story:5
体育後の1年4組の教室は、驚くほど蒸し暑い。更衣室で体操服から制服に着替え、教室に戻ってきた美愛は、肌に伝う温度を直に感じてげんなりとしていた。
この暑さは、今日の気温に加えて元から教室内に居た男子生徒たちの人口密度からもくるのだろうか。やはりクラス内でも人が居るのと居ないのではそれなりの差が出ている気がする。
早いところ、つい先程つけたばかりの冷房も利いて欲しい。延々と噴き出る汗も、額や首筋に絡みついて煩わしいことこの上ない。
また、体育も2時間ぶっ通しだったため、6月の地味に強い日差しにさらされて真っ白な肌も赤く染まっていた。ひりひりとして痛い。そして明日以降には、こんがりと黒くなっていそうだ。
「あっつー」
教室の後ろ側に設けられているロッカーにすがり、美愛は下敷きを団扇代わりにして扇ぎながら気だるげに呟いた。彼女の左隣に並ぶ陽菜も、ぐったりしてぼやく。
「まだ6月でしょー? これさぁ、7月とか8月になったらどーなるん?」
「それねー」
6月の時点でこの調子では、先行きが心配である。例え人間が高温に適応出来るようになっても、それは慣れてはいけないものであろう。
「てゆーか、見てやこれ! もう真っ赤よ?」
言いながら、美愛は陽菜に対して左腕を見せる。
「わぁ! 美愛の美白が! なんてことよぉ! こんなに美味しそうになっちゃって!」
「美味しそうに焼けましたー! って、なんでよ! 痛いんよ、陽に焼けて!」
雪のように白いだけに、その変わりようがはっきりと分かった。ゆえに虫に刺されたりしても、そこだけ嫌というほど目立つのだ。
「やれんよ、ほんと……。マジで日焼け止めが欠かせんわぁ……」
紫外線から肌を守るため、毎年この時期は日焼け止めが必須となる。美愛の美白は他の女子からも羨ましがられるが、やはりケアもより欠かせない。
教室の前方に掛かっている壁時計をチラッと見て、美愛は時間を確認した。あと2分で授業が始まる。ちなみに移動教室ではない。
そろそろ席に戻ろうかと思いながら、美愛はロッカーから腰を上げた。
「さて、あとちょっとだねー。ところで陽菜、今日も食堂行く?」
昼休憩は食堂に行って昼食を済ませようか。基本的に美愛は登校中にコンビニに寄って惣菜パンを買ったり、ごくまれに自分で弁当を作ってきたりするのだが、今日はそのどちらでもない。そのため美愛は、陽菜にそう誘い掛けた。
「そうするー、僕も弁当作ってないからねー」
「……毎回思うけど、陽菜の僕っ娘がたまにうつりそうになるなぁ」
女子にしては珍しい一人称を使う陽菜に突っ込みを入れ、美愛は自分の席へと歩みを進める。2人とも席が近いので、休憩時間の終わりまでずっと駄弁り続けていた。
昼休憩に差し掛かり、美愛と陽菜は学校の敷地内に設けられた食堂へ向かう。さすが昼休憩というだけあって、1年生から3年生まで様々な学年の生徒たちがひしめき合っていた。
食券を買う列も、メニューの受け取り口に続く列も人がいっぱいだ。席もほとんど埋まっている。これだけの人だかりなだけに美愛たちも入学してしばらくはその群衆に圧倒されていたが、今はもう慣れた。
まずは食券を買うため、2人は発券機の列に並ぼうとする。その途中、美愛はすれ違う生徒たちの中から拠り所ともいえる人物と鉢合わせた。
「あっ……」
自分の前を歩く男子グループに居たのは、間違えようもなく冬田純哉だ。いわゆるいつものメンバーというやつか、はたまた連れ同士というやつか、糸井柾人と尼川和希も一緒だった。
(やったぁ……)
純哉と会えたのが嬉しくなり、美愛はついつい頬を緩める。彼に気付いたのは陽菜も同じようで、美愛の左脇腹を小突きながら催促をかけた。
「あぁーっ、冬田先輩居るじゃーん。話し掛けてくればぁ?」
「えぇー?」
朗らかに笑って言う陽菜に、照れ臭そうに委縮する美愛。どうやって声を掛けようかと迷っていたところ、純哉もこちらに気付いて挨拶する。
「おぉー、赤星さん。おつかれー。今日は見学だったんじゃね」
見学だったというのは体育のことだろうか。しかし、彼がそのことを知っているのは疑問に思ったため、美愛は尋ね返す。
「冬田先輩も、お疲れ様です。でも何で私が見学してたことを知ってるんですか?」
対する純哉は、バツが悪そうな顔をした。どうやらあまり意識せず発言してしまったらしい。
「いやぁ、ちょうど移動教室の時に赤星さんが見えたからさ」
つまりはグラウンドに設けられたベンチに座って見学していたところを見られていたのだと。やや取り繕うような言い方だったが、純哉の余裕は崩れていなかった。いや、崩れていないように見せているだけかも知れないが。
どうにしても、純哉はそれだけ自分の存在に気付き、見つけてくれたということか。美愛は思わず、心中で舞い上がってしまった。
「なるほどぉ! そういうことでしたか!」
「あぁ、こないだの病み上がりかな? まぁ、無理はせんのんよ?」
「はい、ありがとうございます!」
ちなみに現代文の授業に遅刻した純哉たちだが、専用教室に入ってすぐ担当教員に注意されたという。遅刻の言い訳をする際は言葉に詰まってしまったが、本人たち曰くなんとかはなったらしい。
