海に行こう!

「ねえ、朝食を食べたら海に行きたいんだけど」

「えっ、海に? もしかして、泳ぎに……?」

 俺の提案に、ユーメリナが頬をぽっと赤くする。

 今は夏だし、今日は天気もいいし、泳ぎに行くのもいいなぁって、俺は思わずユーメリナに水着姿を連想してしまった。

 ――ビキニだったら胸がはちきれそう?

 が、ブンブンと頭を振って、慌ててその妄想を消し去った。

「違うよ。海藻を取りに行きたいんだ」

「海藻って、食べるの?」

「いや、ガラスの原料にするんだ」

「ええっ? 海藻をガラスの原料にするの?」

 聞いたこともないと不思議そうな顔をするユーメリナ。

 それはそうだろう。手を二〇〇〇度に加熱できるリナ族の人々には全く必要のないものだから。

「海藻からソーダ灰というのを作るんだよ。それがあれば、僕のような日本人でもガラス細工がしやすくなる」

 俺の説明で、ユーメリナは少しだけ納得してくれた。


 朝食を食べ終わると、リナリナ、ユーメリナと三人で海に行くことになった。大きなトートバッグをぶら下げて。

 リナの海岸は、チャートの硬い岩が露出する岩場だった。

 さすがは『ガラスの丘』だと思う。海岸に立って振り返ると、まさにガラスの原料の上に街が築かれているのを実感することができた。

 その岩場には沢山の海藻が生えていた。


「なんでもいいから、片っ端から取って欲しい」

「どれでもいいのね」

 こうして俺たちはトートバッグ一杯に海藻を入れる。重さは二つ合わせて十キロはあるだろうか。

 女性に重いものを持たせてはいけないと俺が一つ持ち、もう一つを二人で持って工房に戻る。


「ふぅ、やっと着いた。疲れたぁ~」

 どしんとトートバッグを床に置くと、ユーメリナはへなへなと椅子に腰掛けた。

「お疲れついでに申し訳ないんだけど、もう一仕事、いや二、三仕事お願いできるかな?」

 俺は頭を下げ、ユーメリナにお願いする。

 本来なら、ここからバーナーで海藻を焼いて灰を作る。

 が、リナにはバーナーは存在しないし、俺が持参したバーナーもガスの残量が心許ない状況だ。ということで、熱源はユーメリナに頼るしかない。

「分かったわ。今年勝つために、じゃなかったタクミのために、お姉さん頑張っちゃうんだから」

 チラリと気になる言葉が聞こえたが、俺は聞こえないフリをして大きなガラスの容器に海藻を入れた。

 すべての海藻を入れ終わると、ユーメリナが腕をまくる。

「じゃあ、いくわよ!」

 そして海藻の山に両手を当てて、力を込めた。


 ジューと激しい音とともに、海藻の水分が飛んでいく。

 さすがはリナ族。ガラスの容器が熔けないように、熱は一五〇〇度くらいに加減していると思われるが、次第に海藻が乾燥していく。

 師匠と一緒に作業していた時は、海藻をバーナーで焼いて灰にした。が、湿っている海藻はなかなか灰になってくれず、とても苦労したことを俺は思い出す。

 やがて乾燥した海藻は、高温のため自然発火して灰になる。

 最後には、十キロの海藻から一キロの灰が取れた。


「ふう、できたわよ」

「ありがとう、ユーメリナ。次はここに水を入れるから、かき混ぜながら煮て欲しいんだ」

 そう言いながら、俺は灰が入った容器に水を入れる。

「タクミの国のガラスの原料って、作るのが大変なのね」

「ゴメン、ユーメリナ。大変だけど頑張って!」

 ユーメリナは右手を容器の水の中に入れて、力を込めてかき混ぜる。すると水はお湯になり、ぐつぐつと煮立ち始めた。

 日本では、一斗缶に灰を入れて煮ていた。焚火の上に乗せて。

 それもまた大変な作業だったが、それを右手一本でできてしまうなんて本当に驚きだ。

 ユーメリナが灰を煮ている間、俺は別のガラス容器の上に網を置き、その上に布を広げておく。


「ありがとう、ユーメリナ。これから残った液をろ過する」

 柄杓を用いて灰を煮た液をすくい、布の上から注いでろ過する。

 その間、ユーメリナはぐったりと椅子に腰掛けていた。

 すべての液をろ過すると、ガラス容器の中には沈殿物が残っている。

「こうやって、不純物を取り除いていくんだよ。あと二つ作業があるんだけど、いい?」

「わかったわ……」

 申し訳なさそうに俺がお願いすると、ユーメリナが力なく答えた。


「次は、この容器を外側から熱してほしいんだ」

「あと二つ、あと二つ……」

 ユーメリナはぶつぶつと呟きながら手に力を込める。ろ液が入ったガラス容器に両手を当てて、熱を加えているのだ。

 すでに熱を持っていたろ液は、すぐにグツグツと煮え始める。するとガラス容器の下に、白い結晶が現れ始めた。

「いいよ、止めて」

 ユーメリナが容器から手を離すと、俺は彼女を労った。

「ありがとう。ユーメリナ」

「作業はあと一つよね。これからどうするの?」

「この液を常温まで冷やして、ろ過して、そのろ液を蒸発させるんだ。その時、また加熱をお願いしたい」

「わかったわ。これが冷えるまで時間がかかりそうだから、お昼にしましょ?」

「うん。本当にお疲れ様」


 ユーメリナのお母さんが作った昼食を、俺たちは母屋のテラスで食べる。

 青い海と港街を眺めながら食べる食事は、最高だった。

「タクミは言ってたよね、今作っている材料を混ぜると、ガラス細工をしやすくなるって」

 食後の紅茶を楽しみながら、ユーメリナが訊いてきた。

「そうなんだよ。あれを珪石に混ぜると、ガラスが熔ける温度が下がるんだ」

「へぇ~」

 信じられないという顔をするユーメリナ。

 そういう技術はリナには伝わっていないことを、その表情が如実に物語っていた。


 午後は、工房の人たちにも手伝ってもらうことになった。

 新技術が披露されるという噂が広まって、技術者が集まって来たからだ。

 俺は冷えたろ液をろ過し、白い沈殿を取り除く。そしてそのろ液を、みんなに手伝ってもらって蒸発させる。

「いくぞ、みんな!」

 技術者たちがガラス容器を取り囲んで、ガラスに両手を当てる。

 みんなが力を込めるとあっという間に水分は飛んでいき、ろ液は白い粉末になった。

 ソーダ灰の完成だ。


「みんな、ありがとう!」

 できたソーダ灰は二十グラム。

 これに八十グラムの珪石を加えて、ユーメリナにこね合わせてもらった。

「うわっ!」

 すると彼女は驚きの表情を浮かべる。

「ホントだ、あっというまに熔けた!」

 ソーダガラスの完成。

 珪石にソーダ灰を加えることで、一七〇〇度の融点が一〇〇〇度まで下がったのだ。

 ユーメリナは、工房の仲間たちにソーダガラスを手渡しする。するとそれを手にした人は皆、今まで味わったこともない感触に目を丸くした。

 それもそのはず、一七〇〇度まで力を込めないと熔けなかったガラスが、一〇〇〇度で熔けてしまうのだ。陶芸で言えば、硬かった粘土が薬品を加えたとたん、トロトロになったという感じなのだろう。

 その光景を、俺は不思議な心持ちで眺めていた。

 だって工房にいる人たちは皆、日本人ならあっという間に火傷してしまうほど赤く熱せられたガラスを素手で扱い、面白そうに感触を楽しんでいるのだから。

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