ」


ウッドデッキを通り抜け、純哉と美愛は柔らかな砂の大地を踏み締める。2人ともスニーカーを履いて来ていたので、砂に足を取られて前進するのにいつもより重みが加わった一歩となった。


前を歩く美愛の背中を見詰めながら、純哉は思う。そろそろ、相手に合わせて動くのも辛くなってきた。


場違いなのは分かっているが、この際彼女の真意を聞いてみよう。もちろん、こっちが一方的に突き放すのは彼女としても酷だと思ったので、まずは相手の意向を聞いてから適切な対応を取るつもりだ。


気付くと純哉は、険しい形相を越えて美愛を睨みつけていた。これ以上、こちらの心を揺り動かすなと。


やがてビーチの端にある、草原を思わせる公園の近くまで来たタイミングで、純哉は仮面のような笑顔を貼り付けて美愛を呼ぶ。


「ねぇ、赤星さん」


すると美愛は、先刻からの朗らかな調子のまま振り返った。


「どうしました?」


ついに切り込む。こんなことに労力と気力を使うのに納得がいかないにしても、自分たちの今後を踏まえれば聞かないわけにはいかなかった。純哉はゆっくりと口を開き、自身の思いを声にして絞り出す。


「今日はさ、何で俺を誘ったの?」


「………え?」


美愛の表情が曇った。予想もしていなかった質問に、戸惑っているようだ。無言を貫き、純哉は返答を待つ。2人の沈黙を、敷地内に流れているBGMと遠くから聞こえる人の声が埋める。


言葉に詰まり、唇を震わせる美愛。中々答え辛い質問だったのかと察し、純哉は聞き方を変えてみる。


「いやさ、俺じゃなくても同級生の男子とか、他に友達とか誘える人が居ったんじゃないかと思うけど、何で俺なの?」


友達、あるいは知り合いと来たかったのなら、別に自分じゃなくても良かったではないか。美愛のようなタイプなら友達が出来ないようなことはないだろうし、それなりに容姿が整っているのだから同じクラスの男子生徒だって気に掛けないはずがない。


「そ、それは………」


一つ一つを辿るように、美愛は少しずつ返事を紡ぐ。そして、自身の気持ちと流れに身を任せて思いを伝えた。


「冬田先輩と居ると、何だか安心するからなんです……。その、異性の中では……」


出会ってから約1か月だが、美愛は純哉と関わっているうちにしだいに安心感を覚えるようになったという。初めは彼と話していると緊張しがちだったが、それは純哉の気を利かした接し方もありきでほぐれていった。


だからこそ、その緊張感も不思議と今では心地良く感じる。まさに、自分の命が精一杯輝いている。尊くて儚い心情だ。


純哉は眉をひそめる。そのまま、訝しみつつ美愛の言葉を待った。


「えっ……、だから……。要するに私は、冬田先輩のことが好きなんだと思います……」


「…………………」


なんと中途半端な告白だろう。成り行き任せで好意を伝えるかたちになってしまったことは、美愛自身も重々に自覚していた。


美愛は急に恥ずかしくなり、真っ白な顔を赤くする。暑さで火照っていた顔面が、より熱くなった。まさか、こんなにも突然、自分の想いを言う流れになろうとは。


いつか伝えようと思っていたその“いつか”は、まさに今だった。


純哉も美愛も、互いに向き合った状態で呆然と立ち尽くす。周囲の時間は動いているのに、自分たちの時間だけは止まっているようだ。そんなどうしようもない空気感の中、先に動き出した純哉は美愛の左隣に立って顔も合わさず告げる。


「……赤星さん、ありがとう。でも、俺のことを好いても、何も得は無いよ」


美愛に対して、初めて本音を言ってやった気がした。純粋な好意を伝えられて悪い気はしなかったが、どうしても純哉はそれを受け入れられる自信が無い。


己を卑下した答えに驚き、美愛は純哉に向き直って訊く。


「なん……で……ですか……?」

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