各々の友人グループから離れて2人で会話を広げている美愛と純哉に対し、傍らに残された糸井と尼川は陰ながら連れを煽る。
「冬田さん、もう仲良くなっとるじゃん。すでに熱いで?」
「いいんじゃないの? あの子も楽しそうだし」
一方の陽菜は、満面の笑顔で先輩と話す美愛をただただ見守っていた。しかしその光景は、嬉しくもあり寂しくもある、まさに矛盾した心境だった。
純哉と美愛の談笑は続く。
「赤星さん、なに食べるん?」
「うーん、実はまだ決めてないんですよねぇ」
「カツカレーでも食べときゃ間違いないよ。まぁ、俺は中華そばを食べるんですけどね」
「ふっ、なんですかそれ? 新手のフェイントですか?」
それからは5人とも食券を買ってメニューを受け取り、美愛と陽菜のコンビと純哉、糸井、尼川のトリオは離れた席について一か所に固まり、食事を進める。
中華そばをすする純哉に、糸井が一味の小瓶を差し出してきて言う。
「冬田さん、いつもの入れんでいいんですか?」
「………はい?」
一味を入れることはあれど、いつもはその時の匙加減によって調整している。しかし、糸井から渡してくることは珍しい。一見、彼なりの気遣いかと思ったが、これは何かの振りをされているような気がした。
「……まぁ、入れるけど?」
勘繰りながら半笑いで短く答える純哉に、糸井は悪戯っぽい笑みを浮かべて小瓶の蓋を開ける。
「今日は俺が入れてあげよう、貸してみ?」
何を企んでいるのだろうか。粗方予想は出来たが、純哉は仲間内ならではのノリに乗っかるため、食べかけの中華そばが入った丼を渡した。
すると糸井は、止めどなく小瓶を振って大量の一味を投入する。満杯だった香辛料が、半分以上中華そばに盛り付けられた。
「ふはっ、これはヤバそうだ……」
「なんか、山になっとるで?」
麺の上に盛られた一味の山を見て、純哉は口元を歪めて呟き、尼川が率直に言及する。現に下の部分が溶けて、元のスープが赤くなっていた。
これだけでも規格外だが、更に純哉はそれらを箸で混ぜる。山盛りの一味と中華そばのスープが完全に混ざり合い、見ただけでも辛いと分かる麺が出来上がってしまった。
「色がもうオカしいだろ!」
食堂のメニューには無い創作料理を見て、尼川が噴き笑いをして突っ込む。そんな悪ふざけで作ったゲテモノを、純哉は一気に口の中へ掻き込んだ。
「おぉー、いったね冬田さん」
「よういったわ、ほんまに」
糸井と尼川がはしゃいでいるのに対し、純哉は麺を咀嚼しつつ左手で口を押えてプルプルと震えている。そして、ついに堪え切れなくなった純哉は、口の中に麺を含んだままむせ返った。
「ブボッ……!」
「っ! はははははは! ヤーバいなぁー、冬田さん」
「ひゃははははは! いつからリアクション芸始めたん?」
むせたといっても、口の中に入れたものを飛ばしてはいない。きちんと最後まで飲み込んだ。糸井と尼川の大仰な笑い声が響き、彼等より離れた席でカツカレーを食べていた美愛もつられて笑ってしまった。
「ぷっ、くくくくくく……!」
見知った先輩たちが内々で爆笑しているのもさることながら、美愛はうっすら笑顔を浮かべて心中で突っ込みを入れる。
(冬田先輩、なにバカなことしよん……)
昼食を取り終え、美愛と陽菜は校舎裏の弓道場を通って1年4組の教室まで戻ろうとする。まさか今日は、先輩のふざけた一面を見れるとは思わなかった。自分の知らない冬田純哉を知れた気がして、美愛は1人で嬉しくなる。
校舎裏の、陰り掛かったアスファルトの上を歩く美愛と陽菜。少し前を行く美愛に対して、陽菜は低めの声色で問う。
「ねぇー、美愛ー? もしさぁ、これから冬田先輩と関わっていく上で、あのことは言うつもりなのかなー?」
「………え?」
2人は足を止める。後ろを振り返って見た陽菜の表情は、とても穏やかなものだった。しかし、言葉の端々やその雰囲気から見え隠れしている圧は、とても凄まじいものだと感じる。それこそが、彼女の表情が自然なものではなく、意図的に貼り付けたものであると察せられる。
「…………………」
美愛は言葉を失う。
「どのみちさぁ、明日から3日間はまた学校に来れんのんでしょ?」
「…………………」
求めて得ても、結局は離れていくかも知れない。行き着く先で、彼を傷付けてしまうのではないか。美愛は思考を停止させ、その場で立ち尽くす。
「これから美愛がどうするのかは任せるけどさー、僕でも受け入れるのに時間がかかったんだよー? だからもし言うにしても、伝え方とかはきちんと考えといた方が良いと思うなぁー?」
友人を想っての意見だと分かっているが、美愛は陽菜の言葉に心を刺されている感じがした。自分だけではなく、冬田純也も思ってのものだ。
陽菜は軽く一息吐いて句切り、美愛から視線をそらして続ける。
「……ごめんね。僕も少し厳しい言い方にはなったかも知れないけど、美愛に後悔して欲しくないのは本音だからさ」
フォローを入れ、陽菜は再び歩き出す。
「さ、戻ろうよ?」
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